連絡をくれた人と僕の人生の話

カナダ最大のホームレスコミュニティーでの話

僕は、収入の10%を自分以外の人のために使うことに決めている。2007年からこれを実践していて、「この人に何かをするために使うべき」と直感で思ったもののために、10%の収入を使っている。

給料をもらったら、僕はまず、10%は自分が使えない分として計算する。ただでさえ薄給なのに、最初から10%を引いたら、手元にはあまり残らない。でも、もともと僕の給料は10%を引いたものと考えているので、そこから必要な費用を差し引き、生活を成り立たせる。もともとファッションやモノにお金を使わない人間だし、慣れていってこれが当たり前になれば、特に生活苦にはならない。

稼いだもの、生産したものの10分の1を、古代の一部の信仰者たちは神に捧げていた。ヘブライ語聖書(通称:旧約聖書)には、そのことを直接示唆する記述がある。

決して教会に捧げろとは言っていないし、義務であるとも言っていないが、これを半ば強制する教会が存在する。教会のお金というのは、ときとして管理がずさんで、個人的には「困ってる人たちがいるのに、何でそんなことにお金を使うの?」と思うことも少なくない。僕は以前にそのような状況を見て、他人に自分のお金の使い道を任せるのではなく、自分で自分の収入を困難の中にいる人のために使うことに決めた。

あれから6年。バンクーバーの路上生活者を集めて食事に行ったり、トロントの路上生活者に食事やマフラーを買ったり、気持ちが沈んでいる友達を飲みに連れて行ったりと、周りの人たちを見渡して、このお金はこの人のために使うべきと思ったことに、10%の収入を使い続けた。

僕がそのようなことをしていると知って、僕のお金を頼るようになってしまった人が出たり、底なしにお金を要求してくる人がいたり、「ただお金をもらうために近づいてきてるのかな」と思ったりしたこともあったけど、ずっとこれを実践してきてよかったと、今振り返って思う。

最近、バンクーバーでお世話になった人からメールがあり、以前に関わった路上生活者が、いまだに僕のことを他の路上生活者たちにこう話していると聞いた。

「人は計算高い。多くの人は、自分のお金を投資する時は、見返りの大きさを計算する。元を回収できる投資をする。そういう計算高い人は、簡単に見分けることができるんだ。でも、あの日本人は違ったぞ。最初は嫌いだったし、おかしなやつだと思ったが、あいつは頭のおかしいやつらと友達になって、一緒にゲームをしたり飯を食ったりして、『理由なんてないよ。俺がそうしたいだけだから』と言って、いつの間にか消えていった。日本人にさえあんなやつがいるんだから、俺はこれからは人を信じたい。俺もいつか、あの日本人のしたことを他人にもしてやるんだ」

僕が使った時間とお金は、僕が知らないところで、彼の心に種となって植えられていた。使われた10%の収入を通して、何も起こらなければ、それはそれでいい。僕の存在自体を忘れてもらっても、一向にかまわない。自分がしたいことをしているだけなので、正直、そのあとのことは、どうでもいい。そう思っていた。

でも、今回はじめて、自分のしてきたことが種になっていると知って、僕の信念は人の人生に影響を与えることができるんだ、と実感できた。こんなケースは、100人に1人かもしれない。それでも、6年間、自分の収入の10%を自分以外の人のために使って、こういうことも起こりえるんだとわかって、うれしかった。

いつかこれを繰り返して、自分が関わった社会が少しでも変わっていけばいいと思う。僕は自分の周りのコミュニティーに対して、口先だけの評論家ではなく、実際に行動で示すプレイヤーでいたい。

ABOUT ME
Yasu
Good Friends Japan CEO. We aspire to offer opportunities of international education especially to unprivileged young adults. ヨーロッパと台湾で仕事をする北海道育ち。大学をアメリカ、大学院をカナダで修了。リベラルアーツ教育、宗教教育修士。
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