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モウリーニョ、グアルディオラ体制時の比ではない。史上最も議論を呼んだクラシコ【海外記事】

1943年6月19日は、多くの人にとっては、数多くあるバルセロナ対レアル・マドリードが対戦した日の一つに過ぎない。しかし、このクラシコで何が起こるか、事前に想像したものは誰もいなかっただろう。世界のサッカー界の二大巨頭にとって、それぞれのクラシコ物語の中に、永遠に大きな位置を占めているのが、この試合だった。 レアル・マドリードがエスタディオ・チャマルティン(*レアルのかつてのスタジアム)にバルセロナを迎えて行われたこのクラシコは、11−1という、サッカーを愛するスペインにとっては、震度9の地震よりも衝撃的な結果に終わっている。 この日、スタジアムにいた観客で、これから目撃することを事前に予期したものは、誰一人としていなかったであろう。これはシーズン前の親善試合でも、チャリティー試合でもない。コパ・デル・ヘネラリッシモ(現コパ・デル・レイ)の準決勝だ。しかも、勝ち抜けの決まるセカンドレグ。ファーストレグでは、カタルーニャの雄バルセロナが、終始試合を支配し、レアル・マドリードを3−0で破っている。 しかし、バルセロナをマドリードに迎えたこの試合、レアルが前半を8−0でリードし、90分を戦い終えたとき、そのスコアは11−1にまでなった。単に一方のチームが他方を上回ったという説明では、あまりに釈然としない。何かが起きていたのではないかを思いたくなる。 レアル・マドリードが、政府のフランコ将軍のチームである一方、バルセロナは、当時も今もカタルーニャ独立の象徴だ。当時のヨーロッパでよく見られるように、権力を握る政府は、外の世界に対して、自分たちを代表するようなスポーツチームを持つ。レアル・マドリードは、まさしくフランコ体制のチームだった。 尋常ならざる圧力と恐れの中で、バルセロナの選手たちはマドリードに到着した。サッカーの試合というよりも、戦争のような雰囲気だっただろう。試合中は通常の試合のようではあったが、実際には、バルセロナの選手やスタッフは、自分たち自身と家族の身の安全を危惧し、状況は、とても普通とは言い難いものだった フランコ将軍の政府が、不当な手段で試合結果に影響を及ぼしたという証拠はない。しかし、ホームではレアル・マドリードを圧倒して3−0で勝利したライバルチームが、通常の状況で11−1で負けるとは考え難い。 この瞬間、レアル・マドリードは、政府のフランコ将軍のチームになった。そのように言われている。 参考