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お婆さんを背負った二人の僧侶

ある日、二人の僧侶が田舎町を歩いていた。収穫物の運搬のために、ある村へと向かう最中だった。

その道すがら、老女が川のほとりに座り込んでいるのが、僧侶の目に入った。橋が架かっていないので、川を渡ることができず、困っている様子だった。

 

一人目の僧侶が、親切に申し出た。

「よろしければ、川の向こう側まで私たちが運びますよ」

 

「ありがとう」

老女は、そう言って、申し出をありがたく受けた。

 

二人の僧侶はお互いの両手を組んで、老女を組んだ腕に乗せ、川を渡った。渡り終えると、二人は老女を下ろし、彼女はお礼を言って、そのまま道の向こうへ消えていった。

 

僧侶たちも旅路を続け、10キロほど歩いたところで、一人の僧侶が不満をこぼし始めた。

「ああ、この袈裟を見ろ。あの婆さんを運んだせいで、泥だらけだ。それにいきなり重いものを運んだから、背中も痛む。」

もう一人の僧侶は、微笑みを返して、黙って頷いた。

 

また10キロくらい進んだところで、同じ僧侶が、再びブツブツとこぼし始めた。

「背中がすごく痛い。あんな婆さんを運ばなきゃよかった。もう歩くのも辛いよ」


別の僧侶は、道端に横たわり、不満を並べる相方に言った。

「きみはいつもそうだね。きみと違って、僕がどうして文句や不満を言わないのかわかるかい?」

 


彼は言葉を続けた。

「きみが不平不満を止められないのは、今もきみの心が、おばあさんを背負い続けているからなんだ。僕は、川を渡った所で、とっくにお婆さんを下ろしているのに」

 

他人の言動に対して、僕たちは同じことをしがちだ。もしも、あなたが不満を並べる僧侶なら、いなくなったお婆さんを、ちゃんと背中から下ろして、生きた方がいい。過去のことは、学びの材料にするだけで、背中に背負いこまない。過去の嫌なことは、人の精神を支配しやすい。でも、それに引きずられて生きていると、今日という日は、いつまで経っても満開には咲き誇らない。

ABOUT ME
Yasu
Good Friends Japan CEO. We aspire to offer opportunities of international education especially to unprivileged young adults. ヨーロッパと台湾で仕事をする北海道育ち。大学をアメリカ、大学院をカナダで修了。リベラルアーツ教育、宗教教育修士。
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