どんなにつらいときでも、たとえ死にたいときでも【自殺を考えているTくんへの手紙】

you are not alone

Tくんへ

“Just to be is holy; just to live is a blessing.”
– Abraham Joshua Heschel 



おっす。メッセージをありがとう。すごく嬉しかったよ。バンクーバー時代のブログから見てくれてたんだな。よく、ここにたどり着いたねー。理由があって、あえてリンクしてなかったのに(笑)。ちょっとビックリしたけど、ほんと嬉しかったよ。まさか、あのときの人だったとはね。「長い間の知り合いみたい」ってのも、確かにその通りだね。俺も、そう思うもん。繰り返すけど、連絡を本当にありがとう。ブログ書いててよかったって、久しぶりに思ったよ。
 
俺は、その分の感謝を込めて、友情を込めて、今回は、かなりきついことを言わせてもらうよ。他の人には言わないようなことも遠慮なく言うんで、覚悟しといて。笑
 
 
 
あまりに辛い状況にいるおまえを見て、俺には何と言っていいか、迷ってしまう。俺には、おまえの苦しみの深さは分からない。おまえの痛みは、周りの人間が単純化して分かった気になれるような深さじゃないだろうからな。その深さを想像するだけで涙が滲んでくる。「何で、おまえみたいなやつが苦しまなきゃいけねえんだよ」って思うし、その理不尽さに頭にくるわ。今まで何も知らなくて、申し訳ないとさえ思う。
 
でも、これだけは言わせてくれ。
 
死ぬのはダメだ。どんなことがあっても、自分の手で命を絶つことだけはするな。多少の悪さをしようと、多少情けないことをしようとな、俺に助けを求めた以上、俺とお前の関係がある以上、何を破っても、それだけは守ってくれ。
 
 
 
俺は、戦いで苦境に陥ったときに発したと言われるナポレオンの言葉が好きだ。
 
 
 
「状況だと?何が状況だ。俺が状況を作るんだ」(ナポレオン)
 
 
 
ほんとに、そうだと思うよ。状況なんて、受け身で待つもんじゃない。おまえや俺が、自分の手で作り出していくんだよ。どんな絶望的な状態にいたとしても、どんなに出口が見えなくなっていても、それでも何とか、俺やおまえが、自分の手や足で切り開いていくもんなんだよ。
 
 
 
確かに、最悪の状況って思うかもしれない。確かに、人生を投げ出したくなる状況かもしれない。しかも、こんな状況に追い込まれたのは、おまえの責任じゃないもんな。
 
人は、ときに嫉妬や悪意に満ちていて、自分のためなら他人の人生を踏みにじることもできるもの。ときには、他人の歪んだ心が原因で、自分中心のその心が原因で、おまえみたいな誠実で優しいやつが犠牲になってしまう。本当に嫌なもんだと思うよ。理不尽だって思うよ。悲しいし、情けないし、心からの怒りさえ感じる。「自分のせいじゃないのに」ってのは、本当にその通りだと思う。
 
でもな、きついだろうけど、今現在、そこから抜け出そうとしないなら、それは、おまえのせいなんだ。自分で状況を作り出そうとしないのは、おまえの責任なんだよ。今、立ち上がろうとしないのは、今、前を向こうとしないのは、おまえの責任になるんだよ。
 
 
 
 
アウシュビッツから生還したヴィクトル・フランクルという精神科医は、「人はどんな悲惨な環境にいても、自分の態度を自分で決める自由を奪われることはない」と言った。そして、それが人間が持ちうる「最後の自由」だと、人々に訴えかけた。俺は、この10年、しょっちゅうこのフランクルの言葉を思い起こして生きてきたよ。
 
俺たちは、たとえ体の自由を奪われても、たとえ持っているものを奪われたとしても、自分の態度を自分で決めることのできる自由だけは、絶対に誰にも奪われることがない。たとえ、考えられうる全てのものを奪い取られたとしても、全てのものを失ったとしても、どんなに最悪な状況にいようとも、俺たちの態度は、いつだって俺たち自身が自由に決められるんだ。
 
たとえ悲惨な環境でも、誰かに微笑むことのできる自由はある。悪意に攻撃されている時でも、相手に愛を分け与えることのできる自由だってある。おまえも俺も、まだその自由を持ってるんだよ。
 
たとえ何が起ころうと、その自由だけは、決して奪われない。まだまだ、大切な人のために立ち上がることのできる自由を、状況を切り開くことのできる自由を、おまえは、今、その手に持ってるんだよ。それを、どんな奴にも奪うことのできないその自由を、おまえが自ら手放すな。
 
 
 
バンクーバーのブログを読んでたなら、「あなたも同じですよね」って思われるかもしれない。だいぶ前にも、ちょっとそんなこと書き込んでいたもんな。あの書き込み、きつかったぞ(笑)。
 
確かに、俺は病気だった彼女を19歳で亡くした後、悪いことばかりが重なってしまい、気が狂いそうになるのを抑えることで精一杯で、自分も周りもめちゃくちゃにしてしまった。発狂しそうな中で、俺は自分の態度を決めることに何度も何度も失敗した。苦しい思い出ばかりの札幌から飛び出して、東京に行ったあとも、大切な人たちに迷惑をかけ続けた。確かに、立ち直ることができずに、人に心配をかけて、いつまでも心の奥で塞ぎ込んでた。
 
もしかしたら、今でもそうなのかもしれない。情けないね。かっこ悪いかもしれないね。あれから13年。それでも、この間室蘭に行ったとき、どうしても涙が出てきた。
 
でも、あれから、ちょっとずつ、自分が変わっていった気はしてるんだよ。少なくとも、何年も経って、心から笑うことができるようになった。人を愛することができるようになった。自分の力不足に対する罪悪感と後悔で、毎日毎日泣いてばかりいた俺が、だよ。他人には小さく見えるかもしれないけど、俺には大きな変化なんだ。
 
それに何より、俺は今も生きてるよ。人を愛して、人に愛されて、あのときは考えられなかった人生を、想像もつかなかった人生を、今ここで生きてるんだよ。俺は死ななかったよ。大きな痛みや苦しみや悲しみをこの背中に背負いながら、それでも精一杯、今を生きてるよ。
 
 
 
最初は、失敗してもいいんだよ。立ち上がれなくても構わない。いきなり何でもうまくなんてできやしない。だから、ちょっとくらい絶望したって、怒ったって、泣いたって、構わないんだよ。
 
ただ、お前のケースでは、そこから未来を生きることをあきらめちゃダメだ。自分を信じることをやめちゃダメだ。たとえ、自分の夢をあきらめても、他人を信じることをあきらめても、自分自身を信じることだけは、絶対にあきらめちゃダメなんだよ。
 
そして、悲しみや怒りや苦しみにコントロールされるんじゃなくて、それらを俺たちがコントロールする強さを覚えなきゃダメなんだよ。
 
一気に全部やれとは言わない。完璧にやれとも言わない。だけど、もしも俺たちが自分らしくいたいのであれば、それらのことを、少しずつ、でも確実に、しなくてはいけないんだ。
 
 
 
 
俺は、個人的に、「いのち」を与えられた者は、その与えられたものに応える責任があると思ってる。俺たちは無意味に生まれたわけではないし、無意味に「いのち」を吹き込まれたわけでもない。俺は、個人的にそう信じてる。
 
きっと、おまえは、この感覚を共有できないだろうと思う。偶然、俺たちは生まれて、死ぬ理由もないから、ただ意味もなく人生を生きるんだと、おまえは思ってる。俺は、それが間違ってるとは思わない。どのような世界観を持っているかなんて、人それぞれであって、人の世界観に、どれが正しい、間違ってるなんてもんはないからな。
 
でもな、「だから、俺は死んでもいいと思ってます」っていうのは、間違ってる。
 

確かに、知らない人であれば、俺だって間違ってるとは思わない。俺は誰かが死ぬのを止めないこともあるだろうし、止めることをしないことも多々あるだろう。知らない人のことは、俺には何とも言えないからだ。

でも、お前の場合、俺にとっては知らない奴どころか、この状況で最後に俺に連絡をくれた人だ。しかも、前に俺にキッツイ一発をかましたというおまけ付き。笑

 
俺とお前の関係性がある以上、「だから、俺は死んでもいいと思ってます」っていうのも、俺は完全に主観的な感想で、それは間違ってるって言うよ。おまえという人間は大好きだけど、俺はその意見は全力で否定する。これから、どんな手を使っても変えさせてみせる。
 
 
 
確かに、死んではいけない普遍的な理由なんてありはしない。それは、おまえの言うとおりだと思う。哲学者が「人間は社会的動物」がどうとか言おうが、宗教者が「いのちはあなたのものではない」とか何とか言おうが、それらは決して絶対的な理由になんてなってない。おまえの鋭さ、思考力の高さには感心させられたよ。
 
正直、俺にも、俺と全く違った世界観を持ってるやつに、「どうして人は死んではいけないんだ?」と訊かれて、誰もが納得がいく答えを論理的に丁寧に語る自信はない。期待を裏切るようで申し訳ないけど、俺にそんな力はない。哲学を勉強して、社会学を勉強して、宗教学を勉強しても、普遍的な答えを誰かに語ることなんて、俺には難しい。「あなたの論理的思考力と優しい人格」なんて言って期待してもらって、本当に申し訳ないし、力不足で恥ずかしくなるけど、できないものはできない。
 
同じ世界観を持ったやつに語るのは、ある意味で簡単だけど、おまえの場合は、全く違うもんな。
 
 
 
だけど、そんな俺にも一つだけ、確実に言えることがある。
 
 
 
おまえが死んだら、俺が悲しい。だから、死ぬな。
 
 
 
哲学的な理由も社会学的な理由も、俺には知ったこっちゃない。俺が言うことが合ってようが間違ってようが、そんなことさえもどうでもいい。
  
 
 
おまえが死んだら、俺が辛い。俺が泣く。だから、おまえは絶対に死んではいけない。
 
完全に主観的な理由だ。どこにも客観性などないし、こんな時に客観性など、俺には知ったこっちゃない。そもそも、死んではいけない理由など、さっきも書いたけど、ありはしないんだ。
 
 
 
 
俺の周りでは、人が死んでいる。俺が大切に思っていた人たちが死んでいる。未来を夢見ていた奴もいれば、自分で死を選んだ奴もいる。もうたくさんだ。死ななくていいやつが死んでいくのを見てるのは、もう嫌だ。
 
他人は、「弱い」とでも何とでも言えばいい。他人の死で苦しんでるやつに「弱い」と言える人間には、俺には、ただただ反吐が出る。俺には、これ以上、いい人たちが死んでいくのが耐えられない。
 
俺には、「人」が死んではいけない理由を語ることはできない。「人」なんて、結局、個人の集合体を示すただの概念に過ぎないからな。でも、おまえという個人が死んではいけない理由だったら、何時間でも真正面から話すことができる。
 
その辺のやつよりも多くのことを感じる感性を持っているがゆえに、おまえは、不器用にしか生きられない。そんなやつが死ぬのは、俺には耐えられない。理不尽なことに耐え、嫌味や皮肉に耐え、その中で必死に生きるために助けを求めてる、そんなやつが自ら命を絶つのは、俺にはたまらない。だから、おまえは死んではいけない。
 
おまえは、俺に助けを求めた。他の誰でもなく、この俺にだ。不完全で、人生に行き詰ってばかりの俺を、自分の人生に後悔して生きる俺を、最後の対話相手に選んだ。
 
他人には不謹慎に聞こえるだろうけど、嬉しかったよ。だって、本当に今すぐ死ぬ気だったら、誰にも連絡せずに死んでただろうからな。俺にメッセージを送ったってことは、まだ少しだけ、生きたいって力が残ってるってことだろ。ブログ書いててよかったって、本当にそう思ったよ。書いてなかったら、俺に連絡なんて来なかっただろうし、場合によっては、もう、とっくに死んでたかもしれないもんな。
 
俺のバンクーバー時代からブログをずっと読んでたってことは、ある程度、俺のことを知ってるってことだろ。おまえは、俺がどんな人間かを大体わかった上で、俺を選んだ。どうしようもなくなったときに、会ったこともない俺を対話相手に選んだ。だから、連絡をもらえて嬉しかったよ。
 
俺は、そんなやつを死なせるわけにはいかない。何があっても、どんな手を使っても、死なせるわけにはいかない。だから、死ぬな。本名も顔も知らないから、俺にはどうしようもないかもしれない。だから、俺はありったけの想いをここに書く。推敲してる余裕もないから、意味が通じないところもあるかもしれないけど、ただ思ったことをそのままストレートに書く。文字でどこまで伝わるかわからないけど、少しでも俺の自分勝手な願いが伝わってほしいと思う。
 
 
 
 
いきなりめちゃくちゃなことを言うようだけど、どうしても行き詰ったら、トロントに来い。ワーホリでも留学でも何でもいい。全く違った世界の中に自分の身を置いて、もう一度、人生を見つめ直してみろ。その場所に立ち止まっている限り、たぶん、おまえが見える景色は変わらない。
 
これが、おまえに当てはまるかどうかは分からない。俺とおまえは違うからな。これは個人的なケースに過ぎないけど、俺は、東京に行って、アメリカに行って、カナダに行って、新しい世界の中で、少しずつ、人生の見方が変わっていったことがある。
 
もしも、今の場所に絶望しか感じられないのであれば、トロントに限らず、日本国内、海外、どこでもいいから、新しい場所で、新しい環境で、もう一度、自分の人生を試してみろ。もしかしたら、俺みたいに、想像もできない発見があるかもしれない。
 
広い日本の、広い世界のたった一か所で生きられなくなったからって、そこでゲームオーバーだとは、俺は思わない。たとえ、今はそうとしか思えなくったって、俺はそこで終わりだとは思わない。
 
終わりを決められるのは、今のおまえじゃない。将来のおまえだ。これから10年後、今を振り返って、今のこの状態が本当に終わりだったのか、もう一度、確認してみろ。
 
俺は、絶対に今が終わりなんかじゃないって信じてるけどな。
 
 
 
俺にできることは限られるけど、俺の周りにはいいやつが沢山いるから、トロントに来れば、そいつらを紹介することくらいはできるよ。留学にあこがれてんだったら、いい機会かもしれない。「英語できないです」って言われそうだけど、そんなもん、努力でどうにでもなる。
 
 
 
繰り返すけど、状況は、自分の手で作るんだ。受け身で待つんじゃない。おまえや俺が、汗を流して、ときには涙や血を流して、目の前の状況を作るんだ。今すぐできなくても、未来のおまえは必ず状況を作るんだ。一人でできないときは、俺を呼べ。俺も一人でできないときは、おまえを呼ぶからな。
 
 
 
どんな状況にいたって、おまえには、自分の態度を自分で決める自由がある。おまえは今も、その自由を握りしめてるんだよ。それを自分から手放すな。
 
 
 
そして、辛くてまた死にたくなったら、そのときは、また俺に連絡をくれ。何を忘れても、それだけは忘れるな。
 
 
 
 
 
 
もう一度言うよ。
 
 
 
 
 
どんなことがあっても死のうとすんな、バカ野郎。
 
 
 
 
 
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Yasu is the founder and CEO of Good Friends Japan. We aspire to offer opportunities of international education to unprivileged young adults. リベラルアーツ教育研究、英語学習のためにICUを中退。アメリカ、カナダに学部・大学院留学。米の中高の特別講師、サッカーの助監督、カナダで路上生活者と共生。カナダの教会で、異文化教育、カウンセリング、葬儀等を担当。シンガポール勤務を経て、児童養護施設出身者、中退・引きこもりの若者など、社会的に困難な状況でがんばる人たちの国際教育支援チーム創設。教育学修士。@yasukuwahara