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人生の話

恩人の石川欣三郎さん

2010年11月。苦難の時代に多大にお世話になった石川欣三郎さんが、僕がバンクーバーを離れて半年後に亡くなった。 石川さんは、パートナーの磯和さんと一緒に、 「桑原くんのメッセージだけは、私たちは毎週ボイスレコーダーに取ってあるんですよ。桑原くんの時だけは、教会を欠席しちゃいけないと思ってね」 「桑原くんは、どこにいたって成功するんだから、教会にいたら、もったいない気がするんですよ。私たちみたいな老人が教会に留めてしまって、若い桑原くんの未来を奪ってるんじゃないかって」 と、いつも僕に過分な言葉をかけてくれ、事あるごとに気遣ってくれた。 僕に不倫関係を迫ってきた中年女性に断ったことへの陰湿な仕返しをされたときも、日本で職を失って居場所のない牧師夫婦の陰湿な言動に悩まされたときも、詐欺事件を起こしてバンクーバーに逃げてきた男に嘘で攻撃されたときも、いつもいつも、石川さんは助けてくれた。優しい言葉をかけてくれた。 今の仕事ができるのも、バンクーバーで支えてくれた石川さんのおかげ。僕にとっても、Good Friends Japanにとっても、石川さんは、とても、とても重要な人だ。 「ヨーロッパと台湾でうまくやってます」、「これ全部、学生たちからの温かいメッセージです」って、何とかして石川さんに今の状況を報告したい。時々、そんな気持ちに駆られる。もう二度とできはしないことくらい、痛いほどわかってはいても。 本来は僕が司式するはずだったバンクーバーの記念礼拝(葬儀)で読み上げてもらうために、オンタリオ州の教会に招聘された僕がバンクーバーに送ったのは、ソファを叩きながら、涙を流しながら、震える手で書いた、以下の文章。ふとしたきっかけで、先日、Google Driveから引っ張り出して、久しぶりに自分で読んでみたら、色々な感情がぶり返してきた。 今回、石川さんが亡くなったというEメールを受け取り、教会の仕事の疲れが吹き飛ぶくらいに驚きました。私がバンクーバを発つ前、石川さんはご自分の健康状態を冗談にして、「記念礼拝(葬儀)の司式は頼むよ。桑原くんって、決めてるんですよ。だから、早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」と言って笑っていました。 「早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」というのは、以前からの石川さんの口癖で、私がバンクーバーにいた6年間で、何度おっしゃっていたか分からないくらいです。しかし、まさか、本当に間に合わなくなるとは思っていなかったので、今回、石川さんが亡くなったと聞いて、とてもショックです。 正直、私がバンクーバーを離れて半年でこのようなことになってしまったこと、牧師が不在のときにこのようなことになったのは、とても悔しく、とても残念に思いました。 しかし、V教会(*イニシャルにしてあります)には、私に様々なことを教えて下さった素晴らしい信徒の方々がいらっしゃり、何かがあれば、その人のために尽くす信徒の方々がいらっしゃいます。今回、病院に入院した石川さんのことも、様々な方が訪ねて下さっていたようで、「教会の家族とはいいものだ」と改めて思いました。 石川さんとは、本当に色々なことを共にしました。 教会のことで議論をし、辛い時には励まされ、食事をしながら笑い合い、意見の相違があるときも、若くして教会の職に就いた私の立場や考えを尊重してくれました。未熟な私にも、温かい言葉をかけてくれました。 私にとっての石川さんは、様々な面を持っていました。 まず、石川さんは、とても真摯な方でした。 石川さんが語る言葉に表面的な薄っぺらさはなく、言葉の一つ一つが心から出ているものでした。石川さんがお話をするときは、本当に心で思っていることだけを話して下さるので、それがたとえどんなものであっても、石川さんとは、いつも信頼と安心を持って言葉を交わすことができました。決して言葉数の多い方ではありませんでしたが、その分、石川さんの言葉には重みがあり、分かち合って下さったことの多くを、今でも鮮明に思い出すことができます。 また、石川さんは、真面目であると同時に、冗談の好きな方でした。 磯和さんも冗談の好きな方なので、何でもない冗談を、三人でよく笑い合っていたことを思い出します。 Tsaiさんのお知り合いの一平くんが教会に来ているときには、石川さんと男三人でよく話をしていました。あるとき、石川さん、磯和さんのご自宅に一平君と二人で招待をされたときに、「石川さんは、親切すぎです。ここは大先輩として、この不届きな一平にガツンと言ってやって下さい。僕は、石川さんのお宅に、とんでもない男を連れてきてしまいました(笑)」、「いや、桑原さんこそ、とんでもない先輩です。石川さん、締め上げておいて下さい(笑)」などと一平君と二人でふざけていたら、心臓にペースメーカーを入れている石川さんは、お腹を抱えて笑っていました。 その後、「すみません。笑い過ぎて心臓に悪いかも知れないですね」と一平君と二人で言ったら、石川さんが「いや~、逆に心臓が元気になるかもしれないよ」と返してきて、またまたみんなで大笑いしました。何だか、それもつい先日のことのようです。 そして、石川さんは、何よりも信仰者でした。教会の共同体とはどういうものであるべきかを真剣に考え、イエスの歩いた道を歩こうとした信仰者でした。 「ナザレに生きたイエスは、救い主だ」とは教会でよく言われることです。しかし、それが私たちの日々の中で具体的に何を意味するかは、教会では、実はあまり共有されていません。 イエスが救い主キリストであるのは、漠然とした教会の宗教的観念が、そのようなことを語っているからではありません。教会の教理を信じても、信条に「その通りです」と告白しても、それは人の世界を変え、生き方を変えることは決してできません。 イエスが救い主であると言われるのは、イエスの言動を通して、その歩いた道を私たちが実際に歩くことを通して、わたしたちが、神が一人一人に与えた「いのち」に触れ、死ですら終わりにすることのできない「いのち」に生きることができるからです。そして、その「いのち」によって、私たちが新たに作り変えられることができるからです。 カナダ合同教会の信条にもあるように、イエスが語った永遠の「いのち」、わたしたちの時間の概念ではかれない「いのち」というのは、死のあとの命のことではなく、死を超えた「いのち」のことです。死んだあとの命、というのは、どの宗教においても触れられる傾向がありますが、キリストの教会が語り続けるのは、死後の命というよりも、今現在、ここで生きる「いのち」のことです。自分を殺し、他人を殺し、世界を殺すのではなく、神に作られたもの全てを生かし続けるような「いのち」-それが教会が伝え続けるイエスの「いのち」です。 ご自宅に何度も招待して下さったり、聖書を読む会にはほぼ欠かさずに来て下さったりと、石川さんとは多くの時間を過ごす機会に恵まれました。私が石川さんと身近に接した中で思うことは、石川さんは、誠実に、その「いのち」を生きようとしていた、ということです。 石川さんは勉強熱心な方で、聖書を読む会では、こちらがハッとさせられる意見も出して下さいました。おそらく、聖書やキリスト教に関する沢山の知識も持ち合わせていたことでしょう。 しかし、何よりも私の印象に残ったのは、石川さんの言葉や笑顔の裏にあるキリストの「いのち」でした。 「いのち」を生きている人は、他人を活かすことができます。ちょうど蝋燭(ろうそく)の明かりと同じように、「いのち」を生きようとする人は、「いのち」の光で人を照らし、凍える人を暖めることができます。私にとっての石川さんとは、まさにそのような方でした。話をすると安心することができ、イエスが語る「いのち」を分け与えられる、そのような方でした。  みなさん、今日は、その石川欣三郎さんの記念礼拝です。どうか、みなさんで石川さんが生きた、そして今も消えない「いのち」を覚え、一緒に祝福して下さい。石川さんの「いのち」は、今も消えていません。石川さんが生まれ、日本やカナダの地に生き、私たちと「いのち」を交えることができたことを、みなさんでお祝いして下さい。 石川欣三郎さんと出会い、心を通わせ合い、教会の家族としてときを過ごすことができた。今日は、そのことが祝福される日として下さい。 私は遠くオンタリオの地にいますが、最後の最後まで石川さんを近くで支え続けた磯和さんを始め、ご家族やご友人のみなさんのことを祈っています。石川さんが日曜日にいつも座っていた礼拝堂で、石川さんの想いが詰まった教会で、どうか、みなさんにとってよい記念礼拝が持たれますように。    桑原 泰之 2010年11月27日

人生の話

今までの人生で最も幸せな瞬間はいつだったか

ときどき、「生きているのが嫌になった」、「人生の幕を閉じたいです」という人からメールをもらう。カナダで働いていた2007年くらいから、ちらほらと、そのようなメールを受け取るようになった。 あの頃は、短い海外生活ブログを、ほぼ毎日更新していた。アクセス数も伸びたけど、バンクーバーからカナダの東部に引っ越すときに、ある理由で全てを閉じた。 トロントでまた新しくブログを始め、そこでも僕が書く内容に呼応して、精神的にギリギリの状態にいる人たちからのメールが来るようになった。バンクーバー時代のブログの読者が、検索を重ねて、僕を探し出してくれたケースもあった。 カナダでの僕の仕事の大部分が、誰かの死によって狂乱した人の人生をサポートすること、要望があれば問題の解決に乗り出すことだった。ブログの影響もあり、知らない人たちにも名前や顔が知られるようになり、ものすごい数の電話やメールを受け取り、僕の心身が限界にきたことも何度かある。全く異文化の中にいながら、あのような責任ある立場で、普通の仕事では考えられないプレッシャーを背負いながら生きる20代は、良くも悪くも、そうはいなかっただろうと思う。 正直、今の仕事は、当時ほどの莫大なプレッシャーはない。ごく稀なケースを除いて、誰かの命がかかっている、という仕事ではない。 今はもう、自分の両親や祖父母のような年代の方々から「先生」と呼ばれ、知らない人たちにまで顔が知られる生き方はしていない。ベンツで迎えが来て、カナダの高級マンションでワインを飲みながらミーティングという「これって教会がするようなことですか?」と思わず言ってしまうような生活もしていない。 町を歩いていて、全く知らない人から「あら桑原先生!」、「Hi. You are the one from Vancouver, right?」などと声をかけられて、焦ることもない。 「あんなに頑張ってたのにどうして?」、「なぜ日本に帰ったんですか?あなたのような人が組織を変えていくんですよ」、「もったいない。あなたがいないと何も変わらない。カナダに戻ったらどうですか?」などと言われても、これから再び同じことをすることはないだろう。結局、組織内の醜い争いや足の引っ張り合いに巻き込まれ、組織内の調整に追われて、自分の使命の実行は妨げられるのが目に見えているからだ。 僕は嘘や虚飾や暴力が当たり前になっている人間関係の中で生きることは、もう二度としたくない。そんな環境に大切な人生の資源を割くより、他の方法で自分の使命を実行したほうがいい。基本的に僕は決めたことに柔軟なほうだと思うけど、こればかりは文字どおり死の一歩手前まで追い詰められて決めたことであり、これから心変わりすることはない。 ただ、立場は変わっても、当時から魂を削って実行していたことは、これからも続けたいと思っている。自分がしていたことは、ただの仕事ではなく、「人生」という大きな存在から自分に与えられた使命だと思っているからだ。 そのようなことの一つが、卑劣な人間の心の歪みの犠牲になっている人たちと、少しだけ共に歩く時間を持つこと。僕も仕事をして生活していかなきゃいけないので、あまり多くの時間は避けないけど、深刻な内容のメールをもらったら、仕事に関係がなくても、確実に返すようにしている。 個人情報がわかる部分は少し書き換えをしているけど、以下のメールも、そのような状況で書いたものの一つ。僕が送った2014年最後のメールだ。   メールをどうもありがとう。そして、応援メッセージもありがとね。今はすごく体力的にキツい時期だから、特に勇気づけられたよ。大変な中、僕のことまで気遣ってくれてありがとう。 本当に、本当に、色々なことがあったんだね。メールには書き切れないくらい、苦しいことが、叫びたいくらい辛いことが、山のようにあったんだろうね。そんな中で、僕のことを対話相手に選んでくれたこと、僕は嬉しく思う。 僕は、卑劣なことをする人たちの精神的幼稚さの犠牲になる人を、少しでも減らしたいと思ってる。卑劣なことをする人間がいれば、当然、その犠牲になる人もいる。カナダに住んでいた頃、一部の人たちが、人間としてとても看過できないことをするのを、僕は見てきた。犠牲者の一人は帰国を余儀なくされ、ある人は「二度とあんなところには行きたくない」と行って僕に涙を見せ、またある人は嘘の噂話をばらまかれて、人生の変更を余儀なくされた。 僕は、こういった犠牲者を減らしたい。少なくとも、僕の周りではなくしたい、と思ってる。だから、いじめや集団ハラスメントなどの被害に遭っている人には、なるべく時間を裂くようにしている。もともと、教会でそういう活動をしてたから、その流れで、帰国後も、ずっとこれだけは続けてるんだ。 今回のように、いつか誰かが僕の書いたものを読んで、何かを感じてくれるかもしれない。「やっぱ、死ぬのはやめとこう」と、思い直すかもしれない。以前に、一人の親切な人が僕が書いたものを読んで、「私もとにかく生きてみます」と言って、自殺を思いとどまってくれたことがあった。たった一人にでもそういった効果があるのなら、僕はこれからもここで発信していきたいと思ってる。 誰のためでもなく、昔の自分自身が呼び起こされて、僕自身が苦しまなくて済むように。 苦しんでいる人に「自殺は世間の迷惑」とまで言う人間がいるのは、悲しいことだと思う。迷惑がかかるなんて、そんなもの、本人が百も承知だろうにね。そうやって言う人たちは、自殺する人を、どこまでのおバカさんだと思ってるんだろうな。迷惑も苦しみも分かった上で、それでも死を選ぶという選択なのに。 あなたの耐えられない苦痛に思いを馳せない人たちの言うことは、聞く必要がない。あなたの生死の問題に関して、あなたの状況を直視しようとしない人のことには、耳を傾ける必要はない。人は自分の思い込みで、事実そっちのけで勝手に言いたい放題のことを言う。何を言われても、そんなどうでもいいやつのことは放っておけばいい。くだらない人間の言動に振り回されるのは、今すぐやめるんだ。 あなたは自分勝手ではない。断じて違う。多くの自殺は、実際は社会による殺人だ。状況が人を追い込んで、精神的な安静を奪う。周りの人間が作った状況が、あなたの心臓をえぐっていく。あなたは死ぬんじゃない。殺されようとしてるんだ。社会ではなく、「周りの一部による殺人」と言い換えてもいい。あなたの場合は、一部の人間が、あなたの心を殺そうとしてるだけだ。 あなたは今、他人に自分自身を殺させようとしている。あなたは彼らに自分を殺す許可を与えようとしている。自分の命をコントロールする許可を、みすみすくだらない連中に与えようとしてる。自分で相手に自分をコントロールさせようとしてるんだよ。 僕はいつも同じことを言う。他人に大切な自分を絶対に殺させるな。これだけだ。心ない人間に、自分自身をコントロールさせるな。 あなた自身が許可を与えなければ、自分を渦巻く環境は、あなたを殺すことができない。その環境は、あなた自身をコントロールすることなどできはしない。コントロールするのは、いつだって自分自身だ。外部のやつらじゃない。 絶対に、どんなことがあっても絶対に、その許可を下らないやつらに与えるな。生きるんだ。今の時点で、どんなにつらくても、だ。 ぶっちゃけ、「自殺」という概念がいいのか悪いのか、僕には判断する力がない。この社会には、「悪いに決まってるだろ」という人が大半だと思うけど、突き詰めて考えていけば、それを「悪いこと」と定義できる人間なんて、歴代の哲学者、思想家の著書や論文を読んでみても、誰一人いない。ゼロだ。一応、政治思想や倫理学を学んで、カナダの大学院で思想系の修士号をとったけど、今のところ誰にもそんなことを理由づけできていない。「個人的に悲しいこと」と定義できる人は、僕も含めて、たくさんいるだろうけどね。 絶対的な答えがない以上、いくら僕が「人が自ら命を絶つのは絶対にダメだ」と言っても、聞き入れるのは難しいよね。そもそも理由が不確かなものを受け入れられるわけがない。僕 僕はいつも、自殺は言葉の概念ではなく、個別に焦点を当てて考えるべきだと思ってる。「ヒト」という生物が死んではいけない普遍的な理由なんてない。どこにもない。今まで、世界中でどれだけの哲学者、社会学者、宗教学者、教育者が論じてきて、誰も一つの絶対的な答えを出していない。今現在の段階で、誰も絶対的な答えをもってない。カント、ロールズ、サンデルといった、名だたる哲学者たちでもだ。 だけど、「自殺したい」と思う個々人「Aさん」は、確かに存在する。普遍的な「人間が死んではいけない理由」があるかどうかは別にして、「個人Aさんが死んではいけない理由」は、個々のケースを考えれば、あると思ってるよ。 今回、僕があなたのメールを読んで、思ったことがある。 あなたは、死んではいけない。なぜなら、究極的には死にたいわけじゃないからだ。理由を勘違いしたまま死んでいくのを、僕は黙って見ているわけにはいかない。 頭にくるかもしれないけど、誤解のないように繰り返すよ。あなたは、死にたいわけじゃない。断じて違う。だから、その行為を取る意義を、僕が認めることはできない。 「はあ?」って思うかもしれない。 「『死にたい』って、はっきり言ってるじゃん!」って思うかもしれない。 それでも、僕ははっきりと言うだろう。「あなたは死にたいわけではない」と。 そして、繰り返し言うだろう。 「あなたは、辛くて苦しいのを止めたいだけだ。それが目的であって、死ぬこと自体は手段にすぎない。目的を果たせれば、手段が死である必要などどこにもない」と。 あなたが望んでいるのは、自殺そのものではない。今の状況から抜け出すことだ。 「本気で死にたいって言っていない」ということではない。決してそうではない。あなたは悲痛なまでに本気だ。文章を読めば、強烈にそれが伝わってくる。 そうじゃなくて、死にたいというのは、僕には他の感情の言い換えに聞こえるということだ。「死にたい」という言葉を言わせている感情の正体は何なのか、そこを死ぬ前に僕と一緒に考えてほしいと思う。 まずは、自分に向けて使う表現を変えるんだ。 「死にたい」じゃない。「生きるのが辛くて耐えられない」と言うんだ。 死にたい? 何で?   辛いからだろ。 苦しいからだろ。…

人生の話

16年ぶりの同級生に会って考えた、「生きる」ということ

「桑(僕)は、あのあと誰とも連絡取ってないでしょ。アメリカにいるって噂はあったけど、どうしてたの?」 「生きてたよ」 昔の同級生と16年振りに言葉を交わした。「ああ、俺がアメリカにいるって話は広まってたんだ」と思った。 「あのあと」とは、1998年10月10日のあとのこと。 その前々日、親友のIから電話があった。 卒業した高校の元担任Mから電話があった、と伝えられ、「俺が今から言うことを落ちついて聞いてくれ。頼むから落ち着いて聞いてほしい」と言われた瞬間、彼が次に何を言うのか僕にはわかった。 「Nが・・・死んだ。病院で亡くなって、明日、室蘭で葬儀がある」 心のどこかで予期していた。それでも、「そのとき」が来たときの衝撃は大きすぎた。震えが止まらなかった。直後になんと言ったかは覚えていない。 ただ、意識が遠のいていくほどの心拍数の乱れと、受話器を持てなくなるほどの震えだけは、鮮明に覚えている。 人生で唯一付き合った人間の死を「落ち着いて聞け」か。こんなのを落ち着いて聞けるやつなんて、それこそ、頭がどうかしてる。 「桑、聞いてるか?大丈夫か?」 「ああ。大丈夫かどうかは知らんけど、聞いてはいる」 彼は通夜や葬儀の日時を僕に伝え、二人で参列するアレンジを始めた。 「この間、兄貴ん家行ったときと同じ場所で待ち合わせしよう」   「……。いや、俺、行かないよ」 「は?どういうこと?葬式に行かないってこと?」 「行かないよ。何で俺が行くんだよ」 「おい!何考えてんだ!おまえが行かなくてどうすんだ!」  彼は突然怒り出した。彼女が白血病になってから別れを切り出されたとは言え、僕が彼女のことをどれだけ大切に思っていたか、彼に今まで打ち明けてきた悩みの数々を考えれば、怒られるのは当然のことだ。彼の怒りは、今になって、よくわかる。 「どうもなんねーよ!!行かなくても、どうにもならねーよ!!」 でも、この時の僕には、物事を判断する力も、先のことを考える余裕もなかった。その後も、あまりにしつこく葬式に連れ出そうとするIに、僕も混乱を押さえきれずに怒り出した。 「行かねえっつってんだろ!!行ったらどうなるんだ!?何が変わるんだ!?俺が行ったら生き返んのか!?生き返るんだったら何度だって行くよ!!でも、そうじゃねえだろーがよ!!人の気も知らないで『葬式に来い』なんて簡単に言うな!!!」と言い出し、お互いに声を荒げて、電話口で喧嘩になった。 ブチギレた彼は、「俺は明日、〇時に〜に車でおまえを迎えに行く!!待ってるからな!!絶対来い!!!」と怒鳴って、一方的に電話を切った。 電話を切ってしばらくは、「ふざけんな、あの野郎!」と思ってたけど、段々と色々な感情がごちゃごちゃになって、その後、僕は何時間も机に突っ伏して泣き続けた。 彼女の遺体を見るのが怖かったのか。 現実を認めたくなかったのか。 みんなの前で正気を保っていられる自信がなかったのか。 死んでから行っても遅いと思っていたのか。   とにかく、僕は行きたくなかった。   それから何をしていたかは記憶がない。仕事に行って、泣きながら店長に休みをもらったこと以外は、全く記憶にない。 気がついたら、夜が明けていた。     次の日、結局、僕はIとの待ち合わせ場所に行った。「人の気も知らないで」なんて言ってしまったけど、彼女の白血病が発覚してからの僕の葛藤や混乱を、彼は最もよく知っている人間だ。 待ち合わせ場所でお互いを見ると、二人とも恥ずかしそうに笑って手を振った。   「I、ごめん。昨日は俺が悪い」 「あんな桑は初めてだわ。おまえ、キレ過ぎだよ(笑)」 「おまえは人のこと言えないだろ…」 「ははは」 久しぶりに少しだけ笑って、僕の心が少し軽くなった。 あとは、二人ともいつもの調子で札幌から室蘭まで二時間のドライブ。途中で心の整理のために止まってもらったこと、車の故障があったことで、結局、二人で葬儀に少し遅刻して参列した。   そして、葬儀の最後に献花をするとき、二年間の闘病生活の末に、骨と皮になるまでやせ細った彼女の遺体を見た。棺の中で化粧をして横たわっていた彼女は、僕と付き合っていた頃とは別人のようだった。 何で、こいつが苦しまなきゃいけないんだ。何で、こいつが未来を奪われなきゃいけないんだ。こんなのは、おかしいだろ!なんでだよ! 答えのない問いを、誰が答えるわけでもない問いを、僕は心の中で繰り返した。 別れを切り出す前の彼女の気持ちを考えられなかった、大事なことを言葉にして伝えなかった自分が嫌になる。共通の友達だった彼女の幼なじみに、以前に泣きながら言われた言葉が突き刺さった。 彼女の幼馴染たちは、僕を責めなかった。それどころか、僕のことも気にかけてくれた。   だけど、悪いのは僕だ。情けなかったのは、誰でもない、僕自身だ。すぐに諦めてベストを尽くさなかったのは、紛れもない僕自身だ。そう考えたとき、喪失感以上に、罪悪感と後悔が胸を締め付けた。 このときのことは、今でも夢に出てくる。あまりに何度も夢に出てきたので、自分に都合のいいバージョンの夢で、実際の記憶を書き換えようとさえ思った。 高校の同級生が沢山いて、僕のことをコソコソ話してる人もいたけど、僕はその場の誰とも一言も口をきかずに、ご遺族以外の誰とも目を合わせないようにして、終わったらすぐに葬儀場を去った。…

人生の話

自殺した幼なじみと誰かを許すということ

人が夜明けのときを知るのは   長い間、ずっと自分の心の中で響いているラビの物語がある。ラビとは、賢者として認められ、神の知恵を伝えるユダヤの教師のことだ。   あるとき、ラビを前に、一人の弟子が質問をした。 「先生、人は、どのようにして、夜明けがやってきたときを、知ることができるでしょうか?」   ラビは、やさしく微笑んで、逆にその弟子に質問を返した。 「あなたは、どう思う?」   その弟子は、少し考えて言った。 「新しい夜明けが来たのを知るのは、夜明けが近くなって、鶏が鳴いたときでしょうか?」   「いいや、そうではない」 ーラビは、答えた。   「それでは、」 ー弟子は続けた。   「真っ暗だった空に、周りの木々のシルエットが、ぼんやりと浮かび上がってきたときでしょうか?」   ラビは、穏やかに答えた。 「いいや、それも違う」   「夜が終わり、新しい朝が来たことを知るのは」 -ラビは、続けた。   「許せないと思った人々の顔を見て、その人が、あなたの愛する兄弟姉妹だと分かったときだ。その日が来るまで、外はいつまでも夜のままだ」   ヨナと敵国アッシリア   これから紹介するのは、西洋社会ではよく知られているヨナの話。聖書の中に書かれている物語だ。 ヨナは祖国イスラエルを愛し、敵の大国アッシリアを憎む、ごく一般的な男。 あるとき、敵国アッシリアの首都ニネヴェに行って、「ニネヴェの人々が犯す悪の数々のために、40日後にニネヴェは神に滅ぼされる」という予言を伝えるよう、ヨナは神から命令される。 しかし、アッシリアに行くのが怖くなり、ヨナは船に乗って、ニネヴェとは反対の方向に逃げ出してしまう。 そんなヨナを見て、神はヨナの乗った船を嵐に遭遇させる。そして、ヨナが神の命令から逃げたことを知った船乗りたちは、ヨナのせいで船が嵐に巻き込まれたのと思い、嵐を沈めるために、彼の手足をつかんで海に投げ込んでしまった。 ヨナは、海で大きな魚に飲み込まれ、3日3晩、魚の腹の中で過ごすことになった。しかし、結局、海岸に吐き出されて、一命を取り留める。 そして、「やっぱ、神の命令からは逃げられねえ・・・」と思ったヨナは、しかたなくニネヴェに行って、恐る恐る神の言葉を告げる。 すると、意外なことに、ニネヴェの人々は、すぐに悔い改め、神に真摯に向き合い始めた。ニネヴェの指導者は人々に悔い改めを呼びかけ、人々がそれを忠実に実行したため、神はニネヴェの破壊を考え直すのだった。 しかし、ヨナは、1度滅ぼすと言ったのに、それを中止し、祖国イスラエルの敵であるニネヴェの人々を許した神の寛大さに怒りだしてしまう。  当時のアッシリアは、軍事的にも経済的にも、ヨナの祖国イスラエルとは比べものにならない大国で、アッシリアの強大な力は、イスラエルを力で圧迫していた。実際にアッシリアは、すでにこのとき、幾つかの戦いでイスラエルを破っている。 イスラエルの人々にとって、アッシリアは、決して愛すべき隣国ではなかった。 しかし、神はイスラエルだけの神ではなく、異国の人々の神でもあった。その神は、異国のニネヴェの人々が心を入れ変えたとき、両手を広げて受け入れた。 不満げな気持ちを抱くヨナに、神はこう語りかける。 「ヨナ、あなたは自分が作ってもいない、育ててもいないトウゴマの葉さえ惜しむのに、どうして、創造主のわたしが愛するニネヴェの人々を惜しまずにはいられようか?」   「いやいやいや、おかしいだろ。だったら、最初から『滅ぼす』なんて言わなければいい」 そう思う人もいるかもしれない。でも、これは史実ではなく、意味を読み取る物語だ。この物語のテーマは、このような、一見、突拍子もない物語を通して、「一度言ったことを考え直す神」、「イスラエルだけでなく、異国の人々も愛される神」を示すこと。古代の人々が重きを置かれているのは、話の流れの辻褄ではなくて、物語の意味の方だ。 当時なかなか描かれることがなかった、自分の言葉を考え直す神のイメージや異国の人々の神のイメージ。当時、そのような神を受け入れられない人々は、イスラエルにもいた。自分のイメージと違う神に怒りをぶつけたのが、当時の人々の気持ちを物語の中で代弁するヨナだった。 ヨナは、敵国の首都ニネヴェの人々に、否定的な思いを抱いていた。神がいくら自分の敵を愛していても、自分たちを圧迫し、自分たちを攻撃し、自分たちを苦しめる、このアッシリアを、ヨナは許すことができなかった。 ヨナの暗い夜は、いつまでも明けないままだった。   許すことの難しさ   「許すということは、何と素晴らしいことか、と思う。しかし、そう思えるのは、自分自身の前に、絶対に許せない何かが立ちはだかるまでだ」…

人生の話

どんなにつらいときでも、たとえ死にたいときでも【自殺を考えているTくんへの手紙】

 Tくんへ “Just to be is holy; just to live is a blessing.” – Abraham Joshua Heschel おっす。メッセージをありがとう。すごく嬉しかったよ。バンクーバー時代のブログから見てくれてたんだな。よく、ここにたどり着いたねー。理由があって、あえてリンクしてなかったのに(笑)。ちょっとビックリしたけど、ほんと嬉しかったよ。まさか、あのときの人だったとはね。「長い間の知り合いみたい」ってのも、確かにその通りだね。俺も、そう思うもん。繰り返すけど、連絡を本当にありがとう。ブログ書いててよかったって、久しぶりに思ったよ。 俺は、その分の感謝を込めて、友情を込めて、今回は、かなりきついことを言わせてもらうよ。他の人には言わないようなことも遠慮なく言うんで、覚悟しといて。笑 あまりに辛い状況にいるおまえを見て、俺には何と言っていいか、迷ってしまう。俺には、おまえの苦しみの深さは分からない。おまえの痛みは、周りの人間が単純化して分かった気になれるような深さじゃないだろうからな。その深さを想像するだけで涙が滲んでくる。「何で、おまえみたいなやつが苦しまなきゃいけねえんだよ」って思うし、その理不尽さに頭にくるわ。今まで何も知らなくて、申し訳ないとさえ思う。 でも、これだけは言わせてくれ。 死ぬのはダメだ。どんなことがあっても、自分の手で命を絶つことだけはするな。多少の悪さをしようと、多少情けないことをしようとな、俺に助けを求めた以上、俺とお前の関係がある以上、何を破っても、それだけは守ってくれ。 俺は、戦いで苦境に陥ったときに発したと言われるナポレオンの言葉が好きだ。 「状況だと?何が状況だ。俺が状況を作るんだ」(ナポレオン) ほんとに、そうだと思うよ。状況なんて、受け身で待つもんじゃない。おまえや俺が、自分の手で作り出していくんだよ。どんな絶望的な状態にいたとしても、どんなに出口が見えなくなっていても、それでも何とか、俺やおまえが、自分の手や足で切り開いていくもんなんだよ。 確かに、最悪の状況って思うかもしれない。確かに、人生を投げ出したくなる状況かもしれない。しかも、こんな状況に追い込まれたのは、おまえの責任じゃないもんな。 人は、ときに嫉妬や悪意に満ちていて、自分のためなら他人の人生を踏みにじることもできるもの。ときには、他人の歪んだ心が原因で、自分中心のその心が原因で、おまえみたいな誠実で優しいやつが犠牲になってしまう。本当に嫌なもんだと思うよ。理不尽だって思うよ。悲しいし、情けないし、心からの怒りさえ感じる。「自分のせいじゃないのに」ってのは、本当にその通りだと思う。 でもな、きついだろうけど、今現在、そこから抜け出そうとしない、それは、おまえのせいなんだ。自分で状況を作り出そうとしないのは、おまえの責任なんだよ。今、立ち上がろうとしないのは、今、前を向こうとしないのは、おまえの責任になるんだよ。 アウシュビッツから生還したヴィクトル・フランクルという精神科医は、「人はどんな悲惨な環境にいても、自分の態度を自分で決める自由を奪われることはない」と言った。そして、それが人間が持ちうる「最後の自由」だと、人々に訴えかけた。俺は、この10年、しょっちゅうこのフランクルの言葉を思い起こして生きてきたよ。 俺たちは、たとえ体の自由を奪われても、たとえ持っているものを奪われたとしても、自分の態度を自分で決めることのできる自由だけは、絶対に誰にも奪われることがない。たとえ、考えられうる全てのものを奪い取られたとしても、全てのものを失ったとしても、どんなに最悪な状況にいようとも、俺たちの態度は、いつだって俺たち自身が自由に決められるんだ。 たとえ悲惨な環境でも、誰かに微笑むことのできる自由はある。悪意に攻撃されている時でも、相手に愛を分け与えることのできる自由だってある。おまえも俺も、まだその自由を持ってるんだよ。 たとえ何が起ころうと、その自由だけは、決して奪われない。まだまだ、大切な人のために立ち上がることのできる自由を、状況を切り開くことのできる自由を、おまえは、今、その手に持ってるんだよ。それを、どんな奴にも奪うことのできないその自由を、おまえが自ら手放すな。 バンクーバーのブログを読んでたなら、「あなたも同じですよね」って思われるかもしれない。だいぶ前にも、ちょっとそんなこと書き込んでいたもんな。あの書き込み、きつかったぞ(笑)。 確かに、俺は病気だった彼女を19歳で亡くした後、悪いことばかりが重なってしまい、気が狂いそうになるのを抑えることで精一杯で、自分も周りもめちゃくちゃにしてしまった。発狂しそうな中で、俺は自分の態度を決めることに何度も何度も失敗した。苦しい思い出ばかりの札幌から飛び出して、東京に行ったあとも、大切な人たちに迷惑をかけ続けた。 確かに、俺だって立ち直ることができずに、人に心配をかけて、いつまでも心の奥で塞ぎ込んでた。 もしかしたら、今でもそうなのかもしれない。情けないね。かっこ悪いかもしれないね。あれから13年。それでも、この間室蘭に行ったとき、どうしても涙が出てきた。 でも、あれから、ちょっとずつ、自分が変わっていった気はしてるんだよ。少なくとも、何年も経って、心から笑うことができるようになった。人を愛することができるようになった。自分の力不足に対する罪悪感と後悔で、毎日毎日泣いてばかりいた俺が、だよ。他人には小さく見えるかもしれないけど、俺には大きな変化なんだ。 それに何より、俺は今も生きてるよ。人を愛して、人に愛されて、あのときは考えられなかった人生を、想像もつかなかった人生を、今ここで生きてるんだよ。俺は死ななかったよ。大きな痛みや苦しみや悲しみをこの背中に背負いながら、それでも精一杯、今を生きてるよ。 最初は、失敗してもいいんだよ。立ち上がれなくても構わない。いきなり何でもうまくなんてできやしない。だから、ちょっとくらい絶望したって、怒ったって、泣いたって、構わないんだよ。 ただ、お前のケースでは、そこから未来を生きることをあきらめちゃダメだ。自分を信じることをやめちゃダメだ。たとえ、自分の夢をあきらめても、他人を信じることをあきらめても、自分自身を信じることだけは、絶対にあきらめちゃダメなんだよ。 そして、悲しみや怒りや苦しみにコントロールされるんじゃなくて、それらを俺たちがコントロールする強さを覚えなきゃダメなんだよ。 一気に全部やれとは言わない。完璧にやれとも言わない。だけど、もしも俺たちが自分らしくいたいのであれば、それらのことを、少しずつ、でも確実に、しなくてはいけないんだ。 俺は、個人的に、「いのち」を与えられた者は、その与えられたものに応える責任があると思ってる。俺たちは無意味に生まれたわけではないし、無意味に「いのち」を吹き込まれたわけでもない。俺は、個人的にそう信じてる。それぞれの人間が持つ「世界観」ってやつだ。 きっと、おまえは、この感覚を共有できないだろうと思う。偶然、俺たちは生まれて、死ぬ理由もないから、ただ意味もなく人生を生きるんだと、おまえは思ってる。 俺は、それが間違ってるとは思わない。どのような世界観を持っているかなんて、人それぞれであって、人の世界観に、どれが正しい、間違ってるなんてもんはないからな。そんなもの、解釈の問題にすぎない。 でもな、「だから、俺は死んでもいいと思ってます」っていうのは、間違ってる。 確かに、知らない人であれば、俺だって間違ってるとは思わない。俺は誰かが死ぬのを止めないこともあるだろうし、何とも言えないことなんて多々あるだろう。知らない人のことは、俺には何とも言えないからだ。 でも、お前の場合、俺にとっては知らない奴どころか、この状況で最後に俺に連絡をくれた人だ。しかも、前に俺にキッツい一発をかました、というおまけ付き。笑 俺とお前の関係性がある以上、「だから、俺は死んでもいいと思ってます」っていうのも、俺は完全に主観的な感想で、それは間違ってるって言うよ。おまえという人間は大好きだけど、俺はその意見は全力で否定する。これから、どんな手を使っても変えさせてみせる。 確かに、死んではいけない普遍的な理由なんてありはしない。それは、おまえの言うとおりだと思う。哲学者が「人間は社会的動物」がどうとか言おうが、宗教者が「いのちはあなたのものではない」とか何とか言おうが、それらは決して絶対的な理由になんてなってない。おまえの鋭さ、思考力の高さには感心させられたよ。 正直、俺にも、俺と全く違った世界観を持ってるやつに、「どうして人は死んではいけないんだ?」と訊かれて、誰もが納得がいく答えを論理的に丁寧に語る自信はない。期待を裏切るようで申し訳ないけど、俺にそんな力はない。哲学を勉強して、社会学を勉強して、宗教学を勉強しても、普遍的な答えを誰かに語ることなんて、俺には難しい。「あなたの論理的思考力と優しい人格」なんて言って期待してもらって、本当に申し訳ないし、力不足で恥ずかしくなるけど、できないものはできない。 同じ世界観を持ったやつに語るのは、ある意味で簡単だけど、おまえの場合は、全く違うもんな。 だけど、そんな俺にも一つだけ、確実に言えることがある。 おまえが死んだら、俺が悲しい。だから、死ぬな。 哲学的な理由も社会学的な理由も、俺には知ったこっちゃない。俺が言うことが合ってようが間違ってようが、そんなことさえもどうでもいい。 おまえが死んだら、俺が辛い。俺が泣く。だから、おまえは絶対に死んではいけない。 完全に主観的な理由だ。どこにも客観性などないし、こんな時に客観性など、俺には知ったこっちゃない。そもそも、死んではいけない理由など、さっきも書いたけど、ありはしないんだ。…

人生の話

カナダ最大のホームレスコミュニティーでの話

僕は、収入の10%を自分以外の人のために使うことに決めている。2007年からこれを実践していて、「この人に何かをするために使うべき」と直感で思ったもののために、10%の収入を使っている。 給料をもらったら、僕はまず、10%は自分が使えない分として計算する。ただでさえ薄給なのに、最初から10%を引いたら、手元にはあまり残らない。でも、もともと僕の給料は10%を引いたものと考えているので、そこから必要な費用を差し引き、生活を成り立たせる。もともとファッションやモノにお金を使わない人間だし、慣れていってこれが当たり前になれば、特に生活苦にはならない。 稼いだもの、生産したものの10分の1を、古代の一部の信仰者たちは神に捧げていた。ヘブライ語聖書(通称:旧約聖書)には、そのことを直接示唆する記述がある。 決して教会に捧げろとは言っていないし、義務であるとも言っていないが、これを半ば強制する教会が存在する。教会のお金というのは、ときとして管理がずさんで、個人的には「困ってる人たちがいるのに、何でそんなことにお金を使うの?」と思うことも少なくない。僕は以前にそのような状況を見て、他人に自分のお金の使い道を任せるのではなく、自分で自分の収入を困難の中にいる人のために使うことに決めた。 あれから6年。バンクーバーの路上生活者を集めて食事に行ったり、トロントの路上生活者に食事やマフラーを買ったり、気持ちが沈んでいる友達を飲みに連れて行ったりと、周りの人たちを見渡して、このお金はこの人のために使うべきと思ったことに、10%の収入を使い続けた。 僕がそのようなことをしていると知って、僕のお金を頼るようになってしまった人が出たり、底なしにお金を要求してくる人がいたり、「ただお金をもらうために近づいてきてるのかな」と思ったりしたこともあったけど、ずっとこれを実践してきてよかったと、今振り返って思う。 最近、バンクーバーでお世話になった人からメールがあり、以前に関わった路上生活者が、いまだに僕のことを他の路上生活者たちにこう話していると聞いた。 「人は計算高い。多くの人は、自分のお金を投資する時は、見返りの大きさを計算する。元を回収できる投資をする。そういう計算高い人は、簡単に見分けることができるんだ。でも、あの日本人は違ったぞ。最初は嫌いだったし、おかしなやつだと思ったが、あいつは頭のおかしいやつらと友達になって、一緒にゲームをしたり飯を食ったりして、『理由なんてないよ。俺がそうしたいだけだから』と言って、いつの間にか消えていった。日本人にさえあんなやつがいるんだから、俺はこれからは人を信じたい。俺もいつか、あの日本人のしたことを他人にもしてやるんだ」 僕が使った時間とお金は、僕が知らないところで、彼の心に種となって植えられていた。使われた10%の収入を通して、何も起こらなければ、それはそれでいい。僕の存在自体を忘れてもらっても、一向にかまわない。自分がしたいことをしているだけなので、正直、そのあとのことは、どうでもいい。そう思っていた。 でも、今回はじめて、自分のしてきたことが種になっていると知って、僕の信念は人の人生に影響を与えることができるんだ、と実感できた。こんなケースは、100人に1人かもしれない。それでも、6年間、自分の収入の10%を自分以外の人のために使って、こういうことも起こりえるんだとわかって、うれしかった。 いつかこれを繰り返して、自分が関わった社会が少しでも変わっていけばいいと思う。僕は自分の周りのコミュニティーに対して、口先だけの評論家ではなく、実際に行動で示すプレイヤーでいたい。