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アメリカで起きた「奇跡」の話

1876年、アメリカの田舎町。 9歳のある少女が、緊張型精神分裂病と診断され、精神病棟に入れられた。彼女の名前は、「アン」といい、みんなからは「アニー」と呼ばれていた。 愛する母と弟が相次いで亡くなり、アルコール依存症の父にも育児放棄されたアニー。さらに目の病気で両目の視覚が閉ざされた彼女は、このとき拒食症を併発し、専門家が見ても治る見込みがないほど、絶望的な精神状態だった。自分を抑えきれず、暴れてしまうことも多々あった。 アニーの荒れた言動は、精神病棟に入れられた後も、一向に変わらなかった。あまりに職員の手に負えないアニーは、精神病棟の中でも、段々と厄介者扱いをされていく。 しかし、そんな精神病棟の中にも、一人だけ、アニーの回復に希望を見出す女性の看護師がいた。アニーが彼女を無視したり、暴言を吐き続けたりする中、この看護師は、毎日毎日、どんなことをアニーにされても優しく話しかけ、幼い彼女のために、ブラウニーやクッキーなどのお菓子を持っていった。 看護師が、次の日、アニーのところへ行くと、確かにお菓子はなくなっている。アニーは、看護師が持って行くお菓子を食べているようだった。 それでも、アニーの態度は、変わらない。お菓子をおいていってくれる看護師には、注意を払うことは一切せず、相変わらず、彼女の方を見向きもしなかったり、彼女に暴言を吐いたりする毎日だった。 しかし、そんなアニーにも、少しずつ変化が訪れる。親しみを持って、根気強く心を開き続ける看護師を前に、少しずつアニーの暴力的な言動はなくなっていき、看護師の呼びかけにも、わずかに応える日々が出てくるようになった。 見捨てずに信じてくれたその看護師と少しずつ交流していくうちに、年月は流れ、アニーは周りが驚くほどの回復を見せる。その回復の順調さに、アニーは病棟付属の学校に通い始めることを許され、ついには、アニーは精神病棟から完全に解放されていく。 人並み以上の努力を費やし、非常に優秀な成績で学校を卒業したアニーが選んだのは、教師への道。アニーは、自分と同じように障害を持った子供たちの先生になることを決意した。 アニーの名前は、アン・サリバン。 ヘレン・ケラーの家庭教師「サリバン先生」とは、このアン・サリバンのことだ。 アニーは、のちに、盲目の教育者と呼ばれたヘレン・ケラーの先生となり、生涯を通して彼女の親しい友になっていく。 ヘレン・ケラーは、目が見えず、耳も聞こえなかった。視覚も聴覚も、生まれつき、ほとんど閉ざされていた。 美しい物語ばかりが語られる傾向があるが、ヘレン・ケラーは、幼少時から美談を重ねられるような人物ではない。視覚と聴覚に困難を抱える幼いケラーは、その不自由さからくるストレスからか、「怪物」と称されたこともあったほど、わがままで乱暴な子供だった。 しかし、ケラーは、その目と耳のハンデを跳ね返す。彼女は必死で学んで大学を卒業し、その一生を障害を持つ人々の教育や福祉に用いた。ケラーの人生の物語は、多くの人々を勇気づけ、今では彼女は世界中で知られた教育者、福祉活動家として知られている。 このヘレン・ケラーが7歳のとき、家庭教師として呼ばれたのが、20歳になったアニーだった。 学ぶ気力も無く、わがままで頑なだったヘレン・ケラー。 アニーは、その幼いケラーの先生となり、やがて生涯の友となっていく。精神病棟を出たあのアニーは、その後、投げやりで自分勝手だったヘレン・ケラーのいのちに、確かな奇跡の種を植えていく。 アニー・サリバンの生涯。 それは、幼い頃に厄介者のアニーに根気強く付き合ってくれた、あの看護師を抜きにしては語れない。名もない一人の看護師は、幼いアニーの心に奇跡を起こす。 そして、そのアニーは、生み出されたその奇跡に活かされながら、この世界に、もう一つの奇跡、ヘレン・ケラーを生み出していく。 さらに、ケラーは、そこから、次の奇跡の種を世界中に植え、生み出された奇跡は、またさらなる奇跡を生み出していく。 奇跡は、連鎖する。 させることができる。 僕は、そう信じて生きている。 奇跡とは、超自然的な出来事のことではない。エスパーが起こす、感覚では捉えられない何かのことでもない。ヘブライ語やギリシャ語で綴られた聖書で語られた「奇跡」という言葉も、英語で言えば「Wonder」であり、「Supernatural(超自然的)」の意味ではない。実際に、聖書で語られる「奇跡」のドイツ語訳も「Wunder」であり、超自然的なマジックの意味はない。 奇跡とは、古代の人が神の業としか例えようがなかったほど、畏敬の念や感嘆と驚嘆に包まれる出来事。 そんな奇跡は、誰の周りにも溢れている。 僕たちにも起こすことができる。 名前すら知られていない、あの看護師が幼いアニーに起こしたように。 そして、アニーが幼いヘレン・ケラーに起こしたように。 そう思って、今日も朝を迎え、僕は自分が選んだ場所で、自分が選んだ役割を果たして行く。 (アン・サリバンとヘレン・ケラー)

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大切な人を大切にすることほど、大切なことはない【元アメフト選手の物語】

アメリカの小さな町に、プロのアメリカンフットボール界で活躍したオニール(仮名)という男がいた。オニールは、幼い頃からアメフトで頭角を現し、順調に大学チームでも活躍し、やがてプロへの道を歩み始めた。彼は懸命にアメフトに取り組み、結婚して数年後、いくつかのチーム記録を残して引退した。 時は過ぎ、オニールは、三人の息子と一人の娘の父親になった。彼の三人の息子は、当然のように、幼い頃から父親にアメフトを叩き込まれ、毎日毎日、暗くなるまでチーム練習、個人練習に明け暮れるようになった。 オニールは、この三人の息子をプロ選手にしようと、全身全霊を傾けた。毎日毎日、息子たちの練習に根気強く付き合い、厳しくアメフトの基礎を仕込んだ。 父親に似て才能溢れる三人の息子達は、やがて十代の少年になり、順調に大学フットボール界への階段を上り始めていく。 しかし、その一方、オニールの愛する末の娘は、原因不明の過食症で、どんどん体重が増え、ついには100キロを超えるほどになっていった。 数か月がたち、妻から相談を受けたオニールは、娘が精神的な病気を抱え、体重も100キロを超えて、明日から入院しなければならないほどだ、ということを聞いて驚いた。 「そんな馬鹿な。一体、あの子に何が起こったんだ!?」 オニールは、娘を溺愛していた。三人の息子たちと同じように、いや、場合によってはそれ以上に、愛娘のことも深く愛していた。すぐさま娘のところに飛んでいき、「おまえに何が起きてるんだ?」と尋ねた。 けれども、彼女は答えたがらない。彼と目も合わせようとしない。何度、接触を試みても、つれなく追い返されるだけだった。 「あれほど良い関係だった娘がなぜ?」 オニールは、あれだけ自分に懐いていた娘が、心を開かないことに戸惑った。 「娘に何が起こったんだ?あの子の何が問題なんだ?」 オニールは、心のモヤモヤを晴らすことができない。 「問題なのは、あの子ではないわ。あなたよ」 その夜、オニールの言葉を聞いた妻は言い放った。 「何だって?」 「『あの子に何が起こったんだ?』じゃないでしょう。私もあの子も『パパに何が起こったんだろう』と思ってた。あなたが問うべきは、『What happened to her? What’s wrong with her?』じゃない。『What happened to ME? What’s wrong with ME?』でしょ」 オニールは、憔悴し切った妻の言葉に驚いた。 「オニール、あなたは自分が息子たちにかけた時間と、娘にかけた時間を考えたことあるの?」     “あの子の何が問題なんだ?” 父であるオニールにとって、本当の問題は、娘ではない。娘に何が起こったか、ではない。今の今まで、こんなことになるまで、そのことに注意を向けていなかった彼自身だ。 「娘には、いつも会っていたはず。挨拶を交わしていたはず。けれども、気が付かなかった。言われてみれば、確かに顔がふっくらしてきたとは思ったが、娘の変化に、外側の変化にも、内側の変化にも、気が付かなかった。オレは、一体、何をしていたんだ?いつも会っている娘だったのに。一体、オレに何が起こってしまったんだ?」 本当の問題、問題の根っこは、娘ではない。自分だ。今の今まで、こんなことにさえ気がつかなかった自分だ。三人の息子をプロ選手にするために全身全霊を傾け、自分が思う以上に娘に注意がいかなくなっていた、娘に時間を割かなくなっていたオニール自身だった。オニールは、やっとのことで、本当の問題に気が付いていく。 オニールは、次の朝、妻と共に娘の部屋に行き、自分がいかに愚かだったかを、率直に二人の前で告白した。 息子たちと同じくらいの時間を娘に割いていたと思っていたが間違いだったこと。 自分の過ちを許してほしいということ。 今から自分にチャンスを与えてほしいということ。 大男の元アメフト選手が、涙ながらに、心の内を家族の前にさらけだした。 娘は彼の謝罪を受け入れた。大きなハグとともに受け入れた。娘も、妻も、オニール自身も涙が止まらなかった。   10年前、僕がオニール一家のバーベキューに招待された時、オニールのそばには、彼の娘、そして娘の子供たちがいた。 オニールと僕は、僕が地域サッカーのコーチと審判をしていた時に、この子供たちを通して知り合った。 「娘からいつも話は聞いてるよ。孫と忍者トレーニングしてるんだって(笑)。オレみたいなジジイも忍者にしてくれるか?がははは」 オニールは非常に親しみやすい性格で、孫が僕と仲が良かったせいか、僕の隣に座って色々な話を聞かせてくれた。切羽詰まって苦しんでいた僕の胸の内も、本当に真摯に聞いてくれた。 これから奨学金をもらって大学院に行くという僕の決意を聞いていた彼は、不意に僕に言った。 「おまえのハードワークは、グレートだ。成績はいいし、英語も流暢で、スポーツもできる。これも日々の努力の賜物だろう。自信を持っていい」 そして、僕が何故アメリカに飛び出したのかを知っている彼は、ポツリと言った。 「おまえは、昔のオレに似てるよ。自分を磨くことに全力投球するところ、そして、大切な家族を顧みないところがね」 「え?」…

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お婆さんを背負った二人の僧侶の話【新しい一歩を踏み出す人へ】

ある日、二人の僧侶が田舎町を歩いていた。収穫物の運搬のために、ある村へと向かう最中だった。その道すがら、老女が川のほとりに座り込んでいるのが、僧侶の目に入った。橋が架かっていないので、川を渡ることができず、困っているようだった。 一人目の僧侶が、親切に申し出た。 「よろしければ、川の向こう側まで私たちが運びますよ」 「ありがとう」 老女は、そういって申し出をありがたく受けた。 二人の僧侶はお互いの両手を組んで、老女を組んだ腕に乗せ、川を渡った。渡り終えると、二人は老女を下ろし、彼女はそのまま道の向こうへ消えていった。   僧侶たちも旅路を続け、10キロほど歩いたところで、二人目の僧侶は不満をこぼし始めた。「ああ、この袈裟を見ろ。あの婆さんを運んだせいで、泥だらけだ。それにいきなり重いものを運んだから、背中も痛む。」 一人目の僧侶は、微笑みを返して、黙って頷いた。   また10キロくらい進んだところで、二人目の僧侶が、再びぶつぶつとこぼし始めた。 「背中がすごく痛い。あんな婆さんを運ばなきゃよかった。もう歩くのも辛いよ」 一人目の僧侶は、道端に横たわり、不満を並べる相方に言った。 「僕がどうして文句や不満を言わないのかわかるかい?」 彼は言葉を続けた。 「きみの背中が痛むのは、今もきみの心が、おばあさんを背負い続けているからなんだよ。僕は、とっくにお婆さんを下ろしているのに」   他人の言動に対して、僕たちは同じことをしがちだ。もしも、あなたが二人目の僧侶なら、いなくなったお婆さんを、ちゃんと背中から下ろすこと。過去のことは、学びの材料にするだけで、背中に背負いこまない。そうやって意識するだけで、日々の小さな決断に変化が出る。過去の嫌なことは、人の精神を支配しやすい。でも、それに引きずられて生きていると、今日という日は、いつまで経っても満開には咲き誇らない。 誰かが与えた嫌な言動は、背中から下ろし、新しい日を始める。新しい人間関係の中で、新しい人生のステージを歩み始める人は特に、過去に運んだお婆さんは、ちゃんと向こう岸で背中から下ろして生きてほしい。

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16年ぶりの同級生に会って考えた、「生きる」ということ

「桑(僕)は、あのあと誰とも連絡取ってないでしょ。アメリカにいるって噂はあったけど、どうしてたの?」 「生きてたよ」 昔の同級生と16年振りに言葉を交わした。「ああ、俺がアメリカにいるって話は広まってたんだ」と思った。 「あのあと」とは、1998年10月10日のあとのこと。 その前日、親友のIから電話があった。 卒業した高校の元担任から電話があったと伝えられ、「俺が今から言うことを落ちついて聞いてくれ。頼むから落ち着いて聞いてほしい」と言われた瞬間、彼が次に何を言うのかはわかった。 「Nが・・・死んだ。病院で亡くなって、明日、室蘭で葬儀がある」 心のどこかで予期していた。それでも、「そのとき」が来た時の衝撃は大きすぎた。震えが止まらなかった。直後になんと言ったかは覚えていない。ただ、意識が遠のいていくほどの心拍数の乱れと、受話器を持てなくなるほどの震えだけは、鮮明に覚えてる。 人生で唯一付き合った人間の死を「落ち着いて聞け」って?こんなのを落ち着いて聞けるやつなんて、それこそ、頭がどうかしてる。 「桑、聞いてるか?大丈夫か?」 「ああ。大丈夫かどうかは知らんけど、聞いてはいる」 彼は通夜や葬儀の日時を僕に伝え、二人で参列するアレンジを始めた。 「この間、兄貴ん家行った時と同じ場所で待ち合わせしよう」 「……。いや、俺、行かないよ」 「は?どういうこと?葬式に行かないってこと?」 「行かないよ。何で俺が行くんだよ」 「おい!何考えてんだ!おまえが行かなくてどうすんだ!」  彼は突然怒り出した。僕が彼女のことをどれだけ大切に思っていたか、彼に今まで打ち明けてきた悩みの数々を考えれば、怒られるのは当然のことだ。彼の怒りは、今になって、よくわかる。 「どうもなんねーよ!!行かなくても、どうにもならねーよ!!」 でも、この時の僕には、物事を判断する力も、先のことを考える余裕もなかった。その後も、あまりにしつこく葬式に連れ出そうとするIに、僕も混乱を押さえきれずに怒り出した。 「行かねえっつってんだろ!!行ったらどうなるんだ!?何が変わるんだ!?俺が行ったら生き返んのか!?生き返るんだったら何度だって行くよ!!でも、そうじゃねえだろーがよ!!人の気も知らないで『葬式に来い』なんて簡単に言うな!!!」と言い出し、お互いに声を荒げて、電話口で喧嘩になった。 ブチギレた彼は、「俺は明日、〇時に〜に車でおまえを迎えに行く!!待ってるからな!!絶対来い!!!」と言って、一方的に電話を切った。 電話を切ってしばらくは、「ふざけんな、あの野郎!」と思ってたけど、段々と色々な感情がごちゃごちゃになって、その後、僕は何時間も机に突っ伏して泣き続けた。 それから何をしていたかは記憶がない。仕事に行って、泣きながら店長に休みをもらったこと以外は、全く記憶にない。気がついたら夜が明けていた。 次の日、結局、僕はIとの待ち合わせ場所に行った。「人の気も知らないで」なんて言ってしまったけど、彼女の白血病(血液のガン)が発覚してからの僕の葛藤や混乱を、彼は最もよく知っている人間だ。 お互いを見ると、二人とも恥ずかしそうに笑って手を振った。   「ごめん。昨日は俺が悪い」 「あんな桑は初めてだわ。おまえ、キレ過ぎだよ(笑)」 「おまえは人のこと言えないだろ…」 「がははは」 久しぶりに笑って、僕の心が少し軽くなった。 あとは、二人ともいつもの調子で札幌から室蘭まで二時間のドライブ。途中で心の整理のために止まってもらったこと、車の故障があったことで、結局、二人で葬儀に遅刻して参列した。 そして、二年間の闘病生活の末に、骨と皮になるまでやせ細った彼女の遺体を見た。 何で、こいつが苦しまなきゃいけないんだ。何で、こいつが未来を奪われなきゃいけないんだ。こんなのは、おかしいだろ!なんでだよ! 答えのない問いを、誰が答えるわけでもない問いを繰り返した。 別れを切り出す前の彼女の気持ちを考えられなかった、大事なことを言葉にして伝えなかった自分が嫌になる。共通の友達だった彼女の幼なじみに、以前に泣きながら言われた言葉が突き刺さった。 彼女の友人たちは、誰一人僕を責めなかった。だけど、悪いのは僕だ。情けなかったのは、誰でもない、僕自身だ。そう考えたとき、喪失感以上に、罪悪感と後悔が胸を締め付けた。 このときのことは、今でも夢に出てくる。あまりに何度も夢に出てきたので、自分に都合のいいバージョンの夢で、実際の記憶を書き換えようとさえ思った。 高校の同級生が沢山いて、僕のことをコソコソ話してる人もいたけど、僕はその場の誰とも一言も口をきかずに、ご遺族以外の誰とも目を合わせないようにして、終わったらすぐに葬儀場を去った。 それ以来、高校の関係者と連絡を取るのは止めた。 好きだった地元に帰ることも止めた。 そして、少しだけ、過去に蓋を閉めた。 それから数年間の間、色々なことがあった。 本当に、本当に色々なことがあった。 気が狂いそうになって、親友に助けを求めたり、自殺未遂をしたり、人と話すことを止めてしまったり。19歳の僕は、精神の混乱をコントロールする術を、何ひとつ知らなかった。 そして、それから何年も、何年も、心の奥でふさぎ込んでた。 後悔と罪悪感の狭間で、日々を過ごしてた。 ようやく気持ちが少し落ち着き、カナダからの一時帰国で故郷を訪れることができたのは、それから何年も経った後だ。 そのとき、ふとIに聞いてみた。 「おまえさ、ほんとは、あのとき俺が自殺すると思った?」 一瞬の間を置いて、Iは言った。 「うん・・・」 だろうな。 何となく、そんな気がしてた。…

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パンドラの箱に最後まで残っていた、たった一つのもの

ギリシャ神話の一つに、「パンドラの箱」の神話がある。現代では、「開けてはならないものを開けてしまった」という意味に使われるようになった、あのパンドラの箱だ。訳の間違いによって、「箱」となっているが、もともとのギリシャ語では、「つぼ」という意味の言葉が使われている。 ギリシャ神話の中では、パンドラは、地球上の最初の女性だった。彼女は、美の神アフロディテによって美しさ、音楽の神アポロによって音楽、弁論の神エルメスによって弁証術など、多くのものを与えられており、「すべての贈り物、すべての能力を与えられた」という意味の「パンドラ」という名前を与えられていた。 ある日、全能の神ゼウスは、これから結婚するパンドラに、人と同じくらいの大きさのつぼを与えて言った。 「決して開けてはならない」 しかし、好奇心を抑えきれないパンドラは、のちにこのつぼのふたを開けてしまう。その瞬間、つぼの中からは、様々なものが外に飛び出していった。 慌てたパンドラは、急いでつぼのふたを閉めるが、時すでに遅し。つぼの中のものは、一つのものを除いて、全て外に出て行ってしまった。 つぼの底にたった一つだけ残ったもの。 それが希望だった。 パンドラの箱の神話は、このようにその物語を閉じる。 なぜ、このような結末だったのか。それは誰にもわからない。 全てのものが出て行ったパンドラの箱の奥に、たった一つ残ったもの、それが希望だった。このギリシャの有名な神話は、そのような結末をもって語り伝えられていく。   希望。   多くのものを人生で失っても、これだけは、まだつぼの底にひっそりと残っている。命がある限り、誰にも平等に、希望だけは残っている。

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自殺した幼なじみと誰かを許すということ

photo credit: blinkingidiot via photopin cc 長い間、ずっと自分の心の中で響いているラビの物語がある。ラビとは、賢者として認められ、神の知恵を伝えるユダヤの教師のことだ。   あるとき、ラビを前に、一人の弟子が質問をした。「先生、人は、どのようにして、夜明けがやってきたときを、知ることができるでしょうか?」 ラビは、やさしく微笑んで、逆にその弟子に質問を返した。「あなたは、どう思う?」 その弟子は、少し考えて言った。「新しい夜明けが来たのを知るのは、夜明けが近くなって、鶏が鳴いたときでしょうか?」 「いいや、そうではない」-ラビは、答えた。 「それでは、」―弟子は続けた。「真っ暗だった空に、周りの木々のシルエットが、ぼんやりと浮かび上がってきたときでしょうか?」 ラビは、穏やかに答えた。「いいや、それも違う」   「夜が終わり、新しい朝が来たことを知るのは」-ラビは、続けた。   「許せないと思った人々の顔を見て、その人が、あなたの愛する兄弟姉妹だと分かったときだ。その日が来るまで、外はいつまでも夜のままだ」   これから紹介するのは、西洋社会ではよく知られているヨナの話。聖書の中に書かれている物語だ。 あるとき、ヨナは、自分の愛する祖国イスラエルの敵であるアッシリアという大国の首都ニネヴェに行って、「ニネヴェの人々が犯す悪の数々のために、40日後にニネヴェは滅ぼされる」という予言を伝えるよう、神から命令される。 しかし、ヨナは、敵国アッシリアに行くのが嫌で、船に乗って、ニネヴェとは反対の方向に逃げ出してしまう。 そんなヨナを見て、神は彼の乗った船を嵐に遭遇させる。そして、ヨナが神の命令から逃げたことを知った船乗りたちは、彼のせいで嵐に巻き込まれたのと思い、嵐を沈めるために、彼の手足をつかんで海に投げ込んでしまった。 ヨナは、海で大きな魚に飲み込まれ、3日3晩、魚の腹の中で過ごすことになったが、結局、海岸に吐き出されて、一命を取り留める。 「やっぱり、神の命令からは逃げられん・・・」と思ったヨナは、しかたなくニネヴェにいって神の言葉を告げた。すると、意外なことに、ニネヴェの人々は、すぐに悔い改め、に真摯に向き合い始めた。指導者は、ニネヴェの人々に悔い改めを呼びかけ、人々がそれを忠実に実行したため、神はニネヴェの破壊を考え直した。 しかし、ヨナは、1度滅ぼすと言ったのに、それを中止し、イスラエルの敵であるニネヴェの人々を許した神の寛大さに怒りだしてしまう。  当時のアッシリアは、軍事的にも経済的にも大国で、アッシリアの強大な力は、ヨナの祖国イスラエルを圧迫していた。アッシリアは、すでにこのとき、幾つかの戦いでイスラエルを破っていて、誇りを持ったイスラエルの人々にとって、アッシリアは、決して愛すべき隣国ではない。 しかし、神は決してイスラエルだけの神ではなく、異国の人々の神でもあった。その神は、異国のニネヴェの人々が心を入れ変えたとき、両手を広げて受け入れた。 「ヨナ、あなたは自分が作ってもいない、育ててもいないトウゴマの葉さえ惜しむのに、どうして、わたしが愛するニネヴェの人々を惜しまずにはいられようか?」   「いやいやいや、おかしいだろ。だったら最初から『滅ぼす』なんて言わなければいい」 そう思う人もいるかもしれない。でも、この物語のテーマは、このような、一見、突拍子もない物語を通して、「一度言ったことを考え直す神」、「イスラエルだけでなく、異国の人々も愛される神」を示すこと。重きを置かれているのは、話の流れの辻褄ではなくて、テーマの方だ。 なかなか描かれることがなかった、自分の言葉を考え直す神。そんな神の姿に怒りをぶつけたのが、当時の人々を物語の中で代弁するヨナだった。ヨナは、敵国の首都ニネヴェの人々に、否定的な思いを抱いていた。神がいくら自分の敵を愛していても、自分たちを圧迫し、自分たちを攻撃し、自分たちを苦しめる、このアッシリアを、ヨナは許すことができなかった。ヨナの暗い夜は、いつまでも明けないままだった。 許すことの難しさ 「許すということは、何と素晴らしいことか、と思う。しかし、そう思えるのも、自分自身の前に、絶対に許せない何かが立ちはだかるまでだ」 神学者であり、作家でもあった、C.S.ルイスの言葉だ。 許し合うことが素晴らしいのは、子供だって知っている。でも、ルイスの言うとおり、いざ自分自身に、どうしても許せないことが起きたら、僕たちは、そう簡単に「許しあうことは素晴らしい」とは、言えなくなってしまう。   自殺した幼なじみ:「墓の前で土下座させてやる」 僕には、自殺した幼なじみがいる。彼女とは、幼稚園から中学まで一緒で、歩いて数分の近所に住んでいた。高校で別々の学校になったけど、バラバラになっても、中学校の仲間を含めて、徹夜で一緒に遊んだり、偶然、帰りのバスで一緒になったときは、一緒に帰ったりしていた。 幼稚園から同じだけあって、お互いに話しやすく、彼女から、「誰にも言わないで」と言われて、進路や異性のことを相談されたりもしていたし、人生の大きな困難に直面していた僕が「まじで、どうしていいか分かんないんだよ、こういうときって。俺自身のことじゃないから」と、こちらが彼女に弱音を吐いたときもあった。   そんな彼女との最後の会話は、ちょっと変わった印象的なものだ。 あるとき、網に入れたサッカーボールを蹴りながら、バス停でバスを待っていたら、「すいませーん!くわはらやすゆきだったら、手ぇー挙ーげてー!!」という大きな声がした。 名前を呼ばれて驚いて頭を上げてみると、国道を挟んで反対側の歩道に、友人数人を連れた彼女がいた。僕は目が悪いし、薄暗くてよく見えなかったけど、声で彼女だと分かった。バス停には、他にも何人かいて、変な目で見られたけど、「おまえなー!こんなところで、でかい声でフルネームを呼ぶなー!!笑」と言いつつも、思いっきり両手を振って彼女にあいさつをして、そのまま国道を挟んで、叫びながら言葉を交わした。 そして、僕が直面している色々な困難を知っていた彼女は、別れ際に「お互い、頑張ろうねー!!」と大きな声で叫んで、思いっきり両手を振ってくれた。   「頑張ろうね」 それが、僕が知る彼女の最後の言葉になった。   「おまえ、あのとき『頑張ろうね』って言っただろ」 あれから、何度、そう思ったか分からない。   彼女が自殺した、ということを聞いたときは、ただショックで言葉を失った。 そして後日、「彼女が自殺する前、一人の男性が、彼女を妊娠させて、そのまま逃げていた」ということを聞かされたとき、ショックという言葉で言い表せないくらい、今まで感じたことのない感情が沸き起こった。…

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与えても与えても減らない不思議な小麦粉〜ユダヤの言い伝え

ユダヤ地方に昔から伝わっているお話の中に、以下のようなものがある。   あるところに、小麦をひいて粉にする仕事を営んでいる二人の兄弟がいました。兄弟のうち、兄は結婚し、複数の子供を授かっていましたが、弟は独身で、子供もいませんでした。 仕事上、二人は平等な立場であり、仕事が終わった時には、挽きあがった小麦粉を二人で平等に分け合って、自分の取り分を家に持ち帰っていました。 けれども、そんなある日、弟は考えました。「僕は兄貴と違って、結婚もしていないし、養わなければならない家族もない。これは不公平だ。兄貴は、僕よりも沢山分け前を取るべきだ」 それからというもの、弟は、みんなが寝静まる闇夜の中、お兄さんの倉に、自分の分の小麦粉を少し持って行くようになりました。お兄さんの遠慮深い性格を考えて、お兄さんには、決して気がつかれないように。 さて、弟がそんなことを考えていた頃、お兄さんも、家で考えていました。「僕には家族があって、妻も子供もいて満たされている。でも、弟は、年老いたときに、誰も世話をしてくれる人がいない。これは不公平だ。弟は、僕よりも沢山分け前を取るべきだ」 そして、お兄さんは、妻に相談したあと、みんなが寝静まるのを待って、自分の取り分を少し掴んで、弟の倉に持って行きました。弟の遠慮深い性格を考えて、弟には、決して気がつかれないように。  次の朝、二人の倉にある小麦粉は、一向に減っていません。お互いに、相手に与えた分、相手から与えられているからです。 与えても与えても減らない小麦粉。二人は、不思議な力を前に、神に感謝の祈りを捧げます。そして、お互いのしていることを知らず、これを毎日続けました。 しかし、そんなある夜、二人の兄弟は、お互いの取り分を相手の家に持っていこうと歩いていたとき、道の途中でバッタリと鉢合わせしてしまいます。 はじめは驚いた二人でしたが、お互いに事情を説明して、何が起きているのかを理解したとき、二人は、お互いを抱きしめて、相手の思いやりに、ただ涙を流しました。いつまでも、お互いのやさしい心を思って、涙を流して抱き合いました。   ユダヤの言い伝えによると、この夜、神は、抱き合う兄弟に、こう言ったそうだ。「わたしは、ここに祝福の家を建てる。あなたたちは、その祝福の源となるだろう」 きっと、人はこの兄弟のように生きるように招かれている。人と人とが交わるその場所に、祝福の家が建てられるように、与えられたいのちを用いるように招かれているのだと思う。 この世界には、色々な人がいる。関わる人たちに悪意を抱くことなく、他人の善意を恣意的に利用することなく、僕たちの誰もがこの兄弟のように生きられるように願っている。

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たとえほぼ全てを失っても、決して失うことのないものがある

1997年、一人の偉大な精神科医が人生の幕を閉じた。その人の名前は、ビクトール・フランクル。フランクルは、オーストリアのウィーン大学の精神医学科の教授だった人で、フランクルが亡くなったというニュースは、当時、欧米だけでなく、日本のニュースにも取り上げられた。 世界的ベストセラーになった、彼の著書『夜と霧』の中には、彼の第二次世界大戦のときの経験が記されている。これは、大学時代に繰り返し読んだ本の一つで、おそらく、キリスト教大学であれば、必ず何かのクラスで取り上げられているはずだ。 第二次世界大戦中の1942年、ユダヤ人であった彼は、のちに殺害される彼の妻や両親と共に、ナチスの収容所に入れられてしまう。そして、はじめは他の囚人たちと一緒の仕事をしていたフランクルだったが、医学の学位があった彼は、のちに収容所で優遇され、ナチスのために医療の仕事をさせられることになる。 2年後、意に反してアウシュビッツに移されたフランクルは、そこで残虐で恐ろしい光景を嫌というほど目にすることになる。次々に死んでいく人の群れ。厳しい環境での生活。アウシュビッツに収容された人々は、ショックと苦しみで、無気力になり、最後は何の希望も持てなくなっていく。フランクルの目に映ったのは、そんな絶望の景色だった。 疲れとあきらめが襲い掛かり、目の前に横たわる自分の人生が、悪夢にしか見えなくなってきて、気が狂ったようになっていく。当時の様子を、フランクルは、そのように書き残している。 しかし、多くの人々が狂いそうになる、そんな状況の中、フランクルは、深い感動を覚えさせられた、ある人々のことを、同時に著書に書き記している。  「心身の自由を奪われ、家族を奪われ、日常生活を奪われる、そんな極限の状態にありながらも、他の人々を笑顔と優しい言葉で励まし続け、自分の最後のパンのひとかけらを、同じように空腹に震える人々に分け与え続けた、そんな人々の姿が脳裏に焼きついて離れない。確かに、数は少なかったかもしれない。しかし、そのような人々がアウシュビッツに実際にいた、ということは、私に一つのことを証明してくれているように思う。それは、たとえ全てのものが奪い取られても、人間の最後の自由は、誰にも奪い取ることができない、ということだ。強制収容所のような過酷な状況の下にあっても、今この瞬間の自分の態度を自分で決められる、という最後の自由は、いついかなるときにも、取り去られることはないのだ」 僕たちは、生きている間に、多くのものを失っていく。僕たちが持っているものは、いつか必ずなくなっていく。物理的な所有物だけではない。僕たちが享受している健康も若さも体力も、これから先、確実に失われていく。 しかし、たとえそれらの全てが取り上げられても、人には、一つだけ取り上げられないものがある、そうフランクルは言った。それが、人間の最後の自由だ。「どんな状況の下でも今の自分の態度を自分が決めるという自由、それだけは誰にも奪うことができない」ーそうフランクルは語った。 他人に何をされても、何を言われても、どんな状況で育っても、僕たちには、今現在の自分のあり方を決められる自由がある。隣人に、友人に、家族に、見知らぬ人に、どんなに不当な痛みや悲しみを与えられても、どんな卑劣で冷淡な扱いを受けても、裏切られても、恨みを抱かず許したり、静かに自分の道を歩いたりする自由を、僕たちは確かに持っている。 「人間とは、一体、何か。わたしたちは、その歴史において、その問いを繰り返してきた。わたしであれば、こう答えるであろう。人間とは、自分があるべき姿を絶えず決定していく存在である」 人間とは、フランクルの言う通り、そもそもが自分があるべき姿を自分で決めていく存在だ。確かに人間とは、残酷なアウシュビッツのガス室を発明した存在かもしれない。ときには卑劣で、残虐で、冷淡な存在なのかもしれない。けれども、人間とは、それと同時に、主の祈りやユダヤの死の祈りを唱えながら、その同じ人間によって発明された悲惨な部屋へと、まっすぐに頭を上げて入っていくことができる存在でもある。自分自身が、たとえ極限の状態にあっても、他人を励まし、空腹に震える人に、自分の最後のパンのひとかけらを分け与えることのできる存在でもある。 僕たちは、一方では、悪意をもって、妬みの心を持って、その心の内にアウシュビッツを作ることができる。人を卑劣な方法で不当に苦しめ、傷つける場所を、自分の心の中に作ることもできる。 けれども、その一方で、僕たちは、自分が誰であるのかを問いかけ、いかなる「いのち」を生きていくのかを問いかけ、歪んだ思いにコントロールされない選択を下すこともできる。これから何が奪われようと、これから何が取り去られようと、誰に何をされようと、僕たちには、今現在の自分の態度を自分で決める自由を、確かに持っている。 自分の人生の主人公は自分だ。何をするのかを決定するのは自分だ。決して、周りの環境や他人ではない。 人の弱さは容易に心の中に残酷なアウシュビッツを作っていく。誰かに卑劣な行いをされることもあるかもしれない。大きな苦しみが人生を襲うこともあるかもしれない。でも、たとえそんな状況に放り込まれたとしても、「状況にコントロールされずに自分の態度を自分で決める自由を、僕たち一人一人は確かに持っている」ということを、僕はいつも心に覚えておきたい。他人の冷酷さや現実の厳しさに、自分自身がコントロールされないように。

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悲惨な状況におかれたときに何をすべきかを、サラエボの音楽家ヴェドラン・スマイロビッチは教えてくれる

1992年、サラエヴォ包囲の真っ只中。独立したばかりのボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォに続いた砲撃の回数は、一日平均300回以上にもおよび、この間、負傷者は50,000人を超え、12,000人以上が亡くなった。東欧の歴史豊かなこの町には、多くの遺体で腐臭が漂い、首都の道という道が血で染まったと言われている。 サラエヴォの音楽一家に育ったヴェドラン・スマイロヴィッチは、このときのサラエヴォを「地獄の首都」と呼んでいる。スマイロビッチは、幼いころからチェロを習い、サラエヴォ・オペラ・シアターの主席チェリストにまでなった有名な演奏家だった。しかし、紛争が始まるとすぐに、このオペラ・シアターは破壊され、彼の愛する生まれ故郷サラエヴォは、一瞬にして地獄の首都へと変わっていった。 爆撃の雨と血まみれの死体が溢れ、地獄絵図のようなサラエヴォ。罪のない市民の血が流される街。愛する人たちを失い、泣き叫ぶ者に溢れる街。地獄絵図のような光景に、気が狂い始める者、悲惨な現実にただ絶望する者で、サラエヴォは溢れかえった。 市民が無残に殺されていた、そんなある日のこと。爆弾の雨が降り注ぐ中、スマイロビッチは、ただ絶望するしかなかった者たちと死体の数々に囲まれた広場に歩み出て、静かにチェロを取り出し、それを一心不乱に弾き始めた。一日に300発以上の爆弾の雨が降り注ぐサラエヴォで、オペラ・シアターで着ていた黒いスーツに白いネクタイを着込んで、たった一人、死と絶望の真ん中に座り、彼はチェロを引き続けた。 「誰にも弾くことのできない、奇跡の美しさだった」 耳にした者にそう言わしめたそのチェロの音は、すぐそばで亡くなった22人の命を記念して、22日間続いた。 その音は、先の望みもなく、振り絞る力の残っていなかった者たちの心に、いつまでも温かく、明るい希望の灯火となって響き続けたという。 「それがどれほど大きな助けになったか、あなたには想像できますか?」 サラエヴォ包囲を生き延びた人は言う。 あのときスマイロビッチのチェロの音を耳にした人にとっては、彼が奏でる音楽は、それほど大きな希望の響きであり、それほど大きな救いの響きだった。 豊かで平和な日常を送る僕たちも、レベルは違えども、悲惨で混沌とした環境に身を置かなければならないときがある。生きていると、理不尽なこと、冷酷な現実が襲いかかることも避けられない。 僕たちは、日常生活の中でも、何か悲惨なことが起きたとき、ただ泣き叫ぶことはできる。状況に文句や不満ばかりを言うこともできる。無気力にただ立ち尽くすことも、悲惨さを加速する行為に加担することも簡単にできる。 でも僕は、どんな状況でもスマイロビッチのようでありたい。周りの環境や状況がたとえめちゃくちゃでも、自分がいるコミュニティーの中で、自分が持っているものを活かして、周りに明るい希望の音を響かせられる人でいたい。 いざというときに、チェロを取り出して美しい音楽を奏でることができるように、いつでも自分の能力を磨いていたいと思う。

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あなたの目に隣家の洗濯物が汚れて見えるのはどうしてか?【ジョージ・バーナード・ショウからのヒント】

(Photo by Ben D. Johnson) ある土地に一組の夫婦が新しく引っ越してきた。ある日の早朝、この夫婦が二人で朝食を食べていて、妻がふと窓の外を見たとき、干している隣家の洗濯物が目に入ってきた。 干されているその洗濯物が薄汚れているのに気付いた妻は、夫に言った。 「あの奥さんは、洗濯の仕方も知らない人なのね。衣類は汚いままなのに。ちゃんと洗剤使ってるのかしら」 この妻は、あくる朝も、その次の朝も、隣の家の洗濯物を見て、毎日毎日、ブツブツと同じことを夫に言った。 「あの奥さん、家族にあんな汚いのを着せてるのかしら。信じられない」 数週間が経ったある朝、同じように窓の外をのぞいて隣家の洗濯物を見た妻は、その洗濯物が、すっきりと綺麗に美しくなっていることに気が付いた。 彼女は驚いて、夫に言った。 「あなた、見て。隣の奥さん、やっと洗濯の仕方を覚えたみたいよ。何があったのかしらね」 夫は微笑んで、こう返した。 「いや。僕が早く起きて、この部屋の窓をきれいにしたんだよ」 汚れているのは、隣家の洗濯物ではない。自分の窓だ。けれども、汚れた自分の窓に気が付かない妻には、窓の向こうの洗濯物自体が汚れているようにしか見えなかった。    僕たちの周りの問題も、往々にして同じだ。たまに嬉々として他人の悪口を広める人たちに出会うけど、実際に汚れているのは、本当にその対象なのだろうか?汚れているのは、僕たちが下衆の勘繰りをして、悪質なゴシップや陰口の対象にするものではんく、他でもない自分自身の心ではないだろうか? 汚れた心を通して外の現象を見ていれば、どんなものだって汚れて見える。その口から出てくる言葉は、悪質なゴシップ、陰口にまみれて汚れていく。汚れたレンズを通して解釈されるものは、そのまま汚れて出てきてしまう。 僕が人間として素晴らしいと思う人は、自分の心の窓を綺麗に保つことを実践する人だ。下衆の勘繰りをしない人、ゴシップや陰口を言わない人と話していて気持ちがよく感じるのは、その人たちが語る内容が好ましいだけではなく、その人の心の窓がきれいであることを感じるからだ。そのような人たちとは、出会えたことを感謝して、一生付き合っていきたいと心から感じる。  イギリスの詩人ジョージ・バーナード・ショウは言った。 「いつでも自分を磨いておきなさい。あなたは世界を見るための窓なのだ」 世界を見る窓は自分しかない。自分を磨いていなければ、曇った窓を通してしか周りを見ることはできない。歪んだ思いに心が支配されていれば、汚れた世界しか見えてこない。 一度しかない人生、僕は薄汚れた窓を通して周りを見ながら、人生の終わりを迎えたくない。そして、できれば他の人たちにも、そんな世界を見ながら、人生の幕を閉じてほしくないと思う。

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帰る方角が分からなくなった羊の話は、私たちに何を語っているか【人間性が迷子になるとき】

(Image by Marcello Guardigli) 何年か前、羊の生態を写したドキュメントを観たことがある。その短い映像の中で、とても印象に残った場面は、一匹の羊が草を食べている場面だった。 群れの中の一匹の羊が、お腹がすいているのか、目の前の草を休みなくムシャムシャと食べ続ける。しばらくの間、この羊は、夢中で目の前の草を追いかけていく。そして、目の前を草を夢中で食べ続けていた羊は、あるとき、ふと顔をあげ、周りを見渡し始める。 周りを見渡すと、この羊は、いつのまにか一人ぼっちであることに気が付いていく。思わず不安そうにウロウロとするこの羊。おいしそうな目の前の草を夢中で食べ続けているうちに、この羊は群れから迷い出てしまい、ついには帰る方角もわからなくなってしまっていた。   人は、きっとみんな目の前の草を追い求めて生きていますが、目の前の草は、ときとして人を迷子にさせる。様々な年代や立場の人がいるのだから、「目の前の草」と言われても、思い浮かべることも様々だろう。経済的安定かもしれないし、キャリアかもしれない。物欲かもしれないし、名誉欲かもしれない。プライドの充足かもしれないし、コンプレックスの克服かもしれない。内実は様々だが、私たちの人生には、それぞれ、帰る道を見えなくさせる草がある。 追いかけること自体は、何の問題もない。しかし、周りを見渡すこともなく、それを夢中で追い求めていると、いつしか私たちは自分が立っている場所がわからなくなる。そして、戻るべき道を見失う。 それに気が付かずに、我を忘れて夢中で草を食べていると、人間はいつのまにか、ゆがんだ自己顕示欲に支配されて、気に入らない人に卑劣なことをする人、出世欲で我を忘れて、他人を残酷にけおとす人、金銭欲、物欲に目がくらんで、他人をだますことさえ厭わない人になっていく。僕は、大勢の人が集まる教会でリーダーとして働き、私生活でも様々な集会のファシリテーターだったので、おそらく平均的な日本人の何倍も多くの人に関わってきている。カナダ勤務時代は、特に様々な争いや多くの足の引っ張り合いを目にしてきた。 僕は、自分が知らず知らずに追いかけているものに、常に意識的になりたい。そして、様々なことが起こり、様々な感情がわき起こる人生で、自分自身がどこに向かっているのかを、絶えず意識して生きていきたい。

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あなたが誰であるのかを決めるのは【自分が嫌いになる前に読む物語】

(Photo by JayRodrii) 尊敬するTくんへのメッセージ“Somebody’s opinion of you doesn’t have to be your reality.”– Les Brown 北米のある先住民の部族は、次の物語を残している。あるところに、チェンジリングイーグルというワシが卵を産んだ。しかし、産み落とされたその卵は、風に吹かれて飛んでいき、ニワトリの巣の中に紛れ込んでしまい、このワシの卵は、やがてニワトリの巣の中で孵化してしまった。そして、生まれたワシは、周りと比べて、自分の姿かたちを少し特殊だと思いながらも、自分がニワトリだと思い込んで、ニワトリたちと一緒に育っていく。あるとき、このワシは、一緒に育ったニワトリの仲間たちと野原でくつろぎにいき、大空を飛びまわる一羽の立派な鳥を目にして、周りの仲間に尋ねた。「ねえ、みんな。あれは、一体、何なんだい?」「ああ、あれは、チェンジリングイーグルというワシだ。空の王様だよ」-一羽のニワトリが答えた。「へえ。すごいなあ。俺もあんなふうに飛べたらなあ」「はは。俺やおまえが、あんな風になりたい、なんて思っても無駄だよ。俺たちは、ニワトリなんだからね」そのように言われたそのワシは、「無駄だ」と言われたことはせず、言われた通りにした。そして、いつまでも自分がそのチェンジリングイーグルであることに気がつかず、自分をニワトリだと思い込んで、やがて年老いて死んでいった。あなたが誰であるかを決めるのは、周りの人間じゃない。他人の声で、自分を見失うな。たとえ、周りの人間が、適当にあなたのことを決めつけようが、あなたの可能性を否定しようが、いい加減な噂を広めようが、その人たちには、あなたが誰であるかを決めることはできない。他人がどう思うか、他人がどう見るか、他人がどう評価するかを怖れてばかりいたら、あなたは、いつまでたっても、大切な人生を周りに振り回され続ける。いつまでたっても、周りに自分の人生をコントロールされ続ける。たった一度の人生、他人に自分を決められて生きることになるんだ。あなたが誰であるのかを決めるのは他人じゃない。 絶対に自分を見失うな。

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ダイナマイトの発明者が、自分の死亡記事を読んで遺書を書き換えたのはなぜ?【メメント・モリとノーベル賞】

(Photo by David Ross) 1888年のある朝、ダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルは、自分自身の死亡記事がフランスの新聞に出て、腰を抜かすほど驚きました。有名な人が高齢や病気に侵されたとき、すぐに記事が出せるように、新聞社は前もってその人の死亡記事を用意しておくことがあります。ノーベルの兄弟が亡くなったことを知ったそのフランスの記者は、早合点してしまい、間違えてノーベル自身の死亡記事を新聞に載せてしまったのでした。ノーベルは、間違えて掲載された自分自身の死亡記事を読んだとき、自分の発明がどう受け止められているのかを悟ります。科学者として、もともと「人類の役に立てば」と思って発明したダイナマイトだったのですが、新聞には、ノーベル自身は「ダイナマイト王」、「死の商人」として描かれ、人殺しの兵器によって巨万の富を蓄えた者として記されていました。ノーベルは、この描写にショックを受けます。彼が発明したものは、そんなことに用いられるためのものではありません。しかし、ノーベルの意図せぬところで、人々は、ノーベルの発明を破壊の道具、人を殺す道具として使い始めていました。ノーベルは、その発明者として人々から称賛を受けますが、それは彼の本意ではありません。自分の死亡記事を読んで唖然としたノーベルは、自分の発明をこれ以上間違った方向に使われることがないように、用意していた自分の遺書を、全く違うものに書き換える決意をします。新たにしたためられた彼の遺書には、世界平和のために偉大な貢献をしたものに、栄誉ある賞を与えるために遺産を用いてほしい、と記されていました。今日、このノーベルの遺言が形になったものが、日本でも有名なノーベル賞です。死は誰にでも例外なく訪れるものですが、多くの人は死から目をそらして生きています。どのように生きたいかは、多くの人たちによって語られていますが、どのように死にたいかは、あまり多くの人たちに語られません。生と死はコインの表と裏であって、どのように死にたいかが分かれば、どのように生きたいかが、おのずとわかってきます。ノーベルは、死の商人として、ただダイナマイトで巨額の富を得た者として死にたくはありませんでした。自分の意図を理解してもらってから、すっきりした気持ちで死にたいと思いました。だからこそ、彼は一度正式に書かれた遺書の内容を覆して、自分が今やるべきことを行動に移しました。私たちの中には、すぐに死ぬわけではないから切迫感がない、という人が大半かもしれません。けれども、遅かれ早かれ、人は誰もが死に直面します。どんなに若くても、どんなに大金を持っていても、どんな地位にある人でも、必ず死に向かい合うときがやってきます。避けられないその瞬間を迎えるとき、どういう人間として死んでいきたいか。その願いを実現するために、今するべきことは何か。そのように考えることが、結局、自分はどのように生きたいかというテーマに繋がっていきます。私は、大人になってから二度、本気で死を覚悟したことがあります。たまに起こる「あぶねー。死ぬかと思った(笑)」という危なさ程度では、人は変わらないかもしれません。けれども、本気で死を目の前にして、そこから何とか生還した人は、その後、その世界観の根底を変えられることがあります。私は、この二度の死の危機を経て、自分の人生を終えるときに、自分は誰でいたいのか、何を与えた人でいたいのかが明確になってきました。そして、そのように人生を終えるために、今自分は「どこで誰と一緒にいて、何をした方がいいのか」ということを、以前よりも意識して考えるようになりました。「メメント・モリ」という言葉があります。「死を忘れないでいなさい」という意味のラテン語で、もともと死を見つめて生きることの大切さを喚起させるための言葉だったと言われています。まだ十代で初めてこの言葉を聞いたときは、「暗っ。今から死ぬこと考えてどうすんの」と思ったのですが、今となっては、この言葉が人に何を思い起こさせたいのか、よくわかる気がします。ノーベルは、思いもかけずに自分の「死」に直面し、それが自分がどうやって生きるのかを見つめ直すためのきっかけとなりました。ノーベルは亡くなりましたが、あの新聞記事の後には平和活動にも積極的に関わり、今では多くの人に「ノーベル賞のノーベル」として覚えられています。私たちは、どんなに若くても、いつかは死んでいきます。そのとき、自分がどういうあり方をしていたいのか、自分を見失うときにはいつでも、そのことを思い返したいと思います。

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僧侶が渡した「大丈夫の小石」を握りしめて生きる【物事が思い通りに行かないときに読む物語】

青山しゅんどうの本に、『大丈夫の小石』という物語があります。 あるとき、大きな手術を受けることになった男性に、僧侶が「大丈夫」と書かれた小石を持って、お見舞いに行きます。その石を見て、「ああ、これで、手術はうまく行くんですね。大丈夫なんですね」と言うその男性に、僧侶は優しく言いました。 「これは、あなたや私の思い通りに状況が進んでいく『大丈夫』の小石ではありません。『これから何が起こっても、あなたは大丈夫』という大丈夫の小石です」 その「大丈夫」は、自分が望む方向に物事が行く「大丈夫」ではありません。そうではなくて、「たとえどんなことになったって、たとえどっちの道に転んだって大丈夫」、僧侶が持っていったのは、そんな大丈夫の小石です。 多くのみなさんと同じように、私も今までに、何度か人生の窮地に立たされたことがあります。人に騙されて人生の進路変換を余儀なくされたこともありますし、ある人たちから嫌がらせを受けて一時的に仕事ができなくなったこともあります。けれども、その度に前向きに先に進んで、目の前の道を切り拓くことができたのは、「死ぬわけじゃないし、10年前の苦しさに比べれば大したことない。方向を定めて今までみたいに死ぬ気で努力すれば、きっと大丈夫だろ」というポジティブな姿勢を崩さなかったからだと思います。 これからも、大変なことが襲い掛かることがあると思います。自分自身の責任で苦しむこともあれば、誰かに嫌がらせをされる場面もあるかもしれません。けれども、行き詰ったとき、不安をおぼえたときには、そっと大丈夫の小石を握りしめて、「大丈夫」と自分に言い聞かせながら、いつでも未来を見つめていきたいと思います。

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古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、醜いゴシップにどのように対応したか【行き過ぎた社内政治を避けたい人へ】

  (Photo by Tess) ある日、ソクラテスの友人が、興奮しながら彼に走り寄って言った。「ソクラテス!おまえの弟子のプラトンってやつについて興味深いことを聞いたんだけど、おまえはもう知ってるか?」「ちょっと待ってくれ」−ソクラテスは冷静に答えた。「僕にそれを聞かせる前に、いくつか君に質問したいんだ。これ、三重フィルターのテストってやつなんだけど」「三重フィルターのテスト?」「そう。僕の生徒に関して何か言う前に、君に三つ質問をするよ。一つ目のフィルターは、真実のフィルターだ。君は僕に伝えようとしていることが、間違いなく絶対に真実だって、すでに確信しているかい?」「え?いや、『絶対に』と言われれば、違うかもしれないけど。俺は人に聞いただけで。でも、、、」「わかった」-ソクラテスは言った。「じゃあ、君はそれが本当かどうか確かじゃないわけだ」ソクラテスは、言葉を続けた。「次に二つ目のフィルター、善良さのフィルターにいってみよう。僕の生徒に関して君が僕に言おうとしていることは、何か良いことかい?」「いや。実はその反対で、、、」-友人は言った。「じゃあ」-ソクラテスは答えた。「君は彼について何か悪いことを言いたいんだね。たとえ、それが真実かどうか確かじゃなくても」男は肩をすくめ、少し恥ずかしくなった。「でも、まだ三重フィルターのテストをクリアするかもしれない。三つ目のフィルター、有益さのフィルターが残ってるからね。僕の生徒に関して君が言いたいことは、僕に何か有益になるかい?」「い、いや。特に有益ってわけでは、、、」「じゃあ」-ソクラテスは続けた。「もし、君が僕に言おうとしていることが、真実でもなければ良いことでもなく、有益なことでさえないのなら、いったい、どうしてそれを僕に伝えるんだい?」男はがっくりして、ただ自分を恥じた。それが真実かどうか、それが良いことであるかどうか、それが有益であるかどうか。これが、賢者ソクラテスの三重フィルターと呼ばれるものだ。僕たちが普段、他の人に伝えている話は、このテストをちゃんと通り抜けているだろうか?少しだけ、立ち止まって考えてみてもいいかもしれない。*実際にソクラテスが起源かは不明。