連絡をくれた人と僕の人生の話

亡くなった人と生き残った自分と相談をくれた人の話

ときどき、「生きているのが嫌になった」「人生の幕を閉じたいです」という人からメールをもらう。たくさんの人に読まれていた大学院時代の留学ブログの影響で、2007年くらいから、ちらほらと、そんなメールを受け取るようになった。

あの頃は、短い海外生活ブログを、ほぼ毎日更新していた。アクセス数もすごく伸びたけど、バンクーバーからカナダ東部に赴任するときに、ある理由で全てを閉じた。

その後に新たに招聘されたトロントでまた新しくブログを始め、そこでも僕が書く内容に呼応して、精神的にギリギリの状態にいる人たちからのメールが来るようになった。バンクーバー時代のブログの読者が、検索に検索を重ねて、僕を探し出してくれたケースもあった。

カナダでの僕の仕事の大部分は、自分のせいではない事情で苦しむ人の人生をサポートすること、問題の解決に乗り出すことだった。

ブログの影響が大きく、知らない人たちにも名前や顔が知られるようになってしまい、ものすごい数の電話やメールを受け取り、僕の心身が限界にきたことも何度かある。全く異文化の中にいながら、あのような立場で、普通の仕事では考えられないプレッシャーを背負いながら生きる20代は、良くも悪くも、そうはいないだろうと思う。

いつの間にか、自分が想定していなかった環境になってしまい、僕はカナダを去ってしまったけど、カナダでの7年は膨大な学びの時間ではあった。

人間というものを、よく知るための時間だった。

今の仕事は、当時ほどの莫大なプレッシャーはない。ごく稀なケースを除いて、「誰かの命がかかっている」という類の仕事ではないからだ。

今はもう、自分の両親や祖父母の年代の方々から「先生」と呼ばれる生活はしていない。知らない人たちにまで顔と名前が知られる生き方はしていない。

僕が住んでいたゲストハウスまで高級ベンツが迎えが来て、トロントの高級マンションでワインを飲みながらミーティングという「役員会の皆さん、これは教会がするようなことですか?」と思わず問題提起して、桁違いに裕福な年配の方々の激しい顰蹙を買ってしまうような生活もしていない。

町を歩いていたり、買い物をしていたりして、全く知らない人から、「あら桑原先生!」「Hi! You are the one from Vancouver, right!?」などと声をかけられて、驚くこともない。

「あんなに頑張ってたのにどうして?」

「なぜ日本に帰ったんですか?あなたのような人が組織を変えていくのに、あきらめるのですか?」

「まだ遅くない。カナダに戻ったらどうですか?頑なに戻らないのは、どうしてですか?」

などと言われても、これから再び同じことをすることはない。

結局、組織内の醜い争いや足の引っ張り合いに巻き込まれ、自分の使命が妨げられるのが目に見えているからだ。

ただ、立場は変わっても、当時から魂を削って実行していたことは、これからも続けたいと思っている。当時、自分がしていたことは、ただの仕事ではなく、「人生」という大きな存在から自分に与えられた使命だと思っているからだ。

そのようなことの一つが、卑劣な人間の心の歪みの犠牲になっている人たちと、少しだけ共に歩く時間を持つこと。僕も仕事をして生活していかなきゃいけないし、架空の話で騙されることも沢山あるので、あまり多くの時間は割けないけど、真摯で深刻な内容のメールをもらったら、なるべく返すようにしている。

個人情報がわかる部分は書き換えをしているけど、以下のメールも、そのような状況で書いたものの一つ。僕が送った2014年最後のメールだ。


メールをどうもありがとう。そして、応援メッセージもありがとね。今はすごくきつい時期だから、特に勇気づけられた。僕以上に大変な中、僕のことまで気遣ってくれてありがとう。

自分がイライラしているときにさえ、他人を気遣える人なんだなって、感動したよ。

本当に、本当に、色々なことがあったんだね。メールには書き切れないくらい、苦しいことが、叫びたいくらい辛いことが、山のようにあったんだろうね。

そんな中で、僕のことを対話相手に選んでくれたこと、僕は嬉しく思う。



僕は、卑劣なことをする人たちの精神的幼稚さの犠牲になる人を、少しでも減らしたいと思ってる。卑劣なことをする人間がいれば、当然、その犠牲になる人もいる。

バンクーバーに住んでいた頃、一部の人たちが人間としてとても看過できないことをするのを、僕は間近で見てきた。「人間とは、ここまで卑劣で汚くなれるのか」というのを嫌というほど目にしてきた。

犠牲者の一人は帰国を余儀なくされ、ある人は「二度とあんなところには行きたくない」と行って僕に涙を見せ、またある人は嘘の噂話をばらまかれて、人生の変更を余儀なくされた。

バンクーバーには、本当に悪質な日本人、在日韓国人がいた。人生でこんな人間に会うことは、もう二度とないだろうと思うくらい。

僕は、こういった犠牲者を減らしたい。少なくとも、僕の周りではなくしたい、と思っている。

だから、いじめや集団ハラスメントなどの被害に遭っている人には、なるべく時間を割くようにしている。もともと、教会でそういう活動をしてたから、帰国後も、その流れでこれだけは続けてるんだ。

もしかすると今回のように、いつか誰かが僕の書いたものを読んで、何かを感じてくれるかもしれない。「やっぱ、死ぬのはやめとこう」と、思い直すかもしれない。

バンクーバーに住んでいた頃、一人の親切な人が僕が書いたものを読んで、「とにかく私も生きてみます」と言って、自殺を思いとどまってくれたことがあった。たった一人にでもそういった効果があるのなら、僕はこれからも言いたいことを発信していきたいと思ってる。

誰のためでもない。昔の自分自身が呼び起こされて、僕自身が苦しまなくて済むように。



苦しんでいる人に「自殺は世間の迷惑」とまで言う人間がいるのは、ほんと悲しいね。迷惑がかかるなんて、そんなもの、当の本人が百も承知だろうにね。

そうやって言う人たちは、自殺する人を、どこまでのおバカさんだと思ってるんだろうな。迷惑も苦しみも分かった上で、それでも死を選ぶという選択なのに。

あなたの耐えられない苦痛に思いを馳せない人たちの言うことは、今は全く聞く必要がない。生死の問題に関して、あなたの状況を直視しようとしない人に、耳を傾ける必要はない。

人は自分の思い込みで、事実そっちのけで勝手に言いたい放題のことを言う。何を言われても、そんなどうでもいいやつのことは放っておけばいい。くだらない人間の言動に振り回されるのは、今すぐやめるんだ。

あなたは自分勝手ではない。断じて違う。多くの自殺は、実際は社会による殺人だ。社会的な状況が人を追い込んで、精神的な安静をどこまでも蝕んでいく。周りの人間が悪意で作った状況が、その人の心臓をえぐっていく。

あなたはただ死ぬわけじゃない。殺されようとしてるんだ。社会ではなく、「周りによる殺人」と言い換えてもいい。いま、一部の人間が、あなたの心を殺そうとしてるんだ。

あなたは今、他人に自分自身を殺させようとしている。やつらに自分を殺す許可を与えようとしている。自分の命をコントロールする許可を、みすみすくだらない連中に与えようとしてる。自ら相手に自分をコントロールさせようとしてるんだ。

僕はいつも同じことを言う。

他人に大切な自分を絶対に殺させるな。そんなやつらに、自分自身をコントロールさせるな。

あなた自身が許可を与えなければ、自分を渦巻く環境は、あなたを殺すことはできやしない。その環境は、あなた自身をコントロールすることなどできはしない。

自分をコントロールするのは、いつだって自分自身だ。外部のやつらじゃない。

絶対に、どんなことがあっても絶対に、その許可を下らないやつらに与えるな。

生きるんだ。

今の時点で、どんなにつらくても、だ。



ぶっちゃけ、「自殺」という概念がいいのか悪いのか、僕には判断する力がない。この社会には、「悪いに決まってるだろ」という人が大半だと思うけど、論理的に突き詰めて考えていけば、それを「悪いこと」と定義できる人間なんて、歴代の哲学者、思想家の著書や論文を読んでみても、誰一人いない。ゼロだ。

一応、政治思想や倫理学を学んで、カナダの大学院で思想系の修士号をとったけど、僕が知る限り、誰にもそんなことを理由づけできていない。「個人的に悲しいこと」と定義できる人は、僕も含めて、たくさんいるだろうけどね。

僕はいつも、自殺は言葉の概念ではなく、個別に焦点を当てて考えるべきだと思ってる。

「ヒト」という生物が死んではいけない普遍的な理由なんてない。どこにもない。今まで、世界中でどれだけの哲学者、社会学者、宗教学者、教育者が論じてきて、誰も一つの絶対的な答えを出していない。今現在の段階で、誰も絶対的な答えをもってない。カント、ロールズ、サンデルといった、名だたる哲学者たちでもだ。

だけど、「自殺したい」と思う個人「Aさん」は、確かに存在する。普遍的な「人間が死んではいけない理由」があるかどうかは別にして、「個人Aさんが死んではいけない理由」は、個々のケースを考えれば、例外はいくらでもあると思ってるよ。

客観的な理由がない以上、誰かの主観的な理由に過ぎないんだけど、それでも理由は理由だ



今回、僕があなたのメールを読んで、思ったことがある。


あなたは、死んではいけない。なぜなら、究極的には死にたいわけじゃないからだ。理由を勘違いしたまま誰かが死んでいくのを、黙って見ているのは僕は好きじゃない。

頭にくるかもしれないけど、誤解のないように繰り返すよ。

あなたが望んでいるのは、死そのものではない。だから、その行為を取る意義を、僕が認めることはできない。



「はあ?」って思うかもしれない。

「『死にたい』って、はっきり言ってるじゃん!」って思うかもしれない。

それでも、僕ははっきりと言うだろう。

「あなたは、辛くて苦しいのを止めたいだけだ。それが目的であって、死ぬこと自体は手段にすぎない。目的を果たせれば、手段が死である必要などどこにもない」と。

自殺には種類がある。世の中の人たちは細かい分類をしないけど、実際は自殺したいという理由は、いくつかに分かれている。

生前の太宰治や三島由紀夫が僕の目の前にいたら、「そっか。だったら死んでもいいんじゃない?」と思うだろうけど、あなたのケースは全く違う。



あなたが望んでいるのは、死そのものではない。今の状況から抜け出すことだ。痛みや苦しみを止めることだ。

「本気で死にたいって言っていない」ということを言っているんじゃない。決してそうではない。あなたは悲痛なまでに本気だ。文章を読めば、強烈にそれが伝わってくる。

そうじゃなくて、「死にたいというのは、僕には他の感情の言い換えに聞こえる」ということだ。

「死にたい」という言葉を言わせている感情の正体は何なのか、そこを死ぬ前に僕と一緒に考えてほしいと思う。



まずは、自分に向けて使う表現を変えるんだ。

「死にたい」じゃない。

「生きるのが辛くて耐えられない」と言うんだ。



死にたい?

何で?

辛いからだろ。

苦しいからだろ。

あいつらがひどいことをして、心が耐えられないからだろ。


じゃあ、本当に望むのは「死にたい」というよりも、「辛くて苦しいのを止めたい」ということじゃないのか。目的はそっちだろ。死というのは、単にそれを実現させる手段の一つに過ぎないだけで。



何度でも断言するけど、ここだけは許してほしい。

あなたは死にたいわけじゃない。痛みや苦しみを止めたいんだ。目的はこっちだ。最終的に実現したいのは、死じゃなくて、こっちなんだよ。

今回の場合においては、「死にたい」というのは「痛みや苦しみを止めたい」を言い換えたものだ。あなたは堪え難い精神的虐待から、抜け出したいんだ。悲惨な環境から抜け出したいんだよ。

死はその「手段」として、頭にちらつくだけなんだ。

死を目的にする人もいれば、死を手段として用いようとする人もいる。あなたは後者だ。

この精神的虐待がなければ、あなたは自殺しなくてもいい。理不尽な苦しみの毎日さえ去れば、あなたは死ぬことを選択しない。

そうだろ。理不尽な苦しみがなければ、素敵な人たちに囲まれて、望んだ生活ができていれば、わざわざ死を選ばないだろ。

だったら、突き詰めると、究極的な目的として、死を選びたいわけじゃないんだよ。痛みや苦しみを止めたいだけなんだ。今の状況を変えたいだけなんだ。その手段として、「死」という概念が脳を襲うだけなんだ。

この場合の「死」は、あくまで手段にすぎないんだよ。決して目的ではないんだよ。

じゃあ、目的を達成できれば、別に手段は変えたっていいだろ。理不尽な苦痛から離れられれば、わざわざやり直しの効かない手段じゃなく、別の手段を試したっていいだろ。死なんてのは、数ある手段の一つにすぎないんだから。



漠然とした頭で、「死にたい」って表現を使うな。自分でも概念を整理できてないだろ。

メールを読む限り、あなたの場合、言葉の裏にあるのは「死にたい=生きるのが辛くて耐えられない」だ。

「だから、ここから抜け出したい」だ。

死そのものに憧れて自殺をしようとしてるわけじゃない。太宰治や三島由紀夫のケースとも、哲学者の中島義道さんのケースとも重ならない。

だったら、まず、その辛さの原因を整理していこう。そこが整理できれば、きっと自殺じゃなくて、「辛さを止めるために他の手段を取るのもありかもしれない」って思えるんじゃないかな。

自殺はやっちまったら取り返しつかないから(念のため言っとくと、悪いことだとは、僕は一ミリも思ってない)、少し慎重になってほしいと考えてるよ。

本気で自殺をしようとしている人間の脳に、死という言葉は強すぎる。一線を越えようとしている人間を飲み込んでしまうような深さがある。漠然とした闇のような不気味さがある。それが怖い。気持ちが弱っているときに、その言葉を吐かれるのが怖い。

明確に思考するために、まずは、その言葉を使わずに自分の気持ちを表現するんだ。

①問題の根源は何か

②それを解決するには、どういう行動を取れば効果的なのか

この二つをはっきりと整理するためにも、自分に向かって「死にたい」と言って脳を麻痺させるのは止めて、違う表現で自分の気持ちを表してみるんだ。

あなたは、あまりに①と②を吟味していないだけだ。そして、今、わずかな選択肢から不可逆なものを選び取ろうとしている。脳を自ら麻痺させて、取り返しのつかない選択肢に頭を支配させている。



死にたい?

本当は、そうじゃないだろ。

現状を解決したいだけだろ。



苦しみを止めたいなら、理論的には、いくらでも方法がある。

そこを離れればいい。そんな「最低な人たち」からは、物理的に距離を置けばいい。

そういう人間は、そうそう変わらない。今さらあなたや僕の一言で、心を入れ替えるとは思わない。僕はバンクーバーで、心の底から嫌になるほど、その現実を見てきた。

平気で嘘をついて他人を貶める人間に関わり続けたその先に、あなたの未来など待ってはいない。「今すぐに」とは行かなくても、具体的なアクションとともに、さっさと離れる道筋を付け始めるんだ。

どんな職場も、どんな学校も、絶対不可侵の場所じゃない。不完全な上司と不完全な同僚、不完全な教師と不完全な生徒と不完全な親で構成された組織で、ときとして、ひどく醜い人間模様が垣間見えるところだ。成熟した人間と未成熟な人間が、混在しているところだ。

そんなところは、決して聖域ではないし、あなたの全てでもない。

そんなものに振り回されて死ぬんじゃない。

変えるべきものも、破壊すべきものも、いいものの方じゃない。あなたという人間じゃないんだよ。

痛みや苦しみを止めたいのなら、醜い環境の方を変えるんだ。





高校卒業後、僕はおそらく、あのまま北海道にいたら、つぶれていた。あの環境に留まっていたら、僕は生きていたかどうかもわからない。

でも、僕は幸運なことに、その場から離れた。死を選ぶのではなく、その場を離れることを選んで生きてきた。

僕のケースは、あなたとはまったく違う。僕の周りには、「最低の人間」などは一人もいなかった。他の理由で僕の心は押しつぶされていき、ある人の葬儀の帰りに、それが一線を越えた。彼女の遺体を目にした帰り、自分で命を絶とうとした。

判断する能力が麻痺した当時の僕には、「死ぬ」という気持ちと死んだ後の周りのことを考えて躊躇する気持ちが、何度も何度も、繰り返し交互にやってきた。

そして「このままでは自分が何をするかわからない」と思い、極度の混乱のままに親友に電話で助けを求めた。今までの人生でただ一度、友に助けを求めた。

そんな僕の声を聞いた彼は、すぐに共通の親友を二人集めてくれた。

でも、3人で彼のアパートに一泊した次の朝、一人ぼっちになった帰り道、発狂しそうな思いが再び襲いかかり、「やっぱり、俺は生きているべきじゃない」と思って、再び一線を越えようとした。

生きることを止めようとした。

今のあなたのように。

最悪なやつと言えば、最悪なやつかもしれないね。いきなり親友に助けを求めておいて、その帰り道に自殺しようとするんだから。もしあの帰り道に僕が死んでいたら、彼らのトラウマになってしまう。

「あいつらのおかげで生きてるのに、一体、俺は何を考えてたんだ」と、あとになって思った。

でも、そのときは、彼らの気持ちなんて考えもしなかった。自分自身のことだけを考えて、ただただ自分を追い詰めていた。感謝の気持ちと絶望の気持ちが混じった状態で、帰り道もただ泣いていた。

そして、彼女の死に直面して極度に肥大化する自己嫌悪を止められなくなり、僕は以前に若い人の自殺があったという現場に向かい、命を絶った見知らぬその人と同じ道を辿ろうとした。

でも、「これで全てを終わらせるんだ」と考えながら、必死で自転車を漕いでいたとき、思いもかけずに、パチンコ屋の駐車場から出てきた車にはねられた。

僕はそのまま路面に放り出され、倒れた自転車は少しねじ曲がった。車のスピードが出ていなかったので、幸い、幾つかの箇所を擦りむいて出血した程度で済んだ。

車に乗っていたのは、茶髪のあんちゃんと姉ちゃん。そして、このあんちゃん、驚いたことに、しれっと車を発車して逃げようとした。

錯乱状態で周りに注意を払っていなかったのは、僕も悪かっただろう。でも、現場は車が一時停止すべきところだ。

「おい、逃げるのか!」

そう察知して、血気盛んな19歳の僕は、車を追いかけて後部に蹴りを食らわせ、車を停車させた。サッカー部の走力とキック力が思わぬところで発揮された。

「とんでもないガキを跳ねた」と思ったのか、ここで初めて、あんちゃんが車から降りてきて、必死で謝ってきた。

「ごめん!大丈夫!?」

「救急車呼びますか?」

でも、もう遅い。逃げようとした男に、僕の怒りは止まらない。

助手席から茶髪にジャージのだるそうな姉ちゃんも降りてきて、「車で病院行く?」とか何とか言っていた気がするけど、その後のことは、はっきりとは覚えていない。

確かに覚えているのは、僕が一言も言葉を発していなかったことだ。

何かを言おうとしても、胸のあたりが苦しくて、一言も言葉が出てこなかった。

結局、僕は一言も何も言わずに、そのまま二人を睨みつけ、再び自転車をこいで、その場を去った。一体、何のために車を止めたのかも、よくわからなかった。

狂ったような怒りに任せて自転車を漕いでいて、ふと気がつくと、僕は行くはずだった、あの自殺現場に向かっていなかった。いつも通っている曲がり角を曲がり、いつも通っている帰路を辿っていた。

あまりにも頭に血が上り、怒りに任せてしばらく自転車を漕いでいたら、習慣でいつもの交差点を曲がっていた。

少し経って「あっ」と気が付いて、立ち止まった。

来た道を引き返すため

けれども、自転車で漕いできた道を見つめた瞬間、思わずその場に立ちすくんでしまった。

その瞬間、色々なことが頭をよぎった。

今まで起こったたくさんの出来事が、記憶の中から這い出して、僕の精神を襲い始めた。

ここを戻ったら俺はどうなる?

どうして戻るんだ?

俺が死んだら、何が変わる?

時間は戻らない。

あいつは生き返らない。

俺が死んで、誰が救われるんだ?

道を間違えたことで、少しだけ、冷静さを取り戻した。

何日か振りに、ものを考えることができた瞬間だった。「彼女と同じ苦しみを、俺も味わわなければいけない。彼女と同じように死ななければならない」という思い込みが、少し溶けた瞬間だった。

「彼女は死にはしない」という間違った思い込みを抱いていた自分は、確かに愚かだった。自分は沢山の失敗をした。すぐに諦めてベストを尽くさなかった。自分にできるはずだったことは、数多くあった。とことん、僕はどうしようもない人間だった。

だから、僕は彼女と同じ苦しみに直面し、死ななければならない。

そうか?

本当にそうなのか?

僕は、そこに立ち尽くして自問自答した。

自転車のサドルに突っ伏して泣き、ここ数年のことを思い起こしていた。

彼女が「怖い」と打ち明けたときのこと、無力な子供のくせに「俺が何とかするから」なんて無責任に言っていたこと、病院で追い返されたときのこと。

色々なことが頭を駆け巡り、一時間以上、僕はその場に立っていた。

そして、僕は道を引き返さず、そのまま帰路に着いた。


僕は死を選ばなかった。

自分は、今日で死んだんだ。

これからは、全く違った生き方をするんだ。

自分はいつか死ぬ。

だけど、そのときは、あのときの彼女や自分のような状況にいる人のために自分の命を使って死ぬんだ。

子供っぽい、くだらない話に聞こえるかもしれないけど、あのとき、僕はそう思った。

心の底から、そう思った。

僕はその後、生きる場所を変え、東京をステップにして、自分を追い込める環境に身を置こうと、アメリカ、カナダに渡った。

「あのまま北海道にいては、この先の人生を生きられない。精神が破壊され、成長も未来も限られる」

そう強く思ったからだ。

あれから16年。いつだって、どこにいたって、僕の基準は、あの日の自分だ。あのときの自分に誇れるように生きることを、人生の岐路に立った時は、いつだって思い起こしてる。

くだらん他人がどう思うかなど関係ない。どうでもいいやつらがどう思うかなど、僕の知ったことではない。

あの日の自分の目を見て、自分自身を誇れるかどうか。それだけが、僕の生き方の基準になっている。

去年、長くなっていた海外生活を引き上げて日本に帰ってきたとき、あのときのパチンコ屋を探して、近くまで行ってみたことがある。近くに用事があったので、その帰り道に、何となく立ち寄ってみたくなったんだ。

僕の中で周辺地域の記憶が薄れているのと、地域の様子が少し変わっていたのとで、ちょっとだけ現場を探すのに手こずった。

当時の寿司屋やお菓子屋はあったし、立ち寄ったことのあるジーンズショップもあった。

でも、あの朝、僕が車にはねられた現場のパチンコ屋はなくなっていた。

「俺がはねられたの、この辺だな」

景色は少し変わっていたけど、当時のパチンコ屋周辺で立ち止まっていたら、自然と涙が出た。

何の涙かはわからない。とにかく、どうやって止めていいのかわからないくらい、次々と涙が溢れ出てきた。

そして、行き詰まって苦しみ、自分を責め続けていた昔の自分に、かけてやりたい言葉がとめどなく溢れてきた。

あれから16年。長いようで短い16年。色々なことがあった。誠実で心のきれいな人間にも、下衆しか言いようのないことを平気でやる卑劣な人間にも、カナダでたくさん関わってきた。

それでも、16年ぶりにあのパチンコ屋周辺を訪れたとき、僕が昔の自分にかけたくて浮かんだ言葉は、充実感に満ちたものだった。

「死のうとしていたおまえは、東京に行って、それからアメリカの大学、カナダの大学院に奨学金で通うんだ。アメリカでは優秀論文賞を、カナダの大学院でも優秀論文賞と宗教教育の賞をもらい、色々な国籍の人たちと仕事をする。トロントでは、死ぬまで忘れられない思い出を沢山作って、与えられた毎日に感謝しながら幸せに生きるんだ」

あのときの僕は、今の僕のことを「おかしな野郎」と思うかもしれない。そんな言葉を聞いて、怒り出すかもしれない。

「ありえねーわ。そもそも、俺は英語できないし、海外に行くことに興味なんてない。それに宗教教育ってなんだよ。洗脳かよ」って。

でも、人生は奇妙なもの。誰にも予測がつかないほど、不思議なもの。僕たちをどこに導いてくれるか、想像さえつかないときがある。

「確かに辛くて苦しい思いを沢山する。でも、おまえは生きのびて、会社を起こすために日本に帰国する。そして、この場所に帰ってきて、19歳の自分に全部を報告するんだ。

『いろんなことがあったけど、俺は自分の自信を証明した』って」

「人生で最も幸せな瞬間はいつだったか」と問われれば、僕は迷わず、この報告をしたときを挙げる。

昔の自分に、人生を終えようと泣いていた自分に、「努力を重ねて、これだけのことをして帰ってきた」って報告した瞬間を挙げるよ。

あのとき流した涙は、昔の痛みや混乱が思い出されたときの涙であると同時に、充実した感情の涙でもあった。

努力してきた16年間、苦しかった16年間、それでも、自分なりに幸せの欠片を集めて振り返ることができる16年間。「いま幸せに生きてるんだ」って、一番苦しんでいたときの自分に向けられる、前向きな涙だった。

あのときと同じ涙を、僕はいつかあなたにも流してほしいと思う。

痛みや理不尽さに翻弄されつつ、それでも「ここまで来たんだ」という、達成感とも手放しの喜びとも違った、不思議で温かい感情の涙に、いつかその優しい心を包んでほしいと思う。

そのためには、あなたは生きなければならない。

いつか今の場所に戻ってきて、昔の自分に報告ができるように、自分の人生の先を、その目に焼き付けなければならない。

生きて、自分の物語の続きを、見届けなければならない。

これから無数の「今」を生き抜いて、5年、10年、15年、自分の人生を積み重ねていく。簡単な道のりじゃない。大変な状態の「今」から、将来に続く無数の「今」なんて、想像したくもないかもしれないね。

僕は、あなたにバラ色の将来を保証することはできない。「生きていれば、きっといいこともあるよ」「僕のように人生が変わるかも」なんて、能天気で無責任な言葉を吐く気もない。

人生は不条理だし、不公平だ。ときには残酷ですらある。

これは、今となっては、誰が言うまでもなく、あなた自身がよくわかってることだよね。

これからも気に入らない人間を嘘で貶める卑劣な人間に会うかもしれない。ジキルとハイドのように、表と裏が全く別人で表面だけを取り繕う人間にも会うかもしれない。

あなたのように人間の悪意や嫉妬を憎む性格の男であれば、なおさら、そういった「最低の人間」には疎まれるかもしれない。冷酷な攻撃を受けるかもしれない。

でも、たとえどんな状況にあったとしても、あなたがしなければならないことは、死ぬことじゃない。そんなどうでもいいやつに、自分をコントロールされない意思を奮い立たせることだ。

これは僕からのお願いだ。

包丁を手放せ。

自分の人生の舵は、自分で取るんだ。心ない他人に操縦席を譲ってコントロールされるなんて、あまりに悲しすぎるだろ。

とりあえず、その場から離れてもいい。とりあえず、卑劣な人間とは縁を切ってもいい。とりあえず、心が抹殺されるような環境から、自分を切り離していい。

何をおいても、まずは死という選択で全てを閉じないことだ。新たな人生を生きるという選択を、強く真っすぐな意志を持って行うことだ。

そして、「1年後、5年後、10年後に自分がどうありたいか」というビジョンをしっかり描いて、その実現のために、毎日少しずつ、具体的なアクションを習慣化しつつ、積み重ねていくことなんだ。

グーグルアナリティクスの分析が正しければ、大阪からアクセスしてるだろ。

色々な国の友達を紹介するから、今度、一緒に新しい世界を見てみよう。

学部過程を最後まで終わらせたいんだったら、ヨーロッパに大学留学、なんて手もある。日本で大学に行くよりも、ずっと安く、しかも英語で教育が受けられる。成績と努力次第だけど、最低、英検二級程度あれば、ヨーロッパの大学に英語で行ける可能性がある。

よくわからないことだらけだろうけど、大学に関する細かいことは、僕が必ず何とかする。

日本は広い。

世界は広い。

若いあなたが想像できない世界が、際限なく広がってる。

わずかな世界しか知らない若いうちは実感しにくいけど、僕たちが漫然と住んでいる社会は本当に狭い。その小さな水たまりから大海に舟を漕ぎ出して、いろいろな人に出会って、そこで何を感じるか、毎日がどう変化するか、試してみるのも悪くないだろ。

留学で余計に世界が嫌になるかもしれないけど、僕はこれからも、あなたの味方だ。

こんな人間も、この世界には沢山いると思うよ。きっと、日本も、世界も、あなたが思う以上に、ずっと多様で、ずっと広大だろうからね。

やす

ABOUT ME
Yasu
Good Friends Japan CEO. We aspire to offer opportunities of international education especially to unprivileged young adults. ヨーロッパと台湾で仕事をする北海道育ち。大学をアメリカ、大学院をカナダで修了。リベラルアーツ教育、宗教教育修士。
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