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中島みゆきさん、松任谷由実さんの曲をカバーしているBEBEさんの歌声が素敵すぎる

ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう ファイト! 冷たい水の中を 震えながらのぼってゆけ   仕事中のBGMを探していたら、とても素敵な歌手の YouTubeビデオに巡り合った。 作成しているのはシンガーソングライターのBEBEさんという方で、メジャーデビューしているわけではなく、インディーズで活躍している方らしい。 ある曲を聴いていたら、サイドに関連するビデオとして出てきたのが、BEBEさんの『Hello, my friend』(松任谷由実)のビデオ。僕は十代の頃、俳優のいしだ壱成さんが好きだったので、この歌が主題歌として使われていた『君といた夏』も、当時は毎週楽しみに観ていた。主題歌を聴くのなんてしばらくぶりだったので、懐かしく思ってビデオを再生してみると、凛とした歌声が響いてきて、思わず繰り返し再生してしまうほど素晴らしかった。 「これはすごい・・・」と思って、BEBEさんのYouTubeのページに行ってみたら、他にもたくさんビデオがある。その中でも特に素敵なのが、冒頭のビデオ。「中島みゆきさんと松任谷由実さんをカバーさせたら、彼女の右に出る歌手は、そうそういない」と思わせるくらい、素敵な歌声と歌い方。素朴に奏でるアコギの響きもいい。中島みゆきさんの歌の素晴らしさもあるけど、この人が歌うから、こんなに染みるんだろう。 以前に、いつも他人の悪口ばかり言っていた人が、ステージ上でパフォーマンスを披露したとき、年配の女性が僕に近づいて言ったことがある。「さすがに音楽を大学で学んでいた人は上手ねえ」とでも言うのかと思ったら、その反対だった。 「こんなこと言って、ごめんなさいね。でも私には、あの人がいくら上手に歌っても、魂には響かないのよねえ。澱んで聴こえるというか・・・。どうしてかしらね」 歌声には、人間性がこもる。歌声には心のあり方が表われる。この年配の女性は、何かを感じ取ったようだった。どんなに音程が正確でも、声量が見事でも、魂に響かない歌声は存在するようだ。 BEBEさんの歌声は、その正反対だ。真っすぐに心に響く。僕は絶対音感はないし、高度な音楽理論には疎いけど、ちらっとBEBEさんのブログを読ませてもらって、この人が心に響く歌を歌える理由がわかるような気がした。もちろん、全く知らない人なので、よくはわからない。でも、何となく納得した。 とにかく、おススメの歌手。興味がある人は、BEBEさんの他の曲も聴いてみてほしい。

ポーランド

ポーランド大学英語留学をためらわせるかもしれない4つのこと

以前に『ポーランド大学英語留学を薦める9つの理由』を書いた。よいことばかりを書くのは気が引けるので、ポーランドに英語留学に関して、マイナスになるかもしれない点を、思いつくままに4つ挙げておきたい。 1.第二外国語としてのポーランド語を、半強制的に学ぶことになる 授業やクラスメイトとの会話は英語だけど、街に出て買い物に行けばポーランド語の世界。英語を話せるクラスメイトと英語のプログラムで学ぶので、短期であれば、そこまで英語を話せないポーランド人と接する機会もなく、ポーランド語を覚える必要はないかもしれない。でも、ポーランドで長く生活するとなると、読み書きと議論ができるレベルの英語に加えて、日常会話レベルのポーランド語をマスターするのは必須になる。「他の言語を学ぶことに興味はない。英語だけに特化したい」という人は、ポーランドではなく、最初から英語圏に留学に行った方がいい。   2.日本からのアクセスが不便 チャーター便を別にすれば、今のところ、日本からポーランドまでの直行便はない(涙)。日本からポーランドに行くには、どこかで乗り換えをしなければならないし、時間も16時間以上かかる。時間的には、日本から北米の東海岸に行くのと大差はないけど、乗り換えという行為に対する心理的障壁が大きい人は結構いる。「時間かかる上に、乗り換えなんて有り得ない。日本までの往復が面倒」という人は、もっと日本からの交通が便利な国に留学した方がいい。   3.なまらマイナー 英語圏や人気のある第二外国語が使用されている国への留学は人気があるが、ポーランドという未知の世界に留学する人は少ない。台湾、中国、韓国、フランス、ドイツ、スペインなどは、留学エージェンシーも沢山あって、多くの日本人がこぞって留学しているが、ポーランド留学は、はっきり言ってかなりマイナー。「人と違う経験をしてくる」という人にはポーランド留学はいいかもしれないけど、「やっぱ、留学するならメジャー路線を行きたい」という人は、ポーランド留学は選択肢から外した方がいい。   4.日本語の情報が少ない メジャーな留学先には大量の日本人がいるので、その分、現地の日本語情報も豊富だけど、ポーランドに関しては、日本語での情報が少ない。「そんなの、英語で情報を得ればいいだろ」と言えるのは、英語がわかる人たちだけ。特に留学当初の英語がよくわからない時期は、日本語での情報があれば、とても役に立つ。JAPANYが日本語のサポートはするけど、自分で日本語で色々な情報を手に入れたい人には、ポーランド生活は、ちょっと不便かもしれない。 関連記事: ポーランド大学英語留学の情報 ポーランドの大学英語留学を薦める9つの理由   <!– MAF Rakuten Widget TO HERE —>

人生の話

自殺した幼なじみと誰かを許すということ

人が夜明けのときを知るのは   長い間、ずっと自分の心の中で響いているラビの物語がある。ラビとは、賢者として認められ、神の知恵を伝えるユダヤの教師のことだ。   あるとき、ラビを前に、一人の弟子が質問をした。 「先生、人は、どのようにして、夜明けがやってきたときを、知ることができるでしょうか?」   ラビは、やさしく微笑んで、逆にその弟子に質問を返した。 「あなたは、どう思う?」   その弟子は、少し考えて言った。 「新しい夜明けが来たのを知るのは、夜明けが近くなって、鶏が鳴いたときでしょうか?」   「いいや、そうではない」 ーラビは、答えた。   「それでは、」 ー弟子は続けた。   「真っ暗だった空に、周りの木々のシルエットが、ぼんやりと浮かび上がってきたときでしょうか?」   ラビは、穏やかに答えた。 「いいや、それも違う」   「夜が終わり、新しい朝が来たことを知るのは」 -ラビは、続けた。   「許せないと思った人々の顔を見て、その人が、あなたの愛する兄弟姉妹だと分かったときだ。その日が来るまで、外はいつまでも夜のままだ」   ヨナと敵国アッシリア   これから紹介するのは、西洋社会ではよく知られているヨナの話。聖書の中に書かれている物語だ。 ヨナは祖国イスラエルを愛し、敵の大国アッシリアを憎む、ごく一般的な男。 あるとき、敵国アッシリアの首都ニネヴェに行って、「ニネヴェの人々が犯す悪の数々のために、40日後にニネヴェは神に滅ぼされる」という予言を伝えるよう、ヨナは神から命令される。 しかし、アッシリアに行くのが怖くなり、ヨナは船に乗って、ニネヴェとは反対の方向に逃げ出してしまう。 そんなヨナを見て、神はヨナの乗った船を嵐に遭遇させる。そして、ヨナが神の命令から逃げたことを知った船乗りたちは、ヨナのせいで船が嵐に巻き込まれたのと思い、嵐を沈めるために、彼の手足をつかんで海に投げ込んでしまった。 ヨナは、海で大きな魚に飲み込まれ、3日3晩、魚の腹の中で過ごすことになった。しかし、結局、海岸に吐き出されて、一命を取り留める。 そして、「やっぱ、神の命令からは逃げられねえ・・・」と思ったヨナは、しかたなくニネヴェに行って、恐る恐る神の言葉を告げる。 すると、意外なことに、ニネヴェの人々は、すぐに悔い改め、神に真摯に向き合い始めた。ニネヴェの指導者は人々に悔い改めを呼びかけ、人々がそれを忠実に実行したため、神はニネヴェの破壊を考え直すのだった。 しかし、ヨナは、1度滅ぼすと言ったのに、それを中止し、祖国イスラエルの敵であるニネヴェの人々を許した神の寛大さに怒りだしてしまう。  当時のアッシリアは、軍事的にも経済的にも、ヨナの祖国イスラエルとは比べものにならない大国で、アッシリアの強大な力は、イスラエルを力で圧迫していた。実際にアッシリアは、すでにこのとき、幾つかの戦いでイスラエルを破っている。 イスラエルの人々にとって、アッシリアは、決して愛すべき隣国ではなかった。 しかし、神はイスラエルだけの神ではなく、異国の人々の神でもあった。その神は、異国のニネヴェの人々が心を入れ変えたとき、両手を広げて受け入れた。 不満げな気持ちを抱くヨナに、神はこう語りかける。 「ヨナ、あなたは自分が作ってもいない、育ててもいないトウゴマの葉さえ惜しむのに、どうして、創造主のわたしが愛するニネヴェの人々を惜しまずにはいられようか?」   「いやいやいや、おかしいだろ。だったら、最初から『滅ぼす』なんて言わなければいい」 そう思う人もいるかもしれない。でも、これは史実ではなく、意味を読み取る物語だ。この物語のテーマは、このような、一見、突拍子もない物語を通して、「一度言ったことを考え直す神」、「イスラエルだけでなく、異国の人々も愛される神」を示すこと。古代の人々が重きを置かれているのは、話の流れの辻褄ではなくて、物語の意味の方だ。 当時なかなか描かれることがなかった、自分の言葉を考え直す神のイメージや異国の人々の神のイメージ。当時、そのような神を受け入れられない人々は、イスラエルにもいた。自分のイメージと違う神に怒りをぶつけたのが、当時の人々の気持ちを物語の中で代弁するヨナだった。 ヨナは、敵国の首都ニネヴェの人々に、否定的な思いを抱いていた。神がいくら自分の敵を愛していても、自分たちを圧迫し、自分たちを攻撃し、自分たちを苦しめる、このアッシリアを、ヨナは許すことができなかった。 ヨナの暗い夜は、いつまでも明けないままだった。   許すことの難しさ   「許すということは、何と素晴らしいことか、と思う。しかし、そう思えるのは、自分自身の前に、絶対に許せない何かが立ちはだかるまでだ」…

サッカー

香川真司:天才か、ペテン師か?【ヒートマップ分析付き海外記事】

元記事:Shinji Kagawa: Genius or freud? from Yahoo Sport UK & Ireland フットボール界には評価が二分されている選手がいる。香川真司は、間違いなくそんな選手だろう。この日本人司令塔は、オールド・トラッフォードでの18ヶ月の選手生活の中で、マンチェスター・ユナイテッドのファンの間に、既に激しい論争を巻き起こしているのだ。 彼を擁護する人にとっては、得意な10番の位置でのレギュラーの地位が与えられれば、彼は、その柔らかいボールさばきで、チャンスを創造したり、ゴールを決めたりして、プレミア・リーグをわくわくさせる存在だ。 彼のドルトムントでの時間は、疑いなく、彼がエリートレベルの表現者だと証明している。しかし、ユナイテッド指導部によってがっかりさせられたもう一人の選手ファン・ベロンが以前に経験したように、彼はハンディキャップを背負い、才能を無駄にされているのだ。 彼を中傷する人は、どんな選手であっても、チーム全体がその選手に合うように構成されることを要求することはできず、また、ユアン・マタやダビド・シルバのような小柄な選手は、サイドで彼らの魔法を披露するように強いられているにも関わらず、輝き続けていると反論する。彼らに言わせれば、香川の不成功は、戦術や技術の問題と同様に、(香川の選手としての)キャラクターの産物なのだ。 これは、どちらも説得的に正しい、間違っているとは言えない、堂々巡りの議論だ。しかし、香川が本物の才能を持ち、本物の血筋を持つことは、ほぼ疑いがない。そして、デービッド・モイーズには、現在の苦境の中で、このミッド・フィールダーが、もっとよいフォームの片鱗を見せるのに、できることがあるだろう。 今年から始まったクラブの連敗を止めたアウェーでのスウォンジー戦の土曜日、香川はその片鱗を披露した。彼のプレイは、試合を変える見事なものでも、試合に安定感をもたらすものでもなく、むしろ、試合を通して、フォワードを支える同じ中盤のアドナン・ヤヌザイの陰に隠れていたと言えるが、それにも関わらず、目を奪うようなものだった。 モイーズのスウォンジーに対する戦術は、香川に適していた。彼(モイーズ)の最も高額な選手二人がいない試合で、このスコットランド人は、4ー2ー3ー1のフォーメーションで、普段の3人の攻撃陣(4ー4ー2の2トップと司令塔)の形ではなく、4人の攻撃陣の高い位置にサイドの選手をおいた。 香川は、ダニー・ウェルベックをサポートする三人として左サイドで試合を始めたが、彼の試合への効果はごく限られたものだった(上のヒートマップ参照)。機敏なプレイをほとんど見せることも、ユナイテッドが試合をコントロールしていた前半に、相手ゴールを脅かすプレイをすることもできず、鋭さを欠いていた。 しかし、ハーフタイム以後、モイーズは、香川を得意のポジションで送り出した。この日本代表選手は、おそらくディフェンスのアンヘル・ランヘルの(巨大な)穴を突くために、中央からサイドに位置を移したヤヌザイと、そのポジションを交換した。 この時点で、香川の試合への関与は跳ね上がった(上のマップ参照)。彼が通したパスの数は倍増し(15から32)、彼のチームの貧弱さにピリオドを打つために、ベストの仕事をした。彼のパスは必ずしも相手ディフェンスを引き裂くものではなかったが、ユナイテッドの攻撃にインテリジェンスを加えたことは確かだ。 対スウォンジーの香川真司の後半のパス(90%が成功) 彼の批判者を黙らせるには、ほど遠いパフォーマンスではある。その半分程度に過ぎない、と言うのが妥当だ。しかし、それにもかかわらず、これは将来への期待を示すものである。香川のパフォーマンスは、最後にゴールという報いを与えられるべきであり、そうであっても決して不公平ではなかった。(スウォンジーの)レオン・バートンが、急いで自陣ゴールラインに戻り、ゴールへ向かう香川の一撃を防いでいなければ。 ここで言いたいのは、彼のクオリティが、後半だけに限ったこととは言え、ここ最近では見られなかった方法で見られた、ということだ。包括的にはほど遠いし、決定的ともほど遠いが、少なくとも、これからも「偉大な香川真司論争」が着実に続いていくことを確信させるものではあった。 過大評価され、臆病な軽量選手なのか、過小評価され、抑圧されている天才なのか。ありがちなように、真実はその間のどこかにあるのだろうが、あなたは両方の立場の人から話を聞くだけでは理解することはできないだろう。 前半だけで示されているように、エレガントでリズミカルだが、目に見える結果がかけている土曜日の彼の姿は、両方の立場に、自分たちがきっと正しいと説得させるのに、十分な理由を与えただけだ。それは何はともあれ、(香川に)ひと仕事が必要なことだろう。

人生の話

与えても与えても減らない不思議な小麦粉〜ユダヤの言い伝え

ユダヤ地方に昔から伝わっているお話の中に、以下のようなものがある。 あるところに、小麦をひいて粉にする仕事を営んでいる二人の兄弟がいました。兄弟のうち、兄は結婚し、複数の子供を授かっていましたが、弟は独身で、子供もいませんでした。 仕事上、二人は平等な立場であり、仕事が終わった時には、挽きあがった小麦粉を二人で平等に分け合って、自分の取り分を家に持ち帰っていました。 しかし、そんなある日、弟は考えました。「僕は兄貴と違って、結婚もしていないし、養わなければならない家族もない。これは不公平だ。兄貴は、僕よりも沢山分け前を取るべきだ」 それからというもの、弟は、みんなが寝静まる闇夜の中、お兄さんの倉に、自分の分の小麦粉を少し持って行くようになりました。お兄さんの遠慮深い性格を考えて、お兄さんには、決して気がつかれないように。 さて、弟がそんなことを考えていた頃、お兄さんも、家で考えていました。「僕には家族があって、妻も子供もいて満たされている。でも、弟は、年老いたときに、誰も世話をしてくれる人がいない。これは不公平だ。弟は、僕よりも沢山分け前を取るべきだ」 そして、お兄さんは、妻に相談したあと、みんなが寝静まるのを待って、自分の取り分を少し掴んで、弟の倉に持って行きました。弟の遠慮深い性格を考えて、弟には、決して気がつかれないように。  次の朝、二人の倉にある小麦粉は、一向に減っていません。お互いに、相手に与えた分、相手から与えられているからです。 与えても与えても減らない小麦粉。 二人は、不思議な力を前に、神に感謝の祈りを捧げます。そして、お互いのしていることを知らず、これを毎日続けました。 しかし、そんなある夜、二人の兄弟は、お互いの取り分を相手の家に持っていこうと歩いていたとき、道の途中でバッタリと鉢合わせしてしまいます。 はじめは驚いた二人でしたが、お互いに事情を説明して、何が起きているのかを理解したとき、二人は、お互いを抱きしめて、相手の思いやりに、ただ涙を流しました。いつまでも、お互いのやさしい心を思って、涙を流して抱き合いました。   ユダヤの言い伝えによると、この夜、抱き合う兄弟に、神はこう言ったという。「わたしは、ここに祝福の家を建てる。あなたたちは、その祝福の源となるだろう」 人はこの兄弟のように生きるように招かれているのかもしれない。人と人とが交わるその場所に、祝福の家が建てられるように、与えられたいのちを用いるように招かれているのかもしれない。 この世界には、色々な人がいる。関わる人たちに悪意を抱くことなく、他人の善意を恣意的に利用することなく、僕たちの誰もがこの兄弟のように生きられるように願っている。

人生の話

たとえほぼ全てを失っても、決して失うことのないものが一つある

1997年、一人の偉大な精神科医が人生の幕を閉じた。 その人の名前は、ビクトール・フランクル。 フランクルは、オーストリアのウィーン大学の精神医学科に勤務していた著名な精神科医であり、フランクルが亡くなったというニュースは、当時、欧米だけでなく、日本のニュースにも取り上げられていた。 世界的ベストセラーになった、彼の著書『夜と霧』の中には、彼の第二次世界大戦のときの経験が記されている。 第二次世界大戦中の1942年、ユダヤ人であった彼は、のちに殺害される彼の妻や両親と共に、ナチスの収容所に入れられてしまう。 はじめは他の囚人たちと一緒の肉体労働をしていたフランクル。しかし、医学の学位を保持していた彼は、のちに収容所で優遇され、ナチスのために医療の仕事をさせられることになる。 2年後、意に反してアウシュビッツに移されたフランクルは、残虐で恐ろしい光景を嫌というほど、その場で目にしていった。 次々に死んでいく人の群れ。厳しい環境での生活。 アウシュビッツに収容された人々が、ショックと苦しみで、無気力になり、最後は何の希望も持てなくなっていく。フランクルの目に映ったのは、そんな絶望に満ちた景色だった。 疲れとあきらめが襲い掛かり、目の前に横たわる自分の人生が、悪夢にしか見えなくなってくる。人々が気が狂ったようになっていく。当時の様子を、フランクルは、そのように書き残している。 しかし、多くの人々が狂いそうになる、そんな状況の中、深い感動を覚えさせられたある人々のことを、フランクルは同時に著書に書き記している。 心身の自由を奪われ、家族を奪われ、日常生活を奪われる、そんな極限の状態にありながらも、他の人々を笑顔と優しい言葉で励まし続け、自分の最後のパンのひとかけらを、同じように空腹に震える人々に分け与え続けた、そんな人々の姿が脳裏に焼きついて離れない。確かに、数は少なかったかもしれない。しかし、そのような人々がアウシュビッツに実際にいた、ということは、私に一つのことを証明してくれているように思う。それは、たとえ全てのものが奪い取られても、人間の最後の自由は、誰にも奪い取ることができない、ということだ。強制収容所のような過酷な状況の下にあっても、今この瞬間の自分の態度を自分で決められる、という最後の自由は、いついかなるときにも、取り去られることはない – Frankl, Viktor., “Man’s Search for Meaning” 僕たちは、生きている間に、多くのものを失っていく。僕たちが持っているものは、いつか必ずなくなっていく。物理的な所有物だけではない。僕たちが享受している健康も体力も脳の働きも、これから先、確実に失われていく。 でも、たとえそれらの全てが取り上げられても、人には一つだけ取り上げられないものがある。そう、フランクルは言った。 それが、人間の最後の自由だ。 「どんな状況の下でも今の自分の態度を自分が決めるという自由、それだけは誰にも奪うことができない」 ーそうフランクルは語った。 他人に何をされても、何を言われても、どんな状況で育っても、僕たちには、今現在の自分のあり方を決められる自由がある。隣人に、友人に、家族に、見知らぬ人に、どんなに不当な痛みや悲しみを与えられても、どんな卑劣で冷淡な扱いを受けても、裏切られても、恨みを抱かず許したり、ただ前を向いて静かに自分の道を歩いたりする自由を、僕たちは確かに持っている。 人間とは、一体、何か。わたしたちは、その歴史において、その問いを繰り返してきた。わたしであれば、こう答えるであろう。人間とは、自分があるべき姿を絶えず決定していく存在である – Frankl, Viktor., “Man’s Search for Meaning” 人間とは、フランクルの言う通り、そもそもが自分があるべき姿を自分で決めていく存在だ。確かに人間とは、残酷なアウシュビッツのガス室を発明した存在かもしれない。ときには卑劣で、残虐で、冷淡な存在なのかもしれない。 でも、それと同時に、人間とは、主の祈りやユダヤの死の祈りを唱えながら、自分と同じ人間によって発明された悲惨な部屋へと、他人を励ましながら、尊厳を失わずに顔を上げて入っていくことができる存在でもある。自分自身が、たとえ極限の状態にあっても、他人を励まし、空腹に震える人に、自分の最後のパンのひとかけらを分け与えることのできる存在でもある。 僕たちは、一方では、悪意をもって、妬みの心を持って、その心の内に自らのアウシュビッツを作ることができる。人を卑劣な方法で不当に苦しめ、傷つける場所を、自分の心の中に作ることもできる。 でも、その一方で、僕たちは、自分が誰であるのかを問いかけ、いかなる「いのち」を生きていくのかを問いかけ、歪んだ思いにコントロールされない選択を下すこともできる。これから何が奪われようと、これから何が取り去られようと、誰に何をされようと、僕たちには、今現在の自分の態度を自分で決める自由を、確かに持っている。 自分の人生の主人公は自分だ。何をするのかを決定するのは自分だ。決して、周りの環境や他人ではない。 人の弱さは容易に心の中に残酷なアウシュビッツを作っていく。誰かに卑劣な行いをされることもあるかもしれない。大きな苦しみが人生を襲うこともあるかもしれない。 でも、たとえそんな状況に放り込まれたとしても、「状況にコントロールされずに自分の態度を自分で決める自由を、僕たち一人一人は確かに持っている」ということを、僕はいつも心に覚えておきたい。 他人の冷酷さや現実の厳しさに、自分自身がコントロールされないように。

人生の話

悲惨な状況に置かれたときに何をすべきかを教えてくれる音楽家

1992年、サラエヴォ包囲の真っ只中。 独立したばかりのボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォに続いた砲撃の回数は、一日平均300回以上にもおよび、この間、負傷者は50,000人を超え、12,000人以上が亡くなった。東欧の歴史豊かなこの町には、多くの遺体で腐臭が漂い、首都の道という道が血で染まった、と言われている。 サラエヴォの音楽一家に育ったヴェドラン・スマイロヴィッチは、このときのサラエヴォを「地獄の首都」と呼んでいる。 スマイロビッチは、幼いころからチェロを習い、サラエヴォ・オペラ・シアターの主席チェリストにまでなった有名な演奏家だった。しかし、紛争が始まるとすぐに、このオペラ・シアターは破壊され、彼の愛する生まれ故郷サラエヴォは、一瞬にして「地獄の首都」へと変わっていった。 爆撃の雨と血まみれの死体が溢れ、地獄絵図のようなサラエヴォ。罪のない市民の血が流される街。愛する人たちを失い、泣き叫ぶ者に溢れる街。地獄絵図のような光景に、気が狂い始める者、悲惨な現実にただ絶望する者で、サラエヴォは溢れかえった。   市民が無残に殺されていた、そんなある日のこと。 スマイロビッチは、ただ絶望するしかなかった者たちと死体の数々に囲まれた広場に歩み出て、静かにチェロを取り出し、それを一心不乱に弾き始めた。一日に300発以上の爆弾の雨が降り注ぐサラエヴォで、オペラ・シアターで着ていた黒いスーツに白いネクタイを着込んで、たった一人、死と絶望の真ん中に座り、彼はチェロを引き続けた。 「誰にも弾くことのできない、奇跡の美しさだった」 耳にした者にそう言わしめたそのチェロの音は、すぐそばで亡くなった22人の命を記念して、22日間続いた。 その音は、先の望みもなく、振り絞る力の残っていなかった者たちの心に、いつまでも温かく、明るい希望の灯火となって響き続けたという。   「それがどれほど大きな助けになったか、あなたには想像できますか?」 サラエヴォ包囲を生き延びた人は言う。 あのときスマイロビッチのチェロの音を耳にした人にとっては、彼が奏でる音楽は、それほど大きな希望の響きであり、それほど大きな救いの響きだった。 豊かで平和な日常を送る僕たちも、レベルは違えども、悲惨で混沌とした環境に身を置かなければならないときがある。生きていると、理不尽なこと、冷酷な現実が襲いかかることも避けられない。 僕たちは、日常生活の中でも、何か悲惨なことが起きたとき、ただ泣き叫ぶことはできる。状況に文句や不満ばかりを言うこともできる。無気力にただ立ち尽くすことも、悲惨さを重ねる行為に加担することも簡単にできる。 でも僕は、どんな状況でもスマイロビッチのようでありたい。周りの環境や状況がたとえめちゃくちゃでも、自分がいるコミュニティーの中で、自分が持っているものを活かして、周りに明るい希望の音を響かせられる人でいたい。 いざというときに、チェロを取り出して美しい音楽を奏でることができるように、いつでも自分の能力を磨いていたい。

サッカー

香川真司がマンチェスター・ユナイテッドを去るべき5つの理由【翻訳記事】

元記事:5 Reasons Shinji Kagawa Should Leave Manchester United 最近、ブリーチャー・レポートは、この日本人選手が自分の潜在能力を理解するためにするべきこと、マンチェスター・ユナイテッドがその(香川の)潜在能力の限界を解き放つために最後にできることなど、飽きるほど香川真司に注目した数々の記事を書いてきた。 ケガとポジション争いの厳しさによって、オールド・トラッフォードでの香川の潜在的な影響力は下がっていると見られている。彼は先シーズンはプレミアリーグのタイトルを獲得したが、イングランドのサッカーは、いまだに彼の最高の試合と呼べるものを目にしていない。 今シーズン、これまでのユナイテッドでの苦難を考えると、香川にとって、思いをぐっとこらえ、光り輝く北西の第二の都市(マンチェスター)から離れた未来を想像する時が来ているのかもしれない。  この日本人司令塔が、レッド・デビルズ(マンチェスター・U)を離れるべき5つの理由を記したので読んでほしい。   1.激しい競争   香川のマンチェスター・ユナイテッドでのキャリアは、ケガによって遅れをとっており、試合出場していない中、彼がクラブで強い印象を残した、という声は、ほとんどない。 理想的には、香川はトップ下で10番の役割を担うのがよいのだろう。しかし、そのポジションには、夏の移籍騒ぎの以来、絶対的存在のウェイン・ルーニーが君臨している。 トップ下のポジションをルーニーからもぎ取ることができないので、彼は左サイドに追いやられている。しかしそこでも、ダニー・ウェルベック(同じようにトップ下でプレーできる)、ライアン・ギグス(彼はもう少し下がった位置でプレーすることが多いが)、ウィルフレッド・ザハ(彼もモイーズの信頼を獲得するに至っていないが)とのポジション争いに直面している。 この夏に、セスク・ファブレガス、チアゴ・アルカンタラを獲得しようと試みたことは、モイーズが攻撃的MFの更なる補強に熱心であることを示しているようだ。 このような様々な不利な要素の中、自分が先発メンバー11人に値するのだということを、香川はモイーズに」(以前はファーガソンにも)確信させられないでいる。彼が好むトップ下のポジションに関しては、なおさらである。 そのような競争で自分を思うように開花させられない中、香川のベストの選択は、適切なポジションでプレーでき、チームのキーマンとして活躍することができるようなステージに移ることかもしれない。 香川に創造的役割を与えられるチームは、枚挙にいとまがないだろう。救世主になれるかもしれないそれらのチームの目に、香川の価値が消えてしまう前に、このアジア人司令塔は、オールド・トラッフォードから脱出した方がいい。   2.愛されている場所への帰還   ユナイテッドでの香川の停滞は、ドルトムントで過ごした期間とは対照的だ。 ブンデスリーガでは、彼はすぐに自分の名を周りに知らしめ、最高の攻撃的MFの一人として頭角を現した。 (香川の)元監督であるユルゲン・クロップは、マンチェスターでの香川の苦境にとても驚いており、デイリー・メールに、次のようにコメントしている。   香川真司は、世界で最も優れた選手の一人だ。それなのに、彼は今マンチェスター・ユナイテッドで20分しかプレーしていない。それも、左サイドでだ!胸が痛むよ。本当に、私は目に涙を浮かべている。   ドルトムントの男がこのように評価している中 ー そして、以前にも出戻りの選手(マドリーから出戻ったヌリ・シャヒン)がいる中 ー ブンデスリーガへ帰還する可能性は、香川の頭の中でも響いているに違いない。  マリオ・ゲッツェがバイエルン・ミュンヘンに移籍してから、クラブは新加入選手を探している。また、ロベルト・レバンドフスキもすぐにゲッツェを追うようにバイエルンへ出て行くため、ドルトムントの攻撃陣には空きができる。 自らが名を馳せたホームであるクラブへ戻ることが、香川にとって理想的な移籍かもしれない。そうすれば、スポーツ界の「もしもこうだったら、こうなれただろう」と思われる選手の一人になることから、香川は自分を救い出すことはできるだろう。   3.プレーのさびつきを回避   選手たちは、ワールドカップイヤーになると落ち着かなくなる。誰もが、クラブレベルで困難を抱え、ワールドカップ出場という壮大な機会を逃したくないからだ。 スペイン代表の23人の中に自分の居場所を確保するため、レギュラーとしてプレーできる環境を求めてアンフィールドから離れた、前リバプールのペペ・レイナの例に、この偏執病はすでに見られている。 現在、香川真司は、ほぼ確実に日本代表のワールドカップメンバーとして居場所を確保している。たとえ、今から来年6月の初めまでレベルの高い試合でプレーしなくても、おそらく彼は日本代表に選ばれるだろう。 彼はそれほどチームにとって重要である。彼の多種多様なスキルがあれば、アルベルト・ザッケローニは、招集したメンバーの中で、彼の居場所を確実に見つけてくれるだろう。 しかし、もし仮にもうひとシーズン、レギュラーとして招集されたりされなかったりの時期をもう一年耐えなければならないのなら、2014年のブラジルで、彼が確実にベストフォームでいられる保証はどこにもない。 この日本人MFは、ユナイテッドのベンチ入りメンバー16人に不可欠なメンバーとして、シーズンを過ごすことはできる。 ローテーションがあるので、おそらく彼は燃え尽き症候群にはならないだろう。しかし、もしも彼がチームのわき役に留まってしまうのなら、シーズン終了後のW杯トーナメント前の練習に、さびついてまだフィットしていないMFがやってくるのを、ザッケローニは期待せざるを得なくなる。   4.沈みゆく船   マンチェスター・ユナイテッドは穴だらけで、大きく衰退する崖っぷちにいるということがわかっていて、サー・アレックス・ファーガソンは先見の明と共に勇退したのではないか、という話がある。 年老いていく選手たち、いくつかの締まりのないチームのポジション(文字通り、アンデルソンのケース[*彼の体重も揶揄])、その他いくつか質の不足しているポジションの中、チームは抜本的な見直しを求められている。現在の財政状況の中では、これはやっかいな仕事になる。 これを考慮に入れると、ユナイテッドは沈み行く船だと想像することは容易だ。このままでは、すぐにリーグの他のビッグクラブとアーセナルに追い越されてしまうだろう。 クラブが崖っぷちの状況の中、キーになる選手たちにキャリアの終わりが近づき、ユナイテッドは難しい時期に差し掛かることもあるかもしれない。…

サッカー

香川真司は、なぜモイーズのプランにフィットしないかもしれないのか【翻訳記事】

元記事:Why Shinji Kagawa May Never Fit Into Moyes’ Plans 熱烈なデビューシーズンを送った後、香川真司の状況が少しでも改善した、と考えるのは、賢明ではないだろう。 ウェイン・ルーニーが10番のポジションに君臨し、デービッド・モイーズは、彼の戦術に最もあった選手の一人とも言われる、この日本代表選手に多くの信頼を示していない。  香川自身、自分のユナイテッドでのキャリアが危機に瀕していると認めている。この記事は、なぜこの小柄な司令塔が、モイーズのプランに適合しないのかを見ていくことにする。 ドルトムントでの起用方法 ドルトムントでは、香川は攻撃の肝であった。 彼のドイツでの最後のシーズン、31パーセントのボルシア・ドルトムントの攻撃は、香川がいる中盤の真ん中を経由している。  しかし、ユナイテッドでは、モイーズは右サイドからの攻撃を重視している。実際、レッド・デビルズの攻撃の43パーセントは、ここを経由している。今シーズン、香川がプレミア王者でいつもプレーしている左サイドは、主にサイドを変えることに使われているだけだ。 ドルトムントの自由でカウンター重視のサッカーは、香川を輝かせていた。彼のチームメイトたちは技術に富み、ワンツーパスやショートパスでプレーするのを好んでいた。香川は走り込む先でボールをもらい、最適なポジションを自分で探してプレーしていた。 ユナイテッドでは、香川は足下でボールを受けている。しかし、これは彼の慣れたスタイルではなく、ポジション移動の範囲も狭められている。 ユルゲン・クロップの元で、必要な攻撃手段と後ろからのディフェンスのカバーを与えられ、この24歳はラストパスを供給すること、ストライカー的な役割を担うことに集中できていた。ブンデスリーガでは、彼の身体的な不利は、その技術の高さで補えていたのだ。    ユナイテッドでの合わない戦術 香川は、間違った環境の、間違ったポジションでプレーしている、非常に優れた選手である。  左サイドは、モイーズも気がついているように、彼にとって自然なわけではない。得意なわけでもない。 ドルトムントの攻撃は香川に集中していたが、今この日本人は、最大限に利用されていないサイドの選手だ。ドルトムントと違い、ユナイテッドはカウンター主体のチームではない。 今シーズンのリーグにおいて、ユナイテッドの平均なボール保持率は57%(昨シーズンは56.2%)である。香川の加入以来、ユナイテッドはカウンターで2度しかゴールを決めていない。香川のドルトムントでの最終年、ドルトムントは、カウンターで11度もゴールを決めている。 このように、明らかに香川が慣れているよりもゆっくりのペースで、ユナイテッドはプレーしている。 彼らは、古いタイプのウィングのクロス能力に頼り、相手陣内でボールを保持しつつ、ウィングからディフェンスを崩そうとしている。 モイーズの選手たちは、一試合平均リーグ1位の28のクロスを供給する。香川が左サイドでプレーしているとき、彼のなめらかなパスは、あまり役立っていない。彼がしなければならないことは、ピンポイントのクロスを供給することだ。しかし、この元セレッソ大阪の選手は、クロスを上げることは上手ではない。 それに、ユナイテッドのパススタイルは、あまり洗練されていない。香川は、ほとんどチームメートとワンタッチのパスでサイドを攻め上がれていない。彼はもっと技術があり、聡明なチームメイトを求めている。 忘れてならないのは、香川は十分なサポートを中盤と守備陣から受けていないということだ。彼はいつも深い位置まで下がってボールを受けねばならない。デフェンスをこじ開けることができても、攻撃をスタートさせることは得意ではないこのアジア人にとって、これはよいことではない。 ルーニーがモイーズに気に入られている理由は、彼が香川よりも優れた10番だからではない。このイングランド代表選手は、攻撃を始めるために深い位置でボールをもらい、それを外に展開し、ウィングからのクロスをゴールすることを、香川よりもスムーズにできるからだ。 したがって、たとえ香川がストライカーの後ろの位置でプレーしたとしても、彼は必ずしも才能を発揮するとは限らない。なぜなら、彼は今ルーニーが行っていることをやらなければならないからだ。変えられるのは、プレーヤーだけ。ユナイテッドの10番の役割は、これからも変わらない。攻撃を組み立て、ウィンガーにボールを提供し、ペナルティエリア内でゴールできる存在であることが求められ続けるであろう。   結論 香川はカーリングカップで引き分けたリバプール戦の後半に、よいプレーを見せた。気がつく人は、ユナイテッドがリズムよくプレーしていたからだと気がついているだろう。リバプール戦は、テンポが早く、激しさとキレが増していた。残念ながら、やっとピッチで攻撃の権利を香川が謳歌したと思ったときに、彼は途中交代させられたが。 もし、モイーズが自分のプランに彼をフィットさせたいのならば、このスコットランド人は、クラブのチーム計画を変える必要がある。172センチの香川は、ヤヤ・トゥーレのような選手とやり合うのに、身体的に見合っていない。しかし、戦術的にしっかりとしたベースがあれば、この身体的不利を容易にカバーできる。 下のビデオを見れば、香川に最適なチームメイトがどんな選手たちかがわかる。それは、ペースが早く、素早い状況判断ができ、流動的なパスワークをしながら動き回れる選手たちだ。 (2012年のドルトムントの攻撃。香川を中心に素晴らしいパス回し) また、香川がどれだけ適度な自由を与えられているか、そして、元ドルトムントのスターを主力にチームを作るとき、ユナイテッドが取り入れるべきショートパスのスタイルも見てほしい。 ユナイテッドで香川を活かすには、徹底的な見直しが必要になる。その価値は十分にあるが、私にはそれが起きるとは、あまり思えない。

サッカー

レアル・マドリードのナンバーワン守護神が、カシージャスではなく、ディエゴ・ロペスである理由【翻訳記事】

元記事:Diego Lopez Deserves To Be No.1 for Real Madrid in Rant Sports レアル・マドリードがこの土曜日(10月5日のこと)にレバンテと試合するためにフィールドに出る時、レアルの伝説的キーパー、カシージャスは、シーズンの他のリーガの試合と同様、ゲームをベンチでスタートすることになるだろう。 1月に彼がケガをしたときに代わりとして契約したディエゴ・ロペスは、カルロ・アンチェロッティによって、リーガのレギュラーキーパーとして招集された。それは正しく、この元ビジャレアルのキーパーは、いくつかの傑出したプレーを見せ続けている。彼は古巣のビジャレアル戦で、レアルの勝ち点1獲得を助け、近隣チームとの試合や同じ街のライバルであるアトレティコ・マドリー戦で、もっと悲惨な敗戦になったであろうチームを救っている。 カシージャスは、わずかな疑いさえ入り込む余地がない、素晴らしいゴールキーパーだ。しかし、2005年から2007年のシーズンの間、レアルでカシージャスのバックアップ要因だった彼は、今や自分がナンバーワンに値するのだと証明している。 カシージャスがケガから復帰した後、(レアル前監督)モウリーニョがロペスをナンバーワンに選び続けた時、サッカーの世界は「スペシャル・ワン」をチームよりも個人的な関心を優先していると非難した。ファン、記者、評論家にとっては、カシージャスがプレイしていない唯一の理由は、モウリーニョが(カシージャスと)個人的な問題を抱えているからだった。 驚いたことに、ロペスがよいプレイをしていて、ナンバーワンに値するのだと指摘した者は、その時、ほとんどいなかった。 この夏、アンチェロッティがモウリーニョに取って代わった時、多くの人は、カシージャスが自動的にナンバーワンに返り咲くと思っていたが、イタリア人指揮官は、ロペスがレギュラー守護神だと、確信するに至った。(彼の元では)カシージャスは、チャンピオンズリーグでプレーすることになる。 カシージャスを(レギュラーとして)復帰させないことで、アンチェロッティは、過小評価されているロペスをモウリーニョが信頼したことは正しかったと証明したのだ。 彼の身長(198センチ)は、スペイン人キーパーとしては、とてもまれだ。彼の主な長所は、空中戦での強さ、デフェンス陣を正しい位置に配備することができる能力、高身長にも関わらず、低めのボールに反応する素早さだ。198センチのキーパーが、 ロペスのように足下のボールを止めるのは、そうそう見られない。 また、彼はビッグゲームで活躍できることを証明しており、それはレアルïマドリードのようなビッグクラブでプレイするときに、とても重要なものだ。2月のオールド・トラッフォードにおいて、彼らがチャンピオンズ・リーグの準決勝進出のためにマンチェスター・ユナイテッドを破った時、ロペスはレアルで最も素晴らしい選手だった。 レアルに残るにせよ、そうでないにせよ、カシージャスは、これからも伝説だ。しかし、それだけでは、彼に(レギュラーの)ポジションを保証するのに十分ではない。彼は毎日、練習でそれを得なければならないのだ。これまでのところ、彼はそれに失敗している。

人生の話

あなたの目に隣家の洗濯物が汚れて見える理由

ある土地に一組の夫婦が新しく引っ越してきた。ビジネスパーソンと主婦の新婚カップルだった。 ある日の早朝、この夫婦が二人で朝食を食べていて、妻がふと窓の外を見たとき、干している隣家の洗濯物が目に入ってきた。 干されているその洗濯物が薄汚れているのに気付いた妻は、夫に言った。 「あの奥さんは、洗濯の仕方も知らない人なのね。衣類は汚いままなのに。ちゃんと洗剤使ってるのかしら」   この妻は、あくる朝も、その次の朝も、隣の家の洗濯物を見て、毎日毎日、ブツブツと同じことを夫に言った。 「あの奥さん、家族にあんな汚いのを着せてるのかしら。信じられない」 数週間が経ったある朝、同じように窓の外をのぞいて隣家の洗濯物を見た妻は、その洗濯物が、すっきりと綺麗に美しくなっていることに気が付いた。 彼女は驚いて、夫に言った。 「あなた、見て。隣の奥さん、やっと洗濯の仕方を覚えたみたいよ。何があったのかしらね」   夫は微笑んで、こう返した。 「いや。僕が早く起きて、この部屋の窓をきれいにしたんだよ」 汚れているのは、隣家の洗濯物ではない。自分の窓だ。でも、汚れた自分の窓に気が付かない妻には、窓の向こうの洗濯物自体が汚れているようにしか見えなかった。    僕たちの周りの問題も、往々にして同じだ。たまに嬉々として他人の悪口を広める人たちに出会うけど、実際に汚れているのは、本当にその対象なのか、僕はいつも疑問に思う。汚れているのは、僕たちが下衆の勘繰りをして、悪質なゴシップや陰口の対象にするものではなく、他でもない自分自身の心のように思える。 汚れた心を通して外の現象を見ていれば、どんなものだって汚れて見える。その口から出てくる言葉は、悪質なゴシップ、陰口にまみれて汚れていく。汚れたレンズを通して解釈されるものは、そのまま汚れて出てきてしまう。  イギリスの詩人ジョージ・バーナード・ショウは言った。 「いつでも自分を磨いておけ。あなたは世界を見るための窓なのだ」 世界を見る窓は自分しかない。自分を磨いていなければ、曇った窓を通してしか、周りを見ることはできない。歪んだ思いに心が支配されていれば、歪んだ世界しか見えてこない。 一度しかない人生、僕は薄汚れた窓を通して周りを見ながら、人生の終わりを迎えたくない。そして、できれば他の人たちにも、そんな世界を見ながら、人生の幕を閉じてほしくないと思う。

ほっこり系

YouTubeで270万回再生★みんなに笑われているおじさんが、誰もが予想しなかったことをやってみせた【動画】

(photo by i a walsh) 先日に引き続き、YouTubeで人気になった動画の紹介。特にセリフがないので、英語がわからなくても問題なく楽しめます。 このおじさん、スケートがうまく滑れないので、リンクの整備セッションの時間を告げる放送のあとでも、リンクから出るのにひと苦労をしています。他の人たちは、放送を聞いてさっさとリンクから出て、一人残ったこのおじさんがどうやってリンクから出るのか、興味津々に注目しています。がんばってリンクから出ようとしても、滑稽な姿でバランスを崩しまくるおじさんを見て、周りの人たちは大笑い。でも、そのあとで、誰もが予想しなかった意外な展開が待っています。

ほっこり系

YouTubeで350万回再生★ニューヨークシティの地下鉄に面白い男が登場した【動画】

(Photo by Lauren Randolph) 以前にYouTubeで話題になった動画です。 ニューヨークシティの地下鉄の駅で、ロブという男性が、エスカレーターで上ってくる人たちと次々とハイタッチしていきます。仲間たちの「ロブがあなたとハイタッチしたいんだって。用意はいい?」というサインの後、ロブさん登場。通勤、通学中の人たちに、ささやかな笑いと元気を与える微笑ましい試み。 この動画はImprov Everywhereがアメリカで作成した作品ですが、英語が分からなくても楽しめるように構成されています。言葉の壁を越えて楽しめるからこそ、世界中からアクセスがあって、話題になっていったのでしょう。 【Improv Everywhereのおススメ動画】 YouTubeで880万回再生★ロサンゼルスのショッピングモールが、いきなり驚きと笑いに包まれた理由【動画】 YouTubeで270万回再生★みんなに笑われているおじさんが、誰もが予想しなかったことをやってみせた【動画】

人生の話

帰る方角が分からなくなる理由

何年か前、羊の生態を写したドキュメントを観た。その短い映像の中で、とても印象に残った場面がある。 一匹の羊が草を食べていて、迷子になる場面だ。 よほどお腹が空いていたのかもしれない。群れの中の一匹の羊が、目の前の草を休みなくムシャムシャと食べ続ける。しばらくの間、この羊は、夢中で目の前の草を次々に追いかけていく。そして、目の前を草をひたすら食べ続けていた羊は、あるとき、ふと顔をあげ、周りを見渡し始める。 周りを見渡すと、この羊は、いつのまにか自分が一人ぼっちであることに気が付いていく。思わず不安そうにウロウロとするこの羊。おいしそうな目の前の草を夢中で食べ続けているうちに、この羊は群れから迷い出てしまい、ついには帰る方角もわからなくなってしまっていた。   人は、誰もが目の前の草を追い求めて生きている。世界には様々な年代や立場の人がいるのだから、「目の前の草」と言われても、思い浮かべることも様々だろう。経済的安定かもしれないし、キャリアかもしれない。物欲かもしれないし、名誉欲かもしれない。プライドの充足かもしれないし、コンプレックスの克服かもしれない。内実は様々だが、僕たちの人生には、それぞれ、帰る道を見えなくさせる草がある。 追いかけること自体は、何の問題もない。でも、周りを見渡すこともなく、それを夢中で追い求めていると、いつしか私たちは自分が立っている場所がわからなくなる。 そして、戻るべき道を見失う。 僕は、自分が知らず知らずに追いかけているものに、常に意識的になりたい。そして、様々なことが起こり、様々な感情がわき起こる人生で、自分自身がどこに向かっているのかを、絶えず意識して生きていきたい。

羽田空港で宿泊費を節約する方法

僕は10年間、海外で学位を取ったり、働いたりしていたこともあり、日本との往復を含め、飛行機のお世話になることが多い生活をしていました。お金のない僕は、空港に泊まることもちょくちょくあったのですが、空港で一泊するなら、羽田空港の国際線ターミナルの到着ロビー(写真)は、おススメです。 ここでは公衆電話の隣にあるパソコン用のスペースで電源が使えるし、ベンチも寝心地が悪くありません。ベンチは、一人分の席を区切る仕切りがないし、ちょうどいい固さなので、簡易ベッドのようです。以前にここのトイレで真夜中に歯を磨いていたら、とてもフレンドリーな掃除のおばさんが話しかけてくれて、しばらく彼女と話をしたのですが、そのおばさんの話によると、空港で利用者が泊まれるように、このような寝心地の悪くないベンチを置いたのだそうです。 今まで色々な空港に一泊しましたが、宿泊をする際の心地よさという点では、羽田空港の国際線ターミナルに勝るものを、僕は知りません。以前にこのターミナルを夜中に利用した時は、ここにあるベンチは寝ている人で一杯になっていました。なかなかの人気スペースのようです。 国際線ターミナルから国内線ターミナルまでは無料バスが走っているので、ここで朝起きて、そのまま無料バスに乗り込んで、国内線に飛び乗ることもできます。国内線ターミナルでは、宿泊は許可されていませんが(以前に国内線ターミナルで、警備員さんに「一晩休むなら国際線ターミナルに行って下さい」と言われました)、国際線ターミナルでは、それなりの環境で一泊できます。朝の飛行機に乗る人で、前夜の宿泊費や移動時間を節約したいと考えている人は、国際線ターミナルの到着ロビーのベンチを試してみて下さい。 みなさん、よい旅を (^^)/

人生の話

あなたが誰であるのかを決めるのは

尊敬するTくんへのメッセージ “Somebody’s opinion of you doesn’t have to be your reality.”– Les Brown 北米のある先住民の部族は、次の物語を残している。あるところに、チェンジリングイーグルというワシが卵を産んだ。しかし、産み落とされたその卵は、風に吹かれて飛んでいき、ニワトリの巣の中に紛れ込んでしまい、このワシの卵は、やがてニワトリの巣の中で孵化してしまった。そして、生まれたワシは、周りと比べて、自分の姿かたちを少し特殊だと思いながらも、自分がニワトリだと思い込んで、ニワトリたちと一緒に育っていく。あるとき、このワシは、一緒に育ったニワトリの仲間たちと野原でくつろぎにいき、大空を飛びまわる一羽の立派な鳥を目にして、周りの仲間に尋ねた。「ねえ、みんな。あれは、一体、何なんだい?」「ああ、あれは、チェンジリングイーグルというワシだ。空の王様だよ」-一羽のニワトリが答えた。「へえ。すごいなあ。俺もあんなふうに飛べたらなあ」「はは。俺やおまえが、あんな風になりたい、なんて思っても無駄だよ。俺たちは、ニワトリなんだからね」そのように言われたそのワシは、「無駄だ」と言われたことはせず、言われた通りにした。そして、いつまでも自分がそのチェンジリングイーグルであることに気がつかず、自分をニワトリだと思い込んで、やがて年老いて死んでいった。あなたが誰であるかを決めるのは、周りの人間じゃない。他人の声で、自分を見失うな。たとえ、周りの人間が、適当にあなたのことを決めつけようが、あなたの可能性を否定しようが、いい加減な噂を広めようが、その人たちには、あなたが誰であるかを決めることはできない。他人がどう思うか、他人がどう見るか、他人がどう評価するかを怖れてばかりいたら、あなたは、いつまでたっても、大切な人生を周りに振り回され続ける。いつまでたっても、周りに自分の人生をコントロールされ続ける。たった一度の人生、他人に自分を決められて生きることになるんだ。あなたが誰であるのかを決めるのは他人じゃない。 絶対に自分を見失うな。

ほっこり系

ロサンゼルスのショッピングモールが、いきなり驚きと笑いに包まれた理由【動画】

「ナプキンをいただけますか?」 ロサンゼルスにあるフードコートで、何の予告もなく、突然ミュージカルが始まります。いきなり歌い出す店員とお客さんに、周りの人たちは唖然。歌が進むにつれ、驚きと笑いが場を包んでいきます。 これは、YouTubeで880万回再生された、大人気のビデオ。演出がとてもよく、居合わせた人たちの反応も面白い。何度観ても微笑んでしまう、楽しいミュージカル。ほのぼのしたい人は必見☆ 歌の歌詞は、こちらを参照。