2010年11月。苦難のバンクーバー時代に多大にお世話になった石川欣三郎さんが、僕がバンクーバーを離れて半年後に亡くなった。
石川さんは、パートナーの磯和さんと一緒に、
「桑原くんのメッセージだけは、私たちは毎週ボイスレコーダーに取ってあるんですよ。桑原くんの時だけは、教会を欠席しちゃいけないと思ってね」
「桑原くんは、どこにいたって成功するんだから、教会にいたら、もったいない気がするんですよ。私たちみたいな老人が教会に留めてしまって、若い桑原くんの未来を奪ってるんじゃないかって」
「これから多くの人たちが桑原くんに助けられると思いますよ。だから私たちのことはね、気にしないでって気持ちもあるんですよ」
と、いつも僕に過分な言葉をかけてくれ、事あるごとに気遣ってくれた。
僕に不倫関係を迫ってきた中年女性に断ったことへの陰湿な仕返しをされたときも、日本で職を失って居場所のない在日韓国人の牧師夫婦の陰湿な言動に悩まされたときも、詐欺事件を起こしてバンクーバーに逃げてきた犯罪者に攻撃されたときも、いつもいつも、石川さんは助けてくれた。優しい言葉をかけてくれた。
僕が人間の醜さを学んだのは、バンクーバーだった。
人間の美しさを学んだのも、バンクーバーだった。
あのときを生き延びて、今の仕事ができるのも、バンクーバーで支えてくれた石川さんのおかげ。僕にとっても、Good Friends Japanにとっても、石川欣三郎さんは、とても、とても重要な人だ。
「ヨーロッパと台湾でうまくやってます」、「これ全部、学生たちからの温かいメッセージです」って、何とかして石川さんに今の状況を報告したい。
時々、そんな気持ちに駆られる。もう二度とできはしないことくらい、痛いほどわかってはいても。
本来は僕が司式するはずだったバンクーバーの記念礼拝(葬儀)で読み上げてもらうために、オンタリオ州の教会に招聘された僕がバンクーバーに送ったのは、ソファを叩きながら、涙を流しながら、震える手で書いた、以下の文章。
ふとしたきっかけで、先日、Google Driveから引っ張り出して、久しぶりに自分で読んでみたら、色々な感情がぶり返してきた。

今回、石川さんが亡くなったというEメールを受け取り、教会の仕事の疲れが吹き飛ぶくらいに驚きました。私がバンクーバを発つ前、石川さんはご自分の健康状態を冗談にして、
「記念礼拝(葬儀)の司式は頼むよ。桑原くんって、決めてるんですよ。だから、早く戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」
と冗談を言って笑っていました。
「早く(バンクーバー外での任期を終えて)戻ってきてくれないと、間に合わなくなっちゃう」
というのは、以前からの石川さんの口癖で、私がバンクーバーにいた6年間で、何度おっしゃっていたか分からないくらいです。
「それは10年経ったあとくらいの話ですよね。まだでしょう。Nさんを見習って、90までとりあえず頑張って下さい(笑)」と言っていた僕は、本当に間に合わなくなるとは思っていなかったので、今回、石川さんが亡くなったと聞いて、とてもショックを受けました。
正直、私がバンクーバーを離れて半年でこのようなことになってしまったこと、牧師が不在のときにこのようなことになったのは、とても悔しく、とても残念に思いました。
しかし、V教会(*イニシャルにしてあります)には、私に様々なことを教えて下さった素晴らしい信徒の方々がいらっしゃり、何かがあれば、その人のために尽くす信徒の方々がいらっしゃいます。
今回、病院に入院した石川さんのことも、様々な方が訪ねて下さっていたようで、「ここの家族とはいいものだ」と改めて思いました。
石川さんとは、5年間、本当に色々なことを共にしました。
教会のことで議論をし、辛い時には励まされ、食事をしながら笑い合い、意見の相違があるときも、若くして教会の職に就いた私の立場や考えを尊重してくれました。未熟な私にも、いつも温かい言葉をかけてくれました。

私にとっての石川さんは、様々な面を持っていました。
まず、石川さんは、とても真摯な方でした。
石川さんが語る言葉に表面的な薄っぺらさはなく、言葉の一つ一つが心から出ているものでした。石川さんがお話をするときは、本当に心で思っていることだけを話して下さるので、それがたとえどんなものであっても、石川さんとは、いつも信頼と安心を持って言葉を交わすことができました。
決して言葉数の多い方ではありませんでしたが、その分、石川さんの言葉には重みがあり、分かち合って下さったことの多くを、今でも鮮明に思い出すことができます。
また、石川さんは、真面目であると同時に、冗談の好きな方でした。
磯和さんも冗談の好きな方なので、何でもない冗談を、三人でよく笑い合っていたことを思い出します。
Tsaiさんのお知り合いの一平くんが教会に来ているときには、石川さんと男三人でよく話をしていました。あるとき、石川さん、磯和さんのご自宅に一平君と二人で招待をされたときに、
「石川さんは、親切すぎです。ここは大先輩として、この不届きな一平にガツンと言ってやって下さい。僕は、石川さんのお宅に、とんでもない男を連れてきてしまいました(笑)」
「いや、桑原さんこそ、とんでもない先輩です。石川さん、締め上げておいて下さい(笑)」
などと一平君と二人でふざけていたら、心臓にペースメーカーを入れている石川さんは、お腹を抱えて笑っていました。
その後、「すみません。笑い過ぎて心臓に悪いかも知れないですね」と一平君と二人で言ったら、石川さんが「いや~、逆に心臓が元気になるかもしれないよ」と返してきて、またまたみんなで大笑いしました。
何だか、それもつい先日のことのようです。

そして、石川さんは、何よりも信仰者でした。教会の共同体とはどういうものであるべきかを真剣に考え、イエスの歩いた道を歩こうとした信仰者でした。
「ナザレに生きたイエスは、救い主だ」とは教会でよく言われることです。しかし、それが私たちの日々の中で具体的に何を意味するかは、教会では、実はあまり共有されていません。
イエスが救い主キリストであるのは、漠然とした教会の宗教的観念が、そのようなことを語っているからではありません。教会の教理を信じても、信条に「その通りです」と告白しても、それは人の世界を変え、生き方を変えることは決してできません。
イエスが救い主であると言われるのは、イエスの言動を通して、その歩いた道を私たちが実際に歩くことを通して、わたしたちが、神が一人一人に与えた「いのち」に触れ、死ですら終わりにすることのできない「いのち」に生きることができるからです。
そして、その「いのち」によって、私たちが新たに作り変えられることができるからです。
カナダ合同教会の信条にもあるように、イエスが語った永遠の「いのち」、わたしたちの時間の概念ではかれない「いのち」というのは、死のあとの命のことではなく、死を超えた「いのち」のことです。
死んだあとの命、というのは、どの宗教においても触れられる傾向がありますが、キリストの教会が語り続けるのは、死後の命というよりも、今現在、ここで生きる「いのち」のことです。自分を殺し、他人を殺し、世界を殺すのではなく、神に作られたもの全てを生かし続けるような「いのち」-それが教会が伝え続けるイエスの「いのち」です。
ご自宅に何度も招待して下さったり、聖書を読む会にはほぼ欠かさずに来て下さったりと、石川さんとは多くの時間を過ごす機会に恵まれました。私が石川さんと身近に接した中で思うことは、石川さんは、誠実に、その「いのち」を生きようとしていた、ということです。
石川さんは勉強熱心な方で、聖書を読む会では、こちらがハッとさせられる意見も出して下さいました。おそらく、聖書やキリスト教に関する沢山の知識も持ち合わせていたことでしょう。
しかし、何よりも私の印象に残ったのは、石川さんの言葉や笑顔の裏にあるキリストの「いのち」でした。
「いのち」を生きている人は、他人を活かすことができます。ちょうど蝋燭(ろうそく)の明かりと同じように、「いのち」を生きようとする人は、「いのち」の光で人を照らし、凍える人を暖めることができます。
私にとっての石川さんとは、まさにそのような方でした。話をすると安心することができ、イエスが語る「いのち」を分け与えられる、そのような方でした。
みなさん、今日は、その石川欣三郎さんの記念礼拝です。どうか、みなさんで石川さんが生きた、そして今も消えない「いのち」を覚え、一緒に祝福して下さい。
石川さんの「いのち」は、今も消えていません。石川さんが生まれ、日本やカナダの地に生き、私たちと「いのち」を交えることができたことを、今日はみなさんでお祝いして下さい。
石川欣三郎さんと出会い、心を通わせ合い、教会の家族としてときを過ごすことができた。今日は、そのことが祝福される日として下さい。
私は遠くオンタリオの地にいますが、最後の最後まで石川さんを近くで支え続けた磯和さんを始め、ご家族やご友人のみなさんのことを祈っています。石川さんが日曜日にいつも座っていた礼拝堂で、石川さんの想いが詰まった教会で、どうか、みなさんにとってよい記念礼拝が持たれますように。
桑原 泰之
2010年11月27日