CATEGORY 日本語ブログ

サッカー

アレクシス・サンチェスについて、あなたが知らない5つのこと【海外記事】

サンチェスは、夏に4200万ポンドでアーセナルに加入した。最初の17試合で11得点を決めた、このウィンガーについて、あなたが知らないかもしれない5つのことが以下だ。 1.貧困 サッカーでの成功によって、貧困生活からリッチな生活ができるようなった選手たちは多くいる。サンチェスのケースは、その中でも厳しいものだった。チリの炭鉱地域で育ち、彼の母親は、家計を助けるために、彼の学校で掃除係として働いていた。   2.仕事 若い頃、サンチェスはサッカー一筋だった。しかし、家族が生きていくために、車の掃除などの仕事もやらされており、また、路上でのアクロバティックなパフォーマンスをしてお金を稼いでいた。当時、尽きないエネルギーで、「リス」というあだ名をつけられていた。、その後、若くしてサッカーの才能を発揮し始めると、次第に「El  Niño Maravilla」(ワンダーボーイ)と呼ばれるようになった。   3.グアルディオラ バルセロナとの契約の後、当時のペップ・グアルディオラ監督は、サンチェスについてこう言っている。 「アレクシスは、私の心を奪った。彼と一緒にいられるのは嬉しいよ。とても謙虚な男なんだ」   4.初のチリ人選手 サンチェスがアーセナルと契約した時、彼はアーセナル史上2番目に高額な選手だった。また、バルセロナの時と同様に、彼はこの北ロンドンのクラブで初めてのチリ人選手だった。   5.故郷への想い サッカーという仕事に対するサンチェスの飢えと強い決心は、家族を養いたいという想いだけでなく、極貧の故郷トコピジャの人たちを助けたいという想いからも来ている。5つのトコピジャのサッカー場を改良するために、彼は14万ポンドの寄付もしている。 参考

人生の話

お婆さんを背負った二人の僧侶

ある日、二人の僧侶が田舎町を歩いていた。収穫物の運搬のために、ある村へと向かう最中だった。 その道すがら、老女が川のほとりに座り込んでいるのが、僧侶の目に入った。橋が架かっていないので、川を渡ることができず、困っている様子だった。   一人目の僧侶が、親切に申し出た。 「よろしければ、川の向こう側まで私たちが運びますよ」   「ありがとう」 老女は、そう言って、申し出をありがたく受けた。   二人の僧侶はお互いの両手を組んで、老女を組んだ腕に乗せ、川を渡った。渡り終えると、二人は老女を下ろし、彼女はお礼を言って、そのまま道の向こうへ消えていった。   僧侶たちも旅路を続け、10キロほど歩いたところで、一人の僧侶が不満をこぼし始めた。 「ああ、この袈裟を見ろ。あの婆さんを運んだせいで、泥だらけだ。それにいきなり重いものを運んだから、背中も痛む。」 もう一人の僧侶は、微笑みを返して、黙って頷いた。   また10キロくらい進んだところで、同じ僧侶が、再びブツブツとこぼし始めた。 「背中がすごく痛い。あんな婆さんを運ばなきゃよかった。もう歩くのも辛いよ」 別の僧侶は、道端に横たわり、不満を並べる相方に言った。 「きみはいつもそうだね。きみと違って、僕がどうして文句や不満を言わないのかわかるかい?」   彼は言葉を続けた。 「きみが不平不満を止められないのは、今もきみの心が、おばあさんを背負い続けているからなんだ。僕は、川を渡った所で、とっくにお婆さんを下ろしているのに」   他人の言動に対して、僕たちは同じことをしがちだ。もしも、あなたが不満を並べる僧侶なら、いなくなったお婆さんを、ちゃんと背中から下ろして、生きた方がいい。過去のことは、学びの材料にするだけで、背中に背負いこまない。過去の嫌なことは、人の精神を支配しやすい。でも、それに引きずられて生きていると、今日という日は、いつまで経っても満開には咲き誇らない。

サッカー

ジョン・テリーは、チェルシーの外では嫌われているかもしれないが、彼こそがイングランド最高のディフェンダーだ【海外記事】

プレミア最高のセンターバック ジョゼ・モウリーニョの主将は、自らの監督と同じように自分のクラブの外では愛されていないが、ピッチ上では最高のパフォーマンスを見せている 今シーズン、プレミアリーグ最高のディフェンダーは誰か?来シーズン終了までクラブとの契約を延長した一方、代表チームでは二度とプレーすることのないであろう、34歳のベテランで疑いはない。 ジョン・テリーだ。 他の選手たちがテリーをプレミアの最優秀選手に投票するかも興味深い。投票はすでに始まっている。また、プレミアのベストイレブンに選ばれるかも注目だ。前回の栄光からは、既にしばらくの時が経ってしまっている。 他の選手たちから、テリーがプレミアの二大セントラルディフェンダーの一人として見なされたのは、2005/06シーズン以降はない。それまでの三年間、彼は既に三年連続で選ばれたこともあったが、それ以来、彼はその座を射止めることはなかった。 2006年からは、リオ・ファーディナンドが4回、ビディッチが4回(マンUで同僚のファーディナンドとビディッチの同時受賞は、その内の3回)、ヴィンセント・コンパニが3回、ギャリー・ケーヒル、ファブリシオ・コロッチーニ、ヤン・ヴェルトンゲンなどが1回。テリーは一度もない。 しかし、テリーは、UFEAのベストイレブンには、2007年から2009年まで、三年連続で選ばれている。これは選手たちによる投票ではなく、ファンによる投票であり、大多数はイングランド外からのものだ。 分かれる選手からの評価 なぜ、テリーは、プレミアリーグで見落とされるのか?テリーがコンスタントに活躍しているのを考えると、おそらくは、メディアやサポーター以上に、選手たちの間で評価の分かれる選手だからだ。 テリーは賞賛されてはいるが、ジョゼ・モウリーニョのように、それはスタンフォード・ブリッジの外で、ではない。ジェイミー・キャラガーは、最近、モウリーニョの試合での功績は敬意を表されるし、モウリーニョは史上最も成功した監督になれる人物だが、自らが率いたクラブの外では愛されることはないだろう、と述べている。 これは、ほとんどの成功した監督に当てはまるかもしれない。しかし、選手としてはどうだろうか?テリーのような長く活躍している選手は、そのほとんどが、クラブの外でも愛情と尊敬を勝ち取っている。ライアン・ギグス、スティーブン・ジェラード、フランク・ランパードを思い浮かべるといい。しかし、テリーの場合は、その反対だ。プライベート(これはギグスも同様だが)、アントン・ファーディナンドに対する人種差別疑惑が原因なのだろう。後者は、裁判では潔白とされたが、FAでは同じ結論を下していない。 しかし、たとえテリーの人気に疑問を呈することはできても、彼の選手としての質には疑問の余地はない。彼は、突出したリカバリー能力、一対一の強さ、柔軟な対応能力を持った、驚くべきディフェンダーだ。 高騰するセンターバックの価値 シティーは、マンガラに4200万ポンドを費やした。ユナイテッドは、ドルトムントのフンメルスに、3000万ポンドを費やすかどうかを検討中だ。たとえ所属のレアルではベンチでも、ラファエル・ヴァランは、トップクラブから引く手数多だろう。 センターバックの価値は高騰しているだけでなく、選択肢はどんどんと少なくなっている。センターバック獲得は、クラブにとって死活問題だ。クラブは、必死になって、そのポジションを任せられる選手を漁っている。 イングランドには、ギャリー・ケーヒル、フィル・ジャギエルカ、クリス・スモーリング、フィル・ジョーンズが、ロイ・ホジソン指揮下で召集され、U21にはジョン・ストーンズがいる。しかし、これ以外では、選択肢はほとんどないと言っていい。リドリー・キングをケガで失ったイングランドが、それでもキャラガー、ファーディナンド、ソル・キャンベル、テリーのような質の高い選手をW杯に帯同できた、選択肢の多い2006年のような時代は過ぎ去っている。 これらの突出した選手のうち、3人は引退し、ファーディナンドは、QPRで斜陽の時を迎えている。この世代では、少なくともクラブにおいては、テリーは最高峰のレベルでプレーしている唯一の選手だ。 テリーは、代表チームに戻ることはない。それが全ての関係者にとってベストだろう。ファーディナンドの件以降、代表チームからの引退を決断したのは、他ならぬテリー自身だ。追放されているような現況は、彼が自分で決めたことなのだ。 相手からの賞賛と統計が示すテリー テリーは代表を引退して正解だった。正しい時を選んで去っている。一時的にでもチェルシーの主将の座を剥奪されずにいたのは、幸運だったくらいだろう。しかし、それでも、今シーズン素晴らしいプレーを見せているテリーが賞賛されない理由にはならない。 リーグの得点王であり、ブレーク中のハリー・ケインは、キャピタルワン・カップの決勝でのチェルシーに敗れた後、「テリーは、今まで対峙したディフェンダーの中で、最も難しい相手だった」と言っている。 トッテナムがチェルシーを5ー3で破ったその前の対戦では、ケインはテリーを翻弄していたが、二度とそのような事は許されなかった。 ケインは、次のように述べている。 「テリーが経験豊富で、どれだけ卓越したディフェンダーであるかを教えられたよ」 テリーは、過去5シーズン退場したことはない。また、今シーズンのプレミアでは1回しかイエローカードを出されていない。過去3シーズンをさかのぼっても、わずか5回だけだ。 Optaの統計によると、テリーは今シーズン、既に38回もタックルでボールを奪っている。昨シーズンは、29回だ。しかも、ファールは9回しか犯していない。タックル、ヘディング、ブロック、クリア、ヘディングによるクリア、パス、チャンスメイクの全てにおいて、ケーヒル、ジョーンズ、スモーリングを上回っている。ジャギエルカの数字も素晴らしいが、それは、このエバートン主将が守備に回る回数が、首位チェルシーのテリーと比べると多いからだとも言えるだろう。 復活した34歳 また、テリーは、驚異的な回復力も見せている。2012/13シーズン、彼はリーグ戦わずか14試合の出場にとどまっており、そのうち先発は11回だ。試合のペースについて行けず、ぎこちない姿に見えたり、一連のケガがプレーの質に影響していたときには、さすがに彼のフォームも下り坂に差し掛かっていた。 アンドレ・ビラス=ボアスの高い位置での守備は、テリーには合わなかったし、ベニテスは、彼をファーストチョイスとは見なさなかった。 自らの後継者候補のクルト・ズマのような若い才能を開花させるのに熱心でありつつも、テリーは、レーできる間はプレーだけに集中し、監督補佐のような役割からは、身を引いているように見える。 テリーは、30代の選手には一年契約しか提示しないチェルシーのポリシーと恩師モウリーニョ監督に刺激され、また代表戦の間に休息をとることによって、パフォーマンスを保っている。 テリーの復活は、驚異的で、特筆に価する。たとえイングランド代表では見ることができなくても、彼がプレミアのベストイレブンに選ばれることを願っている。 参考

サッカー

モウリーニョ、グアルディオラ体制時の比ではない。史上最も議論を呼んだクラシコ【海外記事】

1943年6月19日は、多くの人にとっては、数多くあるバルセロナ対レアル・マドリードが対戦した日の一つに過ぎない。しかし、このクラシコで何が起こるか、事前に想像したものは誰もいなかっただろう。世界のサッカー界の二大巨頭にとって、それぞれのクラシコ物語の中に、永遠に大きな位置を占めているのが、この試合だ。 レアル・マドリードがエスタディオ・チャマルティン(*レアルのかつてのスタジアム)にバルセロナを迎えて行われたこのクラシコは、11−1という、サッカーを愛するスペインにとっては、震度9の地震よりも衝撃的な結果に終わっている。 この日、スタジアムにいた観客で、これから目撃することを事前に予期したものは、誰一人としていなかったであろう。これはシーズン前の親善試合でも、チャリティー試合でもない。コパ・デル・ヘネラリッシモ(現コパ・デル・レイ)の準決勝だ。しかも、勝ち抜けの決まるセカンドレグ。ファーストレグでは、カタルーニャの雄バルセロナが、終始試合を支配し、レアル・マドリードを3−0で破っている。 しかし、バルセロナをマドリードに迎えたこの試合、レアルが前半を8−0でリードし、90分を戦い終えたとき、そのスコアは11−1にまでなった。単に一方のチームが他方を上回ったという説明では、あまりに釈然としない。何かが起きていたのではないかとい思いたくなる。 レアル・マドリードが、政府のフランコ将軍のチームである一方、バルセロナは、当時も今もカタルーニャ独立の象徴だ。当時のヨーロッパでよく見られるように、権力を握る政府は、外の世界に対して、自分たちを代表するようなスポーツチームを持つ。レアル・マドリードは、まさしくフランコ体制のチームだった。 尋常ならざる圧力と恐れの中で、バルセロナの選手たちはマドリードに到着した。サッカーの試合というよりも、戦争のような緊迫した雰囲気だった。試合中は通常の試合のようではあったが、実際には、バルセロナの選手やスタッフは、自分たち自身と家族の身の安全を危惧し、状況は、とても普通とは言い難いものだった フランコ将軍の政府が、不当な手段で試合結果に影響を及ぼしたという証拠はない。しかし、ホームではレアル・マドリードを圧倒して3−0で勝利したライバルチームが、通常の状況で11−1で負けるとは考え難い。 この瞬間、レアル・マドリードは、政府のフランコ将軍のチームになった。そのように言われている。 参考

人生の話

緊急着陸のサインを出さなかったパイロットの話

1990年、コロンビアからの飛び立った飛行機が、ニューヨークのJFK国際空港近くで墜落し、73人の乗客が帰らぬ人となった。この痛ましい事故が起きた原因は、飛行機の燃料切れだった。 燃料切れで墜落というのは、航空業界では珍しい。法律によって、目的地まで往復でき、更にしばらくは飛行できるだけの燃料を、飛行機はいつでも積んでいるからだ。 悲劇の引き金になったのは、パイロットが発した信号にある。 信号には、優先着陸、緊急着陸がある。状況によって、余裕があれば優先着陸の要請を、余裕がなければ緊急着陸の要請をすることになっている。 墜落機のパイロットが発したのは、緊急着陸ではなく、優先着陸の要請。天候が悪く、空港の上空が他の飛行機の離着陸で混み合っている中、パイロットは緊急着陸のサインを使わなかったため、着陸の順番が後回しになっていき、のちに対応が手遅れになって、燃料切れで墜落した。 そして、取り返しのつかない悲劇が起きてしまった。   いじめやハラスメントだって同じだ。心の燃料が切れる前に、緊急着陸の合図を出さないと、最悪の事態を引き起こす可能性がある。飛行機と同じように、危ない状況になったら他者に合図を出す。緊急時には、「こういうことがある」という程度の合図ではなく、「もう無理だ」という緊急の合図を出す。 そうでないと、対応を後回しにされたり、真剣に対応してもらえず、どんどんと切羽詰まった状況が起きる確率が高くなる。集団で一人の人間を陰湿に攻撃するのは、魂の殺人だ。この「殺人」の犠牲になる前に、緊急着陸の合図を出してほしい。 また、合図を受ける側の人は、いじめやハラスメントの被害者が、我慢に我慢を重ねた後、誰かに助けを求めたら、それは既に優先着陸ではなく、緊急着陸の要請だと捉えてほしい。 しばしば集団の陰湿さの攻撃対象になるのは、普段は内向的な人たち。他人に被害を訴えるには、大きな勇気がいる。その人たちが何らかのSOSを出した時点で、それは優先着陸ではなく、既に緊急着陸の要請だ。そう思って、真剣に向き合ってほしい。

日本語ブログ

ヨーロッパの大学を出たらヨーロッパに就職できると考えるのも、ヨーロッパが就職難だからヨーロッパで就職できないと考えるのも、両方とも短絡的すぎる

  ヨーロッパの大学を卒業した中国人は、そのままヨーロッパで就職しようとする人が非常に多い。全体の割合は不明だけど、僕が会っただけでも、かなりの中国人が卒業後に現地で就職している。どの人も、それなりに英語が話せ、少し現地語がわかるレベル。 「中国人ができるなら、日本人留学生もできるだろ。英語のレベルは同じようなもんだし」と僕は思っているけど、ヨーロッパで働いている中国人の話では、中国人留学生と日本人留学生の間には、大きな違いがあるそうだ。 それが、大学で専攻する分野の違い。中国人留学生は、大学で食えるスキルを身につけることに特化する傾向があるとのこと。まあ、実際はどうかわからないけど、彼らの周りの傾向として話をしているんだろう。 話を聞かせてもらった中国人男性たちは、「中国人は、金になる学問に集中してるよ。勉強するのは、機械工学、コンピューター、医学ばかりだ」、「中国に帰りたくなくて、ヨーロッパで就職しようとしてるやつばかりだから、スキルを身につけて現地就職することが頭にあるんだ」、「ここで文学や哲学を専攻している中国人には会ったことない。俺も機械工学じゃなくてドイツ文学を勉強したかったけど、専門家にでもならない限り、その先、どうやって食っていくかわからないから諦めた」と言っていた。 中国の都市部の数学教育レベルは非常に高い。これも中国人留学生には、良い方向に働いているそうだ。ヨーロッパで教育を受けた高校生と比べて、理系の学問には、教育を受けた中国人は強い傾向がある。オーストラリアで教授のアシスタントをしているトルコ人の博士課程の学生も、「中国人たち(学部生)は、クレイジー。教えている私よりも知識がある。『何であなたたち(ほどの知識を持った人)が大学院生じゃなくて、学部生なのよ』って思う」と言っていた。 中国人留学生たちは、自分たちの強みを専攻に活かし、それを留学先の国での就職に結び付けている。多くの中国人留学生が、現地就職をしているのも頷ける。 僕は「専攻も影響するだろうけど、ヨーロッパにおける中国語の需要の問題もでかいんじゃない?」と予想したけど、それは即座に否定された。 「それは違う。スキルのない人の言い訳にすぎない。実際、俺たちは、仕事で中国語なんて使ってないよ。英語だけだ」 なるほど。英語だけであれば、日本人も条件は同じはず。 また、中国人がヨーロッパで就職してる現実に関して、彼らは「日本人とは、必死さも違う」とも言っていた。 「日本人は、別に日本で就職してもいいと思ってるだろ。中国人は違う。政府がコントロールできない国外で就職して、子供たちに海外のパスポートを持たせたいんだよ。アメリカやオーストラリアの中国人移民を見てみろ。日本とはレベルが違う、移住への執念みたいなものがある」 確かに、中国を脱出したいという中国人は、トルコでもポーランドでもハンガリーにもいたし、以前に住んでいたカナダには大量にいた。帰りたくないから、現地で職を得るために必死になる、というのは、まあ、理解できる。 日本人の中には、ヨーロッパで就職するのは無理、と考えている人が存在する。語学力も含め、スキルのない人に限って言えば、確かにほぼ可能性はない。そんな日本人を現地企業がわざわざ雇う理由が見つからないので、それは当たり前のこと。 でも、「無理だ」というのは間違っている。スキルがあれば、たとえ日本人でも留学後の可能性は開ける。中国人たちがいい例だ。 一番ダメなのが、「ヨーロッパが就職難だから、僕も就職できない」という思考パターン。 「就職難だから留学生も就職は無理という単細胞は中国にもいるけど、そんなのは、その人のスキルと情熱次第、スキルの需要と供給のバランス次第。スペインは就職難だからって、スペインでは就職できないと考えてるバカな中国人はいない。ジョブマーケットを調査して、実際に就職してるやつはたくさんいる。ポーランドなんか経済が好調だから、俺たちだって狙ってるよ」 彼の言う通り、「ヨーロッパは就職難だから、留学生も就職できない」というのは短絡的で、浅はかな考えではある。誰がいい加減な事を言い出してるのか、イギリスに増えているポーランド人移民を見て、ポーランドは就職難だと言い出している人間もいて、中国人が呆れていた。就職は、そもそもがスキルの需要と供給のバランスで決まる。短絡的に現地人の就職難を留学生の就職と結び付けることはできない。これがわかっていない人は、中国でも日本でも、「ヨーロッパの就職難」という漠然とした言葉に過剰反応してしまう。 特にアジアも含め国際的な活動をしている企業では、英語、現地語に加え、中国語や韓国語を話せる人を雇うメリットは大きい。韓国人の友人は、そういう企業を狙ってインターンをしたり、コネを作ったりして、今は就職を決め、ドイツのフランクフルトで研修をしている。 ポーランドの企業にヒヤリングした限りでは、国際的な企業は外国人の雇用にも積極的だ。ただ、特別なスキルがない場合は(主に文系専攻)、現地語に長けていることが条件になると明言していた。多くの場合に英語を共通語にして働く理系の人たちと違い、文系専攻であれば、英語だけでなく、現地語をマスターすることが、就職にはほぼ必須になる。 自分で調査せずに、適当に「ヨーロッパは就職難だから、就職は無理」という人は、現地企業が何を求めているかも知らず、怠惰な態度で可能性の模索を諦めている点で、ヨーロッパに行っても就職できる可能性は低い。 僕のインタビューを受けてくれた中国人、韓国人グループのように、スキルの需要と供給を見極め、必要なスキルを大学で磨ける人は、卒業後に現地で道を切り拓く可能性がある。実際に、僕が話した人たちは、それを行動して証明した人たちだ。 中国は、何もせずに現在の経済発展を遂げているわけではない。北米でもヨーロッパでも、必要な努力の見極めを怠らない多くの中国人留学生が、母国の凄さを作り出すことに一役買っている。中国人たちのインタビューでは、「やっぱ中国人すげえわ。ゴール設定から、ゴール達成までの道が戦略的」という感想しか出てこないくらい、彼らの積極性、戦略的思考に感心した。 日本人留学生は、多くの中国人留学生のように、「金になる学問」に集中して就職できるスキルを身につけているわけではない。文系専攻も比較的多い。その分、たとえ希望したとしても、中国人留学生よりは現地就職の割合は減るだろうと予想している。 それでも、就職は自分次第。ヨーロッパの大学に行けば、日本の一般的な大学に行くよりも、有利な環境でヨーロッパ就職に挑める。語学、異文化コミュニケーション力が身につきやすく、ヨーロッパという場で就職戦線にのぞめる。それを活かすも殺すも自分次第。本気で現地就職したければ、戦略的思考で目標を達成してほしい。

日本語ブログ

ヨーロッパの主要大学に一年・半年の学部英語留学。学費はフィリピン留学以上に格安で、休学、ギャップイヤー取得者にオススメ

  簡潔に言えば、内容は交換留学制度とほぼ同じ。一年・半年間留学をして、留学先の海外大学の単位を日本の大学に編入できる。ただ、留学先の大学から日本の大学に留学生が交換で来るわけではないので、正式には「交換」留学ではない、というだけ。 この留学ができる大学は、ヨーロッパでも限られる。しかも、交換留学に比べると、若干、複雑な手続きが必要で、アレンジの仕方は、各大学の学部によって大きく異なる。願書提出前に留学先で指導教授を見つけなきゃいけない場合、所属大学の認可が必要な場合、履修する授業をあらかじめ選ばなければいけない場合など、様々なケースが考えられる。     対象になる人 この大学学部留学サポートは、 大学生のうちに英語留学をしておきたい 一年・半年の留学を格安で体験したい 就職前にヨーロッパで海外生活を経験したい ヨーロッパで友達を作りたい でも、 学内の交換留学の選考に通らなかった 大学の提携先には留学したい大学がなかった 交換留学に興味を持ったのが遅すぎた といった人を念頭に置いている。   メリット 単位が取れる 国内主要大学に留学ができる 学費が安い 生活費が安い   チャレンジ 英語検定試験の点数が必要(最低限IELTS5.5) 平均的な成績が必要 メールアドレスが必要(キャリアメールは除く)   基本サポート 大学リスト送付と整理 大学選びのアドバイス 出願エッセイの添削/アドバイス 願書に必要な書類チェック 住居探し 緊急時の対応 詳細は、Good Friends Japanのウェブサイトを参照。

日本語ブログ

40万円未満の学費で、ハンガリーの名門大学に一年間の英語留学ができる

僕が訪れた都市の中で、生活費が安く、街並みが美しいところと言えば、チェコ共和国の首都プラハと並んで真っ先に思いつくのが、ハンガリーの首都ブダペスト。「ハンガリーかあ。あんまりイメージが浮かばんわ」と親友が言っていたように、おそらく、ほとんどの日本人にとって、ハンガリーという国は、あまり馴染みがない。 僕も最初はポーランドばかりを調査していて、近隣のハンガリーは真剣に調査していなかったんだけど、ひょんなことからハンガリー人と繋がりができ、ハンガリーの大学を調査し始めた。大学の国際オフィスと話を重ねるうちに、「これは、ものすごい穴場だな。歴史あるヨーロッパの町の国立大学に、この金額で留学が実現するんだ?これは日本からの留学生を送り込むしかない」という思いが確信に至り、大学とも正式に提携することにした。 ハンガリーの幾つかの都市で色々な大学生にアンケートをとったり、インタヴューをしたりしても、ハンガリー在住の留学生たちの満足度は非常に高い。アジア人があまりいないので、アジア人にはあまり話を聞けなかったけど、何人かの中国、ベトナムからの留学生たちは、「費用も考えたら、ここは最高の環境だ」と言っていた。   ハンガリーでは、英語を学ぶ留学も、英語で学部のクラスをとって単位取得をする留学もできる。英語コース終了後には、日本に帰国してもいいし、ワーキングホリデーに行ってもいいし、ハンガリー内外の大学に学部留学してもいい。一年間の英語コース終了後には、いくつかの選択肢が考えられる。 英語で学部留学、大学院留学するには、最低限のアカデミック英語の力が必要だ。ハンガリーの国立大学でアカデミック英語の力を伸ばし、そのままハンガリーで大学進学するのも、他国の大学にも留学するのも、将来の可能性を広げる意味では、よい選択肢になる。 また、就職するにせよ、起業するにせよ、自分が慣れていない未知の文化に身を置いて、様々な生活習慣の人たちと英語を共通語にして大学生活を送った経験は、きっと活きてくるはず。 僕も大学と大学院では、留学生という立場で学んでいたので、今の留学生たちを見ると、当時の自分自身を重ね合わせてしまう。「効率よく勉強して能力を高めて、一生付き合えるいい友達を作って卒業してほしいな」と、心から思う。

人生の話

今までの人生で最も幸せな瞬間はいつだったか

ときどき、「生きているのが嫌になった」、「人生の幕を閉じたいです」という人からメールをもらう。カナダで働いていた2007年くらいから、ちらほらと、そのようなメールを受け取るようになった。 あの頃は、短い海外生活ブログを、ほぼ毎日更新していた。アクセス数も伸びたけど、バンクーバーからカナダの東部に引っ越すときに、ある理由で全てを閉じた。 トロントでまた新しくブログを始め、そこでも僕が書く内容に呼応して、精神的にギリギリの状態にいる人たちからのメールが来るようになった。バンクーバー時代のブログの読者が、検索を重ねて、僕を探し出してくれたケースもあった。 カナダでの僕の仕事の大部分が、自分のせいではない事情で苦しむ人の人生をサポートすること、要望があれば問題の解決に乗り出すことだった。ブログの影響もあり、知らない人たちにも名前や顔が知られるようになり、ものすごい数の電話やメールを受け取り、僕の心身が限界にきたことも何度かある。全く異文化の中にいながら、あのような責任ある立場で、普通の仕事では考えられないプレッシャーを背負いながら生きる20代は、良くも悪くも、そうはいなかっただろうと思う。 正直、今の仕事は、当時ほどの莫大なプレッシャーはない。ごく稀なケースを除いて、誰かの命がかかっている、という仕事ではない。 今はもう、自分の両親や祖父母のような年代の方々から「先生」と呼ばれ、知らない人たちにまで顔が知られる生き方はしていない。ベンツで迎えが来て、カナダの高級マンションでワインを飲みながらミーティングという「これって教会がするようなことですか?」と思わず言ってしまうような生活もしていない。 町を歩いていて、全く知らない人から「あら桑原先生!」、「Hi. You are the one from Vancouver, right?」などと声をかけられて、焦ることもない。 「あんなに頑張ってたのにどうして?」、「なぜ日本に帰ったんですか?あなたのような人が組織を変えていくんですよ」、「もったいない。あなたがいないと何も変わらない。カナダに戻ったらどうですか?」などと言われても、これから再び同じことをすることはないだろう。結局、組織内の醜い争いや足の引っ張り合いに巻き込まれ、組織内の調整に追われて、自分の使命の実行は妨げられるのが目に見えているからだ。 僕は嘘や虚飾や暴力が当たり前になっている人間関係の中で生きることは、もう二度としたくない。そんな環境に大切な人生の資源を割くより、他の方法で自分の使命を実行したほうがいい。基本的に僕は決めたことに柔軟なほうだと思うけど、こればかりは文字どおり死の一歩手前まで追い詰められて決めたことであり、これから心変わりすることはない。 ただ、立場は変わっても、当時から魂を削って実行していたことは、これからも続けたいと思っている。自分がしていたことは、ただの仕事ではなく、「人生」という大きな存在から自分に与えられた使命だと思っているからだ。 そのようなことの一つが、卑劣な人間の心の歪みの犠牲になっている人たちと、少しだけ共に歩く時間を持つこと。僕も仕事をして生活していかなきゃいけないので、あまり多くの時間は避けないけど、深刻な内容のメールをもらったら、仕事に関係がなくても、確実に返すようにしている。 個人情報がわかる部分は少し書き換えをしているけど、以下のメールも、そのような状況で書いたものの一つ。僕が送った2014年最後のメールだ。   メールをどうもありがとう。そして、応援メッセージもありがとね。今はすごく体力的にキツい時期だから、特に勇気づけられたよ。大変な中、僕のことまで気遣ってくれてありがとう。 本当に、本当に、色々なことがあったんだね。メールには書き切れないくらい、苦しいことが、叫びたいくらい辛いことが、山のようにあったんだろうね。そんな中で、僕のことを対話相手に選んでくれたこと、僕は嬉しく思う。 僕は、卑劣なことをする人たちの精神的幼稚さの犠牲になる人を、少しでも減らしたいと思ってる。卑劣なことをする人間がいれば、当然、その犠牲になる人もいる。カナダに住んでいた頃、一部の人たちが、人間としてとても看過できないことをするのを、僕は見てきた。犠牲者の一人は帰国を余儀なくされ、ある人は「二度とあんなところには行きたくない」と行って僕に涙を見せ、またある人は嘘の噂話をばらまかれて、人生の変更を余儀なくされた。 僕は、こういった犠牲者を減らしたい。少なくとも、僕の周りではなくしたい、と思ってる。だから、いじめや集団ハラスメントなどの被害に遭っている人には、なるべく時間を裂くようにしている。もともと、教会でそういう活動をしてたから、その流れで、帰国後も、ずっとこれだけは続けてるんだ。 今回のように、いつか誰かが僕の書いたものを読んで、何かを感じてくれるかもしれない。「やっぱ、死ぬのはやめとこう」と、思い直すかもしれない。以前に、一人の親切な人が僕が書いたものを読んで、「私もとにかく生きてみます」と言って、自殺を思いとどまってくれたことがあった。たった一人にでもそういった効果があるのなら、僕はこれからもここで発信していきたいと思ってる。 誰のためでもなく、昔の自分自身が呼び起こされて、僕自身が苦しまなくて済むように。 苦しんでいる人に「自殺は世間の迷惑」とまで言う人間がいるのは、悲しいことだと思う。迷惑がかかるなんて、そんなもの、本人が百も承知だろうにね。そうやって言う人たちは、自殺する人を、どこまでのおバカさんだと思ってるんだろうな。迷惑も苦しみも分かった上で、それでも死を選ぶという選択なのに。 あなたの耐えられない苦痛に思いを馳せない人たちの言うことは、聞く必要がない。あなたの生死の問題に関して、あなたの状況を直視しようとしない人のことには、耳を傾ける必要はない。人は自分の思い込みで、事実そっちのけで勝手に言いたい放題のことを言う。何を言われても、そんなどうでもいいやつのことは放っておけばいい。くだらない人間の言動に振り回されるのは、今すぐやめるんだ。 あなたは自分勝手ではない。断じて違う。多くの自殺は、実際は社会による殺人だ。状況が人を追い込んで、精神的な安静を奪う。周りの人間が作った状況が、あなたの心臓をえぐっていく。あなたは死ぬんじゃない。殺されようとしてるんだ。社会ではなく、「周りの一部による殺人」と言い換えてもいい。あなたの場合は、一部の人間が、あなたの心を殺そうとしてるだけだ。 あなたは今、他人に自分自身を殺させようとしている。あなたは彼らに自分を殺す許可を与えようとしている。自分の命をコントロールする許可を、みすみすくだらない連中に与えようとしてる。自分で相手に自分をコントロールさせようとしてるんだよ。 僕はいつも同じことを言う。他人に大切な自分を絶対に殺させるな。これだけだ。心ない人間に、自分自身をコントロールさせるな。 あなた自身が許可を与えなければ、自分を渦巻く環境は、あなたを殺すことができない。その環境は、あなた自身をコントロールすることなどできはしない。コントロールするのは、いつだって自分自身だ。外部のやつらじゃない。 絶対に、どんなことがあっても絶対に、その許可を下らないやつらに与えるな。生きるんだ。今の時点で、どんなにつらくても、だ。 ぶっちゃけ、「自殺」という概念がいいのか悪いのか、僕には判断する力がない。この社会には、「悪いに決まってるだろ」という人が大半だと思うけど、突き詰めて考えていけば、それを「悪いこと」と定義できる人間なんて、歴代の哲学者、思想家の著書や論文を読んでみても、誰一人いない。ゼロだ。一応、政治思想や倫理学を学んで、カナダの大学院で思想系の修士号をとったけど、今のところ誰にもそんなことを理由づけできていない。「個人的に悲しいこと」と定義できる人は、僕も含めて、たくさんいるだろうけどね。 絶対的な答えがない以上、いくら僕が「人が自ら命を絶つのは絶対にダメだ」と言っても、聞き入れるのは難しいよね。そもそも理由が不確かなものを受け入れられるわけがない。 僕はいつも、自殺は言葉の概念ではなく、個別に焦点を当てて考えるべきだと思ってる。「ヒト」という生物が死んではいけない普遍的な理由なんてない。どこにもない。今まで、世界中でどれだけの哲学者、社会学者、宗教学者、教育者が論じてきて、誰も一つの絶対的な答えを出していない。今現在の段階で、誰も絶対的な答えをもってない。カント、ロールズ、サンデルといった、名だたる哲学者たちでもだ。 だけど、「自殺したい」と思う個々人「Aさん」は、確かに存在する。普遍的な「人間が死んではいけない理由」があるかどうかは別にして、「個人Aさんが死んではいけない理由」は、個々のケースを考えれば、あると思ってるよ。 今回、僕があなたのメールを読んで、思ったことがある。 あなたは、死んではいけない。なぜなら、究極的には死にたいわけじゃないからだ。理由を勘違いしたまま死んでいくのを、僕は黙って見ているわけにはいかない。 頭にくるかもしれないけど、誤解のないように繰り返すよ。あなたは、死にたいわけじゃない。断じて違う。だから、その行為を取る意義を、僕が認めることはできない。 「はあ?」って思うかもしれない。 「『死にたい』って、はっきり言ってるじゃん!」って思うかもしれない。 それでも、僕ははっきりと言うだろう。「あなたは死にたいわけではない」と。 そして、繰り返し言うだろう。 「あなたは、辛くて苦しいのを止めたいだけだ。それが目的であって、死ぬこと自体は手段にすぎない。目的を果たせれば、手段が死である必要などどこにもない」と。 あなたが望んでいるのは、自殺そのものではない。今の状況から抜け出すことだ。 「本気で死にたいって言っていない」ということではない。決してそうではない。あなたは悲痛なまでに本気だ。文章を読めば、強烈にそれが伝わってくる。 そうじゃなくて、死にたいというのは、僕には他の感情の言い換えに聞こえるということだ。「死にたい」という言葉を言わせている感情の正体は何なのか、そこを死ぬ前に僕と一緒に考えてほしいと思う。 まずは、自分に向けて使う表現を変えるんだ。 「死にたい」じゃない。「生きるのが辛くて耐えられない」と言うんだ。 死にたい? 何で?   辛いからだろ。 苦しいからだろ。…

日本語ブログ

海外で交友関係を広げる方法

何人かの人に心配をかけたじんましんも、昨日から落ち着いた。これからも出張を続け、1月にハンガリー、ポーランド、チェコ共和国入りする。 大抵、午後の遅い時間までは、コーヒーを飲みつつ、ここに留まって仕事をしている。「ホステルの無料コーヒーは、まずい」という経験則を打ち破り、ここの無料コーヒーは、そこそこうまい。あくまで「そこそこ」だけど。 ホステルには、数週間から一ヶ月、ときには一年くらい滞在する人もいる。僕は比較的、長期滞在をすることが多いので、そういう人たちとは何度も顔を合わせることが多く、特に深い関係を築きやすい。 こうして深めた関係は、ちょくちょく仕事の発展につながる。僕は今、トルコのイスタンブールにいるけど、夏にポーランドやスペインで出会ったトルコ人たち、トルコの大学で勉強している韓国人がいなければ、今頃、僕はトルコにはいない。 海外で交友関係を広げる方法 海外にある程度の期間滞在するとき、現地で交友関係を広げるには、いくつかの方法がある。今日のエントリーは、その話。僕が利用しているのは、以下の3つの方法だ。 1.ホステルに泊まる 地元の人とはあまり知り合えないけど、様々な国の様々な背景の旅行者たちと知り合うことができる。僕にとっては最高の場所。部屋で知り合ったり、ラウンジで知り合ったり、受付で知り合ったり、いろいろな出会いのチャンスが転がっている。 ナンパと勘違いされると困るので、自分からアジア人女性には話しかけないことの方が多いけど、基本的に男性には自分から話しかけるタイプ。2011年にトロントのホステルで僕に話しかけられた男性の数は、おそらく3桁になるだろう。おかげで、日本人男性も含め、今も深い付き合いを続けている友達が沢山できた。 「ホステルで友達なんてできないっすよ」という日本人がいたけど、それは自分から行動していないだけ。積極性の問題だ。 イスタンブールでは、夏にワルシャワで出会った中国人、新たに知り合った中国人と数日を共にした。文法も発音もめちゃくちゃな英語を話す二人だけど、彼らは積極的に色々な人たちとコミュニケーションを取って、すぐにホステル内の人気者になっていた。 僕も知らない外国人の集団に難なく入っていける性格をしてるけど、彼らは僕以上。すぐに周りと溶け込んでいく彼らのおかげで、一緒にいる僕も随分と交友関係が広がった。彼らは、英語がめちゃくちゃでも、交友関係を広げられる人間の好例だ。 2.オンラインコミュニティーを利用する 現地でイベントに参加できる主なものとして、以下の三つがある。 カウチサーフィン ミートアップ インターネーションズ 英語が話せる現地の人や現地在住の外国人と知り合うには、このような集まりに参加するのが有効。旅人が多いホステルとは違い、現地の人も多く参加しているので、現地の人とも知り合うことができる。 ウェブサイトが英語で、イベントの内容も英語で書かれているのがほとんどなので、英語がわかる人たちが参加するのも助かる。現地語が話せなくても、英語だけで容易に交友関係を広げることができる。 最初に参加するときは一人で、集まる人が知らない顔ばかりなので、「グループを見つけられるかな」と思うけど、何度か参加しているうちに、だんだんと友達や知り合いが増えていき、すぐに馴染みの顔ばかりになって、心配が少なくなる。ハードルがちょっと高いのは最初だけ。 英語に関しても、「英語を学びたい」と思って参加する人も多く、相手が外国語としての英語で、ゆっくり話してくれるので、英語が聞き取りやすく、英語があまり得意ではない人でも、会話しやすいことが多い。 基本的に、このような集まりに参加する人たちは、海外の文化に興味を持っていたり、異質なものにオープンな人が大半。中には、日本文化に強い興味を持っている人たちもいて、時々、日本語で話しかけられたり、日本のことを色々と聞かれたりもする。ヨーロッパやトルコでこのような会に集まるアジア人は比較的少数で、アジア人が行けば、良い意味で珍しがられるのも、僕は嫌いじゃない。 僕は、このような集まりに仕事の一環として参加しているので、ときにはエスプレッソやレッドブルの力を借りて、多少疲れていても、時間が切羽詰まっていても、遅れて行くことになっても、色々な会に顔を出して、たくさんの人たちと話すようにしてる。その結果、びっくりするほど、交友関係が広がった。私生活にも、仕事にも、とてもよい影響を与えている。 3.SNSを使う 僕はあまり使っていないけど、SNSでも人と出会うことができる。 僕の場合は、英語版のツイッター。チェコ共和国第三の都市オストラヴァの大学やインターナショナルスクールと提携を結ぶために動き始めたのも、ツイッターで交流していたチェコ人がきっかけ。夏には彼女の家に泊まり、息子さんとも街を散策し、多くの友人達を紹介してもらった。 日本人と交流したいという外国人も、僕はツイッター経由で見つけることが多い。実際に留学する日本人学生と交流することに興味のある人も、ツイッターからリクルートしていることもある。オンラインだけで交流している人もいるけど、僕が出張に行ったときに、現地で直接会う人もいる。SNSも人と出会うための強力なツールだ。 気をつけること 日本人女性は「イージーターゲット」と見られる 不特定多数の見知らぬ人たちと知り合う際に気をつけるべきは、下心を持って近づく男たちだ。 失礼を承知で言わせてもらうと、世の中には、一般人の想像を超えた、とんでもない男たちがウヨウヨいる。ただでさえ、日本人は「イージーターゲット」として知られているので、女性のみなさんは、本当に気をつけていただきたい。 カナダに住んでいたときには、ストーカー行為をされたり、男性に脅迫をされたり、無人になったバスで運転手に抱きつかれたりした女子大生たちが、僕に相談を持ちかけてきていた。 カナダや日本で僕が開催していた集まりでも、欧米人たちが、アジア人女性たちに遊びでアプローチしまくっていたことが多々ある。タクシーで二人きりになったときにキスしようとしてきたり、強引に自宅に連れ込もうとしたり、しょーもないアホ男たちの話は、山のように聞いてきた。 「彼氏がいるから」というのは、こういう輩には全く通じない。こういう人間には、相手に付き合っている人がいるかどうかなど、そもそも関係がない。 僕は、ミートアップやカウチサーフィンのプロフィールに、パートナーと一緒に写っている写真を使っている。どう見ても「明らかに結婚してるか、付き合ってる男女」という感じの写真をプロフィール写真にしている。女性に「僕は相手がいる」というのを明確にして、妙な誤解を与えないためだ。 でも、どういう思考回路をしているのか、最近、僕を写真の女性の方だと思い込んで、連続でメッセージを送ってくるトルコ人男性たちがいる。 今日も朝起きたら「ヘイ、ハニー」、「そこにいるのかい、ダーリン?」というメッセージが入っていた。次々に甘い言葉をかけて、「ハニー」と呼んでいる相手が、35歳のオッサンだと知ったら、彼はショックで寝込むだろう。相手をするのが面倒なので、しばらく彼を泳がせておくことにした。メッセージを読む限り、舞の海ばりに技のデパートを持つ男なので、これからどんな技を繰り出すのか、アホ男の研究のために、しばらく観察。 それにしても、隣に男性が写っていて、「明らかに彼氏だろ」とわかるはずなのに、それでもアプローチしまくる男性。「『ノー』を言わない日本人女性に、外国人男性は遊びで群がってくる」と聞いてはいた。他の人は知らないけど、少なくとも、彼はなかなかのツワモノだ。 男の人も例外ではない もちろん、男だけがこういうことをするわけではない。男性差別者がするように、「男はアホだ。気をつけろ」と言いたいわけでもない。逆バージョンもある。 僕はカナダのバンクーバーで、子持ちの既婚中年女性に不倫関係を迫られ、断ったら復讐された経験がある。不倫関係を迫るとき、断った後の彼女の豹変ぶりは、しばらくトラウマとして残りそうなレベル。「ジキルとハイドとは、このことか」と思った。 その後、僕が信頼できる役員3人に相談して、大使館勤務の男性から、その女性は以前にも同じ問題を起こしたことがあると聞いた。結局、その女性は帰国し、表面上は落ち着いた。 その中年女性が、帰国後、マナー協会の講師として働いているという話を聞いたときは、「体を張ったジョークか。笑」と思ったけど、グーグルで検索したら、事実だったので、さすがにずっこけた。最初から最後まで、ドラマやコメディのような展開だ。 この例からもわかるように、男性だけが自分の欲望のままに、他人にすり寄ってくるのではない。下心を秘めながら近づいてくるのは、女性だって同じだ。男性だからといって、安心できるとは限らない。 人の外ヅラに騙されるな ときとして、人の外づらと、その内面は大きく違う。友達のように近づいてくる人も、心の中で何を企んでいるかはわからない。残念ながら、フレンドリーに近づいてくる人には、隠れた動機を持っている人もいる。 と、いうわけで、女性(特に女子大生!)は、本当に、本当に注意してほしい。世の中は、僕たちの想像をはるかに超えた生き物が存在する。人間とて、決して例外ではない。 よい国際交流は、安全を抜きには語れない。安全が根底にあってこそ、旅行も留学も交流も、思い出深いものになる。海外に旅立つ人は、そのことを絶対に忘れないでほしい。

サッカー

リオネル・メッシのキャリアを変えた、ペップ・グアルディオラからの深夜の電話【海外記事】

〜バルセロナのストライカーは、彼の元監督のインスピレーションによって、「偽9番」として新たな息吹を与えられた〜 スペイン人記者マルティ・ペラルナウによる、興味深いペップ・グアルディオラ研究は、(メッシの2ゴールを含め、6−2で勝利した)対レアル・マドリードのクラシコの数時間前に、トレーニング場のオフィスで明らかにされた計画が、どのようにリオネル・メッシのキャリアを変えたのかを明らかにしている。 2009年5月。サンチャゴ・ベルナベウでのバルセロナ対レアル・マドリーの一戦。ペップ・グアルディオラが秘密兵器を解き放つ舞台は整った。 試合開始から10分が過ぎ、スコアは0ー0のまま。ペップはリオネル・メッシとサミュエル・エトーに合図を送り、二人の選手はポジションを入れ替えた。普段センターフォワードのエトーは右ウィングに、右ウィングのメッシは中央の攻撃的MFに近い位置に移動した。 マドリーのセンターバックのクリストフ・メッツェルダーとファビオ・カンナバーロは困惑し、この変化にどう対応していいかわからなくなった。 この本を分析するにあたり、私はデュッセルドルフでメッツェルダーと夕食を共にする機会があった。当時の驚くべき日のことは、今も彼の記憶に新しい。 「ファビオ(カンナバーロ)と僕はお互いに顔を見合わせたよ。『どうする?メッシを中盤まで追うか、このまま深めに守っておくか?』僕たちは、どうしていいかわからなかった」 偽9番のシステムは、グアルディオラの革新の中でも、最も非凡なものの一つとして歴史に刻まれている。彼が偽9番のシステムを開発したからではない。メッシという稀代の選手を通して、そのシステムを構築し直したからだ。 一体、グアルディオラはどのように実行したのだろうか。 それは試合の前日、祝日の金曜のことだった。グアルディオラは、スタジアムに残って対戦相手を研究していた。これは彼がバイエルンでも継続している、いつもの習慣だ。彼はこれから激突する相手を二日に渡って分析し、強みと弱みを洗い出す。全試合のビデオを最初から最後までチェックし、アシスタントが選んだビデオのクリップに目を通す。バイエルンで現在も共に仕事をしているドメネク・トレントとカルレス・プランチャートは、当時も今も、その類の情報を提供する役目を担っている。 試合の前日、彼はオフィスで一人になり、静かめの音楽をかけながら、試合へのアプローチを考える。 どこから攻め入ろうか? 試合を支配するのに最適な方法はどれだろうか? 「私は座って、2、3のビデオを見て、ノートをとる。そこで、ひらめきがやってくるんだ。私の仕事が意義を放つ瞬間だ。その瞬間はすぐにわかる。勝つ方法がわかる。1分くらいの短い間だが、それが私の仕事が意味深いものになる瞬間なんだ」 グアルディオラが魔法の瞬間について話すとき、おそらく2009年5月のマドリー戦を思い返しているのだろう。レアル・マドリードを打ち負かす新しい方法を見つけたと、世界に示した瞬間のことを。 バルサとレアルの前回の対戦を見ながら、レアルの中盤のグティ、フェルナンド・ガゴ、ロイストン・ドレンテが、自軍のシャビとヤヤ・トゥーレに強くプレッシャーをかけているのかに、彼は気がついた。同時に、センターバックのカンナバーロとメッツェルダーが、キーパーのイケル・カシージャスの近くに位置を取る傾向にも気がついた。この二つのことから、マドリーのDFとMFの間には、スペースができていた。 夜10時。ペップは一人でオフィスにいた。アシスタントも含め、既に全員が家に帰っている。薄明かりで照らされた部屋に座り、メッシがベルナベウの巨大なスペースを自由自在に動き回っているのを想像していた。メッツェルダーとカンナバーロが、このアルゼンチン選手を追いかけるべきかどうかを迷い、ペナルティエリアの外で固まっているのが、ペップには見えた。このイメージは、極めて明瞭だった。彼は受話器を取り上げ、メッシの番号に電話をかけた。 夜10時半。ペップのオフィスのドアが静かにノックされ、21歳のレオ・メッシが入ってきた。監督は彼にビデオを見せ、時折ビデオを止めながら、マドリーのDFとMFの間の空いたスペースを示した。ペップは、そのスペースをメッシに支配させようとしていた。 これから、そのスペースは、「メッシ・ゾーン」と呼ばれるのだ。 「明日、マドリードで、きみには通常通りウィングで先発してほしい。でも、私が合図したら、中盤の選手から離れ、私が今示したスペースに移るんだ。そして、シャビかアンドレス・イニエスタがラインを突破して、きみにボールを渡したら、カシージャスが守るゴールに突き進め」 それは二人だけの秘密だった。ペップが次の日、ティト・ビラノバにチームのホテルで説明するまで、このことは誰も知らなかった。 キックオフの少し前、グアルディオラは、シャビとイニエスタにこう伝えた。 「中盤のラインのスペースにレオ(メッシ)を見たら、ためらうな。レオにボールを渡すんだ。ヒホンでしたように」 2009年5月、この戦略は完璧に機能して、バルサはレアル・マドリードを6ー2で粉砕した。メッシは偽9番になったのだ。 参考:How Lionel Messi was transformed at Barcelona – thanks to late-night phone call from Pep Guardiola

人生の話

ジョージ・フレデリック・ワッツが描いた、視力を失った少女からのメッセージ

日本ではあまり有名ではないかもしれないけど、僕はこの絵が大好きだ。   via Wikipedia   これを描いたのは、19世紀イギリスの画家ジョージ・フレデリック・ワッツ。 視力を失った少女が、星の上に座り、たった一本だけ弦が残ったハープを手にしている絵。見えるものもなく、真っ暗な闇の中で、ボロボロのハープを手にした少女が、一人ぼっちで耳を傾けているのは、わずかに残った一本の弦の音。 ワッツは、この作品に『希望』という題を付けた。     その目には何も見えなくても、そばにあるものがボロボロになっても、たった一人になっても、この少女が耳を傾け続けたのは、希望という音色。たった一本残った弦で奏でる音色だった。     あまりに大きな困難で行き詰ったとき、僕はたまにこの絵を見る。ワッツがこの少女を通して聞いた希望の音に、僕自身も耳を傾け、自分には何が残されていて、どんな音を奏でられるのかを、立ち止まってもう一度考えてみる。 そして、自分にできる精一杯のことを、前向きに紡ぎ出すようにしている。   すべてのものが失われ、ボロボロになったあとでも、僕には希望が残されている。前向きに生きる希望が、次のステップを歩む希望が、僕には残されている。 たとえ一人になったとしても、たとえ暗闇の中にいたとしても、たとえ何も周りに残されていなくても、その音色だけには、いつまでも耳を傾けられる自分でいたい。

サッカー

バイエルン指揮官グアルディオラ「私はティキタカが嫌いだ。ゴミ同然で意味のないものだ」【海外記事】

グアルディオラに関する最新本を出版した、ジャーナリストのマルティ・ペラルナウが、グアルディオラとの時間を語っている。参考:テレグラフ ペラルナウは言う。 「(ニュルンベルグ戦での)バイエルンは前半ひどかった。まるで選手たちが、確実にボールをパスして、ペップを喜ばせようとしているようだった」 ペラルナウとの食事の最中、グアルディオラはこう言ったという。 「私は、パスのためにする全てのパス、そんなティキタカは嫌悪している。そんなものはゴミ同然であり、何の目的もない。パスは相手ゴールに迫るという明確な意図を持って出されなければならない。パスのためにパスをするのではないんだ」 次の日、グアルディオラはミーティングで自分の意図をさらに展開して、選手たちに言った。 「自分らしくあれ。みずからのDNAを掘り下げてくんだ。私はティキタカは嫌いだ。ティキタカはパスワークのためにパスをして、明確な意図に欠けている。そんなのは意味がない」 「外部の人間が言うことを信じるな!バルサはティキタカなどしていない!そんなのは創作されたイメージだ!一言も信じるな!相手ディフェンスを追いつめるために、相手側のピッチを占拠する。それが秘訣だ。片方のサイドを支配して、相手を引きこもらせることで、こちらのサイドに手を出させないようにさせるんだ」 「それをしっかりやれば、相手を攻撃し、ゴールすることができる。だから、パスをする必要があるんだ。ただし、明確な意図を持って、だ。相手に負担を強いるためにするんだ。相手を追いつめ、強烈な一撃を食らわせる。私たちのゲームもそうである必要がある。これはティキタカとは関係ない」

人生の話

16年ぶりの同級生に会って考えた、「生きる」ということ

「桑(僕)は、あのあと誰とも連絡取ってないでしょ。アメリカにいるって噂はあったけど、どうしてたの?」 「生きてたよ」 昔の同級生と16年振りに言葉を交わした。「ああ、俺がアメリカにいるって話は広まってたんだ」と思った。 「あのあと」とは、1998年10月10日のあとのこと。 その前々日、親友のIから電話があった。 卒業した高校の元担任Mから電話があった、と伝えられ、「俺が今から言うことを落ちついて聞いてくれ。頼むから落ち着いて聞いてほしい」と言われた瞬間、彼が次に何を言うのか僕にはわかった。 「Nが・・・死んだ。病院で亡くなって、明日、室蘭で葬儀がある」 心のどこかで予期していた。それでも、「そのとき」が来たときの衝撃は大きすぎた。震えが止まらなかった。直後になんと言ったかは覚えていない。 ただ、意識が遠のいていくほどの心拍数の乱れと、受話器を持てなくなるほどの震えだけは、鮮明に覚えている。 人生で唯一付き合った人間の死を「落ち着いて聞け」か。こんなのを落ち着いて聞けるやつなんて、それこそ、頭がどうかしてる。 「桑、聞いてるか?大丈夫か?」 「ああ。大丈夫かどうかは知らんけど、聞いてはいる」 彼は通夜や葬儀の日時を僕に伝え、二人で参列するアレンジを始めた。 「この間、兄貴ん家行ったときと同じ場所で待ち合わせしよう」   「……。いや、俺、行かないよ」 「は?どういうこと?葬式に行かないってこと?」 「行かないよ。何で俺が行くんだよ」 「おい!何考えてんだ!おまえが行かなくてどうすんだ!」  彼は突然怒り出した。彼女が白血病になってから別れを切り出されたとは言え、僕が彼女のことをどれだけ大切に思っていたか、彼に今まで打ち明けてきた悩みの数々を考えれば、怒られるのは当然のことだ。彼の怒りは、今になって、よくわかる。 「どうもなんねーよ!!行かなくても、どうにもならねーよ!!」 でも、この時の僕には、物事を判断する力も、先のことを考える余裕もなかった。その後も、あまりにしつこく葬式に連れ出そうとするIに、僕も混乱を押さえきれずに怒り出した。 「行かねえっつってんだろ!!行ったらどうなるんだ!?何が変わるんだ!?俺が行ったら生き返んのか!?生き返るんだったら何度だって行くよ!!でも、そうじゃねえだろーがよ!!人の気も知らないで『葬式に来い』なんて簡単に言うな!!!」と言い出し、お互いに声を荒げて、電話口で喧嘩になった。 ブチギレた彼は、「俺は明日、〇時に〜に車でおまえを迎えに行く!!待ってるからな!!絶対来い!!!」と怒鳴って、一方的に電話を切った。 電話を切ってしばらくは、「ふざけんな、あの野郎!」と思ってたけど、段々と色々な感情がごちゃごちゃになって、その後、僕は何時間も机に突っ伏して泣き続けた。 彼女の遺体を見るのが怖かったのか。 現実を認めたくなかったのか。 みんなの前で正気を保っていられる自信がなかったのか。 死んでから行っても遅いと思っていたのか。   とにかく、僕は行きたくなかった。   それから何をしていたかは記憶がない。仕事に行って、泣きながら店長に休みをもらったこと以外は、全く記憶にない。 気がついたら、夜が明けていた。     次の日、結局、僕はIとの待ち合わせ場所に行った。「人の気も知らないで」なんて言ってしまったけど、彼女の白血病が発覚してからの僕の葛藤や混乱を、彼は最もよく知っている人間だ。 待ち合わせ場所でお互いを見ると、二人とも恥ずかしそうに笑って手を振った。   「I、ごめん。昨日は俺が悪い」 「あんな桑は初めてだわ。おまえ、キレ過ぎだよ(笑)」 「おまえは人のこと言えないだろ…」 「ははは」 久しぶりに少しだけ笑って、僕の心が少し軽くなった。 あとは、二人ともいつもの調子で札幌から室蘭まで二時間のドライブ。途中で心の整理のために止まってもらったこと、車の故障があったことで、結局、二人で葬儀に少し遅刻して参列した。   そして、葬儀の最後に献花をするとき、二年間の闘病生活の末に、骨と皮になるまでやせ細った彼女の遺体を見た。棺の中で化粧をして横たわっていた彼女は、僕と付き合っていた頃とは別人のようだった。 何で、こいつが苦しまなきゃいけないんだ。何で、こいつが未来を奪われなきゃいけないんだ。こんなのは、おかしいだろ!なんでだよ! 答えのない問いを、誰が答えるわけでもない問いを、僕は心の中で繰り返した。 別れを切り出す前の彼女の気持ちを考えられなかった、大事なことを言葉にして伝えなかった自分が嫌になる。共通の友達だった彼女の幼なじみに、以前に泣きながら言われた言葉が突き刺さった。 彼女の幼馴染たちは、僕を責めなかった。それどころか、僕のことも気にかけてくれた。   だけど、悪いのは僕だ。情けなかったのは、誰でもない、僕自身だ。すぐに諦めてベストを尽くさなかったのは、紛れもない僕自身だ。そう考えたとき、喪失感以上に、罪悪感と後悔が胸を締め付けた。 このときのことは、今でも夢に出てくる。あまりに何度も夢に出てきたので、自分に都合のいいバージョンの夢で、実際の記憶を書き換えようとさえ思った。 高校の同級生が沢山いて、僕のことをコソコソ話してる人もいたけど、僕はその場の誰とも一言も口をきかずに、ご遺族以外の誰とも目を合わせないようにして、終わったらすぐに葬儀場を去った。…

日本語ブログ

チェコ共和国のインターナショナルスクールで日本文化を教え、同時に英語を学ぶ人を募集する

11月27日に東京に行くことになった。東京で友人たちやサポーターに会い、香港を経由して、ポーランドとチェコに向かう。現在の計画では、クリスマスも年末年始もポーランドで過ごすことになる。 北米の大学と大学院を卒業し、カナダとシンガポールで働き、香港に頻繁に飛び(今回で9回目)、今はポーランドとチェコを中心に事業を進めている。大学時代から、ほとんど日本にはいなくて、海外を飛び回っているので、安い飛行機を探すのは段々と得意になってきた。今のところ、香港—ポーランドの報復が9万円くらい。「安っ!」というほどではないけど、がっかりするほど高くもない。セールがなければ、こんなものだ。 さて、最近、チェコ人の友人と親しいインターナショナル・スクールの創設者と、日本人の英語学習者向けに事業をすることにした。現段階では、インターナショナル・スクールで、チェコの子どもたちに簡単な日本語を教えながら、イギリス人の先生に英語を教えてもらう、という仕組みを念頭に置いている。インターナショナルスクールは英語環境なので、子どもたちと触れ合うことで、英語力も自然に伸ばすことができるし、子ども好きには、最高の環境になる。日本語教育を勉強している人などにもピッタリな留学を用意できるだろう。 まだ正式に募集していないけど、興味のある人がいれば、このようなインターナショナルスクールでの体験学習を、これからアレンジしていくので、連絡をくれると嬉しい。まだ相手側と話し合っている段階なので、詳細を伝えるのに時間がかかるだろうけど(12月にはチェコ共和国で正式に契約する)、かなり好感触で話が進んでいるんで、インターナショナルスクールで日本文化の講師+英語学習くらいであれば、実現できるだろう。その人の希望に合った形の体験学習を、学校の理事長と交渉して実現することもできるかもしれない。 学校の場所は、チェコ共和国第三の都市オストラヴァ。ワルシャワと並び、僕が最も安心して、留学生を送り込める都市だ。札幌の友人に「プラハじゃないんですか?」と言われたけど、「現段階ではオストラヴァ」というだけで、将来的にはプラハの学校とも事業提携することを考えている。いくつかの事業を抱えて僕の頭がパンクしそうなので、プラハに関しては、再来年以降の話になるだろう。今は、プラハよりも遥かに物価が安く、日本文化好きな友人がいるオストラヴァに集中だ。 友人たちやサポーターの協力のおかげで、「裕福な家庭出身以外の子にも、英語留学の選択肢を」という、僕の長年の想いが、少しずつ現実味を帯びてきた。 大学進学が難しい児童養護施設の若者が、チェコのインターナショナルスクールで英会話力を身につけ、その後、ポーランドの大学を卒業し、大学卒業時にはバイリンガルとして、海外や日本の企業に就職したり、起業したりする。自分やサポーターたちが作った仕組みで、社会的に困難な状況にある人が、日本に興味のある外国人たちと仲良くなり、大学で英語力も身につけて、私生活も仕事も充実させ、未来を好転させる。 そんな日が来るのを夢見て、三連休中の札幌で、せっせと仕事に励んでいる。理不尽で不公平な社会の構造は、自分の行動で変えていく。数日中に終わらせるべき仕事が山のようにあるけど、自分の想いを実現するために働けるのは幸せだ。

人生の話

パンドラの箱に最後まで残っていた、たった一つのもの

ギリシャ神話の一つに、「パンドラの箱」の神話がある。現代では、「開けてはならないものを開けてしまった」という意味に使われるようになった、あのパンドラの箱だ。 訳の間違いによって、「箱」となっているが、もともとのギリシャ語では、「つぼ」という意味に近い言葉が使われている。 ギリシャ神話の中では、パンドラは、地球上の最初の女性だった。彼女は、美の神アフロディテによって美しさ、音楽の神アポロによって音楽、弁論の神エルメスによって弁証術など、多くのものを与えられており、「すべての贈り物、すべての能力を与えられた」という意味の「パンドラ」という名前を与えられていた。 ある日、全能の神ゼウスは、これから結婚するパンドラに、人と同じくらいのサイズの大きなつぼを与えて言った。 「これだけは、決して開けてはならないよ」 しかし、好奇心を抑えきれないパンドラは、のちにこのつぼのふたを開けてしまう。その瞬間、つぼの中からは、様々なものが外に勢いよく飛び出していった。 慌てたパンドラは、急いでつぼのふたを閉めるが、時すでに遅し。つぼの中のものは、一つのものを除いて、全て外に出て行ってしまった。 つぼの底にたった一つだけ残ったもの。 それが「希望」だった。 パンドラの箱の神話は、このようにその物語を閉じる。 なぜ、このような結末だったのか。それは誰にもわからない。 全てのものが出て行ったパンドラの箱の奥に、たった一つ残ったもの、それが希望だった。このギリシャの有名な神話は、そのような結末をもって、後世に語り伝えられていく。   希望。   多くのものを人生で失っても、これだけは、まだつぼの底にひっそりと残っている。 命がある限り、何を失ったとしても、希望だけはこの手に残っている。

ポーランド

ポーランドの首都ワルシャワに着いたら参加してほしい、ウォッカ付きの2時間無料ツアー

どこの都市に行っても、まず試してほしいことの一つが、無料のツアーに参加すること。ワルシャワに到着したとき、僕は最初に、ガイドがオレンジの傘を持って案内する、オレンジ傘無料ツアーに参加した。 王宮広場にあるジグムント三世記念碑の下に、午前11時に集合。 そこでしばらくポーランドの歴史に関する説明を受けて、すぐそばの旧王宮へ移動。旧王宮では11時15分から国歌の演奏があるので、それに合わせて移動しているようだ。 演奏が終わると自然と周りから拍手がわき起こる。僕も思わず拍手していた。   元々、王宮は古くからの建築様式で作られていた。ジグムント三世の時代に立て直すときには、王宮は既に時代遅れになっていたので、そのときに近代的な四角い窓に作り替えられたそう。 ガラス窓はついていないけど、今でも昔の形の窓のあとは見ることができる。建物に近づいてみると、小さな欠片をつなぎ合わせたり、燃えて黒かったりする部分があり、それらは破壊される前の建築の残骸らしい。 第二次世界大戦中に破壊されたので、現在の建物は20世紀に復元されたもの。この辺りの多くの建物は、主にイタリア人とドイツ人によってデザインされていたので、ガイドは「ドイツ人が作った建築をドイツ軍が破壊するのは皮肉なことだ」と言っていた。 王宮広場から旧市街の市場広場へ。この辺りの小道には、素敵なショップが沢山ある。 この辺りにはオープンテラスのカフェが多い。オープンテラスのカフェと言えばパリ、というイメージがあるけど、ワルシャワにも沢山ある。ありがたいことに、ワルシャワの方が食べ物も飲み物もはるかに安い。小さなグラスのビールをカフェで飲むと200円くらいで、小休憩をするのにちょうどいい。午後になると沢山の人がカフェでのんびりしている。 スウェーデンに姉妹像にあたるものが現存する、市場広場にある人魚の像。ちょっと見づらいけど、右にある剣を持ってる黒っぽい像がそれ。 伝説によると、スウェーデンからポーランドにやって来て、沢山の男性を虜にしたが、男を取られた女性たちの怒りを買い、結局は牢屋に閉じ込められてしまったそう。牢屋から彼女を救い出した漁師との約束で、ワルシャワ地区を守ることになったとか。いろいろな話のバージョンがあるらしく、これは僕が行ったときのガイドが話していたバージョン。 戦争中にワルシャワの街を守っていた城楼(バルバカン)。 旧市街から新市街に続く道。ここにも有名な教会と沢山のカフェ、レストランが並んでいる。この先の新市街に行くと、比較的カフェは空いてるけど、この辺りはまだ人で溢れることが多い。 マリア・スクウォドフスカ(キュリー夫人)が住んでいた家で、現在は彼女の功績を讃えるミュージアムになっている。 「キュリー」は結婚したフランス人の旦那さんの姓で、ポーランド人には「スクウォドフスカ」の方が馴染みがある。僕も子どもの頃に読んだ伝記の影響で、「キュリーさんの妻」という意味のキュリー夫人ではなく、マリア・スクウォドフスカという一人の女性としてこのポーランド人科学者を覚えているので、「キュリー夫人」という日本語訳は違和感がある。 誰かの「夫人」という形で訳す必要があるのかどうか、僕には謎。 再び城楼に。この城楼も、戦時中に破壊されたが、その後に修復された。 子ども兵士の記念碑。実際は、この年齢の子どもたちが戦争に駆り出されることはなかったそうで、この記念碑は象徴的な意味合いが強い。「事実がないのかよ。じゃあ、それは捏造だろ」と参加者が言っていたが、まあ、象徴的ってことで、ゆるく捉えてほしい。 オレンジ傘ツアーと提携のあるパブで、無料のウォッカとおつまみをもらう。周りの人たちと話していて、ウォッカの写真を取り忘れた。「ウォッカなんて飲めないよ」と思ってたけど、意外と抵抗なく飲めた。 クラクフからワルシャワに首都を移動した王、ジグムント三世の記念碑に戻って来た。 カトリックの「聖人」でもない人間の像が、塔の高いところに位置するのを、当時のカトリック教会は反対したらしい。侃々諤々の議論の末、市内には設置は許可しないが、市の外であれば許可する、という妥協点を見いだしたとか。 そこでジグムント記念碑が建てられたのが、旧市街の塀のすぐ外。これでギリギリ市外になり、基準をパス。今では王宮広場のシンボルの一つだ。 終わった後は、仲良くなった参加者たちと、ガイドが勧めてくれたBar Warsawへ。昼間から結構な量を飲んで、そのまま夜までみんなでご飯食べたり、お茶を飲んだりして解散。楽しかった。 オレンジ傘ツアーは、毎日午前11時から。午後1時過ぎには、ジグムント記念碑の下で解散。「手っ取り早くワルシャワの歴史や旧市街を知りたい」、「わざわざお金出してウォッカは飲みたくないけど、試してみたい気持ちはある」などという人は、ワルシャワで是非参加してほしい。 参考:Orange Umbrella Free Tour Warsaw

サッカー

チェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督が秀逸なモチベーターである5つの理由【海外記事】

メディア操作 チャンピオンズリーグの第一レグで、チェルシーは、PSGにアウェーで3-1で破れてしまった。そのとき、本拠地スタンフォード・ブリッジでの第二レグに向けて、モウリーニョが行ったのは、選手を奮い立たせるだけではない。襲いかかるプレッシャーに対応できる状態に向けていくことだった。 第二レグが始まったのは、審判がキックオフの笛を吹いたときではない。本当のキックオフは、モウリーニョが恒例のメディア対応をしていた、試合の24時間前に始まっていた。 試合前のプレス・カンファレンスでの彼の言葉は、選手たちをPSG戦に向けて奮い立たせるものだった。 彼は自信に満ちて、雄々しく振る舞った。そして、選手たちとフットボール界に自分のメッセージを発するために、メディアをうまく利用した。 「チェルシーは、闘わずに敗れ去ることはないのだ」 彼らが、その後、2-0でPSGを破り、アウェーゴールの差で準決勝に進んだのは、モウリーニョの影響があったことは間違いない。 それからモウリーニョは目立たなくなったが、ときが来れば、選手たちにメッセージを伝えるために、またメディアを利用することだろう。   情熱 モウリーニョは、最新のスーツとフィットしたシャツを着こなし、タッチライン際では優雅に見えるかもしれない。しかし、そんなものに騙されてはいけない。 なめらかなイメージの裏にいるのは、フィールドから出るボールを蹴り返し、不正なプレイに怒り、自分の選手たちの成功に一喜一憂して、いつでも飛び出す心構えでいる、スポーツウェアをまとった監督だ。 他の監督は、もっと上品なやり方で選手たちと一体感を出そうとするかもしれない。しかし、モウリーニョは、行動でそれを表現する。それを見て選手たちは自分の役割を理解し、モウリーニョは選手たちとうまく混ざり合う。選手たちは、監督から自分が価値ある選手だと伝えられる。彼らがベンチを見たときに、そこにいるのはただの監督ではない。共に戦場に駆け出す一人の男なのだ。 これが、モウリーニョが多くの選手たちと、ただの選手と監督以上の絆を育んだ、多くの理由の一つだろう。   労働倫理 「モウリーニョは、誰もがやらないやり方で選手たちをコントロールする」 自伝の中でズラタン・イブラヒモビッチは記している。 「彼は軍のリーダーだ。この男のためなら死ねる、と思わせる監督だ。他の監督の倍は働く。そして選手を試合に向けて準備させるんだ」 もしも、監督が選手にだけ全てを要求して、自分は何もしないのであれば、そんな監督にどのような結果を残すことができるだろうか。 イブラヒモビッチは、強大なエゴで知られた人物だ。そのイブラヒモビッチにさえ、モウリーニョの労働規範は深い影響を与えている。モウリーニョの手法が、あのイブラヒモビッチからこれだけの反応を引き出せるなら、他の多くの選手に関しても同様だろう。   愛情 このチェルシー監督を知るには、これだけでも十分だろう。 先のイブラヒモビッチのコメントと似ているが、このポルトガル人指揮官が選手と育む絆は、とても大きい。選手への愛情によって、その絆は築かれている。 チームを率いているとき、そのチームの選手を、モウリーニョは何よりも愛する。 心、ファイティングスピリット、勝ちたいという望みを、選手が全て彼に見せれば、彼もそれに報いてくれる。そして、選手への愛情は、選手を成功へのモチベーションに駆り立てる。 その反面、選手が全てを見せることができなければ、モウリーニョは失望し、選手はモウリーニョを理解できずに終わるだろう。   自信 サッカー選手が自信に満ちあふれたとき、彼らは世界を制することができる、とさえ感じる。 日程が詰まってるだと? それがどうした。   怪我だと? 注射をしてくれ。   不利だと? 間違ってることを証明してやるよ。 気持ちの問題は、サッカーだけではなく、全てのスポーツに当てはまる。 モウリーニョの就任によって、選手たちは気持ちを育てる監督を手にした。選手は彼のためにも勝ちたいという気持ちにさせられ、モウリーニョは勝利のためにチームを磨き上げる。 モウリーニョは、選手たちに敗北の予感を植え付けない。彼のやり方は、選手たちに「自分は成功できる」という自信を焼き付けるものだ。上のYouTubeクリップは、試合前のチームトークにおいて、彼が選手に静かに信念を伝えている場面。 「負けることはできない」 モウリーニョは、選手たちに言った。   敗北すれば、チェルシーのシーズンにどのような影響があるかをただ伝えているのではない。繰り返しに注目してほしい。 「負けることはできない。我々は、負けることはできないんだ」 もしモウリーニョが十分に伝えたなら、選手たちはそれを信じる。 選択の余地なく、信じるのだ。 参考:5 Reasons Why Chelsea Boss Jose…

ポーランド

29万で一年間のヨーロッパ英語留学(学費)

クラクフの聖マリア教会 photo credit: NicoTrinkhaus via photopin cc 住居費(寮・アパート)、食費、交通費などは、2050ユーロには含まれていない。だけど、ポーランドはヨーロッパの中でも生活費が格安。寮は月2万円もかからないし、アパートは月3〜4万円程度。 転職のために英語力を上げたい、大学を休学してヨーロッパに住みたい、ヨーロッパを体験しながら格安で英語を学びたい、という人は、ぜひ体験してみてほしい。 *同程度の学費で学部留学する選択肢はあるが、これはクラクフに限らず、他の国の大学でもできる。北欧であれば、学費無料で、一学期、一年間留学することも可能。