「Yasu」の記事

人生の話

親が刑務所に入っている子供を無料でサポートする理由

「普通の家庭の子供を差し置いて、犯罪者の子供を特別扱いか。そんなことを続けるなら、こちらにも考えがある。覚悟しなさい」   先日、そんなメールが来た。   僕が経営している会社Good Friends Japanでは、社会的に困難な環境に突っ込まれた人の留学を無料でサポートしている。親が刑務所にいる人も、特別サポートの対象だ。 「犯罪者は許すべきではない。犯罪者予備軍の子供を特別扱いするなど、自分は理解できない」 受け取ったメールには、そのような内容が、攻撃的な言葉遣いで綴られていた。   あなたがそのメールを送った本人であれば、僕があなたに言いたいことは4つある。 第一に、「あなたが犯罪の被害者や家族・友人であれば、直接の加害者にどんな感情を抱こうと自由なので、許さない感情だけは全面的に肯定する」ということ。「許すべきではない」というのも極めて自然な感情なので、賛同するかどうかは別にして、僕も全面的に理解する。おそらく、同じ立場であれば、僕自身も相手を許すことができるか、心もとない。 第二に、「あなたが犯罪の被害者でも、その家族・友人でもない無関係な他人で、勝手に歪んだ正義感を振りかざしているのであれば、あなたは犯罪者一般に対し、許す許さないの判断をする立場にいない」ということ。相手は全くの他人であるあなたに許される必要など微塵もない。あなたにできるのは、好き嫌い、気にいる気に入らない、の判断だけだ。 第三に、「あなたが誰であろうと、親が犯罪を犯したという一点をもって、その子供たちに不当な言葉を吐くことはできない」ということ。無関係な他人はもちろんのこと、犯罪の被害者本人であろうと、そんな権利を有していない。なぜなら、子供たちは無実だからだ。親が起こした事象を理由に、その子供たちを差別することはできない。 第四に、「子供たちはむしろ、起きてしまったことに苦められている側の人間」だということ。無実の人間が、親が起こした事象で苦しんでいる。僕には、特別扱いするに十分な理由だ。   Good Friends Japanの責任者は僕で、最終決定は僕が下す。 その僕が決めた。親が刑務所に入っている人は無料で留学のサポートをする。支離滅裂の脅迫でそれを変えられると思っているなら、あなたは大きな間違いを犯していることになる。   10年近く前から、こうすることは決めていた。単なる思いつきでやってるわけじゃない。以下は2009年の秋に書いた内容の一部を書き換えたもので、当時から既にこうすることを考えていた。   2008年の夏、僕は2ヶ月間、当時住んでいたカナダを離れ、日本の教会で研修をしていた。 今も忘れられない大勢の素晴らしい人たちに出会い、その中に、初めて会ったときから強烈な印象を残した中学生の姉妹がいた。 見た目は今どきの中学生という感じだけど、驚くほど繊細で鋭い姉妹。日本、アメリカ、カナダで多くの10代と関わってきたけど、その中の誰とも印象が違った。精神的な成熟さは、群を抜いていた。教会のあり方への受け答え、小学生の子供たちへの気遣い、会合の準備での立ち振る舞い。どれをとっても、とても中学生とは思えなかった。 会う前から「お母さんのレストランを手伝っている、大人びた中学生の姉妹がいる」というのは、複数の人から聞いていた。でも、実際に身近で接していると、二人が与えた印象は僕の想像を超えていた。 教会の行事を一緒にしたり、教会のお泊まり会で明け方まで一緒に盛り上がったり、二人がパンを焼いて持ってきてくれたりして打ち解けていくうちに、この中学生の姉妹は、僕の中で本当に大きな存在になっていった。 中学生といっても大人の役割をしてくれるので、二人が一緒にいるだけで、僕の教会での仕事は格段に楽だった。だんだん僕を二人でいじってくるようになったので、「おまえらアホだろ!笑」というときは何度もあったけど、僕にとっても、小学生の子供たちにとっても、いてくれるだけで安心する存在。いるのといないのとでは、場の雰囲気が大違いだった。 どこでも会ったことのないような、不思議な印象を残した姉妹。 一般的な10代とは比較にならないほど大人びて、あまりに敏感で鋭い彼女たちを見て、当初から「平均的な子供とは違う環境で生きてきたんだろうな」と想像はしていた。   ただ、それでも、「僕が研修に行く前年に、お父さんが監禁と性的暴行の罪で逮捕されて刑務所に入っている」という彼女たちの背景は予想していなかった。 被害者は、複数の女子高校生。事件の内容を考えると、中学生の姉妹、特にお姉ちゃんの精神が耐えられるような話ではない。お父さんが大学生の時に全く同じ犯罪を犯していると聞けば、なおさらのことだ。     地元のメディアにも取り上げられ、大勢の耳にも触れたこの事件。残された家族は、野次馬たちの好奇の目にさらされていく。評論家ヅラをした無神経で無思慮な者たちに、あることないことを言われて、精神的に追い詰められていく。 そんな中を、この姉妹は、強気な態度で必死に生き抜いていた。 お姉ちゃんの方が、学校で父親のことで悪口を言われたときのことを、僕を含めた大人たち数人の前で話したことがある。 子供はときに残酷だ。心無い言葉を平気な顔で投げつける。 聞いてるだけで言いようのない怒りがこみ上げてきたけど、言われた本人は冷静だった。 「でも、しょうがないじゃん。事実だもん」 平静な表情で、そう言っていた。     辛いことがあったとき、人はどうしても自分のことばかりを考えてしまう。でも、この姉妹は違った。教会の子供たちのことを誰よりも考えてくれた。 突然あんな状況で生きることを余儀なくされた15歳と13歳の中学生。それでも、僕の眼に映ったのは、いつもいつも大変な状況の子供たちをサポートしようと頑張る、世界一のお姉ちゃんたちだった。 「俺もこんな人間になりたいもんだな・・・」 他人に影響を受けないたちの自分でも、この二人にはそう思わされた。   時が過ぎ、僕の研修が終わってカナダに戻るとき、この姉妹とそのお母さん、そして、彼女たちが昔からお世話になっている人たちで、僕のお別れ会を開いてくれた。お互いに信頼している親しい人たちだけを集めた、最初から最後まで笑顔が絶えない楽しい会だった。 そして、もう夜も遅くなり、そろそろ帰ろうかという時間になったときに、姉妹のお父さんの話が話題に上がった。二人のお母さんも、当時の様子を周りの人たちと一緒に分かち合ってくれた。   そんな中、色々と後片付けをしてくれていた姉妹のお姉ちゃんにも話が向けられ、彼女も、学校でのこと、逮捕の当時、家に一人でいるときに無神経なマスコミがアパートに押しかけたことなどを、その場で話し出した。 周りの人たちや姉妹のお母さんに、逮捕当時の話は聞いてはいた。でも、当時の具体的な様子を、この子の口から聞くのは初めてだった。…

日本語ブログ

IELTS/TOEFLなしでヨーロッパの大学に休学・認定留学して単位を取る方法

僕はGood Friends Japanという国際教育、留学関連の会社を経営していることもあり、「一学期、一年間の休学・認定留学をしたい」という大学生からの留学相談を連日受けている。 相談者の成績(GPA)とIELTS/TOEFLの点数は、人によってかなり幅が大きい。IELTSでは3.5-7.5、大学のGPA(4段階)平均では1.4-3.8くらいだ。 属性の大きく異なる学生たちに、「希望する留学に向けて、これからどのように行動すべきか」という点に関して、同じ提案はできないし、与えられるヒントも変わってくる。どのように行動するのがベストなのかは、人によって異なってくる。   成績・英語力の4象限マトリックス   僕らは学生の留学を手伝うときに、4象限マトリックスを使い、留学する予定の学生が、成績、英語力のそれぞれの軸で、だいたいどの位置にいるのかを記録している。下が普段使っているもののざっくりバージョン。実際に使っているものには、数字のメモリと合否の記録が細かくつけられている。   今日の内容は、この4象限の2(右下)のあたりにいる人向け。成績は平均以上あるけど、IELTS/TOEFLの点数だけが学部留学に足りない人、もしくは、そもそも点数自体を持っていない人を念頭に置いて、ちょっとだけ手助けできそうなことを書いてみる。 出願締め切りまでにIELTS/TOEFLの点数がないと、大抵は学部留学などできない。基本的には、そう考えておくべきで、IELTS/TOEFLの点数は、早めに取っておいた方がいい。僕はいつも、そうやって強く勧めている。 ただ、どうしても点数が届かない人、そもそも出願締め切りまでに点数が受け取れない人には、以下の二つのやり方があることを記憶の片隅にいれておいてほしい。わずかな数だけど、一部の大学では、これらの方法が通用する。 特に、二つ目の方法が取れれば、IELTS/TOEFLなしでヨーロッパの大学に休学・認定留学することができる。   1. IELTS/TOEFLをあとで提出する   第一に、IELTS/TOEFLを提出を出願締め切りの後にしてもらう方法。 何も言わずに黙ってあとで提出しても、大学は取り合ってはくれない。「やべ、IELTS/TOEFLの提出間に合わん・・・」と思ったら、すぐに大学に連絡を取ること。 「あのー、すいません。これこれこういった致し方ない事情がありましてですね、IELTS/TOEFLの提出だけが出願締め切りに間に合わないんすけど、これだけあとで提出する形にできますかね。僕、成績が超絶イケてて、輝かしい優等生の僕を教授が絶賛する推薦状も複数取れるんすけど」というのを、理路整然、かつ、わかりやすい文章で、大学スタッフに聞いてみるのをオススメする。 このときの注意点は、権限ゼロのスタッフや前例を知らない新人スタッフに聞いても無駄足になる可能性が高い、という点。 誤解を生む表現かもしれないけど、大学スタッフの相当数は、プロフェッショナルじゃない。上司から言われた作業だけをする、出願対応の素人だ。特に古い総合国立大学には、新人で何もわかっていない、聞かれたことの確認すらしないスタッフが大勢いる。こういうスタッフは、かなりの確率で、杓子定規に「ダメ。出願締め切りはこの日です」と伝えてくる。 「この新人、たぶん何もわかってないな」と思って、新人スタッフに断られたのに、スタッフの上司に直接電話をしたら、「オッケー。じゃあ、〜日を期限にするから、それまでに出せる?」と、あっさり要望が通ったことも数回ある。誰に聞くかによって答えが変わってくる、というのは、アドミニストレーションがぐちゃぐちゃの大学では、たまに起きる。 お願いするなら、責任ある立場の人、すでに様々な出願を扱ってきたベテランにすること。柔軟な対応ができるのは、いつだって責任ある立場にあったり、すでに様々な例外を知っていたりする人だ。新人スタッフには、柔軟さを期待できない。見分けにくい場合は、とにかく権限のある人に直接連絡すること。   2. 大学の先生に英語力を証言してもらう   第二の方法は、所属大学の先生に「この学生は、英語で学部レベルの授業をこなす英語力を有している」という文書を署名つきで書いてもらう方法。このやり方を受けつけてくれる大学には、そもそもIELTS/TOEFLの点数を提出する必要がなくなる。点数なしで学部留学することが可能になる。 「出願までに点数が届かぬぅぅぅぅぅう!!!!」とパニクる前に、まずは大学の先生からの証言を自分が出願する大学が英語力証明として受け付けているかをチェックしてみるといい。 受け付けていれば、焦ることはない。あとは所属大学の先生を見渡して、「この学生の英語力は、学部留学に十分な基準にある」と、署名つきで書いてくれる神々しいお方を探せばいいだけ。 細かな注意点として覚えておくべきは、フォームを留学先が用意している場合と、所属大学で自由に用意する場合の2パターンがある、ということ。せっかく先生に英語力証明を書いてもらったのに、「いや、うちの大学のフォームに記入しないと無効でっせ」と留学先に言われると、先生にもう一度頼むことになってしまうので、どのフォームに書くのかは、事前に確認をすること。   最後に   繰り返すけど、上記の方法が通じるのは、わずかな一部の大学だけ。大多数の大学は、「は?知らねーよ。出願締め切り書いてあんだろ。出せよ、その日までに」で終了。 僕も一度、IELTSの受験が間に合わなかった学生のために大学と交渉していたとき、「学部留学したいという願望だけで、実際にその実現に向けて行動してこなかった人間が、うちの大学の授業を取る資格があるとは思いません」と言われたことがある。僕はダメ元でも交渉するのが仕事の一つなので、とりあえず大学の対応の変更を試みようとしたものの、個人的には「おっしゃる通りです」としか思わなかった。 多くの大学は甘くない。「なんだ、出願締め切りに間に合うように焦らなくていいじゃん」「二つ目の方法があればIELTS/TOEFL受けなくていいんじゃん」とは、間違っても安易に思わないこと。 大学に休学・認定留学したいんだったら、大学の成績を良好に保ちつつ、まずはIELTS/TOEFLの点数を確保する。これが基本中の基本。 王道で出願できる状態にしておく方が、留学できる大学の選択肢がはるかに多い。上記の方法は、どうしようもなくなったときの最後の手段として考えておく程度にしてほしい。 休学・認定留学する人たち、健闘を祈ります。

ハンガリー

ハンガリー英語留学に国際ビジネススクールを勧める7つの理由

2017年に訪問してGood Friends Japanの提携校にすることに決めた、ブダペストの国際ビジネススクール。ハンガリー初の私立ビジネススクールで、建学当初から国際性、実践的な学びを学校の特徴に掲げている。英国バッキンガム大学の公式パートナー校で、学内のほぼ全てのプログラムが英語で行われており、留学生の割合は高い。   2017年時点で、アジア人学生はほとんどいないので、アジア人が少ない環境を求めている人には、特に良い選択肢になる。 以下は、訪問した数ある学校の中から、国際ビジネススクールを提携校の一つとして選んだ理由。   1. 学内の共通語が英語 ここでは、ほぼ全てのプログラムが英語で行われている。国際性を学校の柱として挙げ、他のヨーロッパ諸国からの留学生も多いこともあり、ドイツ語、ハンガリー語で開講される一部のプログラムに在籍する場合を除き、学内コミュニケーションは英語。スタッフとも学生とも、英語でコミュニケーションが取れる。ハンガリーでビジネスを学べる学校の中では、国際性の点で2位にランクインしている。     2. 時代の先端を行く企業の側にある キャンパスは、ハンガリーのシリコンバレーとも呼ばれるグラフィソフト・パークに隣接している。この閑静な環境に、グラフィソフトをはじめ、マイクロソフト、SAP、キャノン、ど、先鋭企業がオフィスを構えている。パーク内の企業で働く卒業生も多く、インターンの機会もある。ビジネス系統の専攻の学生には、恵まれた環境にある。 ちなみに、グラフィソフトは、初期にアップルからの多大な援助を受けていたため、スティーブ・ジョブスの死後、このパークにはジョブスの像が建てられている。   3. 少人数教育 小規模なスクールで、学生と教員の割合が一定以上にならないように、学期ごとに調整をしている。学生数確保のために、むやみに学生を集めることを行なっていない。少人数教育を徹底しており、一人ひとりに目が行き届く環境で、学生と教員による相互コミュニケーションによる教育が行われている。     4. キャリア支援の仕組みがある ビジネススクールらしく、就職、インターンをサポートする仕組みが学内にある。英語力とビジネスセンスのある学生を求めて、ハンガリーに進出している国際企業が学校まで学生のリクルートにやってくるため、学校が紹介できる企業も多い。     5. 英国の大学の学位も授与される バッキンガム大学(英国)と大学間提携をしており、卒業時にはバッキンガム大学から学位も授与される。同大学と同等の教育をするために、定期的にバッキンガム大学から審査を受けており、公式パートナー校として教育の質が担保されている。まだ無名であっても、教育の質の評価が高い要因の一つは、このバッキンガム大学との提携にある。     6. 大学の周りに自然が多い ブダペストの郊外にあり、都心部の喧騒から離れた環境で学べる。時代の先端を行く企業が集まるグラフィソフト・パークがあるため、周辺にカフェ、レストラン、ショッピングモールなども多く、緑に囲まれつつも生活には困らない。     7. 様々なタイプの留学が可能 大学準備コース、正規留学、認定・休学留学など、学校との交渉によって様々な形の留学が可能。一定の条件はあるが、現時点で大学生ではなくても、1学期、1年の留学が可能になるケースもある。   8. ウィーンキャンパスでも学べる オーストリアの首都ウィーンにもキャンパスがあり、1学期、1年だけウィーンで学ぶこともできる。メインはブダペストキャンパスなので、授業の選択肢が少ないウィーンだけで学位を取るのはオススメしない。   学校の懸念点 どんな学校も、いいところばかりではない。2点だけ、日本人にはマイナスになるであろう点もあるので、それも記しておく。   1. 無名 小さなビジネススクールで、ヨーロッパでは無名。ハンガリー人には学費が高めであることもあって、在籍する学生には留学生が多く、ハンガリー人の間でもあまり知られていない。ただ、バッキンガム大学との提携で評価を高め、ファイナンス系統の教育レベルの高さは知られるようになってきており、近年の卒業生は、モルガン・スタンレー、ドイツ銀行、アクサなどにも就職実績がある。   2. 市の中心から離れている キャンパスは綺麗で閑静な環境にあるが、ブダペストの市の中心から少し離れている。中心地から学校までは地下鉄とバスを乗り継ぐ必要がある。大学付近に住めば不便は少ないが、仮に中心地付近に住んで学校に通う場合は、通学に少し時間がかかる。…

人生の話

アメリカで起きた「奇跡」の話

1876年、アメリカの田舎町。 9歳のある少女が、緊張型精神分裂病と診断され、精神病棟に入れられた。彼女の名前は、「アン」といい、みんなからは「アニー」と呼ばれていた。 愛する母と弟が相次いで亡くなり、アルコール依存症の父にも育児放棄されたアニー。さらに目の病気で両目の視覚が閉ざされた彼女は、このとき拒食症を併発し、専門家が見ても治る見込みがないほど、絶望的な精神状態だった。自分を抑えきれず、暴れてしまうことも多々あった。 アニーの荒れた言動は、精神病棟に入れられた後も、一向に変わらなかった。あまりに職員の手に負えないアニーは、精神病棟の中でも、段々と厄介者扱いをされていく。   しかし、そんな精神病棟の中にも、一人だけ、アニーの回復に希望を見出す女性の看護師がいた。アニーが彼女を無視したり、暴言を吐き続けたりする中、この看護師は、毎日毎日、どんなことをアニーにされても優しく話しかけ、幼い彼女のために、ブラウニーやクッキーなどのお菓子を持っていった。 看護師が、次の日、アニーのところへ行くと、確かにお菓子はなくなっている。アニーは、看護師が持って行くお菓子を食べているようだった。 それでも、アニーの態度は、変わらない。お菓子をおいていってくれる看護師には、注意を払うことは一切せず、相変わらず、彼女の方を見向きもしなかったり、彼女に暴言を吐いたりする毎日だった。   しかし、そんなアニーにも、少しずつ変化が訪れる。親しみを持って、根気強く心を開き続ける看護師を前に、少しずつアニーの暴力的な言動はなくなっていき、看護師の呼びかけにも、わずかに応える日々が出てくるようになった。 見捨てずに信じてくれたその看護師と少しずつ交流していくうちに、年月は流れ、アニーは周りが驚くほどの回復を見せる。その回復の順調さに、アニーは病棟付属の学校に通い始めることを許され、ついには、アニーは精神病棟から完全に解放されていく。   人並み以上の努力を費やし、非常に優秀な成績で学校を卒業したアニーが選んだのは、教師への道。アニーは、自分と同じように障害を持った子供たちの先生になることを決意した。   アニーの名前は、アン・サリバン。   ヘレン・ケラーの家庭教師「サリバン先生」とは、このアン・サリバンのことだ。 アニーは、のちに、盲目の教育者と呼ばれたヘレン・ケラーの先生となり、生涯を通して彼女の親しい友になっていく。   ヘレン・ケラーは、目が見えず、耳も聞こえなかった。視覚も聴覚も、生まれつき、ほとんど閉ざされていた。 美しい物語ばかりが語られる傾向があるが、ヘレン・ケラーは、幼少時から美談を重ねられるような人物ではない。視覚と聴覚に困難を抱える幼いケラーは、その不自由さからくるストレスからか、「怪物」と称されたこともあったほど、わがままで乱暴な子供だった。   しかし、ケラーは、その目と耳のハンデを跳ね返す。彼女は必死で学んで大学を卒業し、その一生を障害を持つ人々の教育や福祉に用いた。ケラーの人生の物語は、多くの人々を勇気づけ、今では彼女は世界中で知られた教育者、福祉活動家として知られている。 このヘレン・ケラーが7歳のとき、家庭教師として呼ばれたのが、20歳になったアニーだった。 学ぶ気力も無く、わがままで頑なだったヘレン・ケラー。 アニーは、その幼いケラーの先生となり、やがて生涯の友となっていく。精神病棟を出たあのアニーは、その後、投げやりで自分勝手だったヘレン・ケラーのいのちに、確かな奇跡の種を植えていく。   アニー・サリバンの生涯。 それは、幼い頃に厄介者のアニーに根気強く付き合ってくれた、あの看護師を抜きにしては語れない。名もない一人の看護師は、幼いアニーの心に奇跡を起こす。 そして、そのアニーは、生み出されたその奇跡に活かされながら、この世界に、もう一つの奇跡、ヘレン・ケラーを生み出していく。 さらに、ケラーは、そこから、次の奇跡の種を世界中に植え、生み出された奇跡は、またさらなる奇跡を生み出していく。     奇跡は、連鎖する。 させることができる。 僕は、そう信じて生きている。 奇跡とは、超自然的な出来事のことではない。エスパーが起こす、感覚では捉えられない何かのことでもない。ヘブライ語やギリシャ語で綴られた聖書で語られた「奇跡」という言葉も、英語で言えば「Wonder」であり、「Supernatural(超自然的)」の意味ではない。実際に、聖書で語られる「奇跡」のドイツ語訳も「Wunder」であり、超自然的なマジックの意味はない。 奇跡とは、古代の人が神の業としか例えようがなかったほど、畏敬の念や感嘆と驚嘆に包まれる出来事。 そんな奇跡は、誰の周りにも溢れている。 僕たちにも起こすことができる。 名前すら知られていない、あの看護師が幼いアニーに起こしたように。 そして、アニーが幼いヘレン・ケラーに起こしたように。   (アン・サリバンとヘレン・ケラー)

人生の話

恩人の石川欣三郎さん

2010年11月。苦難のバンクーバー時代に多大にお世話になった石川欣三郎さんが、僕がバンクーバーを離れて半年後に亡くなった。 石川さんは、パートナーの磯和さんと一緒に、 「桑原くんのメッセージだけは、私たちは毎週ボイスレコーダーに取ってあるんですよ。桑原くんの時だけは、教会を欠席しちゃいけないと思ってね」 「桑原くんは、どこにいたって成功するんだから、教会にいたら、もったいない気がするんですよ。私たちみたいな老人が教会に留めてしまって、若い桑原くんの未来を奪ってるんじゃないかって」 と、いつも僕に過分な言葉をかけてくれ、事あるごとに気遣ってくれた。 僕に不倫関係を迫ってきた中年女性に断ったことへの陰湿な仕返しをされたときも、日本で職を失って居場所のない牧師夫婦の陰湿な言動に悩まされたときも、詐欺事件を起こしてバンクーバーに逃げてきた男に嘘で攻撃されたときも、いつもいつも、石川さんは助けてくれた。優しい言葉をかけてくれた。 今の仕事ができるのも、バンクーバーで支えてくれた石川さんのおかげ。僕にとっても、Good Friends Japanにとっても、石川さんは、とても、とても重要な人だ。 「ヨーロッパと台湾でうまくやってます」、「これ全部、学生たちからの温かいメッセージです」って、何とかして石川さんに今の状況を報告したい。時々、そんな気持ちに駆られる。もう二度とできはしないことくらい、痛いほどわかってはいても。 本来は僕が司式するはずだったバンクーバーの記念礼拝(葬儀)で読み上げてもらうために、オンタリオ州の教会に招聘された僕がバンクーバーに送ったのは、ソファを叩きながら、涙を流しながら、震える手で書いた、以下の文章。ふとしたきっかけで、先日、Google Driveから引っ張り出して、久しぶりに自分で読んでみたら、色々な感情がぶり返してきた。 今回、石川さんが亡くなったというEメールを受け取り、教会の仕事の疲れが吹き飛ぶくらいに驚きました。私がバンクーバを発つ前、石川さんはご自分の健康状態を冗談にして、「記念礼拝(葬儀)の司式は頼むよ。桑原くんって、決めてるんですよ。だから、早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」と言って笑っていました。 「早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」というのは、以前からの石川さんの口癖で、私がバンクーバーにいた6年間で、何度おっしゃっていたか分からないくらいです。しかし、まさか、本当に間に合わなくなるとは思っていなかったので、今回、石川さんが亡くなったと聞いて、とてもショックです。 正直、私がバンクーバーを離れて半年でこのようなことになってしまったこと、牧師が不在のときにこのようなことになったのは、とても悔しく、とても残念に思いました。 しかし、V教会(*イニシャルにしてあります)には、私に様々なことを教えて下さった素晴らしい信徒の方々がいらっしゃり、何かがあれば、その人のために尽くす信徒の方々がいらっしゃいます。今回、病院に入院した石川さんのことも、様々な方が訪ねて下さっていたようで、「教会の家族とはいいものだ」と改めて思いました。 石川さんとは、本当に色々なことを共にしました。 教会のことで議論をし、辛い時には励まされ、食事をしながら笑い合い、意見の相違があるときも、若くして教会の職に就いた私の立場や考えを尊重してくれました。未熟な私にも、温かい言葉をかけてくれました。 私にとっての石川さんは、様々な面を持っていました。 まず、石川さんは、とても真摯な方でした。 石川さんが語る言葉に表面的な薄っぺらさはなく、言葉の一つ一つが心から出ているものでした。石川さんがお話をするときは、本当に心で思っていることだけを話して下さるので、それがたとえどんなものであっても、石川さんとは、いつも信頼と安心を持って言葉を交わすことができました。決して言葉数の多い方ではありませんでしたが、その分、石川さんの言葉には重みがあり、分かち合って下さったことの多くを、今でも鮮明に思い出すことができます。 また、石川さんは、真面目であると同時に、冗談の好きな方でした。 磯和さんも冗談の好きな方なので、何でもない冗談を、三人でよく笑い合っていたことを思い出します。 Tsaiさんのお知り合いの一平くんが教会に来ているときには、石川さんと男三人でよく話をしていました。あるとき、石川さん、磯和さんのご自宅に一平君と二人で招待をされたときに、 「石川さんは、親切すぎです。ここは大先輩として、この不届きな一平にガツンと言ってやって下さい。僕は、石川さんのお宅に、とんでもない男を連れてきてしまいました(笑)」 「いや、桑原さんこそ、とんでもない先輩です。石川さん、締め上げておいて下さい(笑)」 などと一平君と二人でふざけていたら、心臓にペースメーカーを入れている石川さんは、お腹を抱えて笑っていました。 その後、「すみません。笑い過ぎて心臓に悪いかも知れないですね」と一平君と二人で言ったら、石川さんが「いや~、逆に心臓が元気になるかもしれないよ」と返してきて、またまたみんなで大笑いしました。何だか、それもつい先日のことのようです。 そして、石川さんは、何よりも信仰者でした。教会の共同体とはどういうものであるべきかを真剣に考え、イエスの歩いた道を歩こうとした信仰者でした。 「ナザレに生きたイエスは、救い主だ」とは教会でよく言われることです。しかし、それが私たちの日々の中で具体的に何を意味するかは、教会では、実はあまり共有されていません。 イエスが救い主キリストであるのは、漠然とした教会の宗教的観念が、そのようなことを語っているからではありません。教会の教理を信じても、信条に「その通りです」と告白しても、それは人の世界を変え、生き方を変えることは決してできません。 イエスが救い主であると言われるのは、イエスの言動を通して、その歩いた道を私たちが実際に歩くことを通して、わたしたちが、神が一人一人に与えた「いのち」に触れ、死ですら終わりにすることのできない「いのち」に生きることができるからです。そして、その「いのち」によって、私たちが新たに作り変えられることができるからです。 カナダ合同教会の信条にもあるように、イエスが語った永遠の「いのち」、わたしたちの時間の概念ではかれない「いのち」というのは、死のあとの命のことではなく、死を超えた「いのち」のことです。死んだあとの命、というのは、どの宗教においても触れられる傾向がありますが、キリストの教会が語り続けるのは、死後の命というよりも、今現在、ここで生きる「いのち」のことです。自分を殺し、他人を殺し、世界を殺すのではなく、神に作られたもの全てを生かし続けるような「いのち」-それが教会が伝え続けるイエスの「いのち」です。 ご自宅に何度も招待して下さったり、聖書を読む会にはほぼ欠かさずに来て下さったりと、石川さんとは多くの時間を過ごす機会に恵まれました。私が石川さんと身近に接した中で思うことは、石川さんは、誠実に、その「いのち」を生きようとしていた、ということです。 石川さんは勉強熱心な方で、聖書を読む会では、こちらがハッとさせられる意見も出して下さいました。おそらく、聖書やキリスト教に関する沢山の知識も持ち合わせていたことでしょう。 しかし、何よりも私の印象に残ったのは、石川さんの言葉や笑顔の裏にあるキリストの「いのち」でした。 「いのち」を生きている人は、他人を活かすことができます。ちょうど蝋燭(ろうそく)の明かりと同じように、「いのち」を生きようとする人は、「いのち」の光で人を照らし、凍える人を暖めることができます。私にとっての石川さんとは、まさにそのような方でした。話をすると安心することができ、イエスが語る「いのち」を分け与えられる、そのような方でした。 みなさん、今日は、その石川欣三郎さんの記念礼拝です。どうか、みなさんで石川さんが生きた、そして今も消えない「いのち」を覚え、一緒に祝福して下さい。石川さんの「いのち」は、今も消えていません。石川さんが生まれ、日本やカナダの地に生き、私たちと「いのち」を交えることができたことを、みなさんでお祝いして下さい。 石川欣三郎さんと出会い、心を通わせ合い、教会の家族としてときを過ごすことができた。今日は、そのことが祝福される日として下さい。 私は遠くオンタリオの地にいますが、最後の最後まで石川さんを近くで支え続けた磯和さんを始め、ご家族やご友人のみなさんのことを祈っています。石川さんが日曜日にいつも座っていた礼拝堂で、石川さんの想いが詰まった教会で、どうか、みなさんにとってよい記念礼拝が持たれますように。   桑原 泰之 2010年11月27日

人生の話

大切な人を大切にすることほど、大切なことはない【元アメフト選手の話】

アメリカの小さな町に、プロのアメリカンフットボール界で活躍したオニール(仮名)という男がいた。 オニールは、幼い頃からアメフトで頭角を現し、順調に大学チームでも活躍し、やがてプロへの道を歩み始めた。彼は懸命にアメフトに取り組み、結婚して数年後、いくつかのチーム記録を残して引退した。 時は過ぎ、オニールは、三人の息子と一人の娘の父親になった。 彼の三人の息子は、当然のように、幼い頃から父親にアメフトを叩き込まれ、毎日毎日、暗くなるまでチーム練習、個人練習に明け暮れるようになった。 オニールは、この三人の息子をプロ選手にしようと、全身全霊を傾けた。毎日毎日、息子たちの練習に根気強く付き合い、厳しくアメフトの基礎を仕込んだ。 父親に似て才能溢れる三人の息子達は、やがて十代の少年になり、順調に大学フットボール界への階段を上り始めていく。 しかし、その一方、オニールの愛する末の娘は、原因不明の過食症で、どんどん体重が増え、ついには100キロを超えるほどになっていった。 数か月がたち、妻から相談を受けたオニールは、娘が精神的な病気を抱え、体重も100キロを超えて、明日から入院しなければならないほどだ、ということを聞いて驚いた。 「そんな馬鹿な。一体、あの子に何が起こったんだ!?」 オニールは、娘を溺愛していた。三人の息子たちと同じように、いや、場合によってはそれ以上に、愛娘のことも深く愛していた。すぐさま娘のところに飛んでいき、「どうした?おまえに何が起きてるんだ?」と尋ねた。 しかし、彼女は答えたがらない。彼と目も合わせようとしない。何度、接触を試みても、つれなく追い返されるだけだった。 「あれほど良い関係だった娘がなぜ?」 あれだけ自分に懐いていた娘が心を開かないことに、オニールは戸惑った。 「娘に何が起こったんだ?あの子の何が問題なんだ?」 彼は、心のモヤモヤを晴らすことができない。 「問題なのは、あの子ではないわ。あなたよ」 その夜、彼の言葉を聞いた妻は言い放った。   「何だって?」 「『あの子に何が起こったんだ?』じゃないでしょう。私もあの子も『パパに何が起こったんだろう』と思ってた。あなたが問うべきは、『What happened to her? What’s wrong with her?』じゃない。『What happened to ME? What’s wrong with ME?』でしょ」 オニールは、憔悴し切った妻の唐突な言葉に戸惑った。 「オニール、あなたは自分が息子たちにかけた時間と、娘にかけた時間を天秤にかけて考えたことあるの?」     「あの子の何が問題なんだ?」 父であるオニールにとって、本当の問題は、娘ではない。娘に何が起こったか、ではない。今の今まで、こんなことになるまで、そのことに全く注意を向けていなかった彼自身だ。 「娘には、いつも会っていたはず。挨拶を交わしていたはず。でも、気が付かなかった。言われてみれば、確かに顔がふっくらしてきたとは思ったが、娘の変化に、外側の変化にも、内側の変化にも、気が付かなかった。オレは、一体、何をしていたんだ?いつも会っている娘だったのに。一体、オレに何が起こってしまったんだ?」 本当の問題、問題の根っこは、娘ではない。自分だ。今の今まで、こんなことにさえ気がつかなかった自分だ。三人の息子をプロ選手にするために全身全霊を傾け、自分が思う以上に娘に注意がいかなくなっていた、娘に時間を割かなくなっていたオニール自身だった。 オニールは、やっとのことで、本当の問題に気が付いていく。 彼は、次の朝、妻と共に娘の部屋に行き、自分がいかに愚かだったかを、率直に二人の前で告白した。 息子たちと同じくらいの時間を娘に割いていたと思い込んでいたが、全くの間違いだったこと。 自分の過ちを許してほしい、ということ。 今から自分にチャンスを与えてほしい、ということ。 大男の元アメフト選手が、涙ながらに、心の内を家族の前にさらけだした。 娘は彼の謝罪を受け入れた。大きなハグとともに受け入れた。娘も、妻も、オニール自身も涙が止まらなかった。   10年前、僕がオニール一家のバーベキューに招待された時、オニールのそばには、彼の娘、そして娘の子供たちがいた。 オニールと僕は、僕が地域サッカーのコーチと審判をしていた時に、この子供たちを通して知り合った。 「娘からいつも話は聞いてるよ。孫と忍者トレーニングしてるんだって(笑)。オレみたいなジジイも忍者にしてくれるか?がははは」 オニールは非常に親しみやすい性格で、孫が僕と仲が良かったせいか、僕の隣に座って色々な話を聞かせてくれた。切羽詰まって苦しんでいた僕の胸の内も、本当に真摯に聞いてくれた。 これから奨学金をもらって大学院に行くという僕の決意を聞いていた彼は、不意に僕に言った。…

人生の話

路上生活者の大切な「椅子」を壊したお婆さんの話

昔々、東京がまだ江戸と呼ばれていた時代のこと。 一人のおばあさんが路地を歩いていたら、道端に座っていた路上生活者の男が、彼女に声をかけた。 「ばあさん、銭を恵んでくれ」 「そうは言っても、私には何もあげるものはないよ。それに、たとえお金をあげても、あんたの生活は、明日も変わらないだろうね」 「そうかもしれないけど、俺はいま銭が欲しいんだ」   「でもね」 おばあさんは言葉を続けた。   「質問していいかい?あんた、何の上に座ってるんだい?」   「ゴミだよ。何年も前に、川底で拾ってきたのさ。硬さと高さがちょうどいいんで、ずっと椅子にしてるんだ」   「私には箱に見えるね。中を開けて見たことはあるかい?」   「壊さないと開けられないよ。でも壊したら、俺の椅子がなくなっちゃうじゃないか」   「ちょっと、このお婆に箱を見せてくれるかね」   おばあさんは、そう言って箱を受け取り、いきなり近くの岩に叩きつけた。   「何すんだ、ばあさん!」   壊れた箱の隙間から見えたのは、金の塊だった。   「これだったら、日本で一番高価な椅子だって買えるだろうよ」 おばあさんは、そう言って男を抱きしめ、微笑みながら去っていった。 苦難の中にいる人を前にしたとき、何かを与えることも、時には必要かもしれない。でも、多くの場合、もっと大切なことは、既に手にしているものの価値を、実感できるように提示することかもしれない。その人が既に秘めている存在の価値に気がつくきっかけを与えることかもしれない。 たとえ何も与えられなくても、人には、できることがある。

人生の話

嫉妬のあまりに自分の羽を差し出し続けた大きなワシ

昔、二羽のワシがいた。一方の小さなワシは、長い時間かけて飛ぶ練習をしていたこともあり、もう一羽の大きなワシよりも、速く、空高く跳ぶことができた。同じように飛べない大きなワシは、表情には出さないものの、この小さなワシのことを、いつも心で苦々しく思っていた。 そんなある日、嫉妬を抱えた大きなワシは、一人の狩人に出会う。そして、狩人にこう頼んだ。 「謝礼は払うから、あの小さなワシを弓矢で射殺してくれませんか?」 狩人は答えた。 「今は矢につける羽がないけど、それがあれば何とかできる」 「それなら、これで」 ワシは、自分の羽を一枚差し出した。   「ああ、これなら大丈夫だ」 狩人はその羽を矢につけ、優雅に飛び回る小さなワシをねらって、鋭い一発を放った。 「ダメだ!逃げられた!あいつは見事に空を飛ぶな。これは難しいぞ」 「あんなの、大したことないですよ。もう一度、お願いします」 その後、嫉妬心を抑えきれない大きなワシは、何とかしてあの小さなワシを殺そうと、狩人が狙いを外すたびに、何度も何度も自分の羽を差し出した。ただ、あの有能な小さなワシに弓矢を食らわせてやろうと考えながら。 しかし、それでも小さなワシは射止められない。 「すまんが、あいつは俺には手に負えないよ」 何度も失敗して根負けした狩人は、やがて、そう言って去っていった。 取り残されたワシは、あまりに多くの羽を失って飛ぶことができず、その夜、狼に食い殺された。   嫉妬から相手を攻撃しても、失うのは自分自身の羽。そういう人間からは、周りの人間は離れていき、やがて飛ぶことさえもできなくなる。 自分の羽は自分が飛ぶために使うのが、幸せになるための第一歩。他人を撃ち殺すために羽を使っていては、あなた自身は一生、大空を飛ぶことはできない。

人生の話

お婆さんを背負った二人の僧侶

ある日、二人の僧侶が田舎町を歩いていた。収穫物の運搬のために、ある村へと向かう最中だった。 その道すがら、老女が川のほとりに座り込んでいるのが、僧侶の目に入った。橋が架かっていないので、川を渡ることができず、困っている様子だった。   一人目の僧侶が、親切に申し出た。 「よろしければ、川の向こう側まで私たちが運びますよ」   「ありがとう」 老女は、そう言って、申し出をありがたく受けた。   二人の僧侶はお互いの両手を組んで、老女を組んだ腕に乗せ、川を渡った。渡り終えると、二人は老女を下ろし、彼女はお礼を言って、そのまま道の向こうへ消えていった。   僧侶たちも旅路を続け、10キロほど歩いたところで、一人の僧侶が不満をこぼし始めた。 「ああ、この袈裟を見ろ。あの婆さんを運んだせいで、泥だらけだ。それにいきなり重いものを運んだから、背中も痛む。」 もう一人の僧侶は、微笑みを返して、黙って頷いた。   また10キロくらい進んだところで、同じ僧侶が、再びブツブツとこぼし始めた。 「背中がすごく痛い。あんな婆さんを運ばなきゃよかった。もう歩くのも辛いよ」 別の僧侶は、道端に横たわり、不満を並べる相方に言った。 「きみはいつもそうだね。きみと違って、僕がどうして文句や不満を言わないのかわかるかい?」   彼は言葉を続けた。 「きみが不平不満を止められないのは、今もきみの心が、おばあさんを背負い続けているからなんだ。僕は、川を渡った所で、とっくにお婆さんを下ろしているのに」   他人の言動に対して、僕たちは同じことをしがちだ。もしも、あなたが不満を並べる僧侶なら、いなくなったお婆さんを、ちゃんと背中から下ろして、生きた方がいい。過去のことは、学びの材料にするだけで、背中に背負いこまない。過去の嫌なことは、人の精神を支配しやすい。でも、それに引きずられて生きていると、今日という日は、いつまで経っても満開には咲き誇らない。

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緊急着陸のサインを出さなかったパイロットの話

1990年、コロンビアからの飛び立った飛行機が、ニューヨークのJFK国際空港近くで墜落し、73人の乗客が帰らぬ人となった。この痛ましい事故が起きた原因は、飛行機の燃料切れだった。 燃料切れで墜落というのは、航空業界では珍しい。法律によって、目的地まで往復でき、更にしばらくは飛行できるだけの燃料を、飛行機はいつでも積んでいるからだ。 悲劇の引き金になったのは、パイロットが発した信号にある。 信号には、優先着陸、緊急着陸がある。状況によって、余裕があれば優先着陸の要請を、余裕がなければ緊急着陸の要請をすることになっている。 墜落機のパイロットが発したのは、緊急着陸ではなく、優先着陸の要請。天候が悪く、空港の上空が他の飛行機の離着陸で混み合っている中、パイロットは緊急着陸のサインを使わなかったため、着陸の順番が後回しになっていき、のちに対応が手遅れになって、燃料切れで墜落した。 そして、取り返しのつかない悲劇が起きてしまった。   いじめやハラスメントだって同じだ。心の燃料が切れる前に、緊急着陸の合図を出さないと、最悪の事態を引き起こす可能性がある。飛行機と同じように、危ない状況になったら他者に合図を出す。緊急時には、「こういうことがある」という程度の合図ではなく、「もう無理だ」という緊急の合図を出す。 そうでないと、対応を後回しにされたり、真剣に対応してもらえず、どんどんと切羽詰まった状況が起きる確率が高くなる。集団で一人の人間を陰湿に攻撃するのは、魂の殺人だ。この「殺人」の犠牲になる前に、緊急着陸の合図を出してほしい。 また、合図を受ける側の人は、いじめやハラスメントの被害者が、我慢に我慢を重ねた後、誰かに助けを求めたら、それは既に優先着陸ではなく、緊急着陸の要請だと捉えてほしい。 しばしば集団の陰湿さの攻撃対象になるのは、普段は内向的な人たち。他人に被害を訴えるには、大きな勇気がいる。その人たちが何らかのSOSを出した時点で、それは優先着陸ではなく、既に緊急着陸の要請だ。そう思って、真剣に向き合ってほしい。

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ヨーロッパの大学を出たらヨーロッパに就職できると考えるのも、ヨーロッパが就職難だからヨーロッパで就職できないと考えるのも、両方とも短絡的すぎる

ヨーロッパの大学を卒業した中国人は、そのままヨーロッパで就職しようとする人が非常に多い。全体の割合は不明だけど、僕が会っただけでも、かなりの中国人が卒業後に現地で就職している。どの人も、それなりに英語が話せ、わずかに現地語がわかるレベル。 「中国人ができるなら、日本人留学生もできるだろ。英語のレベルは同じようなもんだし」と僕は思っているけど、ヨーロッパで働いている中国人の話では、中国人留学生と日本人留学生の間には、大きな違いがあるそうだ。   それが、大学で専攻する分野の違い。「中国人留学生は、大学で食えるスキルを身につけることに特化する傾向がある」とのこと。まあ、実際はどうかわからないけど、彼らの周りの傾向として話をしているんだろう。統計がないので、「そういう印象を持っている」という程度に聞いておく話だけど、確かに僕の肌感覚も同じ。 話をしてくれた中国人男性たちは、 「中国人は、金になる学問に集中してるよ。勉強するのは、機械工学、コンピューター、医学、経営ばかりだ」 「中国に帰りたくなくて、ヨーロッパで就職しようとしてるやつばかりだから、スキルを身につけて現地就職することが頭にあるんだ」 「ここで文学や哲学を専攻している中国人はほとんどいない。俺も機械工学じゃなくてドイツ文学を勉強したかったけど、専門家にでもならない限り、その先、どうやって食っていくかわからないから諦めた」 と言っていた。   ヨーロッパ就職を短期のゴールにしている彼らは、学問にも真剣だ。 中国の大都市の数学教育レベルは非常に高い。これも中国人留学生には、良い方向に働いているそうだ。ヨーロッパで教育を受けた高校生と比べて、理系の学問には、教育を受けた中国人は強い傾向がある。 オーストラリアで教授のアシスタントをしているトルコ人の博士課程の学生も、「中国人たち(学部生)は、クレイジー。教えている私よりも知識がある。『何であなたたち(ほどの知識を持った人)が大学院生じゃなくて、学部生なのよ』って思う」と言っていた。     中国人留学生たちは、自分たちの強みを専攻に活かし、それを留学先の国での就職に結び付けている。多くの中国人留学生が、現地就職をしているのも頷ける。 僕は「専攻も影響するだろうけど、ヨーロッパにおける中国語の需要の問題もでかいんじゃない?」と予想したけど、それは即座に否定された。 「それは違う。スキルのない人の言い訳にすぎない。実際、俺たちは仕事で中国語なんて使ってないよ。英語だけだ」 なるほど。英語だけであれば、日本人も条件は同じはず。 また、中国人がヨーロッパで就職してる現実に関して、彼らは「日本人とは、必死さも違う」とも言っていた。 「日本人は、別に日本で就職してもいいと思ってるだろ。中国人は違う。政府がコントロールできない国外で就職して、子供たちに海外のパスポートを持たせたいんだよ。アメリカやオーストラリアの中国人移民を見てみろ。日本とはレベルが違う、移住への執念みたいなものがある」 「日本は住むにはいいところだ。だから外国人たちから人気がある。でも中国は違う。中国人でさえ、中国文化を好きなやつはいても、中国に住みたいやつなんて高等教育を受けた層ではほとんどいない」 確かに、中国を脱出したいという中国人は、ドイツでもトルコでもポーランドでもハンガリーにもいたし、以前に住んでいたカナダには大量にいた。「帰りたくないから、現地で職を得るために必死になる」というのは、まあ、理解できる。   日本人の中には、「ヨーロッパで就職するのは無理」と考えている人たちが存在する。語学力も含め、スキルのない人に限って言えば、確かにほぼ可能性はない。そんな日本人を現地企業がわざわざ雇う理由が見つからないので、それは当たり前のこと。 でも、「無理だ」というのは短絡的すぎ。スキルがあれば、たとえ日本人でも留学後の可能性は開ける。話を聞いた中国人たちがいい例だ。 一番ダメなのが、「ヨーロッパが就職難だから、僕も就職できない」という思考パターン。 「就職難だから留学生も就職は無理という単細胞は中国にもいるけど、そんなのは、その人のスキルと情熱次第、スキルの需要と供給のバランス次第。スペインは就職難だからって、スペインでは就職できないと考えてるバカな中国人はいない。ジョブマーケットを調査して、実際に就職してるやつはたくさんいる。ポーランドなんか経済が好調だから、俺たちだって狙ってるよ」   彼の言う通り、「ヨーロッパは就職難だから、留学生も就職できない」というのは短絡的で、浅はかな考えではある。誰がいい加減な事を言い出してるのか、イギリスに増えているポーランド人移民を見て、ポーランドは就職難だと言い出している人間もいて、中国人が呆れていた。 就職は、そもそもがスキルの需要と供給のバランスで決まる。短絡的に現地人の就職難を留学生の就職と結び付けることはできない。これがわかっていない人は、中国でも日本でも、「ヨーロッパの就職難」という漠然とした言葉に過剰反応してしまう。 特にアジアも含め国際的な活動をしている企業では、英語、現地語に加え、中国語や韓国語を話せる人を雇うメリットは大きい。韓国人の友人は、そういう企業を狙ってインターンをしたり、コネを作ったりして、今は就職を決め、ドイツのフランクフルトで研修をしている。 ポーランドの企業にヒヤリングした限りでは、国際的な企業は外国人の雇用にも積極的だ。ただ、特別なスキルがない場合は(主に文系専攻)、現地語に長けていることが条件になると明言していた。多くの場合に英語を共通語にして働く理系の人たちと違い、文系専攻であれば、英語だけでなく、現地語をマスターすることが、就職にはほぼ必須になる。   自分で調査せずに、適当に「ヨーロッパは就職難だから、就職は無理」という人は、現地企業が何を求めているかも知らず、怠惰な態度で可能性の模索を諦めている点で、ヨーロッパに行っても就職できる可能性は限りなく低い。 僕のインタビューを受けてくれた中国人、韓国人グループのように、スキルの需要と供給を見極め、必要なスキルを大学で磨ける人は、卒業後に現地で道を切り拓く可能性がある。実際に、僕が話した人たちは、それを行動して証明した人たちだ。   中国は、何もせずに現在の経済発展を遂げているわけではない。北米でもヨーロッパでも、目的の実現のために必要な努力の見極めを怠らない多くの中国人留学生が、母国の向上を生み出すことに一役買っている。中国人たちのインタビューでは、「やっぱ、この層の中国人すげえわ。ゴール設定から、ゴール達成までの道が戦略的」という感想しか出てこないくらい、彼らの積極性、戦略的思考に感心した。 確かに文化的な素養という点では、日本はすごい。本が気軽に安価で手に入る状況も手伝って、頭一つ抜けていると言ってもいいレベルだ。北米、ヨーロッパ、台湾で生活して、それは強く感じる。 ただ、「金になるスキル」という点では、中国人のアッパーミドル以上の層に「さすが」とうならされる。日本人の学生と接していても、そう感じることは極めて少ない。   一般的な日本人留学生は、多くの中国人留学生のように、「金になる学問」に集中して就職できるスキルを身につけているわけではない。文系専攻も比較的多い。その分、たとえ希望したとしても、中国人留学生よりは現地就職の割合は減るだろうと予想している。 それでも、就職は自分次第。 ヨーロッパの大学に行けば、日本の一般的な大学に行くよりも、有利な環境でヨーロッパ就職に挑める。語学、異文化コミュニケーション力が身につきやすく、ヨーロッパという場で就職戦線にのぞめる。それを活かすも殺すも自分次第。本気で現地就職したければ、中国人たちを見習って戦略的思考で目標を達成してほしい。

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ヨーロッパの主要大学に一年・半年の学部英語留学。学費はフィリピン留学以上に格安で、休学、ギャップイヤー取得者にオススメ

  簡潔に言えば、内容は交換留学制度とほぼ同じ。一年・半年間留学をして、留学先の海外大学の単位を日本の大学に編入できる。ただ、留学先の大学から日本の大学に留学生が交換で来るわけではないので、正式には「交換」留学ではない、というだけ。 この留学ができる大学は、ヨーロッパでも限られる。しかも、交換留学に比べると、若干、複雑な手続きが必要で、アレンジの仕方は、各大学の学部によって大きく異なる。願書提出前に留学先で指導教授を見つけなきゃいけない場合、所属大学の認可が必要な場合、履修する授業をあらかじめ選ばなければいけない場合など、様々なケースが考えられる。     対象になる人 この大学学部留学サポートは、 大学生のうちに英語留学をしておきたい 一年・半年の留学を格安で体験したい 就職前にヨーロッパで海外生活を経験したい ヨーロッパで友達を作りたい でも、 学内の交換留学の選考に通らなかった 大学の提携先には留学したい大学がなかった 交換留学に興味を持ったのが遅すぎた といった人を念頭に置いている。   メリット 単位が取れる 国内主要大学に留学ができる 学費が安い 生活費が安い   チャレンジ 英語検定試験の点数が必要(最低限IELTS5.5) 平均的な成績が必要 メールアドレスが必要(キャリアメールは除く)   基本サポート 大学リスト送付と整理 大学選びのアドバイス 出願エッセイの添削/アドバイス 願書に必要な書類チェック 住居探し 緊急時の対応 詳細は、Good Friends Japanのウェブサイトを参照。

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40万円未満の学費で、ハンガリーの名門大学に一年間の英語留学ができる

僕が訪れた都市の中で、生活費が安く、街並みが美しいところと言えば、チェコ共和国の首都プラハと並んで真っ先に思いつくのが、ハンガリーの首都ブダペスト。「ハンガリーかあ。あんまりイメージが浮かばんわ」と親友が言っていたように、おそらく、ほとんどの日本人にとって、ハンガリーという国は、あまり馴染みがない。 僕も最初はポーランドばかりを調査していて、近隣のハンガリーは真剣に調査していなかったんだけど、ひょんなことからハンガリー人と繋がりができ、ハンガリーの大学を調査し始めた。大学の国際オフィスと話を重ねるうちに、「これは、ものすごい穴場だな。歴史あるヨーロッパの町の国立大学に、この金額で留学が実現するんだ?これは日本からの留学生を送り込むしかない」という思いが確信に至り、大学とも正式に提携することにした。 ハンガリーの幾つかの都市で色々な大学生にアンケートをとったり、インタヴューをしたりしても、ハンガリー在住の留学生たちの満足度は非常に高い。アジア人があまりいないので、アジア人にはあまり話を聞けなかったけど、何人かの中国、ベトナムからの留学生たちは、「費用も考えたら、ここは最高の環境だ」と言っていた。   ハンガリーでは、英語を学ぶ留学も、英語で学部のクラスをとって単位取得をする留学もできる。英語コース終了後には、日本に帰国してもいいし、ワーキングホリデーに行ってもいいし、ハンガリー内外の大学に学部留学してもいい。一年間の英語コース終了後には、いくつかの選択肢が考えられる。 英語で学部留学、大学院留学するには、最低限のアカデミック英語の力が必要だ。ハンガリーの国立大学でアカデミック英語の力を伸ばし、そのままハンガリーで大学進学するのも、他国の大学にも留学するのも、将来の可能性を広げる意味では、よい選択肢になる。 また、就職するにせよ、起業するにせよ、自分が慣れていない未知の文化に身を置いて、様々な生活習慣の人たちと英語を共通語にして大学生活を送った経験は、きっと活きてくるはず。 僕も大学と大学院では、留学生という立場で学んでいたので、今の留学生たちを見ると、当時の自分自身を重ね合わせてしまう。「効率よく勉強して能力を高めて、一生付き合えるいい友達を作って卒業してほしいな」と、心から思う。

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今までの人生で最も幸せな瞬間はいつだったか

ときどき、「生きているのが嫌になった」、「人生の幕を閉じたいです」という人からメールをもらう。カナダで働いていた2007年くらいから、ちらほらと、そのようなメールを受け取るようになった。 あの頃は、短い海外生活ブログを、ほぼ毎日更新していた。アクセス数も伸びたけど、バンクーバーからカナダの東部に引っ越すときに、ある理由で全てを閉じた。 トロントでまた新しくブログを始め、そこでも僕が書く内容に呼応して、精神的にギリギリの状態にいる人たちからのメールが来るようになった。バンクーバー時代のブログの読者が、検索を重ねて、僕を探し出してくれたケースもあった。 カナダでの僕の仕事の大部分が、自分のせいではない事情で苦しむ人の人生をサポートすること、要望があれば問題の解決に乗り出すことだった。ブログの影響もあり、知らない人たちにも名前や顔が知られるようになり、ものすごい数の電話やメールを受け取り、僕の心身が限界にきたことも何度かある。全く異文化の中にいながら、あのような責任ある立場で、普通の仕事では考えられないプレッシャーを背負いながら生きる20代は、良くも悪くも、そうはいなかっただろうと思う。 正直、今の仕事は、当時ほどの莫大なプレッシャーはない。ごく稀なケースを除いて、誰かの命がかかっている、という仕事ではない。 今はもう、自分の両親や祖父母のような年代の方々から「先生」と呼ばれ、知らない人たちにまで顔が知られる生き方はしていない。ベンツで迎えが来て、カナダの高級マンションでワインを飲みながらミーティングという「これって教会がするようなことですか?」と思わず言ってしまうような生活もしていない。 町を歩いていて、全く知らない人から「あら桑原先生!」、「Hi. You are the one from Vancouver, right?」などと声をかけられて、焦ることもない。 「あんなに頑張ってたのにどうして?」、「なぜ日本に帰ったんですか?あなたのような人が組織を変えていくんですよ」、「もったいない。あなたがいないと何も変わらない。カナダに戻ったらどうですか?」などと言われても、これから再び同じことをすることはないだろう。結局、組織内の醜い争いや足の引っ張り合いに巻き込まれ、組織内の調整に追われて、自分の使命の実行は妨げられるのが目に見えているからだ。 僕は嘘や虚飾や暴力が当たり前になっている人間関係の中で生きることは、もう二度としたくない。そんな環境に大切な人生の資源を割くより、他の方法で自分の使命を実行したほうがいい。基本的に僕は決めたことに柔軟なほうだと思うけど、こればかりは文字どおり死の一歩手前まで追い詰められて決めたことであり、これから心変わりすることはない。 ただ、立場は変わっても、当時から魂を削って実行していたことは、これからも続けたいと思っている。自分がしていたことは、ただの仕事ではなく、「人生」という大きな存在から自分に与えられた使命だと思っているからだ。 そのようなことの一つが、卑劣な人間の心の歪みの犠牲になっている人たちと、少しだけ共に歩く時間を持つこと。僕も仕事をして生活していかなきゃいけないので、あまり多くの時間は避けないけど、深刻な内容のメールをもらったら、仕事に関係がなくても、確実に返すようにしている。 個人情報がわかる部分は少し書き換えをしているけど、以下のメールも、そのような状況で書いたものの一つ。僕が送った2014年最後のメールだ。   メールをどうもありがとう。そして、応援メッセージもありがとね。今はすごく体力的にキツい時期だから、特に勇気づけられたよ。大変な中、僕のことまで気遣ってくれてありがとう。 本当に、本当に、色々なことがあったんだね。メールには書き切れないくらい、苦しいことが、叫びたいくらい辛いことが、山のようにあったんだろうね。そんな中で、僕のことを対話相手に選んでくれたこと、僕は嬉しく思う。 僕は、卑劣なことをする人たちの精神的幼稚さの犠牲になる人を、少しでも減らしたいと思ってる。卑劣なことをする人間がいれば、当然、その犠牲になる人もいる。カナダに住んでいた頃、一部の人たちが、人間としてとても看過できないことをするのを、僕は見てきた。犠牲者の一人は帰国を余儀なくされ、ある人は「二度とあんなところには行きたくない」と行って僕に涙を見せ、またある人は嘘の噂話をばらまかれて、人生の変更を余儀なくされた。 僕は、こういった犠牲者を減らしたい。少なくとも、僕の周りではなくしたい、と思ってる。だから、いじめや集団ハラスメントなどの被害に遭っている人には、なるべく時間を裂くようにしている。もともと、教会でそういう活動をしてたから、その流れで、帰国後も、ずっとこれだけは続けてるんだ。 今回のように、いつか誰かが僕の書いたものを読んで、何かを感じてくれるかもしれない。「やっぱ、死ぬのはやめとこう」と、思い直すかもしれない。以前に、一人の親切な人が僕が書いたものを読んで、「私もとにかく生きてみます」と言って、自殺を思いとどまってくれたことがあった。たった一人にでもそういった効果があるのなら、僕はこれからもここで発信していきたいと思ってる。 誰のためでもなく、昔の自分自身が呼び起こされて、僕自身が苦しまなくて済むように。 苦しんでいる人に「自殺は世間の迷惑」とまで言う人間がいるのは、悲しいことだと思う。迷惑がかかるなんて、そんなもの、本人が百も承知だろうにね。そうやって言う人たちは、自殺する人を、どこまでのおバカさんだと思ってるんだろうな。迷惑も苦しみも分かった上で、それでも死を選ぶという選択なのに。 あなたの耐えられない苦痛に思いを馳せない人たちの言うことは、聞く必要がない。あなたの生死の問題に関して、あなたの状況を直視しようとしない人のことには、耳を傾ける必要はない。人は自分の思い込みで、事実そっちのけで勝手に言いたい放題のことを言う。何を言われても、そんなどうでもいいやつのことは放っておけばいい。くだらない人間の言動に振り回されるのは、今すぐやめるんだ。 あなたは自分勝手ではない。断じて違う。多くの自殺は、実際は社会による殺人だ。状況が人を追い込んで、精神的な安静を奪う。周りの人間が作った状況が、あなたの心臓をえぐっていく。あなたは死ぬんじゃない。殺されようとしてるんだ。社会ではなく、「周りの一部による殺人」と言い換えてもいい。あなたの場合は、一部の人間が、あなたの心を殺そうとしてるだけだ。 あなたは今、他人に自分自身を殺させようとしている。あなたは彼らに自分を殺す許可を与えようとしている。自分の命をコントロールする許可を、みすみすくだらない連中に与えようとしてる。自分で相手に自分をコントロールさせようとしてるんだよ。 僕はいつも同じことを言う。他人に大切な自分を絶対に殺させるな。これだけだ。心ない人間に、自分自身をコントロールさせるな。 あなた自身が許可を与えなければ、自分を渦巻く環境は、あなたを殺すことができない。その環境は、あなた自身をコントロールすることなどできはしない。コントロールするのは、いつだって自分自身だ。外部のやつらじゃない。 絶対に、どんなことがあっても絶対に、その許可を下らないやつらに与えるな。生きるんだ。今の時点で、どんなにつらくても、だ。 ぶっちゃけ、「自殺」という概念がいいのか悪いのか、僕には判断する力がない。この社会には、「悪いに決まってるだろ」という人が大半だと思うけど、突き詰めて考えていけば、それを「悪いこと」と定義できる人間なんて、歴代の哲学者、思想家の著書や論文を読んでみても、誰一人いない。ゼロだ。一応、政治思想や倫理学を学んで、カナダの大学院で思想系の修士号をとったけど、今のところ誰にもそんなことを理由づけできていない。「個人的に悲しいこと」と定義できる人は、僕も含めて、たくさんいるだろうけどね。 絶対的な答えがない以上、いくら僕が「人が自ら命を絶つのは絶対にダメだ」と言っても、聞き入れるのは難しいよね。そもそも理由が不確かなものを受け入れられるわけがない。 僕はいつも、自殺は言葉の概念ではなく、個別に焦点を当てて考えるべきだと思ってる。「ヒト」という生物が死んではいけない普遍的な理由なんてない。どこにもない。今まで、世界中でどれだけの哲学者、社会学者、宗教学者、教育者が論じてきて、誰も一つの絶対的な答えを出していない。今現在の段階で、誰も絶対的な答えをもってない。カント、ロールズ、サンデルといった、名だたる哲学者たちでもだ。 だけど、「自殺したい」と思う個々人「Aさん」は、確かに存在する。普遍的な「人間が死んではいけない理由」があるかどうかは別にして、「個人Aさんが死んではいけない理由」は、個々のケースを考えれば、あると思ってるよ。 今回、僕があなたのメールを読んで、思ったことがある。 あなたは、死んではいけない。なぜなら、究極的には死にたいわけじゃないからだ。理由を勘違いしたまま死んでいくのを、僕は黙って見ているわけにはいかない。 頭にくるかもしれないけど、誤解のないように繰り返すよ。あなたは、死にたいわけじゃない。断じて違う。だから、その行為を取る意義を、僕が認めることはできない。 「はあ?」って思うかもしれない。 「『死にたい』って、はっきり言ってるじゃん!」って思うかもしれない。 それでも、僕ははっきりと言うだろう。「あなたは死にたいわけではない」と。 そして、繰り返し言うだろう。 「あなたは、辛くて苦しいのを止めたいだけだ。それが目的であって、死ぬこと自体は手段にすぎない。目的を果たせれば、手段が死である必要などどこにもない」と。 あなたが望んでいるのは、自殺そのものではない。今の状況から抜け出すことだ。 「本気で死にたいって言っていない」ということではない。決してそうではない。あなたは悲痛なまでに本気だ。文章を読めば、強烈にそれが伝わってくる。 そうじゃなくて、死にたいというのは、僕には他の感情の言い換えに聞こえるということだ。「死にたい」という言葉を言わせている感情の正体は何なのか、そこを死ぬ前に僕と一緒に考えてほしいと思う。 まずは、自分に向けて使う表現を変えるんだ。 「死にたい」じゃない。「生きるのが辛くて耐えられない」と言うんだ。 死にたい? 何で?   辛いからだろ。 苦しいからだろ。…

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海外で交友関係を広げる方法

何人かの人に心配をかけたじんましんも、昨日から落ち着いた。これからも出張を続け、1月にハンガリー、ポーランド、チェコ共和国入りする。 大抵、午後の遅い時間までは、コーヒーを飲みつつ、ここに留まって仕事をしている。「ホステルの無料コーヒーは、まずい」という経験則を打ち破り、ここの無料コーヒーは、そこそこうまい。あくまで「そこそこ」だけど。 ホステルには、数週間から一ヶ月、ときには一年くらい滞在する人もいる。僕は比較的、長期滞在をすることが多いので、そういう人たちとは何度も顔を合わせることが多く、特に深い関係を築きやすい。 こうして深めた関係は、ちょくちょく仕事の発展につながる。僕は今、トルコのイスタンブールにいるけど、夏にポーランドやスペインで出会ったトルコ人たちやトルコの大学で勉強している韓国人と友達になっていなければ、今頃、僕はトルコにはいない。 海外にある程度の期間滞在するとき、現地で交友関係を広げるには、いくつかの方法がある。今日のエントリーは、その話。僕が利用しているのは、基本的に以下の3つの方法だ。 1. ホステルに泊まる 地元の人とはあまり知り合えないけど、様々な国の様々な背景の旅行者たちと知り合うことができる。僕にとっては最高の場所。部屋で知り合ったり、ラウンジで知り合ったり、受付で知り合ったり、いろいろな出会いのチャンスが転がっている。 ナンパと勘違いされると困るので、自分からアジア人女性には話しかけないことの方が多いけど、基本的に男性には自分から話しかけるタイプ。2011年にトロントのホステルに住んで通勤していた頃、僕に話しかけられた男性の数は、おそらく3桁になるだろう。おかげで、日本人男性も含め、今も深い付き合いを続けている友達が沢山できた。 「ホステルで友達なんてできないっすよ」という日本人がいたけど、それは自分から行動していないだけ。積極性の問題だ。 イスタンブールでは、夏にワルシャワで出会った中国人、新たに知り合った中国人と数日を共にした。文法も発音もめちゃくちゃな英語を話す二人だけど、彼らは積極的に色々な人たちとコミュニケーションを取って、すぐにホステル内の人気者になっていた。 僕も知らない外国人の集団に一人で難なく入っていける性格をしてるけど、彼らは僕以上。すぐに周りと溶け込んでいく彼らのおかげで、一緒にいる僕も随分と交友関係が広がった。彼らは、英語がめちゃくちゃでも、交友関係を広げられる人間の好例だ。 2. オンラインコミュニティーを利用する 現地でイベントに参加できる主なものとして、以下の三つがある。 カウチサーフィン ミートアップ インターネーションズ 英語が話せる現地の人や現地在住の外国人と知り合うには、このような集まりに参加するのが有効。旅人が多いホステルとは違い、現地の人も多く参加しているので、現地の人とも知り合うことができる。 ウェブサイトが英語で、イベントの内容も英語で書かれているのがほとんどなので、英語がわかる人たちが参加するのも助かる。現地語が話せなくても、英語だけで容易に交友関係を広げることができる。 最初に参加するときは一人で、集まる人が知らない顔ばかりなので、「グループを見つけられるかな」と思うけど、何度か参加しているうちに、だんだんと友達や知り合いが増えていき、すぐに馴染みの顔ばかりになって、心配が少なくなる。ハードルがちょっと高いのは最初だけ。 英語に関しても、「英語を学びたい」と思って参加する人も多く、相手が外国語としての英語で、ゆっくり話してくれるので、英語が聞き取りやすく、英語があまり得意ではない人でも、会話しやすいことが多い。 基本的に、このような集まりに参加する人たちは、海外の文化に興味を持っていたり、異質なものにオープンな人が大半。中には、日本文化に強い興味を持っている人たちもいて、時々、日本語で話しかけられたり、日本のことを色々と聞かれたりもする。ヨーロッパやトルコでこのような会に集まるアジア人は比較的少数で、アジア人が行けば、良い意味で珍しがられるのも、僕は嫌いじゃない。 僕は、このような集まりに仕事の一環として、Intercultural communicationの研究の一環として参加しているので、ときにはエスプレッソやレッドブルの力を借りて、多少疲れていても、時間が切羽詰まっていても、遅れて行くことになっても、色々な会に顔を出して、たくさんの人たちと話すようにしてる。その結果、びっくりするほど、交友関係が広がった。私生活にも、仕事にも、とてもよい影響を与えている。 3. SNSを使う 僕はあまり使っていないけど、SNSでも人と出会うことができる。 僕の場合は、英語版のツイッター。チェコ共和国第三の都市オストラヴァの大学やインターナショナルスクールと提携を結ぶために動き始めたのも、ツイッターで交流していたチェコ人がきっかけ。夏には彼女の家に泊まり、息子さんとも街を散策し、多くの友人達を紹介してもらった。 日本人と交流したいという外国人も、僕はツイッター経由で見つけることが多い。実際に留学する日本人学生と交流することに興味のある人も、ツイッターからリクルートしていることもある。オンラインだけで交流している人もいるけど、僕が出張に行ったときに、現地で直接会う人もいる。SNSも人と出会うための強力なツールだ。     ただ、手軽に人と会うことができると同時に、「ん?なんか、この人危ない感じの話をしてくるぞ・・・」という人もいる。まったく無防備で利用するのは絶対にだめだ。素性の知らない人と会うのに無防備でいられないのは、オンライン上でも同じだ。 日本人女性は「イージーターゲット」と見られる 不特定多数の見知らぬ人たちと知り合う際に気をつけるべきは、下心を持って近づく男たちだ。 失礼を承知で言わせてもらうと、世の中には、一般人の想像を超えた、とんでもない男たちがウヨウヨいる。ただでさえ、日本人は「イージーターゲット」として知られているので、女性のみなさんは、本当に気をつけていただきたい。 カナダに住んでいたときには、ストーカー行為をされたり、男性に脅迫をされたり、無人になったバスで運転手に抱きつかれたりした女子大生たちが、僕に相談を持ちかけてきていた。 カナダや日本で僕が開催していた集まりでも、欧米人たちが、アジア人女性たちに遊びでアプローチしまくっていたことが多々ある。タクシーで二人きりになったときにキスしようとしてきたり、強引に自宅に連れ込もうとしたり、しょーもないアホ男たちの話は、女性メンバーから山のように聞いてきた。 たとえ「彼氏がいるから」と言っても、こういう輩には全く通じない。こういう人間には、相手に付き合っている人がいるかどうかなど、そもそも関係がない。一般の人たちの倫理観など、こういうアホ男どもには通じない。 僕はミートアップやカウチサーフィンのプロフィールに、パートナーと一緒に写っている写真を使っている。どう見ても「明らかに結婚してるか、付き合ってる男女」という感じの写真をプロフィール写真だ。女性に「僕は相手がいる」というのを明確にして、妙な誤解を与えないためだ。 でも、どういう思考回路をしているのか、最近、僕のことを写真の女性の方だと思い込んで、連続でメッセージを送ってくるトルコ人男性たちがいる。 今日も朝起きたら「ヘイ、ハニー」、「そこにいるのかい、ダーリン?」というメッセージが入っていた。 次々に甘い言葉をかけて、彼らが「ハニー」「ダーリン」と呼んでいる相手は、35歳のヒゲ面のオッサンだ。「ダーリンって、おめーは誰だよ」と言ってやろうかとも思ったけど、相手をするのが面倒なので、しばらく彼らを泳がせておくことにした。連続で送ってくるメッセージを読む限り、舞の海ばりに技のデパートを持つ男なので、これからどんな驚きの技を繰り出すのか、アホ男たちの研究のために、しばらく観察してみる。 それにしても、隣に男性が写っていて、「明らかに相方だろ」とわかるはずなのに、それでもアプローチしまくる男ども。「『ノー』を言わない日本人女性に、外国人男性は遊びで群がってくる」と聞いてはいた(僕のパートナーは日本人ではないけど、トルコ人には見た目では区別がつかない)。他の人は知らないけど、少なくとも、彼らはなかなかのツワモノだ。 男の人も例外ではない もちろん、男だけがこういうことをするわけではない。男性差別者がするように、「男はアホだ。気をつけろ」と言いたいわけでもない。逆バージョンもある。男性だって、少しは気をつけてほしい。 僕はカナダのバンクーバーで、子持ちの既婚中年女性に不倫関係を迫られたことがある。何度か教会に来ていた関西の大学教員のパートナーで、たしか12歳くらいの子供がいた。僕には既に相手がいて、他の人を女性としてみる意識がゼロだったので、確かに無防備ではあった。 無防備でいきなり男女関係を迫られたときは、「この人は一体何を言ってるんだ???」と思って混乱した。かなり強めに断ったら、そのあとがひどかった。周りの人たちを使って復讐をして来た。 僕は信頼できる役員3人に相談し、大使館勤務の役員から、「その女性は以前にも同じ問題を起こしていた」と聞いた。僕は最年少で特殊な立場について、よくも悪くも色々な人に知られて目立つ立場にいたので、役員の何人かから「桑原さんは、女性からのアプローチに気をつけて下さい」と言われていたけど、それは初耳。「いや、それ教えておいて下さいよ」と思ったけど、守秘義務の問題があったのかもしれない。一瞬でも「教えといて下さいよ」なんて勝手に思った自分をあとで恥じた。 結局、その女性は日本に帰国し、表面上は落ち着いた。 その中年女性が、帰国後、マナー協会の講師として働いているという話を聞いたときは、「体を張ったジョークか・・・」と思ったけど、グーグルで検索したら事実だったので、さすがにずっこけた。最初から最後まで、ドラマやコメディのような展開だ。 この例からもわかるように、男性だけが自分の欲望のままに、他人にすり寄ってくるのではない。下心を秘めながら近づいてくるのは、女性だって同じだ。男性だからといって、安心できるとは限らない。 人の外ヅラに騙されるな ときとして、人の外づらと、その内面は大きく違う。友達のように近づいてくる人も、心の中で何を企んでいるかはわからない。残念ながら、フレンドリーに近づいてくる人には、隠れた動機を持っている人もいる。 と、いうわけで、女性(特に女子大生!)は、本当に、本当に注意してほしい。世の中は、僕たちの想像をはるかに超えた生き物が存在する。人間とて、決して例外ではない。倫理観がぶっとんだ人間はゴロゴロいる。…

人生の話

ジョージ・フレデリック・ワッツが描いた、視力を失った少女からのメッセージ

日本ではあまり有名ではないかもしれないけど、僕はこの絵が大好きだ。   via Wikipedia   これを描いたのは、19世紀イギリスの画家ジョージ・フレデリック・ワッツ。 視力を失った少女が、星の上に座り、たった一本だけ弦が残ったハープを手にしている絵。見えるものもなく、真っ暗な闇の中で、ボロボロのハープを手にした少女が、一人ぼっちで耳を傾けているのは、わずかに残った一本の弦の音。 ワッツは、この作品に『希望』という題を付けた。     その目には何も見えなくても、そばにあるものがボロボロになっても、たった一人になっても、この少女が耳を傾け続けたのは、希望という音色。たった一本残った弦で奏でる音色だった。     あまりに大きな困難で行き詰ったとき、僕はたまにこの絵を見る。ワッツがこの少女を通して聞いた希望の音に、僕自身も耳を傾け、自分には何が残されていて、どんな音を奏でられるのかを、立ち止まってもう一度考えてみる。 そして、自分にできる精一杯のことを、前向きに紡ぎ出すようにしている。   すべてのものが失われ、ボロボロになったあとでも、僕には希望が残されている。前向きに生きる希望が、次のステップを歩む希望が、僕には残されている。 たとえ一人になったとしても、たとえ暗闇の中にいたとしても、たとえ何も周りに残されていなくても、その音色だけには、いつまでも耳を傾けられる自分でいたい。

人生の話

16年ぶりの同級生に会って考えた、「生きる」ということ

「桑(僕)は、あのあと誰とも連絡取ってないでしょ。アメリカにいるって噂はあったけど、どうしてたの?」 「生きてたよ」 昔の同級生と16年振りに言葉を交わした。「ああ、俺がアメリカにいるって話は広まってたんだ」と思った。 「あのあと」とは、1998年10月10日のあとのこと。 その前々日、親友のIから電話があった。 卒業した高校の元担任Mから電話があった、と伝えられ、「俺が今から言うことを落ちついて聞いてくれ。頼むから落ち着いて聞いてほしい」と言われた瞬間、彼が次に何を言うのか僕にはわかった。 「Nが・・・死んだ。病院で亡くなって、明日、室蘭で葬儀がある」 心のどこかで予期していた。それでも、「そのとき」が来たときの衝撃は大きすぎた。震えが止まらなかった。直後になんと言ったかは覚えていない。 ただ、意識が遠のいていくほどの心拍数の乱れと、受話器を持てなくなるほどの震えだけは、鮮明に覚えている。 人生で唯一付き合った人間の死を「落ち着いて聞け」か。こんなのを落ち着いて聞けるやつなんて、それこそ、頭がどうかしてる。 「桑、聞いてるか?大丈夫か?」 「ああ。大丈夫かどうかは知らんけど、聞いてはいる」 彼は通夜や葬儀の日時を僕に伝え、二人で参列するアレンジを始めた。 「この間、兄貴ん家行ったときと同じ場所で待ち合わせしよう」   「……。いや、俺、行かないよ」 「は?どういうこと?葬式に行かないってこと?」 「行かないよ。何で俺が行くんだよ」 「おい!何考えてんだ!おまえが行かなくてどうすんだ!」  彼は突然怒り出した。彼女が白血病になってから別れを切り出されたとは言え、僕が彼女のことをどれだけ大切に思っていたか、彼に今まで打ち明けてきた悩みの数々を考えれば、怒られるのは当然のことだ。彼の怒りは、今になって、よくわかる。 「どうもなんねーよ!!行かなくても、どうにもならねーよ!!」 でも、この時の僕には、物事を判断する力も、先のことを考える余裕もなかった。その後も、あまりにしつこく葬式に連れ出そうとするIに、僕も混乱を押さえきれずに怒り出した。 「行かねえっつってんだろ!!行ったらどうなるんだ!?何が変わるんだ!?俺が行ったら生き返んのか!?生き返るんだったら何度だって行くよ!!でも、そうじゃねえだろーがよ!!人の気も知らないで『葬式に来い』なんて簡単に言うな!!!」と言い出し、お互いに声を荒げて、電話口で喧嘩になった。 ブチギレた彼は、「俺は明日、〇時に〜に車でおまえを迎えに行く!!待ってるからな!!絶対来い!!!」と怒鳴って、一方的に電話を切った。 電話を切ってしばらくは、「ふざけんな、あの野郎!」と思ってたけど、段々と色々な感情がごちゃごちゃになって、その後、僕は何時間も机に突っ伏して泣き続けた。 彼女の遺体を見るのが怖かったのか。 現実を認めたくなかったのか。 みんなの前で正気を保っていられる自信がなかったのか。 死んでから行っても遅いと思っていたのか。   とにかく、僕は行きたくなかった。   それから何をしていたかは記憶がない。仕事に行って、泣きながら店長に休みをもらったこと以外は、全く記憶にない。 気がついたら、夜が明けていた。     次の日、結局、僕はIとの待ち合わせ場所に行った。「人の気も知らないで」なんて言ってしまったけど、彼女の白血病が発覚してからの僕の葛藤や混乱を、彼は最もよく知っている人間だ。 待ち合わせ場所でお互いを見ると、二人とも恥ずかしそうに笑って手を振った。   「I、ごめん。昨日は俺が悪い」 「あんな桑は初めてだわ。おまえ、キレ過ぎだよ(笑)」 「おまえは人のこと言えないだろ…」 「ははは」 久しぶりに少しだけ笑って、僕の心が少し軽くなった。 あとは、二人ともいつもの調子で札幌から室蘭まで二時間のドライブ。途中で心の整理のために止まってもらったこと、車の故障があったことで、結局、二人で葬儀に少し遅刻して参列した。   そして、葬儀の最後に献花をするとき、二年間の闘病生活の末に、骨と皮になるまでやせ細った彼女の遺体を見た。棺の中で化粧をして横たわっていた彼女は、僕と付き合っていた頃とは別人のようだった。 何で、こいつが苦しまなきゃいけないんだ。何で、こいつが未来を奪われなきゃいけないんだ。こんなのは、おかしいだろ!なんでだよ! 答えのない問いを、誰が答えるわけでもない問いを、僕は心の中で繰り返した。 別れを切り出す前の彼女の気持ちを考えられなかった、大事なことを言葉にして伝えなかった自分が嫌になる。共通の友達だった彼女の幼なじみに、以前に泣きながら言われた言葉が突き刺さった。 彼女の幼馴染たちは、僕を責めなかった。それどころか、僕のことも気にかけてくれた。   だけど、悪いのは僕だ。情けなかったのは、誰でもない、僕自身だ。すぐに諦めてベストを尽くさなかったのは、紛れもない僕自身だ。そう考えたとき、喪失感以上に、罪悪感と後悔が胸を締め付けた。 このときのことは、今でも夢に出てくる。あまりに何度も夢に出てきたので、自分に都合のいいバージョンの夢で、実際の記憶を書き換えようとさえ思った。 高校の同級生が沢山いて、僕のことをコソコソ話してる人もいたけど、僕はその場の誰とも一言も口をきかずに、ご遺族以外の誰とも目を合わせないようにして、終わったらすぐに葬儀場を去った。…