帰る方角が分からなくなる理由

何年か前、羊の生態を写したドキュメントを観た。その短い映像の中で、とても印象に残った場面がある。

一匹の羊が草を食べていて、迷子になる場面だ。

よほどお腹が空いていたのかもしれない。群れの中の一匹の羊が、目の前の草を休みなくムシャムシャと食べ続ける。しばらくの間、この羊は、夢中で目の前の草を次々に追いかけていく。そして、目の前を草をひたすら食べ続けていた羊は、あるとき、ふと顔をあげ、周りを見渡し始める。

周りを見渡すと、この羊は、いつのまにか自分が一人ぼっちであることに気が付いていく。思わず不安そうにウロウロとするこの羊。おいしそうな目の前の草を夢中で食べ続けているうちに、この羊は群れから迷い出てしまい、ついには帰る方角もわからなくなってしまっていた。

 

人は、誰もが目の前の草を追い求めて生きている。世界には様々な年代や立場の人がいるのだから、「目の前の草」と言われても、思い浮かべることも様々だろう。経済的安定かもしれないし、キャリアかもしれない。物欲かもしれないし、名誉欲かもしれない。プライドの充足かもしれないし、コンプレックスの克服かもしれない。内実は様々だが、僕たちの人生には、それぞれ、帰る道を見えなくさせる草がある。

追いかけること自体は、何の問題もない。でも、周りを見渡すこともなく、それを夢中で追い求めていると、いつしか私たちは自分が立っている場所がわからなくなる。

そして、戻るべき道を見失う。

僕は、自分が知らず知らずに追いかけているものに、常に意識的になりたい。そして、様々なことが起こり、様々な感情がわき起こる人生で、自分自身がどこに向かっているのかを、絶えず意識して生きていきたい。

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Good Friends Japan CEO. We aspire to offer opportunities of international education especially to unprivileged young adults. ヨーロッパと台湾で仕事をする北海道育ち。大学をアメリカ、大学院をカナダで修了。リベラルアーツ教育、宗教教育修士。