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ディエゴ・ロペス:「モウリーニョはここにいたとき、盾になってくれた。でも、アンチェロッティは、僕がターゲットになるのを防がず、過度の注目が僕に向けられていた」

モウリーニョは、レアル・マドリー指揮官としての最後のシーズン、クラブの伝説的選手カシージャスをスタメンから外し、ビジャレアルからディエゴ・ロペスを連れてきて、物議を醸し出した。 噂では、モウリーニョとカシージャスの関係が冷え込んでいたからだ、と言われているが、実際にはそうではなく、モウリーニョの決定は純粋にサッカーに関するものだったと、ロペスは述べている。 「モウリーニョは、僕に話しかけて、直面している困難に対応する強さを与えてくれた。完全に僕を信頼しているし、前年に僕と契約を結ぼうとした、とも言っていたよ」 「カシージャスに敵対心などはなく、ただ僕がトレーニングでベストだと思ったと言っていた。モウリーニョの言葉は、選手たちは新たなレベルまで引き上げてくれる」 「モウリーニョはここにいたとき、盾になってくれた。でも、アンチェロッティは、僕がターゲットになるのを防がず、過度の注目が僕に向けられていた」 2012/2013シーズン、カシージャスはベンチで過ごしており、昨シーズンは、カルロ・アンチェロッティの元で、ロペスとのローテーションでの起用となっている。その結果として、カシージャスとロペスの関係には変化が生じたという。 「カシージャスとの間に言い争いはなかったけど、僕がマドリーに来て、関係は変わったよ。夕食を共にしていたこともある数年前のような関係ではなくなったんだ」 「僕は今でもマドリードが好きで、カシージャスと全てのスタッフに大いなる敬意を抱いているよ」 ロペスは昨シーズン、レバンテからケイラー・ナバスを獲得したマドリーを離れ、ミランに移籍した。彼は、イタリアに来るのを選んだことを、正しいことだと思っている。 「僕は正しい決断をしたと思っている。でも、ミランはベストのときを迎えてはいない。でも、これから改善して、僕たちは将来、ベストの状態に戻ると思っているよ」 参考:The goalkeeper was first choice under the Portuguese at Real Madrid amid rumours the coach had a falling out with his rival for the No.1 jersey

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本田圭佑のデータ:2014/2015シーズンと2013/2014シーズンの比較【海外記事】

2013年に本田圭佑がACミランと契約したとき、その発表を多くが熱狂的に歓迎した。チャンピオンズリーグとW杯経験者であり、まだ若い27才の司令塔を、ロッソネリ(ミラン)は獲得に成功したのだ。CSKAモスクワでの4年間で、この10番は自身の才能を世に知らしめた。ここイタリアでは、イタリア人指揮官アルベルト・ザッケローニの元で日本代表としてプレーした、2013年のコンフェデレーションカップでの本田のパフォーマンスが、多くの人の印象に残っているだろう。 しかし、セリエA移籍後、本田のキャリアは停滞気味だ。2013/2014シーズン後半、最初の数ヶ月の彼は、全く印象に残らない選手だった。公正を期するために付け加えると、ミランでパフォーマンスが芳しくなかったのは、彼だけではなく、ほぼ全ての選手が当てはまるが。 最初の16試合で彼が記録したのは、わずか2ゴールだった。確かに、才能の片鱗を見せることはあった。しかし、継続性がなく、フィリッポ・インザーギ監督のフォーメーションにもフィットしていないようだった。 6得点2アシストを7試合で記録した今シーズンは、本田によりよいシーズンが来ることを予感させた。しかし、それ以降、本田は目立たなくなっている。10月以降、彼は得点もアシストも記録しておらず、プレースキッカーとしても、失望させる数字を出している。 Apps=出場, Mins=試合時間, Assists=アシスト, KeyP=キーになるパス(一試合平均), AvgP=パスの本数, PS%=パス成功率, Crosses=クロス(一試合平均), LongB=ロングボール(一試合平均), ThrB=スルーパス(一試合平均), Raiting=評価(数字が高ければ高いほど高評価) 当初の本田はサイドで輝いたが、今はサイドでプレーしても、中央でプレーしても、全く能力を発揮できていない。Whoscored.comは、本田が一試合平均で、たった一度しか決定的なパスを通していないとするデータを出している。 Serie A’s top passers, via Whoscored.com Squawka.comによると、今シーズンの本田のパス成功率は80%、シュートの正確性は65%だ。この数字の大部分は、シーズン当初の好調な数字に支えられている。昨シーズンは、パスの成功率は84%だった一方、シュートの正確性は22%となっている。 同サイトの統計では、今シーズン最も印象的な活躍をしている攻撃的選手パウロ・ダイバラとフェリペ・アンダーソンと比較しても、本田のデータは、それほど悪くはない。しかし、好調だった最初の7試合を除くと、本田のデータは全く異なったものになる。 ミラン移籍前、CSKAモスクワでの最後のシーズンでは、本田はほとんど得点することはなかった。しかし、彼は頻繁にチームメイトのためにチャンスを作り出していた。しかし、サン・シーロ(ミランの本拠地)では、そのチャンスメークが枯渇してしまった。 本田がロシアからの移籍を模索していた頃、ジャパンタイムズのインタヴューで、ビッグクラブへの移籍は自分を更によい選手にするだろうと語っている。 もし僕がビッグクラブに行けば、今より遥かに優れた選手になれる。向上するのは、少しではない。僕は周囲のものは何でも吸収するタイプ。優れた選手たちとプレーすれば、それだけ自分も向上する。キャリアにおいて、僕がここまで来ることができたのは、そのためでもある。 質において、本田がミランでステップアップしたようには見えない。もし変化があったとしても、彼は逆に退行しているとすら見える。クラブの継続的な問題や選手の質が影響しているため、ここには議論の余地はあるのかもしれない。しかし、ジェレミー・メネズのような選手は、たとえ悪い状況にあっても、個人の努力によって、印象的なプレーを残している。 日本代表のチュニジア戦の1得点1アシストは、彼が好調時のフォームを取り戻したことを示唆している。しかし、批判の声を黙らせるためには、本田は、同じことを強豪相手にクラブで行う必要があるだろう。 by Colin O-Brien

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ペップ・グアルディオラ:興味深い5つのこと【海外記事】

バイエルン監督のペップ・グアルディオラは、興味深い人物だ。リオネル・メッシのような選手が彼と強い絆を育む一方で、ズラタン・イブラヒモビッチのような選手は、彼を毛嫌いする。バルセロナでプレーしていた頃から、彼はいつも注目を浴びていた。このスペイン人監督について、あなたが知らないだろうことは、以下の5つ。 1.選手としての最後のクラブ 信じられないかもしれないが、彼がプレーした最後のクラブは、メキシコのドラドス・シナロアだ。選手としての現役を退く半年前、34歳のときに移籍し、わずか半年で退団した。スペイン人監督フアン・マヌエル・リージョに誘われて、彼はチームに加入しており、メキシコで指導者養成学校に通っていたグアルディオラにとっては、これは自然な選択だったとも言える。 2.大事な得点を記録 スペイン代表としては、守備的セントラルMFのグアルディオラは、わずか5得点を記録しているだけだ。しかし、親善試合で記録したのは1点のみで、5得点のうちの4得点は、重要な試合で記録したものだ。最初の得点は、1994年アメリカW杯の予選でラトビア相手に決めたもの。また、3−1で勝利したW杯本戦のボリビア戦では、先制ゴールも決めている。残りは、1998年フランスW杯予選での2点、2000年にスウェーデンとの親善試合で記録した1点だ。 3.バルセロナのボールボーイ 1986年4月16日のヨーロッパカップ準決勝、スウェーデンのヨーテボリとの一戦で、15歳のグアルディオラ少年は、ボールボーイを務めている。カンプノウで行われたその試合で、2週間前に0−3で破れたバルセロナは、今度は3−0で勝利し、二試合合計を3−3の引き分けに持ち込んだ。延長でバルセロナのビクトル・ムニョスが決勝PKを決めたとき、グアルディオラ少年は、祝福のためにムニョスに走り寄っている。 4.忍耐は美徳 ペップは18歳のときに、妻のクリスティーナに出会って、交際を始めている。しかし、二人は2014年5月まで結婚することはなかった。事情があって、25年間も結婚せずに付き合っていたことになる。現在、夫婦の間には3人の子供がいる。 5.3つのメダル 最初の金メダルは、1992年にスペイン代表で勝ち取ったオリンピックのメダル。2つ目は、2010年に受け取った、スポーツ功労者勲章。スペイン国内でのスポーツへの貢献に対して送られている。3つ目は、2011年のカタルーニャ議会勲章。カタルーニャ地方の勲章の中でも、最高の栄誉とされている。 参考

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マルコ・ロイス:知っておくべき5つのこと【海外記事】

ドイツ代表のマルコ・ロイスは、ボルシア・ドルトムント在籍中に、ヨーロッパのベスト選手の一人に数えられるようになった。素早いボールさばきができる上に、得点への嗅覚も持ち合わせ、世界のウィンガーの中でも、上位にランクされる選手だ。今シーズン、ドルトムントはブンデスリーガ10位と苦戦をしているかもしれない。しかし、ロイスは、直近の7試合で5勝2引き分けと好調を続けるドルトムントに大きな貢献をしてる。 アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督は、ウォルコットの代わりになる攻撃的MFを探していて、ロイスとの新契約に積極的だと言われている。ウォルコットは週給10万ポンドを要求しているが、ヴェンゲルは、これを支払う気はなく、代わりにこのドイツ代表ウィンガーをチームに加えたいようだ。 ボルシア・ドルトムント所属のドイツ代表マルコ・ロイスに関して、あなたが知っておくべきことは、以下の5つだ。 1.2012年からボルシア・ドルトムントでプーレしている マルコ・ロイスは、ドルトムントで生まれ、ユースのキャリアをドルトムントでスタートさせ、2006−2007シーズンからはロート・ヴァイス・アーレンに在籍して、プロのキャリアを歩み始めた。その後、ボルシア・メンヒェングラートバッハに移籍し、彼はブンデスリーガ一部で輝きを放ち始めた。2009−2010シーズンは、8ゴール4アシストと静かなスタートだったが、翌シーズンにブレークし、2011−2012は18得点で、ブンデスリーガのベスト選手の一人になっている。2012年に、ユース時代に所属した古巣ドルトムントに移籍するまでの直前の2年間では、彼は33得点24アシストを残している。 2012年1月、ロイスは、故郷のクラブであり、ユース時代を過ごしたドルトムントに、1700.5万ユーロの移籍金で帰還した。ボルシア・メンヒェングラートバッハは、2016年までの新契約をロイスに提示したが、彼は、2015年夏に解禁になる2500万ユーロの契約解除条項を盛り込みながら、ドルトムントと5年契約を結んだ。この年ドルトムントに加入したのはロイスのみで、彼の元ガールフレンドのカロリン・ボフスも、共にドルトムントに移住している。 ロイスは2年連続でドルトムントをチャンピオンズリーグに導き、2012−2013年シーズンには、結果的にはバイエルンに2−1で敗北するものの、チームを決勝まで導いている。2014−2015シーズンは、ベスト16でユベントスに敗れ去った。 2.年間436万ドルを稼いでいる ロイスは最近、契約解除条項なしで、ドルトムントと新たに2019年までの新契約を結んだ。 #reus2019 pic.twitter.com/GdDPJCjh7p — Borussia Dortmund (@BVB) February 10, 2015 ドルトムントにとって、ロイスと新契約を結んだ最大のポイントは、彼をバイエルン・ミュンヘンに移籍させないことだった。過去2シーズンにおいて、バイエルンは、2013年7月にゲッツェ、2014年7月にレバンドフスキと契約をしている。ゲッツェは、ドルトムントのユース出身で、21歳になるまでに、トップチームで31得点45アシストを記録している。レバンドフスキは、バイエルンと契約するまでに、ドルトムントでの4シーズンで、103得点を記録している。この2人のスーパースターのように、ドルトムントはロイスに去ってほしくはなかった。だから、夏の移籍シーズンが来る前に、ロイスと新契約を結んだのだ。 アーセナルからの興味も、ドルトムントにとって衝撃だっただろう。セオ・ウォルコットの契約が切れ、ウォルコットは週給10万ポンド未満での契約を望んでいないことから、アーセナルはロイスに白羽の矢を立てた。アーセナルはスピードのあるウィンガーを探しており、ロイスのスキルは、ウォルコットに似ていたのだ。 3.ソーシャルメディアで、非常にアクティブである マルコ・ロイスは、ソーシャルメディア上での露出が多いためか、とても人気のある選手である。ツイッターでは200万人を超えるフォロワーを有し、タンブラーでも活発だ。彼のツイッターIDは、ニックネームをもじった@woodyinho。このニックネームは、アニメのキャラクターのウッディ・ウッドペッカーから由来したものだ。彼のチームメイトが言うように、ロイスは走るときに頭が上下する(*ウッドペッカーは英語でキツツキ)。 ロイスのツイートは、2011年8月にアカウントを作成してから55回しかないが、彼のツイートには、ドルトムントに帰還したときのものや友人との写真も含まれている。 Hi Leute, ich freue mich euch mitteilen zu können, dass ich meinen Vertrag bis 2019 verlängert habe! @BVB Euer Marco pic.twitter.com/mXEuEhBrg7 — Marco Reus (@woodyinho) February 10, 2015   4.2014年W杯で、親友のドイツ代表マリオ・ゲッツェが、彼に敬意を表している マリオ・ゲッツェとマルコ・ロイスは、ドルトムントでは2012−2013シーズンを共に戦っただけだが、ドルトムントとドイツ代表の時間で、お互いに深い絆を築いている。ドルトムントユース時代は一緒で、ブンデスリーガの記事が示すように、音楽の趣味が似ており、ピッチの外でも仲がいい。ロイスが元ガールフレンドのカロリン・ボフスと破局した時は、ゲッツェがそばで彼を支えている。カロリン・ボフスは、10代の頃からロイスを知っており、2009年からロイスと交際をしていた。 ロイスとゲッツェは、代表でも2011年8月からともにプレーをしている。しかし、彼らの友情が最も親密になったのは、2014年W杯だろう。ロイスはW杯直前、6−1で勝利したアルメニア戦でケガをして、W杯に出場できなかった。ゲッツェは、親友ロイスもチームの一員だということを、このような方法で示している。…

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バルセロナのネイマールについて、あまり知られていない5つのこと【海外記事】

ネイマールは、今やサッカー界で最も注目されるスターの一人だ。熱狂的なファンにとっては、彼について知らないことは、非常に少ないだろう。今回、私は、彼に関してまだあまり知られていはいないだろうことを掘り出してみた。容易な作業ではなかったが、私自身にとってそうだったように、あなたにも、これらがサプライズになることを願っている。 1.南アフリカW杯 ネイマールは、2010年南アフリカW杯でもプレーすることができだろうが、当時のドゥンガ監督は、サントスから離れるこの若いスターを招集しなかった。14,000人以上のファンが、W杯のメンバーにネイマールを入れるように嘆願書を書いたが、ドゥンガは拒んだ。ペレやロマーリオさえも、その嘆願書に名前を連ねていたにも関わらずだ。もしもメンバー入りしていれば、たとえ短い間の途中出場であっても、ネイマールはチームに貢献したことだろう。ドゥンガは、彼のメンバー入りには頑固であった。 2.タイム誌 ネイマールは、米タイム誌の表紙を飾った初めてのブラジル人サッカー選手である。ネイマールは、2013年にこの象徴的なマガジンの表紙に選ばれている。タイム誌は1923年創刊だが、ロナウドやペレといった選手たちでさえも、その表紙を飾ることはなかった。これは、ネイマールにとっても、大きなことだった。試合に勝ったわけでも、トロフィーを勝ち取ったわけでもないが、履歴書に誇れる項目が増えるのは、いつだっていいことだろう。 3.広告 SportsProによると、彼は世界で最もマーケティング価値のあるアスリートであり、ナイキ、ポリスサングラス、カストロール、ロレアルとの広告契約を結んでいる。この広告がもたらす収入は、彼を世界で7番目にリッチなサッカー選手にしている。キャリアを重ねて、さらなるスター選手になれば、おそらく彼は7番目から世界のトップの一人になるだろう。ブラジルW杯も、これを後押しするに違いない。 4.ファン 有名人やポップスターには、一定のグループのファンが付いている。スポーツ界でも同様だ。有名人のファンはときには自分たちを特殊な名前で呼んでおり、ネイマールのファンも、自分たちをNeymarzetesと呼んでいる。ネイマールの私生活ではなく、純粋にネイマールのピッチ上のプレーだけを楽しんでいる人にとっては、おかしな名前に思えることだろう。 5.息子ルカ ネイマールは、19歳で父親になっている。平均的な19歳は、学校やバイトで忙しくしているかもしれないが、ネイマールは違った。彼の息子の名前はルカで、母親が誰かはプライバシー保護の観点から明らかにされていない。これはクリスティアーノ・ロナウドと同様である。 参考

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ジョン・テリー「モウリーニョは、今もハーフタイムに激怒することがあるよ。机がひっくり返り、水のボトルは空を飛ぶんだ。3ー0で勝っていてもね」

チェルシー主将のジョン・テリーは、ハーフタイムのジョゼ・モウリーニョ監督の反応は予測不可能だと明かした。 「前半を3ー0で終えていても、時には鬼のように怒るし、負けていてよいプレイができていなくても、時にはハーフタイムにリラックスしているように見えたりする」 リーグカップ覇者は、プレミアのタイトルにも近づいている。しかし、モウリーニョは、いつも選手たちに気を引き締めさせている、とテリーは言う。 「このクラブでは滅多に起きないけど、時々はハーフタイムで負けていることがある。ロッカールームに入って叱咤されると思うだろう。でも、入ってみると、監督は静かで、落ち着いた振る舞いをしていて、予想と正反対なんだ。『聞くんだ。この試合には勝つ。後半は開始早々にゴールを決めるだろう』という感じでね。そして、それを選手たちに信じ込ませるんだ」 「またあるときには、2ー0や3ー0で勝っているとする。満足した気分でロッカールームに行くと、彼は烈火のごとく怒ることもある。テーブルはひっくり返り、水のボトルは空を飛ぶんだ。『どうしてこうなっているんだ?』と思うよ」 「でも、後半に行くと、3ー1や3ー2で何とか勝つんじゃなくて、5ー0で勝つんだ。彼は選手がいつ気を緩めるかを知っているんだ。フィールドに向かう前に、それを感じ取ってしまう。選手たちや毎試合に関して、そんな感覚が降って来るんだ。それを見ていると、僕が経験したようなことを身につけている監督は、他にはいないと思うんだよ」  参考

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ポール・ポグバ:知っておくべき5つのこと【海外記事】

フランス人のスター選手ポグバは、2014年W杯で最も若い選手の一人だっだ。しかし、21歳にして、W杯ベスト16でのナイジェリア戦での得点を含め、既に代表で3得点を記録している。比較的短いプロのキャリアだが、多くのクラブに所属し、固定ファンも築き上げている。「Il Polpo Paul」(タコのポール)と呼ばれるこの選手は、注目必至の選手。以下の5つが、この選手について、あなたが知っておくべきことだ。 1.彼はイタリアリーグでプレーしている フランスのラニー=シュル=マルヌで生まれた、ポール・ラビーレ・ポグバは、サッカーファンに愛される存在だ。フランスのル・アーブルでプレーしていたが、マンチェスター・ユナイテッドに移籍し、今はイタリア王者のユベントスでプレーしている。 2.彼は若いが、新米ではない ポグバはW杯で最も若い選手の一人だった。しかし、彼の年齢は、その経験を反映するものではない。ポグバは、6歳でサッカーを始め、クラブを渡り歩いて、経験を積んできた。2013年には、20歳以下のベスト選手に選ばれ、ゴールデンボーイ賞も受賞している。 3.ファンは、彼に多くのあだ名を付けている 最もよく用いられるポグバのあだ名は、「Il Polp Paul」か「Paul the Octopus」(どちらも「タコのポール」)だろう。この由来は、彼の長い脚。彼の身長は約188センチと高く、脚の長さも際立っている。これがタコの長い触手を思い起こさせるので、ファンはポグバを「タコのポール」と呼んでいる。 「タコのポール」は、ポグバに最も使われるあだ名だが、他のものもある。ポグバは、マンチェスター時代の同僚が、彼を「ネルソン・マンデラ」と呼んでいたことも明かしている。監督のアレックス・ファーガソンに反抗していたというのが、その理由だそう。 ポグバは、ファーガソンとの確執は否定している。 「僕はサー・アレックス・ファーガソンに敬意を欠いたことはない。何かあったとしても、その反対だ。僕は彼と面と向かって物事を言っていたのだから」 4.サッカー一家で育っている ポグバは、ギニア人とコンゴ人の両親の元で生まれ、マティアス、フロランタンという二人の兄がいる。二人の兄は双子で、弟ほどの成功を手にしていないが、共にサッカー選手になっている。マティアス・ポグバは、クルー・アレクサンドラのFWであり、フロランタンは、サンテティエンヌでプレーしている。 5.彼とアレックス・ファーガソンの関係は、上手くいかなかった 2009年から、ボグバはプレミアのマンチェスター・ユナイテッドでプレーしていたが、契約延長を受け入れず、2012年に急にチームを去っている。ファーガソンは怒り、ポグバは敬意を欠いていると、公に彼を非難した。 一方のポグバも、ファーガソンは彼をプレーさせず、チームを去ることを決めた時は、無礼な態度だったと、ファーガソンを非難している。英紙インディペンデントに、ポグバはこう語っている。 「プレーしなきゃならないんだ。監督が、チップチームでプレーするチャンスがあると言ったけど、僕にはプレー時間がなかった」 参考

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アンヘル・ディ・マリアについて、あなたが知らない5つのこと【海外記事】

1.アルゼンチン第三の都市ロザリオで1988年に生まれたディ・マリアは、同国のスターであるリオネル・メッシと故郷が同じである。しかし、メッシが13歳でヨーロッパに旅立ったのに対し、ディ・マリアは故郷に留まり、ユース時代をロザリオ・セントラルでプレーし、2005年、17歳の時に同チームでプロデビューした。 2.子供の頃から、二人の姉妹と一緒にローカルの炭鉱で働いて、両親を助けていた。貧しい家に育ち、低収入のために、サッカーシューズを買うのにも一苦労した。 3.2007年、アンヘル・ディ・マリアは、故郷のロザリオ・セントラルからポルトガルのベンフィカに、わずか600万ポンドで移籍した。2010年7月には、スペインのビッグクラブであるレアルマドリードに、移籍金2500万ポンド、インセンティブ1100万ポンド付きで移籍した。 4.2008年、ディ・マリアは、オリンピックのアルゼンチン代表に選ばれ、北京五輪でプレーした。決勝のナイジェリア戦では、ディ・マリアは決勝点を挙げ、金メダルを掲げている。 5.2014年に8月、ディ・マリアは、5900万ポンドでマンチェスター・ユナイテッドに移籍した。これは史上5番目に高額な移籍金であり、イングランド史上最高の金額である。 参考  

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シャビ、イニエスタ、セードルフなどは、マンチェスター・ユナイテッドのファン・ハールをどう考えているか

シャビ・エルナンデス 「個人的には、彼との時間は素晴らしい経験だったよ」「彼と一緒に仕事をして、僕に信頼を置いてくれたんだ。17歳のときにファーストチームに引き上げてくれ、その難しい旅路をしっかりと助けてくれた」 「僕の意見では、彼はバルセロナでの仕事に正当な評価を受けていない。明確なアイデアがあって、方法論もしっかりしていた。時代を先取りした監督だったんだ」 参考 アンドレス・イニエスタ 前オランダ代表監督は、1997年にバルセロナの監督に就任し、サー・ボビー・ロブソンの後を継いだ。そして、チームを二度のリーガ王者、一度の国王杯王者に導いた。 バルサの伝説となるシャビにデビューの機会を与えたのと同様に、ファン・ハールは、若いイニエスタにも大きな役割を与えた。 「僕は17歳で、ファーストチームに入ることができて歓喜していた。彼がその機会をくれたんだ。若い選手たちに、彼はいつもとてつもない仕事をしてくれた」 「彼と仕事をするのは心を踊らせる体験で、僕は重要なステップを踏み出すことができた。彼は、ハードワークをするし、正直で誠実だ。そして何より、サッカーで偉大なことを成し遂げ、とてつもなく成功した監督なんだよ」 参考 クラレンス・セードルフ 以前にアヤックスでファン・ハール指揮下でプレーしていたセードルフは、「チームの哲学を浸透させる監督」、「すぐにファーストチームでプレーできる一流の選手たちを買いあさるのではなく、クラブの文化や戦術を知っている選手も重宝する。彼は偉大な監督で、実績がそれを証明している」などと賞賛していたが、のちに辛辣な言葉を残している。 「自分の言葉に正直だと思っていた男は、全く違った男だったよ。ファン・ハールは他人を扱うやり方によって、信頼性を失ったように見える」 参考 ジミー・フロイド・ハッセルバインク ファン・ハールは、2014年W杯のオランダ代表指揮官だった。彼は2000年から2002年にも代表監督を務め、ハッセルバインクを何度か招集している。 「彼は自分が何を欲しいのか、どのように欲しいのか、そして、いつそれが欲しいのかを正確に要求する人だ。でも、だからといって、刑務所の中の囚人のように人を扱うわけじゃない。彼は愛すべき男で、トップレベルの監督だ。世界でベストの一人だよ」 参考 パトリック・クライファート ファン・ハールが、マンチェスター・ユナイテッドの監督に就任した時、補佐役に選んだのは同士のクライファートではなく、ライアン・ギグスだった。 「ルイは、僕の役職にライアン・ギグスを据えたかったんだ。理解できるよ。クラブのことを知っている人が欲しかったんだ」 「彼は、こうも言ったよ。『パトリック、これからは自分一人で立つべき時だ』ってね。だから僕はユナイテッドにはいかなかったんだ」 参考

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ギャレス・ベイルについて、あなたが知らない5つのこと【海外記事】

2013年、ギャレス・ベイルは、8500万ポンドで銀河系集団レアル・マドリーの一員になった。以下は、この25歳の選手に関して、あなたが知らなかったであろう5つの点だ。 1)サッカーの技術では、明らかに他の生徒たちとは別次元だったので、ベイルの学校の体育の先生は、彼だけには、利き足とは逆でプレーし、尚且つ、ワンタッチでプレーするように、ルールを変えることを余儀なくされた。 2)2013年3月、有名な彼のゴールパフォーマンスである、ハートマークのロゴを、自らの背番号11と一緒に商標申請した。これで様々なウェアやシューズのデザインに、このマークを使えるようになる。 3)スパーズに在籍していたとき、ベイルが出場する試合は、プレミアリーグで24試合も勝ち星なしだったことがある。これはリーグ記録にもなっている。 4)14歳のときに、ベイルは100メートル走で11.4秒を記録している。ちなみに、100メートルの世界記録は、ウサイン・ボルトが記録した9.58秒である。 5)ギャレス・ベイルは、プレミアの月間最優秀選手賞を、ベイル自身の母国のヒーローでもあるライアン・ギグスよりも、多く受賞している。 参考

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エデン・アザールが、世界一の選手になるだろう7つの理由【海外記事】

若くしてモウリーニョ・チェルシーの攻撃の中心になったアザールは、クラブでもベルギー代表でも、順調な成長を遂げている。彼が世界のトップに立つのを妨げるものは何もないようにさえも見える。ここでは、そのためのキーになるポイントを7つ紹介する。 参考 7.技術 アザールが、世界一になれるだけのサッカー技術を持っていることは、疑いの余地がないだろう。空中のパスを綺麗なタッチでコントロールしたあと、エリア内に切り込んで、ボールを持つ足をスイッチして、ゴールを叩き込んだ、昨夜の試合で決めた2点目が、全てを物語っている。 6.フィジカルの強さ アザールは、クリスティアーノ・ロナウドのような空中戦の強さとパワーを持つことはないだろうが、メッシが持つような、下半身の強さがある。それが急に方向を変えたり、ディフェンダーが付いて来られないほど鋭角にターンしたりすることを可能にしている。 5.年齢 アザールは、まだ24歳だ。数年後には、若い選手にしては、驚くべき程のトップレベルでの経験を積んでいるだろう。彼のピークが多くの選手のように28歳前後とすれば、そのときメッシは32歳だ。このアルゼンチン人は、まだ素晴らしい選手だろうが、アザールはフィジカルの面で、彼を上回っているはずだ。 4.コーチング 今までのキャリアの中で、アザールは既に様々なタイプのコーチングの恩恵に与っている。多くの良い選手を生んでいるベルギー代表のコーチ陣から、攻撃の詳細なコーチングをするリールのガルシア監督、規律を重んじるモウリーニョ監督まで、様々なコーチングを経験している。 3.ひらめき 偉大な選手は、「試合を読むことなど簡単なことだ」とさえ、周りに思わせるほどの、ひらめきを持ちあわせている。ロナウドとメッシは、無慈悲なほどに効率的なゴールマシンだが、同時に試合ごとにキラリと光る技も見せている。アザールには、ピッチという劇場で、同じものを見せる力がある。 2.チーム 現在のブルーズは、日々成長しており、長きに渡ってアザールがトップレベルでの挑戦をする場を提供してくれるだろう。彼は仲間とともにレベルアップして、チームも主に彼の攻撃センスを中心に建て上げられている。 1.態度 力を妨げる唯一のものは、選手としての態度だが、この点では、アザールは模範的だ。実際、彼の父はモウリーニョと話をし、彼はもっと傲慢で自己中心的になる必要があると伝えている。

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アレクシス・サンチェスについて、あなたが知らない5つのこと【海外記事】

サンチェスは、夏に4200万ポンドでアーセナルに加入した。最初の17試合で11得点を決めた、このウィンガーについて、あなたが知らないかもしれない5つのことが以下。 1.貧困 サッカーでの成功によって、貧困生活からリッチな生活ができるようなった選手たちは多くいる。サンチェスのケースは、その中でも厳しいものだった。チリの炭鉱地域で育ち、彼の母親は、家計を助けるために、彼の学校で掃除係として働いていた。 2.仕事 若い頃、サンチェスはサッカー一筋だった。しかし、家族が生きていくために、車の掃除などの仕事もやらされており、また、路上でのアクロバティックなパフォーマンスをしてお金を稼いでいた。尽きないエネルギーで、「リス」というあだ名をつけられていた。しかし、若くしてサッカーの才能を発揮し始めると、次第に「El  Niño Maravilla」(ワンダーボーイ)と呼ばれるようになった。 3.グアルディオラ バルセロナとの契約の後、当時のペップ・グアルディオラ監督は、サンチェスについてこう言っている。 「アレクシスは、私の心を奪った。彼と一緒にいられるのは嬉しいよ。とても謙虚な男なんだ」 4.初のチリ人選手 サンチェスがアーセナルと契約した時、彼はアーセナル史上2番目に高額な選手だった。また、バルセロナの時と同様に、彼はこの北ロンドンのクラブで初めてのチリ人選手だった。 5.故郷への想い サッカーという仕事に対するサンチェスの飢えと強い決心は、家族を養いたいという想いだけでなく、極貧の故郷トコピジャの人たちを助けたいという想いからも来ている。5つのトコピジャのサッカー場を改良するために、彼は14万ポンドの寄付もしている。 参考

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ジョン・テリーは、チェルシーの外では嫌われているかもしれないが、彼こそがイングランド最高のディフェンダーだ【海外記事】

プレミア最高のセンターバック ジョゼ・モウリーニョの主将は、自らの監督と同じように自分のクラブの外では愛されていないが、ピッチ上では最高のパフォーマンスを見せている 今シーズン、プレミアリーグ最高のディフェンダーは誰か?来シーズン終了までクラブとの契約を延長した一方、代表チームでは二度とプレーすることのないであろう、34歳のベテランで疑いはない。ジョン・テリーだ。 他の選手たちがテリーをプレミアの最優秀選手に投票するかも興味深い。投票はすでに始まっている。また、プレミアのベストイレブンに選ばれるかも注目だ。前回の栄光からは、既にしばらくの時が経ってしまっている。 テリーが、他の選手たちから、プレミアの二大セントラルディフェンダーの一人として見なされたのは、2005/06シーズン以降はない。それまでの三年間、彼は既に三年連続で選ばれたこともあったが、それ以来、彼はその座を射止めることはなかった。 2006年からは、リオ・ファーディナンドが4回、ネマニャ・マティッチが4回(マンUで同僚のファーディナンドとマティッチの同時受賞は、その内の3回)、ヴィンセント・コンパニが3回、ギャリー・ケーヒル、ファブリシオ・コロッチーニ、ヤン・ヴェルトンゲンなどが1回。しかし、テリーは一度もない。 しかし、テリーは、UFEAのベストイレブンには、2007年から2009年まで、三年連続で選ばれている。これは選手たちによる投票ではなく、ファンによる投票であり、大多数はイングランド外からのものだ。 分かれる選手からの評価 なぜ、テリーは、プレミアリーグで見落とされるのか?テリーがコンスタントに活躍しているのを考えると、おそらくは、メディアやサポーター以上に、選手たちの間で評価の分かれる選手だからだ。 おそらく、ジョゼ・モウリーニョのように、テリーは賞賛されてはいるが、それはスタンフォード・ブリッジの外で、ではない。ジェイミー・キャラガーは、最近、モウリーニョの試合での功績は敬意を表されるし、モウリーニョは史上最も成功した監督になれる人物だが、自らが率いたクラブの外では愛されることはないだろう、と述べている。 これは、ほとんどの成功した監督に当てはまるかもしれない。しかし、選手としてはどうだろうか?テリーのような長く活躍している選手は、そのほとんどが、クラブの外でも愛情と尊敬を勝ち取っている。ライアン・ギグス、スティーブン・ジェラード、フランク・ランパードを思い浮かべるといい。しかい、テリーの場合は、その反対だ。プライベート(これはギグスも同様だが)、アントン・ファーディナンドに対する人種差別疑惑が原因なのだろう。後者は、裁判では潔白とされたが、FAでは同じ結論を下していない。 しかし、たとえテリーの人気に疑問を呈することはできても、彼の選手としての質には疑問の余地はない。彼は、突出したリカバリー能力、一対一の強さ、柔軟な対応能力を持った、驚くべきディフェンダーだ。 高騰するセンターバックの価値 シティーは、マンガラに4200万ポンドを費やした。ユナイテッドは、ドルトムントのフンメルスに、3000万ポンドを費やすかどうかを検討中だ。たとえ所属のレアルではベンチでも、ラファエル・ヴァランは、トップクラブから引く手数多だろう。 センターバックの価値は高騰しているだけでなく、選択肢はどんどんと少なくなっている。センターバック獲得は、クラブにとって死活問題なのだ。クラブは、必死になって、そのポジションを任せられる選手を漁っている。 イングランドには、ギャリー・ケーヒル、フィル・ジャギエルカ、クリス・スモーリング、フィル・ジョーンズが、ロイ・ホジソン指揮下で召集され、U21にはジョン・ストーンズがいる。しかし、これ以外では、選択肢はほとんどないと言っていい。リドリー・キングをケガで失ったイングランドが、それでもキャラガー、ファーディナンド、ソル・キャンベル、テリーのような質の高い選手をW杯に帯同できた、選択肢の多い2006年のような時代は過ぎ去っている。 これらの突出した選手のうち、3人は引退し、ファーディナンドは、QPRで斜陽の時を迎えている。この世代では、少なくともクラブにおいては、テリーは唯一、最高峰のレベルでプレーしている最後の選手だ。 テリーは、代表チームに戻ることはない。それが全ての関係者にとってベストだろう。ファーディナンドの件以降、代表チームからの引退を決断したのは、他ならぬテリー自身だ。追放されているような現況は、彼が自分で決めたことなのだ。 相手からの賞賛と統計が示すテリー テリーは代表を引退して正解だった。正しい時を選んで去っている。一時的にでもチェルシーの主将の座を剥奪されずにいたのは、幸運だったくらいだろう。しかし、それでも、今シーズン素晴らしいプレーを見せているテリーが賞賛されない理由にはならない。 リーグの得点王であり、ブレーク中のハリー・ケインは、キャピタルワンカップの決勝でのチェルシーに敗れた後、「テリーは、今まで対峙したディフェンダーの中で、最も難しい相手だった」と言っている。 トッテナムがチェルシーを5ー3で破ったその前の対戦では、ケインはテリーを翻弄していたが、二度とそのような事は許されなかった。 ケインは、次のように述べている。 「テリーが経験豊富で、どれだけ卓越したディフェンダーであるかを教えられたよ」 テリーは、過去5シーズン退場したことはない。また、今シーズンのプレミアでは1回しかイエローカードを出されていない。過去3シーズンをさかのぼっても、わずか5回だけだ。 Optaの統計によると、テリーは今シーズン、既に38回もタックルでボールを奪っている。昨シーズンは、29回だ。しかも、ファールは9回しか犯していない。タックル、ヘディング、ブロック、クリア、ヘディングによるクリア、パス、チャンスメイクの全てにおいて、ケーヒル、ジョーンズ、スモーリングを上回っている。ジャギエルカの数字も素晴らしいが、それは、このエバートン主将が守備に回る回数が、首位チェルシーのテリーと比べると多いからだとも言えるだろう。 復活した34歳 また、テリーは、驚異的な回復力も見せている。2012/13シーズン、彼はリーグ戦わずか14試合の出場にとどまっており、そのうち先発は11回だ。試合のペースについて行けず、ぎこちない姿に見えたり、一連のケガがプレーの質に影響していたときには、さすがに彼のフォームも下り坂に差し掛かっていた。 アンドレ・ビラス=ボアスの高い位置での守備は、テリーには合わなかったし、ベニテスは、彼をファーストチョイスとは見なさなかった。 自らの後継者候補のクルト・ズマのような若い才能を開花させるのに熱心でありつつも、テリーは、プレーできる間はプレーだけに集中し、監督補佐のような役割からは、身を引いているように見える。 テリーは、30代の選手には一年契約しか提示しないチェルシーのポリシーと恩師モウリーニョ監督に刺激され、また代表戦の間に休息をとることによって、パフォーマンスを保っている。 テリーの復活は、驚異的で、特筆に価する。たとえイングランド代表では見ることができなくても、彼がプレミアのベストイレブンに選ばれることを願っている。 参考

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モウリーニョ、グアルディオラ体制時の比ではない。史上最も議論を呼んだクラシコ【海外記事】

1943年6月19日は、多くの人にとっては、数多くあるバルセロナ対レアル・マドリードが対戦した日の一つに過ぎない。しかし、このクラシコで何が起こるか、事前に想像したものは誰もいなかっただろう。世界のサッカー界の二大巨頭にとって、それぞれのクラシコ物語の中に、永遠に大きな位置を占めているのが、この試合だった。 レアル・マドリードがエスタディオ・チャマルティン(*レアルのかつてのスタジアム)にバルセロナを迎えて行われたこのクラシコは、11−1という、サッカーを愛するスペインにとっては、震度9の地震よりも衝撃的な結果に終わっている。 この日、スタジアムにいた観客で、これから目撃することを事前に予期したものは、誰一人としていなかったであろう。これはシーズン前の親善試合でも、チャリティー試合でもない。コパ・デル・ヘネラリッシモ(現コパ・デル・レイ)の準決勝だ。しかも、勝ち抜けの決まるセカンドレグ。ファーストレグでは、カタルーニャの雄バルセロナが、終始試合を支配し、レアル・マドリードを3−0で破っている。 しかし、バルセロナをマドリードに迎えたこの試合、レアルが前半を8−0でリードし、90分を戦い終えたとき、そのスコアは11−1にまでなった。単に一方のチームが他方を上回ったという説明では、あまりに釈然としない。何かが起きていたのではないかを思いたくなる。 レアル・マドリードが、政府のフランコ将軍のチームである一方、バルセロナは、当時も今もカタルーニャ独立の象徴だ。当時のヨーロッパでよく見られるように、権力を握る政府は、外の世界に対して、自分たちを代表するようなスポーツチームを持つ。レアル・マドリードは、まさしくフランコ体制のチームだった。 尋常ならざる圧力と恐れの中で、バルセロナの選手たちはマドリードに到着した。サッカーの試合というよりも、戦争のような雰囲気だっただろう。試合中は通常の試合のようではあったが、実際には、バルセロナの選手やスタッフは、自分たち自身と家族の身の安全を危惧し、状況は、とても普通とは言い難いものだった フランコ将軍の政府が、不当な手段で試合結果に影響を及ぼしたという証拠はない。しかし、ホームではレアル・マドリードを圧倒して3−0で勝利したライバルチームが、通常の状況で11−1で負けるとは考え難い。 この瞬間、レアル・マドリードは、政府のフランコ将軍のチームになった。そのように言われている。 参考

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リオネル・メッシのキャリアを変えた、ペップ・グアルディオラからの深夜の電話【海外記事】

〜バルセロナのストライカーは、彼の元監督のインスピレーションによって、「偽9番」として新たな息吹を与えられた〜 スペイン人記者マルティ・ペラルナウによる、興味深いペップ・グアルディオラ研究は、(メッシの2ゴールを含め、6−2で勝利した)対レアル・マドリードのクラシコの数時間前に、トレーニング場のオフィスで明らかにされた計画が、どのようにリオネル・メッシのキャリアを変えたのかを明らかにしている。 2009年5月。サンチャゴ・ベルナベウでのバルセロナ対レアルマドリーの一戦。ペップ・グアルディオラが秘密兵器を解き放つ舞台は整った。 試合開始から10分が過ぎ、スコアは0ー0のまま。ペップはリオネル・メッシとサミュエル・エトーに合図を送り、二人の選手はポジションを入れ替えた。普段センターフォワードのエトーは右ウィングに、右ウィングのメッシは中央の攻撃的MFに近い位置に移動した。マドリーのセンターバックのクリストフ・メッツェルダーとファビオ・カンナバーロは困惑し、この変化にどう対応していいかわからなくなった。 この本を分析するにあたり、私はデュッセルドルフでメッツェルダーと夕食を共にする機会があった。当時の驚くべき日のことは、今も彼の記憶に新しい。 「ファビオ(カンナバーロ)と僕はお互いに顔を見合わせたよ。『どうする?メッシを中盤まで追うか、このまま深めに守っておくか?』僕たちは、どうしていいかわからなかった」 偽9番のシステムは、グアルディオラの革新の中でも、最も非凡なものの一つとして歴史に刻まれている。彼が偽9番のシステムを開発したからではない。メッシという稀代の選手を通して、そのシステムを構築し直したからだ。 一体、グアルディオラはどのように実行したのだろうか。 それは試合の前日、祝日の金曜のことだった。グアルディオラは、スタジアムに残って対戦相手を研究していた。これは彼がバイエルンでも継続している、いつもの習慣だ。彼はこれから激突する相手を二日に渡って分析し、強みと弱みを洗い出す。全試合のビデオを最初から最後までチェックし、アシスタントが選んだビデオのクリップに目を通す。バイエルンで現在も共に仕事をしているドメネク・トレントとカルレス・プランチャートは、当時も今も、その類の情報を提供する役目を担っている。 試合の前日、彼はオフィスで一人になり、静かめの音楽をかけながら、試合へのアプローチを考える。どこから攻め入ろうか?試合を支配するのに最適な方法はどれだろうか? 「私は座って、2、3のビデオを見て、ノートをとる。そこで、ひらめきがやってくるんだ。私の仕事が意義を放つ瞬間だ。その瞬間はすぐにわかる。勝つ方法がわかる。1分くらいの短い間だが、それが私の仕事が意味深いものになる瞬間なんだ」 彼が魔法の瞬間について話すとき、おそらく2009年の5月のことを思い返しているのだろう。レアル・マドリードを打ち負かす新しい方法を見つけたと、世界に示した瞬間のことを。バルサとレアルの前回の対戦を見ながら、レアルの中盤のグティ、フェルナンド・ガゴ、ロイストン・ドレンテが、自軍のシャビとヤヤ・トゥーレに強くプレッシャーをかけているのかに気がついた。同時に、センターバックのカンナバーロとメッツェルダーが、キーパーのイケル・カシージャスの近くに位置を取る傾向にも気がついた。この二つのことから、マドリーのDFとMFの間には、スペースができていた。 夜10時。ペップは一人でオフィスにいた。アシスタントも含め、既に全員が家に帰っている。薄明かりで照らされた部屋に座り、メッシがベルナベウの巨大なスペースを自由自在に動き回っているのを想像していた。メッツェルダーとカンナバーロが、このアルゼンチン選手を追いかけるべきかどうかを迷い、ペナルティエリアの外で固まっているのが、ペップには見えた。このイメージは、極めて明瞭だった。彼は受話器を取り上げ、メッシの番号に電話をかけた。 夜10時半。ペップのオフィスのドアが静かにノックされ、21歳のレオ・メッシが入ってきた。監督は彼にビデオを見せ、時折ビデオを止めながら、マドリーのDFとMFの間の空いたスペースを示した。ペップは、そのスペースをメッシに支配させようとしていた。これから、そのスペースは、「メッシ・ゾーン」と呼ばれるのだ。 「明日、マドリードで、きみには通常通りウィングで先発してほしい。でも、私が合図したら、中盤の選手から離れ、私が今示したスペースに移るんだ。そして、シャビかアンドレス・イニエスタがラインを突破して、きみにボールを渡したら、カシージャスが守るゴールに突き進め」 それは二人だけの秘密だった。ペップが次の日、ティト・ビラノバにチームのホテルで説明するまで、このことは誰も知らなかった。 キックオフの少し前、グアルディオラは、シャビとイニエスタにこう伝えた。 「中盤のラインのスペースにレオ(メッシ)を見たら、ためらうな。レオにボールを渡すんだ。ヒホンでしたように」 2009年5月、この戦略は完璧に機能して、バルサはレアル・マドリードを6ー2で粉砕した。メッシは偽9番になったのだ。 参考:How Lionel Messi was transformed at Barcelona – thanks to late-night phone call from Pep Guardiola

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バイエルン指揮官グアルディオラ「私はティキタカが嫌いだ。ゴミ同然で意味のないものだ」【海外記事】

グアルディオラに関する最新本を出版した、ジャーナリストのマルティ・ペラルナウが、グアルディオラとの時間を語っている。参考:テレグラフ ペラルナウは言う。 「(ニュルンベルグ戦での)バイエルンは前半ひどかった。まるで選手たちが、確実にボールをパスして、ペップを喜ばせようとしているようだった」 ペラルナウとの食事の最中、グアルディオラはこう言ったという。 「私は、パスのためにする全てのパス、そんなティキタカは嫌悪している。そんなものはゴミ同然であり、何の目的もない。パスは相手ゴールに迫るという明確な意図を持って出されなければならない。パスのためにパスをするのではないんだ」 次の日、グアルディオラはミーティングで自分の意図をさらに展開して、選手たちに言った。 「自分らしくあれ。みずからのDNAを掘り下げてくんだ。私はティキタカは嫌いだ。ティキタカはパスワークのためにパスをして、明確な意図に欠けている。そんなのは意味がない」 「外部の人間が言うことを信じるな!バルサはティキタカなどしていない!そんなのは創作されたイメージだ!一言も信じるな!相手ディフェンスを追いつめるために、相手側のピッチを占拠する。それが秘訣だ。片方のサイドを支配して、相手を引きこもらせることで、こちらのサイドに手を出させないようにさせるんだ」 「それをしっかりやれば、相手を攻撃し、ゴールすることができる。だから、パスをする必要があるんだ。ただし、明確な意図を持って、だ。相手に負担を強いるためにするんだ。相手を追いつめ、強烈な一撃を食らわせる。私たちのゲームもそうである必要がある。これはティキタカとは関係ない」

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本田圭佑はミランに希望を与えるが、真の進化には時間を要する【海外記事】

ACミランの本田圭佑のキャリアは、軌道に乗るまでに時間を要した。一月にチェスカ・モスクワからヨーロッパ5大リーグへ待望の移籍を果たした日本代表のスターは、セードルフ政権でのミランの低迷に合わせ、足踏みをしていた。トップに君臨するのに慣れているロッソネリは、最終的にリーグ8位に沈んでいる。 参考:Keisuke Honda Offers AC Milan Hope but Real Progress Will Take Time インザーギの昇格は、クラブのとって新しい幕開けの序章だった。マリオ・バロテッリ、ロビーニョ、カカは、それぞれ売りに出された。プレシーズンは悲壮感が漂ったが、シーズン初めの2連勝は、クラブに暫くぶりにポジティブな要素を取り戻した。ユベントス戦の黒星、エンポリとチェゼーナから勝ち点3を奪えなかったことは、エンジンがかかる前に脱線するのではないかと危惧させたが。 ミランはチームとしてまとまり、自信に満ちているが、それでも懸念材料には事欠かない。インザーギの挑戦は、勝利できなかったチーム相手にも勝利し、リーグの強豪を相手にタイトル争いができるという、勝利の信念を植え付けることだ。 今年のミランはセリエAを制覇しないだろう。しかし、新加入選手の顔ぶれを見れば、チャンピオンズリーグや欧州リーグ参戦ができない、と考える理由は何一つない。 本田は、そのような選手の最たるもので、飛躍的に向上したフォームで、今シーズンを始めている。まだ望ましい形で起用されることばかりではないが、これこそクラブが一月の移籍で信頼していた日本人スターの姿だ。 Honda, “The arrival of Inzaghi has been important to me and he has given me a lot and I run hard for him.” — Raffaele (@ItalianoCalcio) September 18, 2014 本田「インザーギの就任は僕に取って重要だ。彼は僕に多くを与えてくれてるし、僕は彼のために懸命に走る」 生粋の10番である本田は、セードルフの元で右サイドでプレイした。インザーギの元でも同じポジションで勝負し、5試合で3ゴール5アシストと結果を出している。最近起用されている4ー2ー3ー1のシステムで本田が司令塔になる可能性はあるものの、イタリアで多用される4ー3ー3のシステムでは、3トップの右ほど本田がマッチする場所はないだろう。 10番を置かないチームでは、彼の才能を活かす方法を見つけるのは難しい。今までペナルティエリアの中や周りで決定的な仕事をしてきており、彼は今より後方に位置する4−3−3の中央のMFではない。また、彼にはストライカーに必要なフィジカルが備わっていないので、ストライカーでもない。 議論の的になるのは、たとえ昨季より向上したフォームであっても、本田は外に開いてプレイすると、彼が最も決定的な仕事をするエリアから遠ざかり、その能力が制限されてしまうことだ。 しかし、インザーギは右サイドバックのアバーテにオーバーラップさせることで、4−3−3で右FWに入っている本田に、中央寄りでプレイし、FWのメネズやエル・シャーラウィと連携する機会を与えている。後方にいる三人のMFによるサポートによって、FWのトリオは高い位置にポジションを取ることができる。結果として、WhoScored.comの統計に見られるように、本田はこれまで10本のシュートを放っており、メネズと並んでチームトップの数字になっている。これは彼がピッチの正しい位置にいる証拠だ。 下はSquawka.comによる、ボールタッチのマップだ。今シーズン、本田が高い位置でプレイできていることを示している。 昨シーズンのアトランタ戦   今シーズンのチェゼーナ戦。本田はより高い位置で攻撃参加している。…

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ブンデスリーガの日本人選手ブームを、岡崎慎司と香川真司が引っ張る【海外記事】

マインツで得点ランキングトップに君臨する岡崎慎司とドルトムントに帰還した香川真司によって、日本人スター選手たちはドイツでの地位を確固たるものにしている。 ブンデスリーガには13人の日本人選手がいる。彼らのプレイの質は素晴らしく、この極東の国が注目を集めるのに、彼らは一役買っている。 岡崎は、5試合で5ゴールを記録してリーグの得点争いのトップに躍り出て、香川は、マンチェスターから戻ることで、1万5千枚のシャツの売り上げに貢献し、100万ユーロ以上の資金をドルトムント経営陣に計上している。 香川が復帰後の初試合になったフライブルグ戦で得点する前、ドルトムントは、ファンの要望によってこの日本人MFのサイン会を開催し、人々は香川の特別シャツを手にするために集まった。 ドルトムント近隣のライバルチームであるシャルケも、右サイドバックの内田篤人によって、アジアから大きな注目を集め、日本からは毎日多くの贈り物が届いている。大量のラブレターに加え、ティーバッグや入浴ソルトなどを、内田はファンから受け取っている。 「ファンの人たちは、僕が恋しくなるような日本のものを送ってくれるんです」 内田は、ドイツの雑誌Sport Bildに語った。 シャルケにとってもっと重要なことに、ブレーメン戦に3−0、ドルトムント戦で2−1で勝利した試合で、内田は怪我による離脱から復帰している。 岡崎は足首の怪我の治療をしているが、日曜日の試合には復帰することが予測され、今のところマインツが4位の位置を確保することを助けてくれている。 岡崎のパフォーマンスの陰で、クラブはスタジアムの日本語ガイド付きツアーを開催している。日本には多くのマーケティングのチャンスがあるのだ。 「今シーズン終了後には、アジアに行くことも考えている」 マインツのマネージャーである、クリスチャン・ヘイデルは言った。 「私たちを紹介することに興味のある企業がいくつかあり、1、2試合、私たちはアジアで試合をすることになるだろう」 かつて、日本人初のブンデスリーガー奥寺康彦の隣でプレイしていたトマス・クロースは、現在、ドイツのトップクラブでのプレイを希望するアジアの選手たちの代理人として働いている。 90年代にスペインやイタリアでプレイすることを望んでいたブラジル人選手たちとは違い、アジアの選手たちはドイツを通過点としては見ていない。ドイツでの仕事のためにドイツに住み、ドイツにアットホームさを感じ、目先の仕事に集中している。 フランクフルトの長谷部誠は、香川、岡崎に続き、ブンデスリーガで三番目の日本人トップ選手として数えられるだろう。 この日本代表の30歳の主将は、2009年からブンデスリーガでプレイしており、ヴォルフスブルクがリーグ優勝した時のメンバーでもある。 元ドイツ代表MFのピエール・リトバルスキーは、現在、ヴォルフスブルクのチーフスカウトであり、日本のプロサッカーリーグで1993年から1997年までプレイしていた。 そのリトバルスキーは、日本での長谷部のステータスに関して、このように述べている。 「リハビリ施設に長谷部を訪ねた時、少し衝撃を受けたよ。施設は封鎖されていて、中に入るのに1時間かかった。特別なビジターカードが必要だったんだ」 長谷部や内田がなぜ日本で熱狂されているのかについて、岡崎はよい説明を加えている。 「二人とも独身で、かなりのイケメンだから、すごく人気があるんだ」 岡崎は、いたずらっぽく言った。 「もしも僕が内田と同じ顔をしていたら、もっとニュースのヘッドラインに取り上げられていただろうね」 参考:Shinji Kagawa and Shinji Okazaki head up Japan’s boom in Bundesliga

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モウリーニョとの関係について、カシージャスが口を開いた『驚くかもしれないけど、怪我をしていた時、モウリーニョとの関係はよかったよ。僕たちは毎日話をしていた』【海外記事】

レアル・マドリードの伝説的キーパーのカシージャスが、モウリーニョ政権時代のことで、ついに口を開いた。インタビューを見る限り、モウリーニョがどうこうでスタメン復帰できなかったのではなく、単に当時のディエゴ・ロペスが素晴らしすぎたのでは、とも感じた。Goal.comが一部を日本語に訳しているけど、幾つかの興味深い発言が抜けていたので、少しカシージャスの発言をまとめてみた。 参考:‘It is unfair to call me a mole’ – Casillas opens up on Mourinho relationship 「モウリーニョには、敬意を払っている。彼は偉大な監督だ。はじめは物事が上手くいって、彼との関係も良好だった。バルセロナとの試合が繰り返されるまではね。その後は、物事が十分に上手く行っていたとは言えない。 モウリーニョは、はじめ僕をベンチに置くことでメッセージを送ろうとして、僕はそれに反応した。僕をもっと努力させるのに成功したメッセージだったよ。 シャビとプジョルには、レアル・マドリードとバルセロナの選手たちの間の怒りを終わらせるために電話をした。僕たちは悪いイメージを生んでいたけど、僕は誰にも許しを請うことをしていない。モウリーニョは、この電話をかけることに何も言わなかった。彼に気に障ったかどうかはわからないけど、人々はそう言っている。 彼は自分にいつも正直な選手たちを好んでいる。セルヒオ・ラモス、クリスティアーノ・ロナウド、そして僕は、彼に対していつでも正直で、正面から向き合っていた。 2012年の夏には、僕たちの関係は良かった。お互いに沢山話もしたよ。でも、クリスマスあたりから、それは変わっていった。チームは上手くいかず、僕とモウリーニョの関係も悪化していった。意見の相違はあったよ。ただ、それは敬意とともに行われていた」 カシージャスは、自分の妻であり、スペインテレビのレポーターであるサラが、「ロッカールームは不安定な空気」と発言したことで、センシティブな情報をカシージャスが彼女に流しているとされ、批判されることになった。 「サラがロッカールームの問題をレポートしても、それは僕を攻撃するただの言い訳だ。彼女は、他のみんなが彼女に言っていることを、ただ繰り返しただけだと思った。 サラの発言に関して、モウリーニョは何も言わなかった。でも、彼との関係の変化は、簡単に分かった。 その後すぐに僕は怪我をして、二週間後には、(メディアや一部のファンから)自分が攻撃されているのがわかった。裏切り者とか密告者とか呼ばれ出してね。密告者と呼ぶのはフェアではないけど、他人の意見は理解して受け止めなければならないんだ。 もしかしたら、そのときに声を上げるべきだったのかもしれない。でも、僕は黙ることを選んだ。黙っていることに対して、多くの人が僕を批判したよ。黙っていることは、声を上げることよりも、人々を怒らせるんだろうね。 僕たちはプロフェッショナルな関係、それだけだ。僕は口を閉ざすことを選んだ。僕は誰のことも責めていないし、クラブに悪いものを残した人も非難しない。火に油を注ぎたくないんだ。 驚くかもしれないけど、怪我をしていた時、モウリーニョとの関係はよかったよ。僕たちは毎日話をしていた。 怪我から回復した時、アイトール・カランカに、モウリーニョが僕の競争力に満足していないことを伝えられた。そこから、また同じこと(関係の悪化)が起こった。チームメイトたちは僕を見て、どうしてこれが僕に起こっていて、彼らには起こっていないんだろうと、疑問に思っていた。 怪我をしている間は、自分が少し孤立していると感じた。チームに帯同させてくれと頼んだよ。必要とされていないとは感じなかったけど、孤立しているとは感じたんだ。 僕はモウリーニョに最大限の敬意を払っている。でも、何かが気になったり、好きでなければ、議論しなければならない。フロレンティーノ会長に、僕たちはモウリーニョに出て行って欲しい、などと言ったことはない。彼は今まででベストの監督の一人だ。キャラクターを持った人だ。 今を擁護するために、僕は話している。数年前のことではなくね。でも、もっと前に何かを言うべきだった。 僕のレアル・マドリードへの忠誠心に疑問を持たれるのは、傷つくよ。このクラブは、僕に全てを与えてくれたんだから」

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人気のあるジャンルの記事をウェブサイトに組み込むメリット

香川真司、カシージャス、モイーズ、ディエゴ・ロペスといった検索ワードで、グーグルの検索順位が、ウィキペディアに次いで2位になっていた。ヤフーにリンクされて一日10万以上の大量アクセスが来たとは言え、まさか、ここまでいくとは。香川もロペスも他のチームに移籍して、モイーズはマンチェスター・ユナイテッドから解雇されたので、今は検索流入はピーク時からは大幅に減っているけど、記事紹介の際のコツは少しわかった。 大量のアクセスが見込める海外サッカーの記事は、ウェブサイトのページランクを上げること、海外サッカー好きにヨーロッパ留学を宣伝することを念頭に入れて、公開している。僕はサッカー大好きだし、海外サッカー記事は、どうせスキマ時間にチェックするし、自分が読んでいる記事の一部を、日本人のサッカーファンに紹介して読んでもらえれば、僕としても嬉しい。紹介する記事は、必ずしも僕が賛同するものではなく、日本語で読めないもの、日本人にも興味のありそうなもの、モウリーニョとプレミア周辺のことが中心になっている。 いくつかの記事は翻訳に近い形だけど、全部細かく訳すのは時間がかかるので、大体、記事のニュアンスを日本語でまとめる、という形を取ることにしている。海外サッカー記事紹介は本職ではないので、あまりサッカーの記事に時間を取られるわけにはいかない。仕事が落ちついたときに気分転換に読んでいる海外サッカー記事を、今のところ15〜30分程度で日本語にしているだけ。高速でタイプして、一度だけ見直して公開しているだけなので、あとで誤字脱字に気がつくことが多いけど、一日のエネルギーは国際教育、留学、カウンセリング関連に使いたいので、これからも現在のような形を取るつもり。 サッカー記事を読んでくれる人たち、拡散してくれる人たちは、ウェブサイトのランク上げに協力してくれているので、間接的に僕の仕事に協力してくれていることになる。ウェブサイト作成のときに、テーマを絞るか、雑多な情報を入れるかで悩んだけど、ある程度、内容に幅を持たせたことが、結果的によかった。個人のページを起業の際に利用したのも、雑多な情報を入れているのにも、理由がある。今のところ、これらがうまく機能しているようだ。 日本人サッカーファンの人たちのおかげで、「ヨーロッパ 英語 留学」、「ポーランド 留学」などの検索ワードでも、最初のページにでるようになり、ウェブサイトへの検索流入が大幅に増加したので、今では特に宣伝をしなくても、多くの問い合わせをもらえるようになった。サッカーファンに感謝。これからも海外サッカーの記事はアップし続けようと思う。