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事業を丸パクリされた話

複数の偽名を使って僕らの大学リストを集めて、全部丸パクリして中国で事業をしている個人を、アシスタントが発見。いつか出ると思ったけど、日本国外で第一号が出るとは予想外。 グーグルアナリティクスやメールのデータを駆使して、数日かけて個人の特定に成功。犯人は日本人だった。 まあ、確かに、今まで中国人からの事前相談は全て住居探しまで行っていて、中国人の契約者には素敵な人しかいないことを知っているし、大学調査だけをした人の中に中国人はいないので、自ずと「中国人ではないだろう」と予想はついたけど。 英語でやりとりしたら、相手は「知らねーよ。名誉毀損で訴えるぞ」という態度だったけど、アシスタントが突き止めた彼のフェイスブックのリンクを、グーグルアナリティクスやメールのデータと一緒に送って、「〜さんですよね。日本の法廷で会いましょう」と言ったら、威勢のいい態度が消え去り、コロっと態度が変わった。 「バレなければ何してもいいだろう」という態度が僕は大嫌いなので、「今すぐ事業を閉じて下さい。期限は11月16日。それを過ぎたら、弁護士に相談します」と伝えたら、とりあえずウェブサイトは非公開になった。 幸い、僕には仲がいい中国人の友達が何人かいる。仕事上のパートナーもいる。彼らに相談して、引き続き、この人物の監視を続ける。 犯人は、こっちにも毎日アクセスしているようなので、少し言っておく。 今回は執行猶予です、千葉県出身の24歳(か23歳)の青年。次に似たようなことしたら、問答無用でウェブ上に経過を全部公開する。君の名前もすべてです。Facebookを消しても、すでに必要なデータは全てスクリーンショットで取ってあるので、そのつもりで。メールの下に毎回貼られていた以下の文言と、契約書の内容をもう一度チェックして下さい。これだけ何度も書いてあるんだから、知らなかったんじゃなくて、君の場合は確信犯でしょう。 このメールの内容は、受信者のみに宛てられたもので、他のサイトへの転用、他者への漏洩などは一切禁止しています。大学リストを含めた関連情報の全部または一部を無断で複製、転載、改竄・改変、公衆送信(ウェブサイトへの掲載を含む)すること、ならびに有償無償にかかわらず第三者に譲渡することを禁じます。このような行為は著作権法違反等による処罰の対象となります。

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【日記】事業の方向転換の準備

おそらくは最後になるだろう、アシスタントと仕事分担の見直し。「最後」というのは、彼が役目を終える時期が近づいてきているからだ。 節目節目で役割分担の見直しをしてきたけど、おそらくは、ここから大筋に変化を加えることはない。その意味では、今回が最後だ。 実際は、僕でなければできない仕事は、そこまで多くない。大学調査と不動産調査くらいのものだ(とは言っても、ここが一番、肉体的にきついところだけど)。 事前相談もアシスタントに任せる方向で動き始めた。「人使い荒くなってきましたね(笑)」と言われたけど、彼は「やすさんは仕事を選別して、集中すべき分野に資源を投資して」と僕に言い続けてきた張本人なので、最近は遠慮なく仕事を振っている。 バルセロナでいきなり個人ブログを再開したのも、アドバイザーのような存在の彼の厳しい言葉の数々の影響が大きい。一年くらいきついことを言われ続けて、自分でも自覚していたのに、仕事の一環のブログはサボってばかりだった。   来年から、彼はいなくなる。学生という身分を卒業して、彼には就職という新たな一歩が待っている。 もともと、彼は僕が留学を無料で協力した人で、年齢はかなり重ねているけど、身分は現役の大学生。 あまりに衝撃的なメールを彼から受け取り、「絶対に俺が何とかする」という気持ちで返信をしたあのときから、早くも数年が経ち、今、彼は就職のときを迎えている。 本当に感慨深い。僕は彼の兄でも親でもないけど、「就職、しかも英語での仕事とは、当時からは誰も想像できないな」と考えると、自然と涙が出てくる。 彼がいなければ、おそらく、僕は自分のしていたことに迷いが出ていた。自分のやっていることに意義を強く感じることも、ほとんどなかったかもしれない。 「こういう協力をすれば、こうやって将来を切り開ける人もいる」という実例が身近にあるからこそ、今まで自分のしていることに意義を感じて、何とかやってこれた。   「進んでいる方向自体は間違ってないです。一つだけ大きく間違ってるのは、BtoCで直接コミュニケーションする、という仕組みです」 そんな彼の助言を元に、これから事業は大幅に転換。ずっとわかっていたのに、転換を後回しにして、彼に負担をかけていた。 僕は今まで、「今度は俺がやすさんの役に立ちたい」という彼に甘えていた。彼がいることを前提で考えて、僕しかできないこと以外であれば、ときにはランダムで彼に仕事を振ってきた。 不特定多数を相手にすることで、もともと「嘘つく人間、非論理的なのに攻撃的な人間、自己中心的な人間は嫌い」という彼に、人間の闇や自分勝手さにも対処させる羽目になった。嫌な仕事も理不尽さを経験する仕事もあったはずなのに、「しゃーないっすねー。笑」などと、いつもポジティブな態度で役目を引き受けてくれた。その態度に、今までどれだけ救われたか。 ほんとに、いい人とチームを組んだ。こんな人間性と思考力を併せ持つ日本人に、人生で何回、僕は出会えるんだろう。こんなに「留学させてよかった」と思える人間に、これから何度、僕は関われるんだろう。   このチームの時間も、来年には終わりを迎える。 僕にも新たな独り立ちの段階が近づいてきている。彼の言うように、BtoCでコミュニケーションを取るという、とてつもないコストをかけなくて済むように、仕組みを新たに作る必要がある。 終わりの見えない作業だけど、やることは整理されているので、あとは一つずつ、こなしていくだけ。 「僕が一番の成功例にならないようにして下さいね。これからもっと、やすさんにはできることあると思ってますよ」という彼の言葉は、ちょくちょく思い出しながら仕事を続けたい。 現実的な進路さえ開ければ、死ぬ以外の選択肢を選ぶ人は、まだまだ世界にいるはずだ。

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【日記】バルセロナで初めてのビジネスランチ

事業パートナーを探すためにも、良い不動産や大学情報を得るためにも、出張の際には、積極的に外で人に会うようにしている。海外出張のときしかできないことを積極的にしていかないと、出張期間がもったいない。 海外でのイベント探しに最も重宝しているのが、InterNations。今日は、バルセロナで初めて、InterNationasを使ってプロフェッショナルたちのビジネスランチに行って来た。 僕はジーンズ、スニーカー、黒セーターという、毎度おなじみの格好で行ったんだけど、集まってる人たちは、僕が場違いに見えるほど、フォーマルな感じの服装。毎度のことながら、東アジア人は僕一人で、隣に座ったイタリア人が言っていたように、集まる会員はアッパーミドル層が多く、年齢も30〜60代ばかりだった。 初めはランチをしながら雑談をして、その後で自己紹介。どんな仕事をしていて、なぜバルセロナにいるのかも、一人一人、みんなの前で話をする。その後にビジネストークの時間があるという、何となくフォーマルな集まり。 こういう場では、ちっちゃいジョークを入れるのが僕のやり方。ちょくちょく使い回すネタが結構ウケてくれて、自分の番が終わったときは、自己満足して席に着いた。内容も、簡潔、かつ明確で、プレゼンの採点としては、そこそこ高得点なはず。 (ランチに向かう途中) スペインスタイルの午後2時〜4時のランチで、夜には予定があったので、そのままオフィスには戻らず、持って来たサブ機のMacBookでカフェで仕事。今回はメイン機のMacBook Proとサブ機のMacBookの両方を持って来ていて、メイン機はオフィスに置いておいて、外出の際はMacBookを使っている。 どこでも仕事ができる体制にしてあるので、毎日11時間はパソコンに向かっている不健康な生活。ストレス発散に、走ること、ちょっとだけ赤ワインを飲むことの二つは実践してるけど、もっと息をつく時間を与えないと、どこかで心身に支障が出そうだ。 夜9時過ぎからは、以前に通っていた言語交換会へ。バルセロナに留学しているドイツ、フランス、オランダの大学生と長々と話していて、大学や教育システムに関して、色々と情報交換。香港系フランス人のウィリアムとは特に仲良くなり、また会う約束をして解散した。 InterNationsと違い、夜の集まりはカウチサーフィンやフェイスブックで探せるカジュアルなもの。こっちの方が気が楽だ。 こういう場では、ちょくちょくスペイン語を教えてもらってるけど、仕事で余裕がなく、語学学習に割く時間を取っていないので、僕のスペイン語は全く上達していない。「バルセロナに来るのは5回目です」と言うのが、少し恥ずかしいレベル。せっかくスペインにいるので、通勤時間にちょっとだけでもスペイン語を復習したい。

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【日記】懐かしい人たちと新しい出会い

午後8時45分からの国際交流会に、大幅に遅れて参戦。前回バルセロナに来た時に何度も参加していたので、微妙な日本語を話すオーガナイザーを個人的に知ってるし、借りているオフィスの近くでの開催なので、月曜の集まりは気軽に参加できる。 前回は、韓国人のジンや日本語を勉強している人たちと仲良くなって、プラハでもジンと合流した。5ヶ月くらいしか経ってないけど、むやみに「Sh*t」を連発する彼女に爆笑していたあのときが懐かしい。 (会場のGorillaというパブ) 以前とは場所が変わっていて、より広いパブが会場になった。前のパブよりも静かで、座る席も多いし、こっちの会場の方がはるかに快適。 仕事をしていて随分と遅れて行ったので、既にグループが出来上がっていたけど、僕は基本的にそんな状況でも問題はない。知らない人たちの中にさっと入って、時機をみはからって自己紹介をして、その中に馴染んで行く。 最初のグループにいたアルゼンチン人の旅人マルティン、映画や写真の分野で活躍しているイタリア&ブラジル国籍のルーカスが、あまりにも素敵な人たちだったので、今日は主に二人とずっと話していた。 マルティンとは、みんなが帰った後に、二人で随分と個人的な話を色々として、午前1時まで残っていた。彼はフリーランスのエンジニアで、21歳で世界を放浪し始めて、タイ、オランダ、フランス、ボリビアなど、色々なところに滞在して生活している。まだ若干25歳。英語は完全にネイティブ並みで、アクセントも完全に北米のもの。 日本人全般に対して、彼はものすごく好印象を持っていて、「日本にはずっと滞在したいと思ってた」と言っていたので、「4月に東京に来いよ。スペイン人の友達二人と台湾人の友達も4月に東京に来るから、みんなで一緒に日本酒のみに行こう」と誘っておいた。 マルティンは面白いやつなので、もし東京に来るとしたら、会社を通して留学した学生も何人か呼びたいものだ。

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【日記】言語交換会に参加

この日も朝からオフィスにこもって仕事。さすがに週末は、ほとんどオフィスに人がいない。 行くか行かないか迷ったけど、午後8時を過ぎて頭が働かない気がしたので、仕事を切り上げてバルセロナの言語交換会へ。会場はMonkey Factory。以前に一度行ったことがあるので、迷わずに済む。 5月に来た時と違い、奥のソファー席ではなく、カウンター前に人が集まっていて、人数も少なかったけど、二つの良い出会いが会った。3時間くらい話して仲良くなったのが、ヴィック出身のマルティネス、サラゴサから来たエドゥ。連絡先を交換して、今度、一緒に遊びに行く約束をして解散。 今夜は、いい気分転換になった。快適なオフィスを借りて、夜遅くまでオフィスにこもることが多くなったけど、今までのように、夜はもっと積極的に出かけていこう。

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【日記】コワーキングスペースの飲み会に参加

いつものように冷凍のパエリアを電子レンジに入れて、オフィスのキッチンで食べようとしていたら、同じように遅くまで働いていたオリビエに話しかけられた。 お互いに自己紹介をして、すぐに彼にコワーキングスペースの飲み会に誘われた。 「今日、飲み会あるの知ってる?」 「いや、知らない。でも、エレベーターに貼ってるのって、来週の月曜じゃなかったっけ?」 「それもあるけど、今日もあるよ」 「え、知らなかった。どっかに書いてあった?」 「階段のところに貼ってある」 「あ、そっち見てなかったわ」 どうやら、僕がチェックしそこなったみたい。僕は誘いには乗るタイプなので、迷わず彼と二人で飲み会に参加。ちょっと離れたバーが会場だったので、そこまで二人で歩きながら話をしていた。 彼はカナダのケベック州から来た起業家で、フランス人のパートナーと一緒にバルセロナに移住したんだそう。 僕も以前にカナダに住んでいて、「ブロックビルに住んでいた」と行ったら、彼は「何であんな何もないところにいたんだ!?あそこは外国人いるの?」と驚いていた。 ちなみに、当時、僕が派遣された教会に紹介されて住んでいたのが、町の歴史遺産にもなっている写真の右の家。19世紀の医者の家で、シャンデリア付きの天井はやたらと高く、地下室、手術室、召使の部屋など、めちゃくちゃ部屋数があった。手術室は、ぶっちゃけ不気味だ。 飲み会は、思った以上に楽しかった。彼が飲み会に連れて行ってくれたおかげで、フランス人の起業家、東京が大好きなコロンビア人の移民など、同じオフィスに知り合いが増えた。まあ、まだ「知り合い」レベルで、「友達」というわけではないけど。 テック系の起業家が多く、僕とは分野が違うので、コラボレーションの予定は今のところないけど、周りからの刺激で仕事のモチベーションを常に高めることができる。コワーキングスペースのいいところだ。

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恩人の石川欣三郎さん

2010年11月。苦難の時代に多大にお世話になった石川欣三郎さんが、僕がバンクーバーを離れて半年後に亡くなった。 石川さんは、パートナーの磯和さんと一緒に、「桑原くんのメッセージだけは、私たちは毎週ボイスレコーダーに取ってあるんですよ。桑原くんの時だけは、教会を欠席しちゃいけないと思ってね」、「桑原くんは、どこにいたって成功するんだから、教会にいたら、もったいない気がするんですよ。私たちみたいな老人が教会に留めてしまって、若い桑原くんの未来を奪ってるんじゃないかって」と、いつも僕に過分な言葉をかけてくれ、事あるごとに気遣ってくれた。 僕に不倫関係を迫ってきた中年女性に断ったことへの陰湿な仕返しをされたときも、日本で職を失って居場所のない牧師夫婦の陰湿な言動に悩まされたときも、詐欺事件を起こしてバンクーバーに逃げてきた男に嘘で攻撃されたときも、いつもいつも、石川さんは助けてくれた。優しい言葉をかけてくれた。 今の仕事ができるのも、バンクーバーで支えてくれた石川さんのおかげ。僕にとっても、Good Friends Japanにとっても、石川さんは、とても、とても重要な人だ。 「ヨーロッパと台湾でうまくやってます」、「これ全部、学生たちからの温かいメッセージです」って、何とかして石川さんに今の状況を報告したい。時々、そんな気持ちに駆られる。もう二度とできはしないことくらい、痛いほどわかってはいても。 本来は僕が司式するはずだったバンクーバーの記念礼拝(葬儀)で読み上げてもらうために、オンタリオ州の教会に招聘された僕がバンクーバーに送ったのは、ソファを叩きながら、涙を流しながら、震える手で書いた、以下の文章。ふとしたきっかけで、先日、Google Driveから引っ張り出して、久しぶりに自分で読んでみたら、色々な感情がぶり返してきた。 今回、石川さんが亡くなったというEメールを受け取り、教会の仕事の疲れが吹き飛ぶくらいに驚きました。私がバンクーバを発つ前、石川さんはご自分の健康状態を冗談にして、「記念礼拝(葬儀)の司式は頼むよ。桑原くんって、決めてるんですよ。だから、早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」と言って笑っていました。 「早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」というのは、以前からの石川さんの口癖で、私がバンクーバーにいた6年間で、何度おっしゃっていたか分からないくらいです。しかし、まさか、本当に間に合わなくなるとは思っていなかったので、今回、石川さんが亡くなったと聞いて、とてもショックです。 正直、私がバンクーバーを離れて半年でこのようなことになってしまったこと、牧師が不在のときにこのようなことになったのは、とても悔しく、とても残念に思いました。 しかし、V教会(*イニシャルにしてあります)には、私に様々なことを教えて下さった素晴らしい信徒の方々がいらっしゃり、何かがあれば、その人のために尽くす信徒の方々がいらっしゃいます。今回、病院に入院した石川さんのことも、様々な方が訪ねて下さっていたようで、「教会の家族とはいいものだ」と改めて思いました。 石川さんとは、本当に色々なことを共にしました。 教会のことで議論をし、辛い時には励まされ、食事をしながら笑い合い、意見の相違があるときも、若くして教会の職に就いた私の立場や考えを尊重してくれました。未熟な私にも、温かい言葉をかけてくれました。 私にとっての石川さんは、様々な面を持っていました。 まず、石川さんは、とても真摯な方でした。石川さんが語る言葉に表面的な薄っぺらさはなく、言葉の一つ一つが心から出ているものでした。石川さんがお話をするときは、本当に心で思っていることだけを話して下さるので、それがたとえどんなものであっても、石川さんとは、いつも信頼と安心を持って言葉を交わすことができました。決して言葉数の多い方ではありませんでしたが、その分、石川さんの言葉には重みがあり、分かち合って下さったことの多くを、今でも鮮明に思い出すことができます。 また、石川さんは、真面目であると同時に、冗談の好きな方でした。磯和さんも冗談の好きな方なので、何でもない冗談を、三人でよく笑い合っていたことを思い出します。 Tsaiさんのお知り合いの一平くんが教会に来ているときには、石川さんと男三人でよく話をしていました。あるとき、石川さん、磯和さんのご自宅に一平君と二人で招待をされたときに、「石川さんは、親切すぎです。ここは大先輩として、この不届きな一平にガツンと言ってやって下さい。僕は、石川さんのお宅に、とんでもない男を連れてきてしまいました(笑)」、「いや、桑原さんこそ、とんでもない先輩です。石川さん、締め上げておいて下さい(笑)」などと一平君と二人でふざけていたら、心臓にペースメーカーを入れている石川さんは、お腹を抱えて笑っていました。 その後、「すみません。笑い過ぎて心臓に悪いかも知れないですね」と一平君と二人で言ったら、石川さんが「いや~、逆に心臓が元気になるかもしれないよ」と返してきて、またまたみんなで大笑いしました。何だか、それもつい先日のことのようです。 そして、石川さんは、何よりも信仰者でした。教会の共同体とはどういうものであるべきかを真剣に考え、イエスの歩いた道を歩こうとした信仰者でした。 「ナザレに生きたイエスは、救い主だ」とは教会でよく言われることです。しかし、それが私たちの日々の中で具体的に何を意味するかは、教会では、実はあまり共有されていません。 イエスが救い主キリストであるのは、漠然とした教会の宗教的観念が、そのようなことを語っているからではありません。教会の教理を信じても、信条に「その通りです」と告白しても、それは人の世界を変え、生き方を変えることは決してできません。 イエスが救い主であると言われるのは、イエスの言動を通して、その歩いた道を私たちが実際に歩くことを通して、わたしたちが、神が一人一人に与えた「いのち」に触れ、死ですら終わりにすることのできない「いのち」に生きることができるからです。そして、その「いのち」によって、私たちが新たに作り変えられることができるからです。 カナダ合同教会の信条にもあるように、イエスが語った永遠の「いのち」、わたしたちの時間の概念ではかれない「いのち」というのは、死のあとの命のことではなく、死を超えた「いのち」のことです。死んだあとの命、というのは、どの宗教においても触れられる傾向がありますが、キリストの教会が語り続けるのは、死後の命というよりも、今現在、ここで生きる「いのち」のことです。自分を殺し、他人を殺し、世界を殺すのではなく、神に作られたもの全てを生かし続けるような「いのち」-それが教会が伝え続けるイエスの「いのち」です。 ご自宅に何度も招待して下さったり、聖書を読む会にはほぼ欠かさずに来て下さったりと、石川さんとは多くの時間を過ごす機会に恵まれました。私が石川さんと身近に接した中で思うことは、石川さんは、誠実に、その「いのち」を生きようとしていた、ということです。 石川さんは勉強熱心な方で、聖書を読む会では、こちらがハッとさせられる意見も出して下さいました。おそらく、聖書やキリスト教に関する沢山の知識も持ち合わせていたことでしょう。 しかし、何よりも私の印象に残ったのは、石川さんの言葉や笑顔の裏にあるキリストの「いのち」でした。 「いのち」を生きている人は、他人を活かすことができます。ちょうど蝋燭(ろうそく)の明かりと同じように、「いのち」を生きようとする人は、「いのち」の光で人を照らし、凍える人を暖めることができます。私にとっての石川さんとは、まさにそのような方でした。話をすると安心することができ、イエスが語る「いのち」を分け与えられる、そのような方でした。  みなさん、今日は、その石川欣三郎さんの記念礼拝です。どうか、みなさんで石川さんが生きた、そして今も消えない「いのち」を覚え、一緒に祝福して下さい。石川さんの「いのち」は、今も消えていません。石川さんが生まれ、日本やカナダの地に生き、私たちと「いのち」を交えることができたことを、みなさんでお祝いして下さい。石川欣三郎さんと出会い、心を通わせ合い、教会の家族としてときを過ごすことができた。今日は、そのことが祝福される日として下さい。 私は遠くオンタリオの地にいますが、最後の最後まで石川さんを近くで支え続けた磯和さんを始め、ご家族やご友人のみなさんのことを祈っています。石川さんが日曜日にいつも座っていた礼拝堂で、石川さんの想いが詰まった教会で、どうか、みなさんにとってよい記念礼拝が持たれますように。    桑原 泰之 2010年11月27日

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バルセロナのフリーランスたちと仕事

ノルウェー、イギリス、スペイン、ドイツ、アメリカのフリーランスたちと一緒にコワーキングスペースで仕事をして、そのまま一緒に2時間のランチ。ランチがすごく長い。みんなスペインスタイルになってる。 数人はランチ後に、すぐに仕事を切り上げて帰宅していた。「5時間くらいしか仕事してなくね?」と思ったけど、それが彼らのワークスタイルなんだろう。 バルセロナ到着翌日で時差ぼけで疲労がたまっていたけど、頭は冴えていた気がしたので、僕はそのまま8時過ぎまで仕事をしていた。結局、ランチ後に来た若いカナダ人起業家と僕だけが、最後まで残っていた。 周りがどんどん帰っていく中、みんなに「やすは残るの?」、「日本人だな。日本人は誠実で、よく働くからね」、「また白髪増えるぞ(笑)」と言われたけど、ランチで2時間取ってるんだから、9時〜8時労働は大したことない。 とまあ、そうは思ったけど、実際は、そうやって思う僕の方が、世界では圧倒的マイノリティーなのかもしれない。 一瞬、「日本にはブラック企業と呼ばれる会社があってだな、そこで働いてる人に比べると…」と言いかけたけど、そんな違法な企業と比較して「大したことない」と思う思考は危なすぎ。比較で設定する基準がおかしい。 日本でBtoCの事業を行うのは、正直、かなり大変な面がある。不特定多数の人間を相手にすると、支離滅裂な人間と関わるリスクが避けられず、モンスターな要求も多大な数に及ぶことがあるからだ。ブラック企業が生まれる背景は、事業をしているとよくわかる。 だからと言って、それに屈して、労働者に理不尽な痛みを強いて、企業をブラックにしてしまうのは論外。休日をしっかり取らせる、暴力的な人はブラックリストに入れて契約を切る、モンスターな要求は明確に断るなど、Good Friends Japanに関わる人を守るのは、全て代表である僕の責任。人を雇った時の経営のやり方も、少しづつ考えていかないと。

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バルセロナ到着

バルセロナについてからは、いつものように空港からAerobusでカタルーニャ広場に行き、そこからホステルまで地下鉄。 今回宿泊するのは、Factory Hostel。カサミラの近くで、カタルーニャ広場にも、サグラダ・ファミリアにも歩いて行ける距離。何より助かるのは、地下鉄駅Diagonalに近いこと。Diagonalは色々な路線が入っているので、この辺りに宿泊すれば、どこに行くにも便利だ。 僕は出張中にホテルに泊まることは、ほとんどない。宿泊するのは、たいていゲストハウス、ホステルの相部屋。ヨーロッパにいるときは、ホステルのラウンジで他の宿泊者たちと交流しつつ、昼間はコワーキングスペースでフリーランサーたちと一緒に、もしくは一人でカフェで仕事をして、夜は国際交流の集まりに出かける、というライフスタイルをとっている。 いつも夜遅くに帰るので、宿ではほとんどシャワーを浴びて寝るだけ。耳栓もアイマスクもあるし、ベッドがカプセルホテルのように固定されていて、ちゃんと睡眠で体を休ませることができれば、特にプライベートな空間はいらない。場所が便利で、しっかり寝られさえすれば、宿泊場所は、多少汚くても、狭くても何でもいい。あまりこだわりはない。今回のホステルは、その基準を十分に満たしている。 交際費にお金を使いまくるので、ここで宿泊費を抑えつつ、必要なところに経費をかけて、バルセロナで効果を最大限にする仕事の仕方をしていく。

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成田空港からドーハ、バルセロナへ

札幌を出発し、上野のカプセルホテル、川崎のホテル、川崎のホステルに宿泊して、関東地方の友人たちに会い、東京から4度目のバルセロナへ。 飛行機のチケットは、成田ーバルセロナの往復で6万円くらい。カタールのドーハで10時間の乗り継ぎ時間がある。2度目のドーハだけど、前回は3時間くらいしか乗り継ぎ時間がなかったので、飛行機を降りたら、すぐに次の飛行機のゲートに向かった。結局、空港内を見て回ることはできず、空港のことは全く調べられなかった。 今回は乗り継ぎに時間の余裕があるので、空港内を歩き回って、微妙なフードコートのバーガーキングでチキンサラダとチキンバーガーを食べ(1000円くらいした…)、TVスペースで仕事をしていた。 TVスペースは、どこも人が寝ていて、誰一人テレビを見ている人はいない。このあたりは暖かいし、ソファは快適だし、仮眠をとるには最適なスペースなんだろう。 飛行機の中では、いつものように、仕事をして、映画を見て、あとは寝ていた。無印良品のネックピローのおかげか、前回よりは快適に寝られた気がする。 今回利用したカタール航空は、僕のお気に入り。機内食もワインも、そこそこ美味しい。次のヨーロッパ行きの航空券も、既にカタール航空から購入してある。次回の飛行機は、10月出発の羽田ーバルセロナの往復で、諸税を含めて5万4千円。普段はアエロフロートが最も安いことが多いけど、セールに当たりさえすれば、カタール航空の方が安いことが多いし、何よりカタール航空の方が快適。しばらくはカタール航空を愛用することになりそう。

日本語ブログ

5回目のヨーロッパ出張へ

これから日記的なブログエントリーを書くことにした。アメリカ、カナダ時代には、ほぼ毎日、日記的なブログを書いていたので、これからは昔のやり方に戻ることになる。 僕はブロガーではなく、会社の経営者。役に立たないものでも、特定の人たちしか興味のないものでも、昔のように書いていくことにした。Good Friends Japanという会社の経営者がどういう生活をしていて、どういう考えをしているのか、公開することは、経営上でも意味がある。 日記的なブログは、アメリカ、カナダ時代にほぼ毎日書いていて、バンクーバー時代のブログは、一時期、すごいアクセス数になった。理由があってバンクーバーのブログは閉じたけど、ひっそりと書いていたアメリカ時代のものは、まだオンライン上に残っている。読み返してみると、すさまじく恥ずかしい。「俺はよくあれを世間に公開してたな…」と思う。 思いっきり恥ずかしいんだけど、ああやって記録として残しておいたことは、本当に良かった。6年ぶりにチェックしてみると、忘れている細かな出来事がいくつかあった。アメリカでの楽しい思い出、嬉しかった思い出が蘇ったのは、あのとき短くても記録を残しておいたからだ。あの時の自分には、「よくやった」と言いたい。 法人化してGood Friends Japanを創立するまでは、辛かった。本当に辛かった。起業日記を書いて記録になんて残したくない壮絶な日々だった。嘘をつかれることも、騙されることも、他人に無責任に仕事を放り投げられることもあって、心身ともに疲弊した。 だけど、それも今は落ち着いた。去年くらいから、少しづつ自体が好転した。よい学生たちが集まったことで、今までの苦しみが少しだけ報われた。少しは心に余裕を持って、今はブログを書くことができる。 時期がちょうどいいので、5回目のヨーロッパ出張から、日記をつけることにした。出張の記録を残さないと出張費用が経費として認められないこともあるので、日記を始めるにはちょうどいい。 今回ヨーロッパにいるのは、5月4日から6月27日まで。前回よりは、ちょっと短め。今回も会うべき人が沢山いるし、5回目の出張で、人生に何が待っているか。ただただ楽しみだ。

留学

同業他社は高すぎる?

僕は、プレミアリーグで首位を走るチェルシー(最近、日本代表の武藤選手の移籍で話題になったチーム)のポルトガル人指揮官ジョゼ・モウリーニョが好きだ。2004年から彼の動向を追いかけていて、彼に関する記事も翻訳している。 物議を醸し出す監督なので、モウリーニョを嫌いな人も多く、まれに彼を批判するだけのメールも受け取ることがある。メールをもらえるのはありがたいことだけど、問い合わせフォームは、サッカーに関する意見を送るところではない。サッカー関係の意見は、ツイッターか何かで話し掛けてくれると嬉しい。ちなみに、僕は、チームとしては、プレミアのチェルシー、アーセナル、リバプール、リーグとしては、スペインのリーガが好きだ。 同業他社の価格 さて、JAPANYには、「他の留学サポート会社の価格が高すぎる」という人が、多くの問い合わせを寄せている。 確かに、さすがに80万とか100万とか言われると、僕でも「おいおい、高いなあ」とは感じる。でも、僕に言わせれば、真面目に事業をやっているような競合他社の価格は、特に高すぎるとは思わない。 実際に事業をして初めて、同業他社で頑張っている経営者が決める価格設定は、必ずしも高いものではないと思えてきた。大規模な会社では、JAPANYとは違い、便利なところに立派なオフィスを構えたり、媒体に広告を出したり、紙の資料を発行したり、社員を雇ったりしている。どれも大きな経費がかかる。そのような費用は、当然、利用者が払う料金に含まれている。ちょっとしたことでも、他の会社では何十万円もかかってしまうのは、そのような莫大な経費を考えると、避けることができないんだろう。JAPANYのように小さくて新しいところは、最初から事業モデルをテクノロジーに頼ることで、比較的簡単に経費を削れるけど、すでに20世紀のやり方で膨れ上がった企業は、時代に素早く対応することは難しい。 事業をする上での裏での苦労がわかってくると、同業他社の人たちに感じるのは、「大変ですが、お互いに頑張りましょう」という感情だけだ。確かに怪しげな留学関連会社はあるけど、名前が通っているようなところは、僕が費用を密かに計算した限り、人件費を含めた固定費を考えると、決して「高すぎる」というわけではない。ビジネスモデル上、料金を低くできないのだ。 留学生を増やす同志 僕にとって競合他社というのは、競合する相手である以前に、日本からの留学を増やす同志であり、「日本人留学生、少なすぎだろ。もっと海外で挑戦してくれ」という僕の想いを、後押ししてくれる存在だと思っている。そのせいで、若干、同業他社には甘い見方になっているかもしれないけど、経費をギリギリまで切り詰めたJAPANYと潤沢に経費を使っている大規模な会社とは、組織運営の費用が違う、という点は指摘しておきたい。 大きいところには大きいところのいいところ、小さいところには小さいところのいいところがあるので、自分に合った会社を利用して、留学を実現してほしい。現在いる場所とは全く異質なヨーロッパという土地で、より多くの人が自分の人生を豊かにするきっかけを創出するのを、僕は密かに期待している。

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【報告】JAPANYの法人化を決定。これから会社経営をします。

段々と事業の体制が整ってきた。このために渡航し、トルコ、ハンガリー、ポーランドに出張したので、ひとまず成果は挙がっている。中年の体にはかなり堪える日程だったけど、事業を始める人の中には、きっとこのような大変さを経験している人も大勢いるんだろう。僕は経営者や事業主の友人は少ないので、いつか似たような立場の人たちと、色々と語り合ってみたいものだ。コミュニティー自体はあるだろうから、落ち着いたら少し探してみる。 ポーランドでパートナーが参加 今回の出張では、まずポーランドで強力な現地パートナーたちが加わった。ワルシャワで出会った現地在住のポーランド人とイタリア人。ワルシャワでこのパートナーたちをまとめる役割を担うのは、イケメンポーランド人のMichal。彼の本職は、アメリカの巨大IT企業アカマイで働くエンジニア。投資用に購入したマンションでAirbnbの副業をしていて、ポーランドの不動産関係には詳しい。問題解決アプローチができ、僕も仕事が一緒にしやすい男で、去年の8月にワルシャワのイベントで出会った友人でもある。大きな費用をかけてまで、自分で現地に飛び、いろいろな人たちと繋がりを創っていてよかった。あとで、彼に写真付きのプロフィールを作成してもらって、このウェブサイトに掲載する。 ハンガリーには理想的な候補者 ポーランドだけでなく、ハンガリーでもパートナーを探していて、一人は自分の中で決めている。ハンガリー滞在の最後の数日は、ほぼ毎日一緒に食事や飲みに行っていて、候補者の性格はだいたいつかめている。オファーは出してないけど、まあ、彼女は快諾してくれるだろう。問題は、彼女が日本に勉強に来るかもしれないことだけど、彼女がハンガリーから離れることになったら、そのときにまた考えることにする。あれほど素敵な人間もなかなかいないので、何はともあれ、まずは彼女をチームに引き込むことを考える。 ちなみに、ハンガリーのトップ国立大学には、格安で英語留学ができる。日本語を学んでいるハンガリー人大学生たちとも協力することになったので、そこから交流を広げていくことも可能だ。ハンガリーは思った以上に魅力的な留学先だったので、すでに二つの国立大学と正式に話をまとめ、これからハンガリー留学を押し出していくことになった。ハンガリーの首都ブダペスト、特にオススメ。高校卒業した直後の僕がこれを知っていたら、僕はアメリカには行かず、ブダペストの国立大学に行っていただろう。 トルコは、今のところ勧める大学は一つ トルコでは、今のところ大学は一つしか勧めていない。ただ、自信を持って勧める素晴らしい大学だけど、ここは入学が若干難しい。入学してしまえば、キャンパス内は全て英語表記で、授業も全部英語。英語学習者には素晴らしい環境だ。日本好きが非常に多いトルコの大都市イスタンブールの名門国立大学で、英語で学位を取りたければ、ぜひ連絡をしてほしい。 それにしても、トルコには日本人留学生が少なすぎる。どんなに大学関係者に聞きまくっても、日本人留学生は、ごくごくわずかな数しかいない。周りに中国や韓国も含めた他国の人たちが沢山いる中で、「日本が一番のドリームカントリー。絶対に行きたい!」、「最も行きたいのは日本!」と言ってくれたトルコ人たち。彼女たちのいる国に、日本人留学生を送り込みたい。競合他社でも何でもいいので、もっと日本の会社や組織もトルコ留学を扱ってほしいものだ。 今のところ、事業の中心になるのはポーランドとハンガリー。次の候補がチェコ、トルコ、ドイツ、スペイン。現地でやることが山積みなので、またヨーロッパに飛んで、銀行口座のお金を吹っ飛ばすことになりそうだ・・・。 JAPANY法人化を正式に決定 さて、ここからが発表。色々と考えた結果、自営業をやめて、JAPANYを法人化することにした。より多くの税金を払うことになるし、事務作業も膨大になるので、本音は法人化なんてしたくない。でも、現在のような事業をしていると、どうしても法人化をした方が物事がスムーズに進むことも多い。悩みに悩んで、帰国後に法人登録をすることにした。日にちはまだ決めてないけど、できれば父の誕生日(3月)に登録をしたい。弁護士さん、税理士さん、どうしようかな。 金額の改定 これから本格的に法人格を取って活動していくことになり、経費もかさんでいくので、値上げを実施する。もともとの金額は、競合他社と比べて、あまりにも低く設定していた。今のところは、経費を賄うのが精一杯なので、パートタイムの協力者たちの費用も払える金額にする。現時点(2014年1月30日)で契約に進んでいる人(事前相談の段階で契約することを決めている人)には値上げ前の金額、1月31日以降に契約を進める人には新しい金額が適応される。僕が理解している限り、都内の大学生Mさん、高校生のKさんとPさんの三人が、これから契約書を提出しても、値上げ前の金額での契約になる(漏れている人がいたら連絡してほしい)。 最初のうちに契約していた人は、特別価格でサポートしている上に、来月から留学する人たちには、個人的ネットワークを利用して、無料で空港への出迎えもつける試みをしている。始めて間もないJAPANYという得体の知れないチームを信頼して、すぐに留学に旅立つために連絡をくれたお礼の意味を込めて、現地パートナーの簡易サポートもつける。まずは現地協力者たちとのチームワークがどうなるのかを、無料サポートを提供しつつ少しチェックする、という意味合いもあり、あとから有料での現地サポートを開始予定だ。 1000円の寄付を受け取って、社会を変えていく JAPANYを通して留学する人は、かかる費用のうちの1000円が、社会的に困難な環境にいる人の留学に使われることを了承している。これに賛同できない人へは、僕たちはサポートをしていない。「はあ?なんだそれ?」と思われるかもしれないけど、これが僕たちのポリシーだ。僕たちには、このようなことを決定する権限がある。それに賛同できれば、そのまま契約をすればいいし、賛同できないのであれば、契約をしなければいいだけの話だ。 この1000円の積み重ねは、これから児童養護施設出身者や高校をドロップアウトした若者の学部留学奨学金になっていく。契約文書を見て「何で他人のサポートに1000円取られるの?」と言わずに、協力してくれた人たちには、何度でもお礼を言いたい。JAPANY を通して留学すると、社会的に困難な状況にある人たちの留学に自動的に寄与することになる。これからも、JAPANYはその親切の積み重ねを受け取りつつ、社会を少しずつ変えていく。いつかこの成果をウェブ上で発表できるようにしたい。 色々なことが、今は同時に進行している。今年は組織として飛躍の年になりそうだ。

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【連絡】ポーランドから日本に移動中で、返信が滞ります。

タイトルの通りです。現在、ポーランドを出て、トルコの空港にいるけど、WiFiがない。カフェのWiFiも繋がらなかったので、12時間メールをチェックできなかった。空港で一夜を明かし、ようやく空港内のアイスクリーム屋でWiFiを見つけて、メール返信とブログ更新。 日本に着いたら、残りのメールを返信します。

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【連絡】個室探しを頼む人へお願い

最初に申し込みを済ませた人、その次に済ませたグループをもって、個室の無料サポートは終了している。思ったよりもはるかに時間がかかる物件探しが、始めた頃の最大の誤算。毎日、物件探しにつきっきりで、他のことがほとんど何も進まない。1日も休みなく働き続けているので、「これは続かない」と思って、個室探しは個別に378ユーロを徴収することにした。日本に帰国後に、そのようにウェブサイトを更新する。 ちなみに個室探しの人たちに忠告。僕が送った物件は人気物件なので、すぐに埋まる。募集主に詳細を聞いたら「もう埋まっちゃった」ということが多く、早めに決めないと、残りがどんどん少なくなっていく。家具付きアパートで、短期間の契約ができるのは、本当に、本当に限られている。需要に供給が追いついていないので、ものすごい倍率になることも多い。すでにベストのものは送ってしまったので、早めに決めることを強くお勧めする。あまりに決定を先延ばしにされると、もう間に合わない。既に2月初めからの個室物件は、ほぼ全て埋まっている。 さて、今日も「その場所で、その写真の物件で、その広さだったら、家賃高すぎでしょ」という物件を挙げているロン毛のお兄さんがいる。ほとんどの人は、家賃の高さに気づいているのか、なんの反応もしていないけど、2月入学の留学生が一人、反応している。やめておくんだ、青年・・・。ほぼ間違いなく、これは留学生の焦りを利用したぼったくりだ。

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カジュアルで、たまにタメ口で接されるくらいが、僕にはちょうどいい理由

30代の方々のメールが、受け取る側に配慮したものばかりで、受け取るたびに、心がホッとする。会社人としてのスキルの差を感じる。良い人ばかりなので、その人たちで30代限定のコミュニティーを作りたくなる。 僕は教育系の道しか歩んでいないので、ビジネスに関しては疎い。大学も大学院も仕事も北米だったという言い訳もあるけど、旧来型の日本企業で生き延びる基本的なビジネスマナーなどは、全く身についていない。名刺の渡し方なんて、未だによくわからない。名刺は持ってないし、もらった名刺はスキャンして捨てる。 そんな僕なので、僕に連絡する人たちは、カジュアルで構わない。最低限、お互いを「さん」づけで呼び合っていれば、それでいいと思っている。何人かとスカイプやLINEで会話をしたけど、「えー、マジですかー。そうしたいんですけど、うちらにはきついー!」というくらい、くだけた話し方をしてくれた方が、僕もやりやすい。言っていた本人は「すみません・・・」と言っていたけど、全く謝る必要はない。細かいことは気にすることはない。無駄な緊張も不要。どうでもいいことを気にしていると、会話が進みにくい。カジュアル大歓迎だ。たまにタメ口で話されるくらいがちょうどいい。そっちの方が、僕自身がやりやすい。 僕に対して、形式的に丁寧な言葉遣いをすることに意識をする必要はない。どんなコミュニケーションでも、お互いが尊重されていると思えれば、ぶっちゃけそれでいいじゃないかって思う。 僕の周りには、愛すべき失礼なやつらがちらほらいる。あまりにぶっとんで失礼で、トロントで共通の友達に「Shame of Japan(日本の恥)」とアダ名をつけられた日本人大学生もいる。あまりにピッタリのアダ名で、初めて聞いたときは台湾人や韓国人と一緒に爆笑したくらい。 でも、ありえないくらい、彼はいいやつでもある。僕と一回り以上の年の差はあれども仲が良く、2013年には、共通の友達を入れて、三人で一緒に香港、台湾、タイにも行った。大きな決断をするときには、ちょくちょく電話もくれる。彼女のことも、ワーホリのことも、わざわざ電話をかけてきてくれた。 確かに、トロントで出会ったときは、笑えるほど失礼なやつだった。でも、それは表面だけ。心の中では大いに尊重してくれてるのが伝わったし、お互いに心は通じ合っていた。 表面的なマナーなんて、僕にはどうでもいい。僕に対しては、使い慣れない過度な丁寧語を使わずに、カジュアルに接してきてほしい。その方が、僕も気楽だ。

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より多くの日本人をヨーロッパに英語留学させるための土台作り

海外で大学回りやサポーター回りをしていると、他のことに手が回らなくなる。SNSもブログも、イスタンブール入りして以来、沈黙気味だ。「そう言えば、ツイッターもフェイスブックもブログも仕事の一つだったな」と思って、ちょっと反省。仕事の優先順位を言い訳に、これらのことは放ったらかしにしている期間が長かった。これから運営をしっかりするために、週に2度はSNSとブログ更新だ。 経費よりも重要なこと 経費を計算していると、「我ながら経費のかかる仕事をしてるな」と思ってしまう瞬間がある。いくらホステルの相部屋に泊まっていても、円安の影響もあって、交通、宿泊、交際などを含めた出張費が、めちゃくちゃかかる。 でも、オフィスに費用を使い、ほとんど現地に行かないタイプの事業にはしたくないので、僕はとにかく現地に行き、自分自身で様々な人たちとつながりをつくって、仕事の体制を整えていく。英語でのコミュニケーションは問題ないし、性格的にも誰とでも交流できて、プロジェクトの目的を最も明確に伝えられるので、僕自身が直接現地入りするのが、最も効率がいい。 今はハンガリーのブダペスト。来週には、チェコのオストラヴァを経て、ワルシャワ入りする。チェコでインターナショナルスクールのチェック、ワルシャワでサポーター回りだ。これからも年に2回は、こうして様々なところを回る予定。経費がかかりまくるけど、サポーターになってくれている人たちに直接会う回数を増やすのは、経費以上に価値が大きい。 今年は土台作り、来年は宣伝 将来は、様々な理由から大学進学や海外留学が難しくなっている日本人に、英語での大学教育の道筋をつける。その一点を自分に言い聞かせて、今のうちに経費を使いまくって土台作りをしている。今年は土台作り、来年は本格的に宣伝活動を開始、という形になるだろう。 「『そこまでできてるんだから、宣伝すりゃいいのに』って思いますけどね。何を躊躇してるのか」と知らないおじさんに言われたけど、まずは小さく始めないと、色々なことを確認できない。特に、現地で、誰のアクションが早くて、誰のアクションが遅いのか。誰の言葉が公式なもので、誰の言葉が非公式なのか。これらを見極めることが、結果的に、よいサポートにつながる。ここの感覚を、もっと固めておきたい。 正直、今が仕事量の限界だ。これ以上、契約やヘルパーを増やして、事業を拡大するのは、現時点では誰の得にもならない。今はウェブサイト運営だけで、ゆっくりと日本人留学生をヨーロッパに増やしていく。ウェブサイト以外での宣伝など、事業の根幹に関係ないことは後回しだ。

雑記

重度のじんましんになったけど、ポジティブな面もある

二日前から全身にじんましんが出て、何をするにも集中できず、夜も寝られずに苦しんでいる。人と会う予定も大学訪問も延期。医者に相談する限り、この手のじんましんは、原因が不明であることがほとんど。ストレスや疲労が影響しているようだけど、それも確かではない。複数の皮膚科のウェブサイトでも、同じようなことが書かれている。 食中毒は経験があったので、先週、香港で食中毒に襲われても、「まあ、アクエリアス飲んでしのげば、次の日には良くなるし」と楽観的だったんだけど、じんましん、しかも大きな浮腫が全身を覆う、なんて初めてなので、どのくらいで治ってくれるか、見当もつかない。全身をミミズ腫れのような浮腫が襲い、一時間くらいで消え、数時間後にはまた現れる。これの繰り返し。 「一ヶ月くらい続いた」、「数年間、ほぼ毎日続いた」、「8年前から、ずっと不定期で悩まされている」などとネットには書かれていて、どこまで長引くかはわからない。全身を強烈な痒みが襲い、顔にも浮腫が出てきているので、大学訪問や人と会うのも躊躇してしまう。鏡で見ると、全身がミミズ腫れのような浮腫で覆われて、かゆすぎて話に集中できない。つくづく、健康な状態を保つことが重要であることを実感させられる。 今はトルコのイスタンブールにいるんだけど、数日間、様子を見て、改善が見られなければ帰国する。人に会わずにできる仕事をするのは、痒みを我慢すれば問題なくできるので、しばらく引きこもって仕事をしつつ、次のアクションプランを立てることにする。 最悪なこと続きだけど、重度のじんましんの苦しみがわかったので、これから「じんましんになった」という人に、少しだけ余分に優しさを分けられる気がする。苦しみの中の、ささやかなプラス面だ。

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ポーランド人の親切を、日本にいる外国人に返していく

週末は、プレミアリーグの結果が気になる。いつの間にか、マンチェスター・シティが、首位チェルシーに3ポイント差に迫っている。しかも、シティのために決勝ゴールを決めたのが、チェルシーの伝説で、現シティ所属のランパード。チェルシー戦での同点ゴールといい、36歳になったランパードの活躍が、チェルシーの優勝を拒むことになるかもしれない、という英紙のコラムを読んで、僕を含めた多くのモウリーニョサポーターは複雑だ。ランパードがシーズンを通して活躍しつつ、最後は二年目のモウリーニョ・チェルシーがタイトル奪取という展開を希望。 ワルシャワでの出来事 さて、パリからワルシャワに到着して、ワルシャワ中央駅からバスでホステルに向かっていたとき、バスの中でチケットを買おうと思って(ワルシャワでは、バスの中でチケットが買える)、チケットマシンの説明を読んで、バッグの中に手を突っ込んで、財布をゴソゴソと探していたときのこと。 「プロレスラーか!」と思うほど、いかついサングラス姿のお兄さんが近づいてきて、 「助けがいるかい?こうやって買うんだ」 と、自分の財布を取り出して、僕のためにチケットを買おうとしだした。 僕は単にカードを出そうとして、バッグの底を探っていただけだったので、 「いやいや、いいよ、いいよ。今カード出すから」 と言ったけど、お兄さんは、クールに微笑んで、購入したチケットを僕に手渡して、再び自分の席についた。何度も彼にお礼を言い、彼がバスを降りる際も、ポーランド語でお礼を言ったら、「いいよ、そんなの大したことじゃない」という感じで、小さく手を振って、そのまま去っていった。 これが、夏にワルシャワに着いた直後の出来事。こういう小さな体験は、その国の印象を大きく左右する。当時の金額にして144円くらい。大した金額じゃないかもしれないけど、ささやかな親切の重みは大きく響いた。 単純だけど、これだけでさらにポーランドが好きになった。よい気持ちを保ったままポーランド生活を送る手助けになった。 残念な傾向 僕は二年間、日本の大学に通ったことがある。国際基督教大学(ICU)という、アメリカの大学に強く影響されたスタイル(友人の言葉では、「アメリカかぶれ」)の大学だ。 その当時、ICUに交換留学していたフィリピン人たちが言っていた言葉を、時々思い出す。 「ここの学生は、白人や英語ネイティブには、気持ち悪いほどへつらうのに、東南アジアの留学生には、態度が全く違う」 その場にいたアジア人留学生が、全員、強く頷いていた。 ショックだった。「きみや何人かの人は違うよ」と言ってくれたけど、自分のことじゃなくても、ただ情けなかった。彼らの言っていたことは、僕自身や周りの人間も強く感じていたことで、せっかく日本に来てくれた留学生たちに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 英語ネイティブの白人であれば、ちやほやしてくれる日本人は沢山いる。だけど、英語があまり流暢ではない東南アジア人となると、違った態度をとる人も多い。 去年、10年ぶりに日本に住むようになって、残念ながら、この傾向は、そんなに変わっていないように感じている。ちょくちょく、残念な話を聞く。せっかく、いいアジア人たちがたくさんいるのに、ちゃんと日本人が歓迎できていないのは残念だ。韓国や香港の友人たちから話を聞いていると、韓国でも香港でも、同じような傾向がある。  「こんなことしようかな」と思っていること あのイカツイお兄さんのように、僕はさりげなく外国人を助けられる存在でいたい。特に、英語ネイティブじゃないアジア人たちが、スムーズに札幌での生活に対応できるようにしたい。 僕は自らGood Spirits Internationalという国際的なグループを作って、オーガナイザーとして活動しているので、他の人たちよりも、圧倒的にそういうことをしやすい立場にある。メンバーには、日本人と外国人が半々くらいで参加していて、日本語を上手く話せない外国人、日本語は多少できるけど英語が話せない外国人は、ここで日本人の友人を作って、札幌の生活を充実させる一助にしてもらっている。僕のこれからの役目は、それを様々な方向から促進すること。 自嘲気味に「僕は白人でもネイティブのイングリッシュスピーカーでもないから」という英語がうまく話せないアジアの人を、僕の周りでは少しでも減らし、最大限に歓迎できるようにする。そして、その人たちを、JAPANY通して留学する人たちと、いつか結びつけられるような仕組みを作る。いつ実現するかは決めてないけど、これが僕の新たな宿題だ。 格安ポーランド英語留学 ポーランド大学英語留学の合格サポート ヨーロッパ諸国への英語留学 ヨーロッパ大学英語留学の合格サポート

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中国語でまくし立てるおっちゃんとコミュニケーションを取るときに、ポジティブな言葉の連続と笑顔で落ち着かせるのが効果的だった話

疲れてホステルに帰ったら、相部屋の僕のベッドに、知らないおっちゃんが寝ていてビックリ。「え?」と思ったら、中国語でまくしたてられて、英語がわからない様子だったので、すぐにフロントに助けを求めた。 同室の人の話によると、部屋に入ってくるなり、いきなり僕のベッドから荷物を除いて、占拠して寝だしたのだそう。自分がそのベッドを取りたいからといって、ベッドに置いてある他人のものを投げ出して自分で占領するなんて、豪快すぎるだろ、おっちゃん。 駆けつけたスタッフが説明しても、ただ大声で何かをまくしたてるだけ。だんだん彼がキレ気味になってきていたし、こんなことで議論したくないので、結局、僕が折れて、ベッド移動。ある意味、ゴリ押しと逆ギレは最強だ。そういえば、トロント時代にも、似たようなことをしてきた日本人のおじさんがいた。そのときは、言葉が通じることもあり、僕は折れなかったけど。 「やれやれ」と思っていたら、今度はバックパックにしまっていたはずの僕のシャンプーとボディソープが床に落ちていて、中身が思いっきり減っているのに気がついた。「もしや」と思って、同室の人に聞いてみると、犯人は、そのおっちゃん。その人曰く、あまりに堂々とバックパックを漁っていたので、おじさんのものかと思ってたのだそう。一言言ってくれれば使っても全く構わないけど、僕がいないときに、僕のバックパックを漁って、勝手に人のものを使っちゃダメなのよ、おっちゃん。泥棒になっちゃうからね。 おっちゃんには何を言っても中国語で言い返されるので、親指を立てて「グッド、グッド」とか、「オーケー、オーケー」とか、ポジティブな言葉をかけておっちゃんを落ち着かせつつ、少しづつ身振り手振りでコミュニケーション。「モーマンタイ、モーマンタイ(問題ない、問題ない)」も繰り返したけど、これは広東語であって、北京語のおっちゃんには通じない、と後でスタッフに言われた。そうなのか。知らなかった。 しばらくのやり取りの末、ベッドもシャンプーもボディソープも僕が使っているものであり、僕が驚いた理由をおっちゃんが理解したように見え、最後は、お互いに笑顔になって、おっちゃんは僕の肩を叩き、何となく分かり合えた(ような気がした)。 おっちゃんに悪気はないと思うので、この件は、これで終わり。いい勉強だけど、どっと疲れが押し寄せた。 これから何を盗られるかわからないので、早速、スーツケースに荷物をまとめて鍵をかけ、詰め込めるだけのものを金庫に詰め込んだ。起きてしまったことを笑顔で水に流すことと、これからの自分の持ち物の安全は別の話だ。