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【いじめ】弱い人とは、何をしても「安全」な人を選び、群れになって特定の人間をあざ笑ったり、悪意で蹴落とそうとしたりする人間であって、ハラスメントのターゲットになる「安全」な人ではない。

何年も前にカナダで働いていたとき、中年のおばさんの群れの心ない悪口の犠牲になった女子大生がいた。そのおばさんの群れは、他人の陰口を並べることが多く、僕自身も何度か注意したことがある。 僕にその悩みを打ち明けてきたその大学生は、泣きに泣いたあとで、「ほんと、しょうがねえな、あの人たちは」と呆れる僕を前に、最後に笑ってこう言った。 「でも、いいんです。私が我慢すればいいことだから。そうしないと幸せが逃げていくんだよ」 正直、僕は驚いた。この大学生の芯の強さに。 ひどいことに黙って耐える姿勢の善し悪しは別にして、「芯の強い人だな」と思った。「あることないこと言われてるけど、実際に心が弱いのは彼女ではなく、このおばさんたちなんだろうな」と思った。 人間の弱さと歪み。 凛とした態度で僕の前にたっていたのは、「敏感すぎるのよね」と言って、自分が悪口のターゲットにしている人をあざ笑う中年のおばさんの群れではなく、間違いなく、この女子大生の方。 このメールを書いていて、その当時のことを思い出した。 そのように自分の感情に任せて特定の人間を攻撃する人間が、仮に同じことが起きても、屈強な警護がついているオバマ大統領や拳銃を持っているヤクザを殴らないのは何故でしょうか?「怖いから」という言い方もできますが、もう少し踏み込んでいえば、「殴った後の結果を恐れているから」です。殴ったら捕まる、殴ったらもっとひどいことをされる、ということが頭をかすめるので、彼らはこのような人たちを殴ることはありません。 しかし、何をしても「安全」な相手を前にした時、人間はその本来の弱さ、醜さを露呈します。自分の安全や体裁を気にしながら、何をしても「安全」な相手を選んで、陰湿な行為をはたらくのは、心の弱さと歪みの発露です。 前回の内容と重複しますが、そんな心の弱い人たちの犠牲になる人が弱いとは、私は思いません。弱いのは、群れになって特定の人間をあざ笑ったり、悪意で蹴落とそうとしたりする人間であって、そのような人間の犠牲になる側の人間ではありません。 「『こんなこと』と笑い飛ばせる人から見れば」とありますが、日本の学校社会で育った人で、学校という閉ざされた空間で、逃げ場のない環境で、一年以上に渡って長く続く集団での陰湿な嫌がらせを受けていれば、それをその最中に笑い飛ばせる人がいるでしょうか?実際に何が起きているかを知らず、「こんなこと」と簡単に言う人間がいるとすれば、単にそのような状況をリアルに想像できない、無知で無神経で無責任は評論家精神に満ちているだけの気がします。 教会や学校で、おそらく平均的な日本人の何倍も多くの人間に関わってきましたが、私はそんな環境を全く気にしないで生きられるような高校生には、誰一人として会ったことがありません。去年も、私の生徒同士のいざこざがあり、介入せざるを得ない状況があったのですが、一人の子は、問題が起こってすぐに、泣きながら助けを求めてきました。当事者同士が違う国に進学し、今は何も問題がありませんが、あのような状況が長く続けば、天真爛漫な彼も、きっと耐えられなかったでしょう。 苦しんで当たり前のことで苦しむことは、「軟弱メンタル」とは呼びません。無実の他人に当たり散らしたり、自分がやられたからと言って同じことを他人にしたりすれば、「軟弱メンタル」になるかもしれません。自分のストレスや不満を他人にぶつけている人間は、確かに「軟弱メンタル」でしょう。 しかし、このような状況でさえ、「自分が悪いのではないか」と真面目に考えて状況を分析したり、未来に向けて努力を重ねたりしている人間は、「軟弱メンタル」どころか、芯の強い人間でしかありません。 近況報告は大歓迎です。「愚痴」はいけない、と杓子定規に解釈される社会ですが、「苦しんでいる感情を吐き出す」というのは、大切なことです。そうしないと、いつか精神的に押しつぶされます。 気をつけるべきは、吐き出す相手を選ぶ、という点だけです。「愚痴はいけないよ」、「そんなことよりも、もっと苦しんでいる人がいる」、「その程度で何を弱音を吐いている」など、漫画やドラマで繰り返されるレベルの常套句は、相手がどんな状況か考えもしない、思考力や想像力のない人間にも簡単に言うことができます。そのような人間に「愚痴」を吐いても、あまり建設的な結果にならないと思うので、それだけは気をつけていただければ、と思います。 私は学生の頃、哲学、倫理学、心理学、教育学、神学を勉強していたのですが、哲学者の中島義道さんの初期の著作が大好きで、20歳前後の時に、彼の「カインー自分の『弱さ』に悩むきみへ」という本を、何度も何度も読み返しました。あえて極端な提案をしている部分が多くありますが、当時の自分の心には深く突き刺さりました。簡単な言葉遣いで書いてあるので、英語の勉強に疲れた時に、一読をお勧めします。