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事業を丸パクリされた話

複数の偽名を使って僕らの大学リストを集めて、全部丸パクリして中国で事業をしている個人を、アシスタントが発見。いつか出ると思ったけど、日本国外で第一号が出るとは予想外。 グーグルアナリティクスやメールのデータを駆使して、数日かけて個人の特定に成功。犯人は日本人だった。 まあ、確かに、今まで中国人からの事前相談は全て住居探しまで行っていて、中国人の契約者には素敵な人しかいないことを知っているし、大学調査だけをした人の中に中国人はいないので、自ずと「中国人ではないだろう」と予想はついたけど。 英語でやりとりしたら、相手は「知らねーよ。名誉毀損で訴えるぞ」という態度だったけど、アシスタントが突き止めた彼のフェイスブックのリンクを、グーグルアナリティクスやメールのデータと一緒に送って、「〜さんですよね。日本の法廷で会いましょう」と言ったら、威勢のいい態度が消え去り、コロっと態度が変わった。 「バレなければ何してもいいだろう」という態度が僕は大嫌いなので、「今すぐ事業を閉じて下さい。期限は11月16日。それを過ぎたら、弁護士に相談します」と伝えたら、とりあえずウェブサイトは非公開になった。 幸い、僕には仲がいい中国人の友達が何人かいる。仕事上のパートナーもいる。彼らに相談して、引き続き、この人物の監視を続ける。 犯人は、こっちにも毎日アクセスしているようなので、少し言っておく。 今回は執行猶予です、千葉県出身の24歳(か23歳)の青年。次に似たようなことしたら、問答無用でウェブ上に経過を全部公開する。君の名前もすべてです。Facebookを消しても、すでに必要なデータは全てスクリーンショットで取ってあるので、そのつもりで。メールの下に毎回貼られていた以下の文言と、契約書の内容をもう一度チェックして下さい。これだけ何度も書いてあるんだから、知らなかったんじゃなくて、君の場合は確信犯でしょう。 このメールの内容は、受信者のみに宛てられたもので、他のサイトへの転用、他者への漏洩などは一切禁止しています。大学リストを含めた関連情報の全部または一部を無断で複製、転載、改竄・改変、公衆送信(ウェブサイトへの掲載を含む)すること、ならびに有償無償にかかわらず第三者に譲渡することを禁じます。このような行為は著作権法違反等による処罰の対象となります。

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【日記】事業の方向転換の準備

おそらくは最後になるだろう、アシスタントと仕事分担の見直し。「最後」というのは、彼が役目を終える時期が近づいてきているからだ。 節目節目で役割分担の見直しをしてきたけど、おそらくは、ここから大筋に変化を加えることはない。その意味では、今回が最後だ。 実際は、僕でなければできない仕事は、そこまで多くない。大学調査と不動産調査くらいのものだ(とは言っても、ここが一番、肉体的にきついところだけど)。 事前相談もアシスタントに任せる方向で動き始めた。「人使い荒くなってきましたね(笑)」と言われたけど、彼は「やすさんは仕事を選別して、集中すべき分野に資源を投資して」と僕に言い続けてきた張本人なので、最近は遠慮なく仕事を振っている。 バルセロナでいきなり個人ブログを再開したのも、アドバイザーのような存在の彼の厳しい言葉の数々の影響が大きい。一年くらいきついことを言われ続けて、自分でも自覚していたのに、仕事の一環のブログはサボってばかりだった。   来年から、彼はいなくなる。学生という身分を卒業して、彼には就職という新たな一歩が待っている。 もともと、彼は僕が留学を無料で協力した人で、年齢はかなり重ねているけど、身分は現役の大学生。 あまりに衝撃的なメールを彼から受け取り、「絶対に俺が何とかする」という気持ちで返信をしたあのときから、早くも数年が経ち、今、彼は就職のときを迎えている。 本当に感慨深い。僕は彼の兄でも親でもないけど、「就職、しかも英語での仕事とは、当時からは誰も想像できないな」と考えると、自然と涙が出てくる。 彼がいなければ、おそらく、僕は自分のしていたことに迷いが出ていた。自分のやっていることに意義を強く感じることも、ほとんどなかったかもしれない。 「こういう協力をすれば、こうやって将来を切り開ける人もいる」という実例が身近にあるからこそ、今まで自分のしていることに意義を感じて、何とかやってこれた。   「進んでいる方向自体は間違ってないです。一つだけ大きく間違ってるのは、BtoCで直接コミュニケーションする、という仕組みです」 そんな彼の助言を元に、これから事業は大幅に転換。ずっとわかっていたのに、転換を後回しにして、彼に負担をかけていた。 僕は今まで、「今度は俺がやすさんの役に立ちたい」という彼に甘えていた。彼がいることを前提で考えて、僕しかできないこと以外であれば、ときにはランダムで彼に仕事を振ってきた。 不特定多数を相手にすることで、もともと「嘘つく人間、非論理的なのに攻撃的な人間、自己中心的な人間は嫌い」という彼に、人間の闇や自分勝手さにも対処させる羽目になった。嫌な仕事も理不尽さを経験する仕事もあったはずなのに、「しゃーないっすねー。笑」などと、いつもポジティブな態度で役目を引き受けてくれた。その態度に、今までどれだけ救われたか。 ほんとに、いい人とチームを組んだ。こんな人間性と思考力を併せ持つ日本人に、人生で何回、僕は出会えるんだろう。こんなに「留学させてよかった」と思える人間に、これから何度、僕は関われるんだろう。   このチームの時間も、来年には終わりを迎える。 僕にも新たな独り立ちの段階が近づいてきている。彼の言うように、BtoCでコミュニケーションを取るという、とてつもないコストをかけなくて済むように、仕組みを新たに作る必要がある。 終わりの見えない作業だけど、やることは整理されているので、あとは一つずつ、こなしていくだけ。 「僕が一番の成功例にならないようにして下さいね。これからもっと、やすさんにはできることあると思ってますよ」という彼の言葉は、ちょくちょく思い出しながら仕事を続けたい。 現実的な進路さえ開ければ、死ぬ以外の選択肢を選ぶ人は、まだまだ世界にいるはずだ。

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【日記】バルセロナで初めてのビジネスランチ

事業パートナーを探すためにも、良い不動産や大学情報を得るためにも、出張の際には、積極的に外で人に会うようにしている。海外出張のときしかできないことを積極的にしていかないと、出張期間がもったいない。 海外でのイベント探しに最も重宝しているのが、InterNations。今日は、バルセロナで初めて、InterNationasを使ってプロフェッショナルたちのビジネスランチに行って来た。 僕はジーンズ、スニーカー、黒セーターという、毎度おなじみの格好で行ったんだけど、集まってる人たちは、僕が場違いに見えるほど、フォーマルな感じの服装。毎度のことながら、東アジア人は僕一人で、隣に座ったイタリア人が言っていたように、集まる会員はアッパーミドル層が多く、年齢も30〜60代ばかりだった。 初めはランチをしながら雑談をして、その後で自己紹介。どんな仕事をしていて、なぜバルセロナにいるのかも、一人一人、みんなの前で話をする。その後にビジネストークの時間があるという、何となくフォーマルな集まり。 こういう場では、ちっちゃいジョークを入れるのが僕のやり方。ちょくちょく使い回すネタが結構ウケてくれて、自分の番が終わったときは、自己満足して席に着いた。内容も、簡潔、かつ明確で、プレゼンの採点としては、そこそこ高得点なはず。 (ランチに向かう途中) スペインスタイルの午後2時〜4時のランチで、夜には予定があったので、そのままオフィスには戻らず、持って来たサブ機のMacBookでカフェで仕事。今回はメイン機のMacBook Proとサブ機のMacBookの両方を持って来ていて、メイン機はオフィスに置いておいて、外出の際はMacBookを使っている。 どこでも仕事ができる体制にしてあるので、毎日11時間はパソコンに向かっている不健康な生活。ストレス発散に、走ること、ちょっとだけ赤ワインを飲むことの二つは実践してるけど、もっと息をつく時間を与えないと、どこかで心身に支障が出そうだ。 夜9時過ぎからは、以前に通っていた言語交換会へ。バルセロナに留学しているドイツ、フランス、オランダの大学生と長々と話していて、大学や教育システムに関して、色々と情報交換。香港系フランス人のウィリアムとは特に仲良くなり、また会う約束をして解散した。 InterNationsと違い、夜の集まりはカウチサーフィンやフェイスブックで探せるカジュアルなもの。こっちの方が気が楽だ。 こういう場では、ちょくちょくスペイン語を教えてもらってるけど、仕事で余裕がなく、語学学習に割く時間を取っていないので、僕のスペイン語は全く上達していない。「バルセロナに来るのは5回目です」と言うのが、少し恥ずかしいレベル。せっかくスペインにいるので、通勤時間にちょっとだけでもスペイン語を復習したい。

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【日記】懐かしい人たちと新しい出会い

午後8時45分からの国際交流会に、大幅に遅れて参戦。前回バルセロナに来た時に何度も参加していたので、微妙な日本語を話すオーガナイザーを個人的に知ってるし、借りているオフィスの近くでの開催なので、月曜の集まりは気軽に参加できる。 前回は、韓国人のジンや日本語を勉強している人たちと仲良くなって、プラハでもジンと合流した。5ヶ月くらいしか経ってないけど、むやみに「Sh*t」を連発する彼女に爆笑していたあのときが懐かしい。 (会場のGorillaというパブ) 以前とは場所が変わっていて、より広いパブが会場になった。前のパブよりも静かで、座る席も多いし、こっちの会場の方がはるかに快適。 仕事をしていて随分と遅れて行ったので、既にグループが出来上がっていたけど、僕は基本的にそんな状況でも問題はない。知らない人たちの中にさっと入って、時機をみはからって自己紹介をして、その中に馴染んで行く。 最初のグループにいたアルゼンチン人の旅人マルティン、映画や写真の分野で活躍しているイタリア&ブラジル国籍のルーカスが、あまりにも素敵な人たちだったので、今日は主に二人とずっと話していた。 マルティンとは、みんなが帰った後に、二人で随分と個人的な話を色々として、午前1時まで残っていた。彼はフリーランスのエンジニアで、21歳で世界を放浪し始めて、タイ、オランダ、フランス、ボリビアなど、色々なところに滞在して生活している。まだ若干25歳。英語は完全にネイティブ並みで、アクセントも完全に北米のもの。 日本人全般に対して、彼はものすごく好印象を持っていて、「日本にはずっと滞在したいと思ってた」と言っていたので、「4月に東京に来いよ。スペイン人の友達二人と台湾人の友達も4月に東京に来るから、みんなで一緒に日本酒のみに行こう」と誘っておいた。 マルティンは面白いやつなので、もし東京に来るとしたら、会社を通して留学した学生も何人か呼びたいものだ。

ストーリー

アメリカで起きた「奇跡」の話

1876年、アメリカの田舎町。 9歳のある少女が、緊張型精神分裂病と診断され、精神病棟に入れられた。彼女の名前は、「アン」といい、みんなからは「アニー」と呼ばれていた。 愛する母と弟が相次いで亡くなり、アルコール依存症の父にも育児放棄されたアニー。さらに目の病気で両目の視覚が閉ざされた彼女は、このとき拒食症を併発し、専門家が見ても治る見込みがないほど、絶望的な精神状態だった。自分を抑えきれず、暴れてしまうことも多々あった。 アニーの荒れた言動は、精神病棟に入れられた後も、一向に変わらなかった。あまりに職員の手に負えないアニーは、精神病棟の中でも、段々と厄介者扱いをされていく。 しかし、そんな精神病棟の中にも、一人だけ、アニーの回復に希望を見出す女性の看護師がいた。アニーが彼女を無視したり、暴言を吐き続けたりする中、この看護師は、毎日毎日、どんなことをアニーにされても優しく話しかけ、幼い彼女のために、ブラウニーやクッキーなどのお菓子を持っていった。 看護師が、次の日、アニーのところへ行くと、確かにお菓子はなくなっている。アニーは、看護師が持って行くお菓子を食べているようだった。 それでも、アニーの態度は、変わらない。お菓子をおいていってくれる看護師には、注意を払うことは一切せず、相変わらず、彼女の方を見向きもしなかったり、彼女に暴言を吐いたりする毎日だった。 しかし、そんなアニーにも、少しずつ変化が訪れる。親しみを持って、根気強く心を開き続ける看護師を前に、少しずつアニーの暴力的な言動はなくなっていき、看護師の呼びかけにも、わずかに応える日々が出てくるようになった。 見捨てずに信じてくれたその看護師と少しずつ交流していくうちに、年月は流れ、アニーは周りが驚くほどの回復を見せる。その回復の順調さに、アニーは病棟付属の学校に通い始めることを許され、ついには、アニーは精神病棟から完全に解放されていく。 人並み以上の努力を費やし、非常に優秀な成績で学校を卒業したアニーが選んだのは、教師への道。アニーは、自分と同じように障害を持った子供たちの先生になることを決意した。 アニーの名前は、アン・サリバン。 ヘレン・ケラーの家庭教師「サリバン先生」とは、このアン・サリバンのことだ。 アニーは、のちに、盲目の教育者と呼ばれたヘレン・ケラーの先生となり、生涯を通して彼女の親しい友になっていく。 ヘレン・ケラーは、目が見えず、耳も聞こえなかった。視覚も聴覚も、生まれつき、ほとんど閉ざされていた。 美しい物語ばかりが語られる傾向があるが、ヘレン・ケラーは、幼少時から美談を重ねられるような人物ではない。視覚と聴覚に困難を抱える幼いケラーは、その不自由さからくるストレスからか、「怪物」と称されたこともあったほど、わがままで乱暴な子供だった。 しかし、ケラーは、その目と耳のハンデを跳ね返す。彼女は必死で学んで大学を卒業し、その一生を障害を持つ人々の教育や福祉に用いた。ケラーの人生の物語は、多くの人々を勇気づけ、今では彼女は世界中で知られた教育者、福祉活動家として知られている。 このヘレン・ケラーが7歳のとき、家庭教師として呼ばれたのが、20歳になったアニーだった。 学ぶ気力も無く、わがままで頑なだったヘレン・ケラー。 アニーは、その幼いケラーの先生となり、やがて生涯の友となっていく。精神病棟を出たあのアニーは、その後、投げやりで自分勝手だったヘレン・ケラーのいのちに、確かな奇跡の種を植えていく。 アニー・サリバンの生涯。 それは、幼い頃に厄介者のアニーに根気強く付き合ってくれた、あの看護師を抜きにしては語れない。名もない一人の看護師は、幼いアニーの心に奇跡を起こす。 そして、そのアニーは、生み出されたその奇跡に活かされながら、この世界に、もう一つの奇跡、ヘレン・ケラーを生み出していく。 さらに、ケラーは、そこから、次の奇跡の種を世界中に植え、生み出された奇跡は、またさらなる奇跡を生み出していく。 奇跡は、連鎖する。 させることができる。 僕は、そう信じて生きている。 奇跡とは、超自然的な出来事のことではない。エスパーが起こす、感覚では捉えられない何かのことでもない。ヘブライ語やギリシャ語で綴られた聖書で語られた「奇跡」という言葉も、英語で言えば「Wonder」であり、「Supernatural(超自然的)」の意味ではない。実際に、聖書で語られる「奇跡」のドイツ語訳も「Wunder」であり、超自然的なマジックの意味はない。 奇跡とは、古代の人が神の業としか例えようがなかったほど、畏敬の念や感嘆と驚嘆に包まれる出来事。 そんな奇跡は、誰の周りにも溢れている。 僕たちにも起こすことができる。 名前すら知られていない、あの看護師が幼いアニーに起こしたように。 そして、アニーが幼いヘレン・ケラーに起こしたように。 そう思って、今日も朝を迎え、僕は自分が選んだ場所で、自分が選んだ役割を果たして行く。 (アン・サリバンとヘレン・ケラー)

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【日記】言語交換会に参加

この日も朝からオフィスにこもって仕事。さすがに週末は、ほとんどオフィスに人がいない。 行くか行かないか迷ったけど、午後8時を過ぎて頭が働かない気がしたので、仕事を切り上げてバルセロナの言語交換会へ。会場はMonkey Factory。以前に一度行ったことがあるので、迷わずに済む。 5月に来た時と違い、奥のソファー席ではなく、カウンター前に人が集まっていて、人数も少なかったけど、二つの良い出会いが会った。3時間くらい話して仲良くなったのが、ヴィック出身のマルティネス、サラゴサから来たエドゥ。連絡先を交換して、今度、一緒に遊びに行く約束をして解散。 今夜は、いい気分転換になった。快適なオフィスを借りて、夜遅くまでオフィスにこもることが多くなったけど、今までのように、夜はもっと積極的に出かけていこう。

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【日記】コワーキングスペースの飲み会に参加

いつものように冷凍のパエリアを電子レンジに入れて、オフィスのキッチンで食べようとしていたら、同じように遅くまで働いていたオリビエに話しかけられた。 お互いに自己紹介をして、すぐに彼にコワーキングスペースの飲み会に誘われた。 「今日、飲み会あるの知ってる?」 「いや、知らない。でも、エレベーターに貼ってるのって、来週の月曜じゃなかったっけ?」 「それもあるけど、今日もあるよ」 「え、知らなかった。どっかに書いてあった?」 「階段のところに貼ってある」 「あ、そっち見てなかったわ」 どうやら、僕がチェックしそこなったみたい。僕は誘いには乗るタイプなので、迷わず彼と二人で飲み会に参加。ちょっと離れたバーが会場だったので、そこまで二人で歩きながら話をしていた。 彼はカナダのケベック州から来た起業家で、フランス人のパートナーと一緒にバルセロナに移住したんだそう。 僕も以前にカナダに住んでいて、「ブロックビルに住んでいた」と行ったら、彼は「何であんな何もないところにいたんだ!?あそこは外国人いるの?」と驚いていた。 ちなみに、当時、僕が派遣された教会に紹介されて住んでいたのが、町の歴史遺産にもなっている写真の右の家。19世紀の医者の家で、シャンデリア付きの天井はやたらと高く、地下室、手術室、召使の部屋など、めちゃくちゃ部屋数があった。手術室は、ぶっちゃけ不気味だ。 飲み会は、思った以上に楽しかった。彼が飲み会に連れて行ってくれたおかげで、フランス人の起業家、東京が大好きなコロンビア人の移民など、同じオフィスに知り合いが増えた。まあ、まだ「知り合い」レベルで、「友達」というわけではないけど。 テック系の起業家が多く、僕とは分野が違うので、コラボレーションの予定は今のところないけど、周りからの刺激で仕事のモチベーションを常に高めることができる。コワーキングスペースのいいところだ。

雑記

恩人の石川欣三郎さん

2010年11月。苦難の時代に多大にお世話になった石川欣三郎さんが、僕がバンクーバーを離れて半年後に亡くなった。 石川さんは、パートナーの磯和さんと一緒に、「桑原くんのメッセージだけは、私たちは毎週ボイスレコーダーに取ってあるんですよ。桑原くんの時だけは、教会を欠席しちゃいけないと思ってね」、「桑原くんは、どこにいたって成功するんだから、教会にいたら、もったいない気がするんですよ。私たちみたいな老人が教会に留めてしまって、若い桑原くんの未来を奪ってるんじゃないかって」と、いつも僕に過分な言葉をかけてくれ、事あるごとに気遣ってくれた。 僕に不倫関係を迫ってきた中年女性に断ったことへの陰湿な仕返しをされたときも、日本で職を失って居場所のない牧師夫婦の陰湿な言動に悩まされたときも、詐欺事件を起こしてバンクーバーに逃げてきた男に嘘で攻撃されたときも、いつもいつも、石川さんは助けてくれた。優しい言葉をかけてくれた。 今の仕事ができるのも、バンクーバーで支えてくれた石川さんのおかげ。僕にとっても、Good Friends Japanにとっても、石川さんは、とても、とても重要な人だ。 「ヨーロッパと台湾でうまくやってます」、「これ全部、学生たちからの温かいメッセージです」って、何とかして石川さんに今の状況を報告したい。時々、そんな気持ちに駆られる。もう二度とできはしないことくらい、痛いほどわかってはいても。 本来は僕が司式するはずだったバンクーバーの記念礼拝(葬儀)で読み上げてもらうために、オンタリオ州の教会に招聘された僕がバンクーバーに送ったのは、ソファを叩きながら、涙を流しながら、震える手で書いた、以下の文章。ふとしたきっかけで、先日、Google Driveから引っ張り出して、久しぶりに自分で読んでみたら、色々な感情がぶり返してきた。 今回、石川さんが亡くなったというEメールを受け取り、教会の仕事の疲れが吹き飛ぶくらいに驚きました。私がバンクーバを発つ前、石川さんはご自分の健康状態を冗談にして、「記念礼拝(葬儀)の司式は頼むよ。桑原くんって、決めてるんですよ。だから、早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」と言って笑っていました。 「早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」というのは、以前からの石川さんの口癖で、私がバンクーバーにいた6年間で、何度おっしゃっていたか分からないくらいです。しかし、まさか、本当に間に合わなくなるとは思っていなかったので、今回、石川さんが亡くなったと聞いて、とてもショックです。 正直、私がバンクーバーを離れて半年でこのようなことになってしまったこと、牧師が不在のときにこのようなことになったのは、とても悔しく、とても残念に思いました。 しかし、V教会(*イニシャルにしてあります)には、私に様々なことを教えて下さった素晴らしい信徒の方々がいらっしゃり、何かがあれば、その人のために尽くす信徒の方々がいらっしゃいます。今回、病院に入院した石川さんのことも、様々な方が訪ねて下さっていたようで、「教会の家族とはいいものだ」と改めて思いました。 石川さんとは、本当に色々なことを共にしました。 教会のことで議論をし、辛い時には励まされ、食事をしながら笑い合い、意見の相違があるときも、若くして教会の職に就いた私の立場や考えを尊重してくれました。未熟な私にも、温かい言葉をかけてくれました。 私にとっての石川さんは、様々な面を持っていました。 まず、石川さんは、とても真摯な方でした。石川さんが語る言葉に表面的な薄っぺらさはなく、言葉の一つ一つが心から出ているものでした。石川さんがお話をするときは、本当に心で思っていることだけを話して下さるので、それがたとえどんなものであっても、石川さんとは、いつも信頼と安心を持って言葉を交わすことができました。決して言葉数の多い方ではありませんでしたが、その分、石川さんの言葉には重みがあり、分かち合って下さったことの多くを、今でも鮮明に思い出すことができます。 また、石川さんは、真面目であると同時に、冗談の好きな方でした。磯和さんも冗談の好きな方なので、何でもない冗談を、三人でよく笑い合っていたことを思い出します。 Tsaiさんのお知り合いの一平くんが教会に来ているときには、石川さんと男三人でよく話をしていました。あるとき、石川さん、磯和さんのご自宅に一平君と二人で招待をされたときに、「石川さんは、親切すぎです。ここは大先輩として、この不届きな一平にガツンと言ってやって下さい。僕は、石川さんのお宅に、とんでもない男を連れてきてしまいました(笑)」、「いや、桑原さんこそ、とんでもない先輩です。石川さん、締め上げておいて下さい(笑)」などと一平君と二人でふざけていたら、心臓にペースメーカーを入れている石川さんは、お腹を抱えて笑っていました。 その後、「すみません。笑い過ぎて心臓に悪いかも知れないですね」と一平君と二人で言ったら、石川さんが「いや~、逆に心臓が元気になるかもしれないよ」と返してきて、またまたみんなで大笑いしました。何だか、それもつい先日のことのようです。 そして、石川さんは、何よりも信仰者でした。教会の共同体とはどういうものであるべきかを真剣に考え、イエスの歩いた道を歩こうとした信仰者でした。 「ナザレに生きたイエスは、救い主だ」とは教会でよく言われることです。しかし、それが私たちの日々の中で具体的に何を意味するかは、教会では、実はあまり共有されていません。 イエスが救い主キリストであるのは、漠然とした教会の宗教的観念が、そのようなことを語っているからではありません。教会の教理を信じても、信条に「その通りです」と告白しても、それは人の世界を変え、生き方を変えることは決してできません。 イエスが救い主であると言われるのは、イエスの言動を通して、その歩いた道を私たちが実際に歩くことを通して、わたしたちが、神が一人一人に与えた「いのち」に触れ、死ですら終わりにすることのできない「いのち」に生きることができるからです。そして、その「いのち」によって、私たちが新たに作り変えられることができるからです。 カナダ合同教会の信条にもあるように、イエスが語った永遠の「いのち」、わたしたちの時間の概念ではかれない「いのち」というのは、死のあとの命のことではなく、死を超えた「いのち」のことです。死んだあとの命、というのは、どの宗教においても触れられる傾向がありますが、キリストの教会が語り続けるのは、死後の命というよりも、今現在、ここで生きる「いのち」のことです。自分を殺し、他人を殺し、世界を殺すのではなく、神に作られたもの全てを生かし続けるような「いのち」-それが教会が伝え続けるイエスの「いのち」です。 ご自宅に何度も招待して下さったり、聖書を読む会にはほぼ欠かさずに来て下さったりと、石川さんとは多くの時間を過ごす機会に恵まれました。私が石川さんと身近に接した中で思うことは、石川さんは、誠実に、その「いのち」を生きようとしていた、ということです。 石川さんは勉強熱心な方で、聖書を読む会では、こちらがハッとさせられる意見も出して下さいました。おそらく、聖書やキリスト教に関する沢山の知識も持ち合わせていたことでしょう。 しかし、何よりも私の印象に残ったのは、石川さんの言葉や笑顔の裏にあるキリストの「いのち」でした。 「いのち」を生きている人は、他人を活かすことができます。ちょうど蝋燭(ろうそく)の明かりと同じように、「いのち」を生きようとする人は、「いのち」の光で人を照らし、凍える人を暖めることができます。私にとっての石川さんとは、まさにそのような方でした。話をすると安心することができ、イエスが語る「いのち」を分け与えられる、そのような方でした。  みなさん、今日は、その石川欣三郎さんの記念礼拝です。どうか、みなさんで石川さんが生きた、そして今も消えない「いのち」を覚え、一緒に祝福して下さい。石川さんの「いのち」は、今も消えていません。石川さんが生まれ、日本やカナダの地に生き、私たちと「いのち」を交えることができたことを、みなさんでお祝いして下さい。石川欣三郎さんと出会い、心を通わせ合い、教会の家族としてときを過ごすことができた。今日は、そのことが祝福される日として下さい。 私は遠くオンタリオの地にいますが、最後の最後まで石川さんを近くで支え続けた磯和さんを始め、ご家族やご友人のみなさんのことを祈っています。石川さんが日曜日にいつも座っていた礼拝堂で、石川さんの想いが詰まった教会で、どうか、みなさんにとってよい記念礼拝が持たれますように。    桑原 泰之 2010年11月27日

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5回目のバルセロナ出張

バルセロナに向かう飛行機の中。ここ3年で7回目の渡欧。毎回、2、3ヶ月はヨーロッパに滞在して、ミーティング、協力者探し、留学した学生との食事会などを行ってきた。ヨーロッパで事業基盤を作るためには、とにかく現地に飛ばなくては話にならない。何度も来ているので、もはやヨーロッパに行くのが、北海道から東京に行くような感覚になっている。 カタール航空で、東京ーバルセロナの往復が5万6千円くらい。前回も5万円台で東京からバルセロナを往復したこともあり、既に6万円台での往復だと「高いな」と思うようになってきた。カタール航空のセールは、ヨーロッパに行く人にはおすすめ。少なくとも、日本発着の便は、ご飯も美味しい。 それにしても、前回の更新から随分と時間が空いてしまった。ありがたいことに、契約者が一時期殺到したので、ブログも後回し。定期的に更新しなければと思いつつ、バルセロナ、プラハ、ブダペスト、ワルシャワに行き、帰国して二週間後からは台湾に行くという、そこそこ厳しいスケジュールで、書き続ける意志力が伴わなかった。ブログ更新も仕事なので、こちらもちゃんとしないと。メール返信も大切な仕事だけど、ブログも大切な仕事。大いに反省。 ウェブサイトがめちゃくちゃなので、まずは早く修正したい。

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英語留学にスペイン&ドイツのEUビジネススクールを勧める15の理由

EUビジネススクールは、ヨーロッパの主要な大学、大学院であり、バルセロナ(スペイン)、ミュンヘン(ドイツ)、ジュネーブ(スイス)、モントルー(スイス)にキャンパスがある。どのキャンパスも、全ての教育が英語で行われ、教員、学生ともに世界各国から集まってきている。ビジネススクールという名前が日本人には混乱させるが(European Universityから大学名を変更)、通常の大学、大学院で、学士号、修士号、博士号を取得することができ、英語学習コース、国際関係学、レジャー&観光学、スポーツマネージメントなどの専攻も存在する。 大学のブログは、こちらから。 EUビジネススクール(バルセロナ)スポーツマネージメントの卒業生で、IMG Japanでのインターンシップ、電通勤務を経て、現在レッドブルで勤務しているKei Sugimotoさんの紹介記事。 大学本部はジュネーブにあるが、最も学生数が多く、実質のコミュニティーの中心を担っているのは、バルセロナのキャンパス。スペインは概して日本には好意的で、日本人の勤勉さや日本文化が、非常に高く評価されているところ。日本人とスペイン人の交流を増やしたいこともあり、まずスペインのキャンパスを念頭に入れ、長所や魅力的でない点をまとめていくことにした。 EUビジネススクール(バルセロナ)の魅力 1.第三機関からの評価が確か EUビジネススクールは、欧米の様々な教育機関から認証評価を受けている正式な高等教育機関であり、ビジネススクールランキングの常連。 【参考】 オンラインMBAランキング1位(The CEO Magazine調べ) トップグローバルビジネススクースランキング33位(QS Top MBA Global 200 Business Schools Report調べ) 卒業後に投資額に見合った給料を受け取れるランキング5位(QS Return of Investment Report調べ) 女性にベストのビジネススクール6位(Capital W調べ) トップビジネススクール  トップ20入り(China Economic Review調べ) また、欧米の多くの高等教育グループのメンバーにもなっており、提携を結んでいる学校も世界中にある。提携校であるローハンプトン大学(ロンドン)、ペース大学(ニューヨーク)などに留学して、第二学士号を取得することも可能。 2.キャンパスは全て英語環境 EUビジネススクールでは、全ての授業が英語で行われ、学内の公用語は英語のみ。教授陣もスタッフも全員が流暢に英語を操るので、スペイン語が全くわからなくても、問題なく大学生活を送れる。ヨーロッパの非英語圏には、特定の学部だけ英語のみで行っている大学は多いが、キャンパス全てが英語環境なのは、それほど多くはない。中欧の一部の大学以外、完全な英語環境で、EUビジネススクールほど手頃な学費で評価の高い教育を行うところは、今のところ見当たらない。 3.クラスサイズが小規模 少人数教育を推進しており、1人の先生に9人の学生がつく割合(2016年1月時点)。教員が少人数の学生についているので、相互コミュニケーションが取りやすく、学習面で困難があっても、丁寧に対応されやすい。 4.学位を取らない短期留学もできる 数週間のサマーコースに加え、一学期や一年間だけ、学部留学、大学院留学、英語コース留学、ビジネス予備コース留学ができる。留学するのに、必ずしも学位を取る長期留学をする必要はない。日本で大学に所属しているのであれば、EUビジネススクールで取得した単位を、所属大学の単位に組み入れることも可能(ただし、事前に所属大学に確認を取る必要がある)。 5.現役大学生でなくても、短期学部留学ができる いわゆる「社会人」、フリーターであっても、留学は可能。英語コース、ビジネス予備コース、学位を取る長期留学はもちろんのこと、一学期、一年間のみ、学部や大学院のクラスを取ることもできる。また、夏学期も含めれば、4年制大学の卒業者は、一年で第二学士号を取ることもできる。 *高校中退者で高校卒業程度の資格を持っていない人でも、英語コース、ビジネス予備コースに留学ができる。無事にビジネス予備コースを終了した後は、EUビジネススクールに大学進学をして、学士号を取得することも可能。 6.英語力の足りない人用のプログラムがある 出願の際の英語力の基準は、学部留学でIELTS 6.0、大学院留学でIELTS6.5(TOEFLやIELTSの点数を持っていない人は、EUビジネススクール独自の英語のテストを遠隔で受けることもできる)。これに満たない場合は、基本的に3ヶ月集中型の英語コースに進学し、一学期、英語を学ぶことになる。予備コース出願時の英語力の基準は、IELTS5.0、TOEFL iBT45。日本の高校でそれなりの英語の成績を取っている人であれば、予備コースに入学することは十分に可能。 7.TOEICの点数を出願に利用できる 大学によっては、IETLS、TOEFL、ケンブリッジ英語検定などを受け付ける一方、TOEICの点数では、出願の際の英語力の証明として認められないケースがある。TOEICは基本的にビジネス英語よりの能力を測るものであり、留学の際のアカデミック英語の力を測るものではないからだ。 しかし、EUビジネススクールは、TOEICの点数も出願に利用することができる。点数の基準は、予備コースで600、学士課程で670、MBAで720。アカデミック英語でない分、日本人にはTOEICの方が基準の点数を取りやすいことが多いので、TOEICを出願に用いることができるのは人によっては助かるはず。 *IELTS、TOEFL、TOEICなどの点数を持っていない場合、大学独自の英語能力試験で代替できる。遠隔で日本にいながら受けられる英語のテストで、インターネット環境とプリンターが近くにあれば、受験可能。ただし、出願前に一回、渡航後に一回と、合計2回のテストを受ける必要がある。 8.4つの都市を行き来して学べる EUビジネススクールのキャンパスは、ジュネーブ、モントルー、バルセロナ、ミュンヘンにある。ずっと一つのキャンパスに留まる必要はなく、今学期はミュンヘン、来年一年間はバルセロナ、次の学期はジュネーブ、残りは全部モントルーなど、学期ごとにキャンパスを変えながら学ぶこともできる。 ただし、ジュネーブとモントルーは、バルセロナとミュンヘンよりも学費が高い。経済的に限られた予算で留学している人にとって、現実的な選択肢は、バルセロナとミュンヘンの2都市を行き来することだろう。スペイン、ドイツの文化に日常的に触れつつ、英語で学位を取るという選択肢は、うまく利用すれば、将来の人生の幅を広げてくれるはず。 9.オンライン学習を組み合わせることができる…

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バルセロナのフリーランスたちと仕事

ノルウェー、イギリス、スペイン、ドイツ、アメリカのフリーランスたちと一緒にコワーキングスペースで仕事をして、そのまま一緒に2時間のランチ。ランチがすごく長い。みんなスペインスタイルになってる。 数人はランチ後に、すぐに仕事を切り上げて帰宅していた。「5時間くらいしか仕事してなくね?」と思ったけど、それが彼らのワークスタイルなんだろう。 バルセロナ到着翌日で時差ぼけで疲労がたまっていたけど、頭は冴えていた気がしたので、僕はそのまま8時過ぎまで仕事をしていた。結局、ランチ後に来た若いカナダ人起業家と僕だけが、最後まで残っていた。 周りがどんどん帰っていく中、みんなに「やすは残るの?」、「日本人だな。日本人は誠実で、よく働くからね」、「また白髪増えるぞ(笑)」と言われたけど、ランチで2時間取ってるんだから、9時〜8時労働は大したことない。 とまあ、そうは思ったけど、実際は、そうやって思う僕の方が、世界では圧倒的マイノリティーなのかもしれない。 一瞬、「日本にはブラック企業と呼ばれる会社があってだな、そこで働いてる人に比べると…」と言いかけたけど、そんな違法な企業と比較して「大したことない」と思う思考は危なすぎ。比較で設定する基準がおかしい。 日本でBtoCの事業を行うのは、正直、かなり大変な面がある。不特定多数の人間を相手にすると、支離滅裂な人間と関わるリスクが避けられず、モンスターな要求も多大な数に及ぶことがあるからだ。ブラック企業が生まれる背景は、事業をしているとよくわかる。 だからと言って、それに屈して、労働者に理不尽な痛みを強いて、企業をブラックにしてしまうのは論外。休日をしっかり取らせる、暴力的な人はブラックリストに入れて契約を切る、モンスターな要求は明確に断るなど、Good Friends Japanに関わる人を守るのは、全て代表である僕の責任。人を雇った時の経営のやり方も、少しづつ考えていかないと。

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バルセロナ到着

バルセロナについてからは、いつものように空港からAerobusでカタルーニャ広場に行き、そこからホステルまで地下鉄。 今回宿泊するのは、Factory Hostel。カサミラの近くで、カタルーニャ広場にも、サグラダ・ファミリアにも歩いて行ける距離。何より助かるのは、地下鉄駅Diagonalに近いこと。Diagonalは色々な路線が入っているので、この辺りに宿泊すれば、どこに行くにも便利だ。 僕は出張中にホテルに泊まることは、ほとんどない。宿泊するのは、たいていゲストハウス、ホステルの相部屋。ヨーロッパにいるときは、ホステルのラウンジで他の宿泊者たちと交流しつつ、昼間はコワーキングスペースでフリーランサーたちと一緒に、もしくは一人でカフェで仕事をして、夜は国際交流の集まりに出かける、というライフスタイルをとっている。 いつも夜遅くに帰るので、宿ではほとんどシャワーを浴びて寝るだけ。耳栓もアイマスクもあるし、ベッドがカプセルホテルのように固定されていて、ちゃんと睡眠で体を休ませることができれば、特にプライベートな空間はいらない。場所が便利で、しっかり寝られさえすれば、宿泊場所は、多少汚くても、狭くても何でもいい。あまりこだわりはない。今回のホステルは、その基準を十分に満たしている。 交際費にお金を使いまくるので、ここで宿泊費を抑えつつ、必要なところに経費をかけて、バルセロナで効果を最大限にする仕事の仕方をしていく。

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成田空港からドーハ、バルセロナへ

札幌を出発し、上野のカプセルホテル、川崎のホテル、川崎のホステルに宿泊して、関東地方の友人たちに会い、東京から4度目のバルセロナへ。 飛行機のチケットは、成田ーバルセロナの往復で6万円くらい。カタールのドーハで10時間の乗り継ぎ時間がある。2度目のドーハだけど、前回は3時間くらいしか乗り継ぎ時間がなかったので、飛行機を降りたら、すぐに次の飛行機のゲートに向かった。結局、空港内を見て回ることはできず、空港のことは全く調べられなかった。 今回は乗り継ぎに時間の余裕があるので、空港内を歩き回って、微妙なフードコートのバーガーキングでチキンサラダとチキンバーガーを食べ(1000円くらいした…)、TVスペースで仕事をしていた。 TVスペースは、どこも人が寝ていて、誰一人テレビを見ている人はいない。このあたりは暖かいし、ソファは快適だし、仮眠をとるには最適なスペースなんだろう。 飛行機の中では、いつものように、仕事をして、映画を見て、あとは寝ていた。無印良品のネックピローのおかげか、前回よりは快適に寝られた気がする。 今回利用したカタール航空は、僕のお気に入り。機内食もワインも、そこそこ美味しい。次のヨーロッパ行きの航空券も、既にカタール航空から購入してある。次回の飛行機は、10月出発の羽田ーバルセロナの往復で、諸税を含めて5万4千円。普段はアエロフロートが最も安いことが多いけど、セールに当たりさえすれば、カタール航空の方が安いことが多いし、何よりカタール航空の方が快適。しばらくはカタール航空を愛用することになりそう。

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5回目のヨーロッパ出張へ

これから日記的なブログエントリーを書くことにした。アメリカ、カナダ時代には、ほぼ毎日、日記的なブログを書いていたので、これからは昔のやり方に戻ることになる。 僕はブロガーではなく、会社の経営者。役に立たないものでも、特定の人たちしか興味のないものでも、昔のように書いていくことにした。Good Friends Japanという会社の経営者がどういう生活をしていて、どういう考えをしているのか、公開することは、経営上でも意味がある。 日記的なブログは、アメリカ、カナダ時代にほぼ毎日書いていて、バンクーバー時代のブログは、一時期、すごいアクセス数になった。理由があってバンクーバーのブログは閉じたけど、ひっそりと書いていたアメリカ時代のものは、まだオンライン上に残っている。読み返してみると、すさまじく恥ずかしい。「俺はよくあれを世間に公開してたな…」と思う。 思いっきり恥ずかしいんだけど、ああやって記録として残しておいたことは、本当に良かった。6年ぶりにチェックしてみると、忘れている細かな出来事がいくつかあった。アメリカでの楽しい思い出、嬉しかった思い出が蘇ったのは、あのとき短くても記録を残しておいたからだ。あの時の自分には、「よくやった」と言いたい。 法人化してGood Friends Japanを創立するまでは、辛かった。本当に辛かった。起業日記を書いて記録になんて残したくない壮絶な日々だった。嘘をつかれることも、騙されることも、他人に無責任に仕事を放り投げられることもあって、心身ともに疲弊した。 だけど、それも今は落ち着いた。去年くらいから、少しづつ自体が好転した。よい学生たちが集まったことで、今までの苦しみが少しだけ報われた。少しは心に余裕を持って、今はブログを書くことができる。 時期がちょうどいいので、5回目のヨーロッパ出張から、日記をつけることにした。出張の記録を残さないと出張費用が経費として認められないこともあるので、日記を始めるにはちょうどいい。 今回ヨーロッパにいるのは、5月4日から6月27日まで。前回よりは、ちょっと短め。今回も会うべき人が沢山いるし、5回目の出張で、人生に何が待っているか。ただただ楽しみだ。

組織運営

合同会社Good Friends Japanが誕生しました

合同会社Good Friends Japanとして、正式に再出発した。日本に関連することを示すためにJapanを入れ、以前より意味のわかりやすい社名にしてある。 いま会社のウェブサイトを作成中で、3月中には整える予定。完成したら、ツイッターとブログでお知らせしたい。 母の癌治療が転移によって色々と長引いているので、2月のヨーロッパ行きは延期した。来月にはプラハかバルセロナに飛び、そこからノルウェー、フィンランド、ハンガリー、ポーランドに行く予定。 留学するみなさん、留学中も親御さんを大切に。海外での生活を写真や電話で伝えることを忘れないで。僕は全くしていなかったことを、今になって後悔している。 —————————– 以下の内容は会社のウェブサイトに記載される予定。 会社概要 社名 合同会社Good Friends Japan ウェブサイト(2016年3月末完成予定) Home 設立 2016年2月 所在地 北海道札幌市豊平区福住 *以前と変更があります 連絡先 info@goodfriends.jp 事業内容 ヨーロッパ留学実現のための教育(オンライン) 国際教育事業 他、上記に付随する業務 営業時間 平日10時〜18時(土日、祝日、年末年始は休み) 役員 桑原 泰之(CEO) 北海道登別市育ち。アメリカで教養学士号、カナダで教育学修士号を取得。修士号プログラムの提携のため、ブリティッシュ・コロンビア大学とトロント大学の両方で学んで教育と宗教の研究を行う。地域サッカーのコーチ、United Church of Canada(日系、台湾系、白人のみの村にあるところ、都心の裕福な層が集うところの4箇所)勤務を経て、ヨーロッパの大学オフィスと事業協力者の助けを借りながら、Good Friends Japan(旧JAPANY)を立ち上げる。毎年5ヶ月はヨーロッパに滞在して、事業基盤を強化することに尽力している。Good Friends Japanを通して、両親と育っていない人、震災で親を失った若者の海外進学サポートをする仕組みを作るのが当面の目標。

ストーリー

大切な人を大切にすることほど、大切なことはない【元アメフト選手の物語】

アメリカの小さな町に、プロのアメリカンフットボール界で活躍したオニール(仮名)という男がいた。オニールは、幼い頃からアメフトで頭角を現し、順調に大学チームでも活躍し、やがてプロへの道を歩み始めた。彼は懸命にアメフトに取り組み、結婚して数年後、いくつかのチーム記録を残して引退した。 時は過ぎ、オニールは、三人の息子と一人の娘の父親になった。彼の三人の息子は、当然のように、幼い頃から父親にアメフトを叩き込まれ、毎日毎日、暗くなるまでチーム練習、個人練習に明け暮れるようになった。 オニールは、この三人の息子をプロ選手にしようと、全身全霊を傾けた。毎日毎日、息子たちの練習に根気強く付き合い、厳しくアメフトの基礎を仕込んだ。 父親に似て才能溢れる三人の息子達は、やがて十代の少年になり、順調に大学フットボール界への階段を上り始めていく。 しかし、その一方、オニールの愛する末の娘は、原因不明の過食症で、どんどん体重が増え、ついには100キロを超えるほどになっていった。 数か月がたち、妻から相談を受けたオニールは、娘が精神的な病気を抱え、体重も100キロを超えて、明日から入院しなければならないほどだ、ということを聞いて驚いた。 「そんな馬鹿な。一体、あの子に何が起こったんだ!?」 オニールは、娘を溺愛していた。三人の息子たちと同じように、いや、場合によってはそれ以上に、愛娘のことも深く愛していた。すぐさま娘のところに飛んでいき、「おまえに何が起きてるんだ?」と尋ねた。 けれども、彼女は答えたがらない。彼と目も合わせようとしない。何度、接触を試みても、つれなく追い返されるだけだった。 「あれほど良い関係だった娘がなぜ?」 オニールは、あれだけ自分に懐いていた娘が、心を開かないことに戸惑った。 「娘に何が起こったんだ?あの子の何が問題なんだ?」 オニールは、心のモヤモヤを晴らすことができない。 「問題なのは、あの子ではないわ。あなたよ」 その夜、オニールの言葉を聞いた妻は言い放った。 「何だって?」 「『あの子に何が起こったんだ?』じゃないでしょう。私もあの子も『パパに何が起こったんだろう』と思ってた。あなたが問うべきは、『What happened to her? What’s wrong with her?』じゃない。『What happened to ME? What’s wrong with ME?』でしょ」 オニールは、憔悴し切った妻の言葉に驚いた。 「オニール、あなたは自分が息子たちにかけた時間と、娘にかけた時間を考えたことあるの?」     “あの子の何が問題なんだ?” 父であるオニールにとって、本当の問題は、娘ではない。娘に何が起こったか、ではない。今の今まで、こんなことになるまで、そのことに注意を向けていなかった彼自身だ。 「娘には、いつも会っていたはず。挨拶を交わしていたはず。けれども、気が付かなかった。言われてみれば、確かに顔がふっくらしてきたとは思ったが、娘の変化に、外側の変化にも、内側の変化にも、気が付かなかった。オレは、一体、何をしていたんだ?いつも会っている娘だったのに。一体、オレに何が起こってしまったんだ?」 本当の問題、問題の根っこは、娘ではない。自分だ。今の今まで、こんなことにさえ気がつかなかった自分だ。三人の息子をプロ選手にするために全身全霊を傾け、自分が思う以上に娘に注意がいかなくなっていた、娘に時間を割かなくなっていたオニール自身だった。オニールは、やっとのことで、本当の問題に気が付いていく。 オニールは、次の朝、妻と共に娘の部屋に行き、自分がいかに愚かだったかを、率直に二人の前で告白した。 息子たちと同じくらいの時間を娘に割いていたと思っていたが間違いだったこと。 自分の過ちを許してほしいということ。 今から自分にチャンスを与えてほしいということ。 大男の元アメフト選手が、涙ながらに、心の内を家族の前にさらけだした。 娘は彼の謝罪を受け入れた。大きなハグとともに受け入れた。娘も、妻も、オニール自身も涙が止まらなかった。   10年前、僕がオニール一家のバーベキューに招待された時、オニールのそばには、彼の娘、そして娘の子供たちがいた。 オニールと僕は、僕が地域サッカーのコーチと審判をしていた時に、この子供たちを通して知り合った。 「娘からいつも話は聞いてるよ。孫と忍者トレーニングしてるんだって(笑)。オレみたいなジジイも忍者にしてくれるか?がははは」 オニールは非常に親しみやすい性格で、孫が僕と仲が良かったせいか、僕の隣に座って色々な話を聞かせてくれた。切羽詰まって苦しんでいた僕の胸の内も、本当に真摯に聞いてくれた。 これから奨学金をもらって大学院に行くという僕の決意を聞いていた彼は、不意に僕に言った。 「おまえのハードワークは、グレートだ。成績はいいし、英語も流暢で、スポーツもできる。これも日々の努力の賜物だろう。自信を持っていい」 そして、僕が何故アメリカに飛び出したのかを知っている彼は、ポツリと言った。 「おまえは、昔のオレに似てるよ。自分を磨くことに全力投球するところ、そして、大切な家族を顧みないところがね」 「え?」…

サッカー

ディエゴ・ロペス:「モウリーニョはここにいたとき、盾になってくれた。でも、アンチェロッティは、僕がターゲットになるのを防がず、過度の注目が僕に向けられていた」

モウリーニョは、レアル・マドリー指揮官としての最後のシーズン、クラブの伝説的選手カシージャスをスタメンから外し、ビジャレアルからディエゴ・ロペスを連れてきて、物議を醸し出した。 噂では、モウリーニョとカシージャスの関係が冷え込んでいたからだ、と言われているが、実際にはそうではなく、モウリーニョの決定は純粋にサッカーに関するものだったと、ロペスは述べている。 「モウリーニョは、僕に話しかけて、直面している困難に対応する強さを与えてくれた。完全に僕を信頼しているし、前年に僕と契約を結ぼうとした、とも言っていたよ」 「カシージャスに敵対心などはなく、ただ僕がトレーニングでベストだと思ったと言っていた。モウリーニョの言葉は、選手たちは新たなレベルまで引き上げてくれる」 「モウリーニョはここにいたとき、盾になってくれた。でも、アンチェロッティは、僕がターゲットになるのを防がず、過度の注目が僕に向けられていた」 2012/2013シーズン、カシージャスはベンチで過ごしており、昨シーズンは、カルロ・アンチェロッティの元で、ロペスとのローテーションでの起用となっている。その結果として、カシージャスとロペスの関係には変化が生じたという。 「カシージャスとの間に言い争いはなかったけど、僕がマドリーに来て、関係は変わったよ。夕食を共にしていたこともある数年前のような関係ではなくなったんだ」 「僕は今でもマドリードが好きで、カシージャスと全てのスタッフに大いなる敬意を抱いているよ」 ロペスは昨シーズン、レバンテからケイラー・ナバスを獲得したマドリーを離れ、ミランに移籍した。彼は、イタリアに来るのを選んだことを、正しいことだと思っている。 「僕は正しい決断をしたと思っている。でも、ミランはベストのときを迎えてはいない。でも、これから改善して、僕たちは将来、ベストの状態に戻ると思っているよ」 参考:The goalkeeper was first choice under the Portuguese at Real Madrid amid rumours the coach had a falling out with his rival for the No.1 jersey

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なるべく多くの大学を提示する留学関連事業

留学関連事業をしているところは、ざっくりと大雑把に分けると二つのタイプがあり、どちらのタイプに留学をサポートしてもらうかは、その人が求めているものに左右される。 一つ目のタイプ 一つ目のタイプは、特定の学校のみを利用者に紹介し、学校から生徒紹介手数料を取る事業。 サポート無料を謳うところは、ほぼ間違いなくこのタイプ。学校へ生徒を引っ張ってくることで、学校から生徒紹介手数料をもらえるので、こういうタイプの事業をしている会社は、提携先、協力関係を結んでいるところだけを集中して紹介することになる。提示される選択肢は限りなく狭い。 このタイプのメリットは、サポート料金が安いことではない。実際は、学校は利用者が払う授業料に、生徒を引っ張ってきてくれた会社に払う生徒紹介料を上乗せしているので、大雑把に言うと、<授業料+斡旋会社に払う生徒紹介料>を、利用者は学校に「授業料」という名目で支払い、学校はその内の<生徒紹介手数料>を斡旋会社に払うという仕組み。名前は違うけど、利用者は斡旋会社に料金を支払っていることになる。総費用のコスパとしては、特に料金的にお得、ということは、実際は少ない。 ただ、語学学校ではなく大学が相手だと、少し勝手が違うことが多い。大学の授業料は既に固定されているので、利用者は<授業料+生徒紹介料>を斡旋会社に払う必要はない。基本的に大学が、その授業料の何%かを斡旋会社に支払うという仕組み。僕がアメリカとカナダで知る限り、この収入だけで事業が成り立つところはないので、大学に学生を集めている会社は、利用者からも料金を取らざるを得ない。 特定の学校のみを勧める会社を選ぶメリットは、値段ではなく、学校との密な関係にある。そのような事業をする会社は、協力関係にある学校の豊富なパンフレットを持ち、イベントなどの行事を始め、学校を熟知しているところが多い。また、何か学校とトラブルがあっても、柔軟に対応してもらえる可能性が高い。 特定の語学学校のみを紹介しているのに、利用者が払うサポート料金が高いところは、僕は勧めていない。学校から多額の生徒紹介料を受け取りながら、それだけで経営が続かないのであれば、利用者中心の賢い経営ができていない証拠。特に語学学校の斡旋会社に利用者料金が高いところがあれば、僕であれば選ばない。学校から授業料の25%前後を貰っているんだから、よほど昭和式の古い経営スタイルでなければ、組織運営はできるはず。 このタイプの事業のデメリットは、学校の選択肢の狭さ、そして、学校に日本人が多くなる(日本人相手のところであれば)ことだ。生徒紹介料がもらえる特定の学校しか紹介せず、もともと学校の選択肢が限られているんだから、100人の日本人が申し込めば、どの学校も日本人だらけになる。 ただ、少しは日本人がいた方が安心という人も多いのは事実。個人的には、人によっては、最初は少し日本人のいる環境の方がいいのではないかと思っている。英語が全く話せず、海外生活も不安だし、日本人が一定数いた方が安心、という人は、特定の限られた学校を勧める会社にサポートしてもらうのは、留学先に日本人がいることがほとんどなので、一つの有効な手になるだろう。 二つ目のタイプ 二つ目は、特定の学校のみを紹介することはせず、可能性がある全ての学校を紹介する事業。JAPANYは、こちらのタイプ。何よりも大事なのは、より多くの留学の選択肢を提示することだと思っているので、僕は起業する際に迷わずこの形態を取った。 メリットは、幅広い留学の選択肢を提供できる点。留学の希望を聞いた上で、理論的、現実的に進学できそうなプログラムは、知りうる限り、全てを紹介する。僕が知る限りは、日本で一番選択肢は多い。 デメリットは、学校からの生徒紹介料がないので、利用者の料金を無料にしたり、極端に安くできない点だ。ウェブサイトに広告を入れる、アフィリエイトを取り入れるなど、他の方法で事業収益を上げているけど、その数字はわずか。この事業を続けるには、利用者からの料金が主な活動資金になる。 *2015年に入って、三つの大学から正式な提携の話を打診されている。仮に将来、それらの大学と提携しても、そのことを利用者には明記した上で、今まで通り、公平に大学を紹介し続ける。 なるべく多くのプログラムを紹介する理由 僕が経済的理由からICUを辞めて、奨学金でアメリカに学部編入した時、英語力の成績も、北米の全ての大学の基準を満たしていて、奨学金のことを考えたとしても、実際は他の大学に行ける可能性もあった。当時の僕は、ある方法で進学する選択肢があることを知らず、それを知った当初は「ああ、あそこにも行けたのか…」と微妙な気持ちになっていた。 その後、素晴らしい大学生活を送ったので、結果的には大学選びに後悔はないけど、選択肢を知らずに、自分の可能性を狭めてしまうことは、大きなマイナスになりうる。僕は当時のやるせない思いを他の留学生に与えないためにも、とにかく学校の選択肢を多く利用者に提供することを中心に考えている。 大学リスト JAPANYは、ヨーロッパの主要国ごとに調査員を二人雇い、日本人留学生が英語だけで留学できるプログラム調査をしてもらっている。そして、より多くの大学の選択肢を提示してくれた調査員には、調査終了後に、ボーナスとして更に料金を支払っている。こうして二人の調査員を競争させ、大学の選択肢をギリギリまで調査してもらい、僕がカナダ時代から絶え間なく積み上げてきた大学リスト、新しく大学に頼んで特別に日本人留学生の受け入れを許可してくれたプログラムと合わせている。これを一学期ごとに見直していけば、かなりの確率で、最大限の選択肢を手元に整理できることになる。 ここまで来るのには、多大な費用がかかっている。テクノロジーを駆使して固定費が極端に低くしているとは言え、これからも人件費で費用がかかり続ける。その分は、利用者の料金に反映させてもらっている。 特別に無料でサポートするケース ただ、児童養護施設の子供達や震災で親を失った子供たちは別だ。こういった人たちに高等教育、国際教育の可能性を広げるために、僕は帰国してJAPANYという組織を立ち上げた。このような人たちには、学費が無料のプログラムや生活費の安い国への留学を無料でサポートするし、わずかながら奨学金も用意することも可能だ。そのために、大学の調査員とは別に、僕のプレゼンに共感してくれた協力者グループも用意してある。 まだまだ留学基金が足りないので、本格的に宣伝し始めるのは、もう少し先の話になるけど、今も留学希望者は受け入れている。親と育っていない、震災で親を亡くした、という人で、留学に興味を惹かれた人は、ぜひ連絡してほしい。サポートは無料でするし、学費も生活費も、日本の国立大学に通って一人暮らしをするより、随分と総費用の安い留学が可能。児童養護施設の職員と僕が直接話をする必要があるので、できれば職員の方、施設長などと話をしたあとで、こちらに連絡をしてほしい。   またヨーロッパへ さて、僕は数ヶ月で、またヨーロッパに出張に行く。さらなる協力者を増やし、サポート体制を強化するためだ。メールや電話では、パートナーや協力者を得るには限界がある。やはり現地に飛んで、色々な人に直接プレゼンをして、こちらの情熱や計画をぶつける必要がある。 今度は、友人たちを頼りに、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、北欧も回る予定。調査員たちの報告によると、このあたりにもいい大学が沢山あるので、大学関係者に会って、根掘り葉掘り聞いてくることにする。