昔、アメリカのある小さな町に、プロのアメリカンフットボール界で活躍したオニール(仮名)という男がいた。
オニールは、幼い頃からアメフトで頭角を現し、順調に大学チームでも活躍し、やがてプロへの道を歩み始めた。
そして、彼は懸命にアメフトに取り組み、結婚して数年後、いくつかのチーム記録を残して引退した。
時は過ぎ、そんなオニールも年齢を重ね、三人の息子と一人の娘の父親になった。
彼の三人の息子は、当然のように、幼い頃から父親にアメフトを叩き込まれ、毎日毎日、暗くなるまでチーム練習、個人練習に明け暮れるようになっていく。
オニールは、この三人の息子をプロ選手にしようと、全身全霊を傾けた。毎日毎日、息子たちの練習に根気強く付き合い、厳しくアメフトの基礎を仕込むようになった。
そんなオニールの情熱に後押しされ、もともと父に似て才能溢れる三人の息子は、やがて十代の少年になり、順調に大学フットボール界への階段を上り始めていく。
しかし、その一方、オニールの愛する末っ子の娘は、原因不明の過食症で、どんどん体重が増え、ついには100キロを超えるほどの体型になっていった。
数か月がたち、娘のことで妻から相談を受けたオニールは、「娘が精神的な病気を抱え、体重も100キロを超えて、明日から入院しなければならないほ土になっている」ということを聞いて驚いた。
「なんだって!?そんな馬鹿な。一体、あの子に何が起こったんだ!?」
オニールは、娘を溺愛していた。三人の息子たちと同じように、いや、場合によってはそれ以上に、愛娘のことも深く愛していた。
少なくとも、そのつもりだった。
オニールは、すぐさま娘のところに飛んでいって、娘に優しく尋ねた。
「どうしたんだ?おまえに何が起きてるんだ?」
しかし、娘は答えたがらない。彼と目も合わせようとしない。何度、接触を試みても、オニールはつれなく追い返されるだけだった。
「あれほど良い関係だった娘がなぜ?」
自分に懐いていた娘が心を開かないことに、オニールは戸惑った。
「What happened to her? What’s wrong with her?」
彼は、心のモヤモヤを晴らすことができない。
その夜、そんな彼の言葉を聞いた妻は言い放った。
「問題なのは、あの子ではないわ。あなたよ」
「何だって?」
オニールは、唐突な妻の言葉に戸惑った。
「『あの子に何が起こったんだ?』じゃないでしょう。私もあの子も『パパに何が起こったんだろう』と思ってた。
あなたが問うべきは、
『What happened to her? What’s wrong with her?』じゃない。
『What happened to ME? What’s wrong with ME?』でしょ」
オニールは、憔悴し切った妻の言葉にめんくらった。
「オニール、あなたは自分が息子たちにかけた時間と、娘にかけた時間を天秤にかけて考えたことあるの?」
「あの子の何が問題なんだ?」
父であるオニールにとって、本当の問題は、娘ではない。
「娘に何が起こったか」ではない。
今の今まで、こんなことになるまで、そのことに全く注意を向けていなかった彼自身だ。
「娘には、いつも会っていたはず。挨拶を交わしていたはず。でも、気が付かなかった。言われてみれば、確かに顔がふっくらしてきたとは思ったが、娘の変化に、外側の変化にも、内側の変化にも、気が付かなかった。
オレは、一体、何をしていたんだ?いつも会っている娘だったのに。一体、オレに何が起こってしまったんだ?」
本当の問題は、問題の根源は、娘ではない。
自分だ。今の今まで、こんなことにさえ気がつかなかった自分だ。
三人の息子をプロ選手にするために全身全霊を傾け、自分が思っている以上に娘に注意がいかなくなっていた、娘に時間を割かなくなっていたオニール自身だった。
オニールは、やっとのことで、本当の問題に気が付いていく。
次の朝、彼は妻と共に娘の部屋に行き、自分がいかに愚かだったかを、率直に二人の前で告白した。
息子たちと同じくらいの時間を娘に割いていたと思い込んでいたが、全くの間違いだったこと。
自分の過ちを許してほしい、ということ。
今から自分にチャンスを与えてほしい、ということ。
大男の元アメフト選手が、涙ながらに、心の内を家族の前にさらけだした。
娘は彼の謝罪を受け入れた。大きなハグとともに受け入れた。
娘も、妻も、オニール自身も涙が止まらなかった。
10年前、僕がオニール一家のバーベキューに招待された時、オニールのそばには、彼の娘、そして娘の子供たちがいた。
オニールと僕は、僕が地域サッカーのコーチと審判をしていた時に、この子供たちを通して知り合った。
「娘からいつも話は聞いてるよ。孫と忍者トレーニングしてるんだって(笑)。オレみたいなジジイも忍者にしてくれるか?がははは」
オニールは非常に親しみやすい性格で、孫が僕と仲が良かったせいか、僕の隣に座って色々な話を聞かせてくれた。
切羽詰まって苦しんでいた僕の胸の内も、本当に真摯に聞いてくれた。
そして、これから奨学金をもらって大学院に行くという僕の決意を聞いていた彼は、僕に言った。
「おまえのハードワークは素晴らしい。成績はいいし、英語も流暢で、スポーツもできる。これも日々の努力の賜物だろう。自信を持っていい。おまえはアメリカでも成功する」
そして、僕が何故日本を飛び出してアメリカにやってきたのかを知っている彼は、ポツリとこう続けた。
「おまえは、昔のオレに似てるよ。自分を磨くことに全身全霊をかけるところ、そして、大切な家族を顧みないところがね」
「え?」
そう言って、オニールが話してくれたのが、冒頭の話だった。
話の最後に、彼は僕の肩を叩いて言った。
「同じ間違いをするな。大切な人を大切にすることほど、大切なことはないんだからな」
家族三人で抱き合って泣いたあの夜から、オニールは、その言葉通り、大切な人たちを大切にしてきたんだろう。
一家揃ったバーベキューの雰囲気を見ていれば、孫や娘の愛情の表し方を見ていれば、どれだけ家族が大切にされてきたか、僕にも想像はつく。
結局、彼の息子たちは誰一人、プロには行かなかったそうだ。それでもオニールは、バーベキューをつつきながら、冗談を飛ばし、この上なく幸せそうな表情をしている。
僕も将来、結婚するだろうし、子供もできるだろう。勉強や仕事ばかりで大切なことを忘れそうになることがあるけど、「大切な人を大切にすることほど、大切なことはない」という彼の言葉は、折に触れて引き出して、噛み締めていたい。